文化庁主催 第3回コンテンツ流通促進シンポジウム
日本映画界は、ハリウッド映画並みの大作を作れるのか?−外部資金の活用を考える−

2005年7月13日 国立オリンピック記念青少年総合センター(カルチャー棟大ホール)
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特別講演
李 鳳宇 (リ ボンウ)
シネカノン
代表取締役

韓国映画界における外部資金の導入について
−映画ファンドの役割と資金提供方法−
紹介にありましたように、韓国映画を沢山配給または共同制作してきたという立場で、今日は、そんなによく知っているわけじゃないんですが、自分の知っている限りお話ししたいと思います。

韓国映画が今、非常に日本の映画業界でも注目を浴びているということは皆さんもご存じのとおりで、と申しますのは、多分皆さんが認識してらっしゃる韓国映画というのは、多分この2000年以降、この5年から6年くらい急激に盛り上がったような印象をもたれていると思います。急激に盛り上がったというのは、多分それ以前の韓国映画というのはもうほとんど認識の中に、観客の中になかったんじゃないかなという。このギャップが多分一番大きな、韓国映画盛り上がっているねというような認識じゃないかなと。

韓国映画が盛り上がっているというのはいろいろな理由がありまして、1つはもちろん日本で商業的にも非常にヒットをする映画が出てきた。もう1つは韓国国内でも制作本数が非常に増えて、クオリティの高い映画が沢山作られるようになった。これはその証明としまして、いろいろな海外の映画祭で賞を受賞する、もしくはリメイクが買われる、そういった映画も多くなってきました。といういろいろな側面から韓国映画がいま現在、隆盛を極めているというのはいえるのではないかなと思います。

じゃあ、実はこの韓国映画がいかにしていま作られているかということをお話ししたいと思います。いま現在のような韓国映画がいろいろなプロセスを経て現在に至っているわけであります。 この映画業界がどんなふうに変遷してきたかというのを簡単にご説明しますと、韓国映画というのは映画というもの自体は日本を経由して入ってきた産業ですね。ですから、植民地時代にほとんどソウルや平壌の映画館の経営者は日本人だったわけですね。占領とともに朝鮮キネマという会社が作られて、ほとんど国策映画が作られたわけですね。韓国では解放を迎えて、その後独自の発展を遂げるんですが、非常に日本資本が撤退した後に、韓国映画界というのは非常に零細企業の集まりだったわけですね。ですから、いろいろな部分で国が保護している産業でした。ですから、ほとんどの今のようなCJやシネマサービスやショーボックスという、今はメジャーといわれていますが、そういうメジャーが存在しない産業だったわけです。

そんなふうにして60年代、70年代を経てきたのですが、韓国映画界で最も危機だといわれている状況がありまして、それが1987年でした。この年の韓国映画のシェア、全体のシェアが14%を切ってしまったんですね。当時、年間に作られた韓国映画は40本を切ってしまったわけです。これはもうすべての映画を含めてですね。

この危機的状況に際して、韓国の映画人たちが100人規模で一同映画人協会というのがありまして、そこで集まりを持ったわけです。ここに参加した人たちが後年いろいろなことを言ってますが、イム・ゴンテクという代表的な当時から有名な監督がもう涙ながらに訴えたとか、とにかくこのままでは韓国映画は消えてしまう、とにかく韓国の映画というのは誰も知らないまま消え去ってしまうというものを訴えたそうです。そこでみんな何とかしなきゃいけないという、ここで韓国映画人は恐らくいかに駄目かという自覚をしたのだと思うんですよね。ここからいろいろな試みが始まるわけです。
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