文化庁主催 第5回コンテンツ流通促進シンポジウム“次世代ネットワーク社会の到来は著作権制度を揺るがすのか”

第1部:特別講演

「次世代ネットワーク社会がもたらす著作権制度上の課題」

金正勲(慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ総合研究機構准教授)

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金正勲

 次に、著作物の財としての性質・性格について考えてみます。著作物を含む情報は、経済学でいう公共財的な性質があると言われます。公共財は、2つ条件、すなわち、消費における競合性がないこと、そして消費における排除性がないこと、又は排除するのに費用がかかりすぎること、を満足する財であります。わかりやすく言えば、私が消費することで他人の消費が減るわけではなく、他人の消費を排除することは不可能か、非効率的である場合、公共財と呼ぶことができると思います。一般の財は、有限で希少性があるので、私の消費は他人の消費を減らします。ケーキを食べるのを考えるとわかりやすいかと思います。よって、財産権という形で排除できる権利を付与するわけであります。経済学で、共有地の悲劇、コモンズの悲劇という言葉があります。排除性を付与しないで誰もが利用できるようになると、資源が枯渇してしまうということを指す言葉で、財産権付与の1つの根拠となるものであります。
 一方で、著作物など消費における競合性がない枯渇しない「潜在的に」無限な情報という資源の場合、コモンズの悲劇は発生しません。むしろ、相互に共有すればするほど、社会全体の便益が高まるという意味で、COMEDY OF COMMONS/コモンズの喜劇が発生することになります。したがって、著作物のような情報の場合、一見、財産権の付与による排除可能性を付与せず、自由に消費できるようにした方が最適のように見えます。ただ、その場合、問題になるのは、いわゆるProvision/生産という問題であります。情報に排除可能性を保証する財産権を付与しないと、リソースを投下して新しい情報を生産するインセンティブが薄くなり、中長期的に社会において情報生産が過少になるリスクがあるという、いわゆる「情報の生産問題」が、近代国家において情報生産に対し財産権、知的財産権を付与する根拠となっています。これはいわゆるインセンティブ論と呼ばれるものでありますが、その前提、すなわち財産権の付与が社会における情報の生産を促進するというのが、ネットワーク化される時代においては前提から検証を必要とする仮説になりつつあるというのが、本当は著作権制度が直面している最も本質的で根本的な問題かも知れません。ただ、この点についてはここではあまり深入りはしないことにします。

 このように、情報生産に対し財産権付与をすることによって、他人の利用に対する排除する権利を付与したわけですが、ここでいう財産権は一般的な意味の完全な所有権とは異なる、「制限付きの所有権」であるということが特徴であります。著作権による保護期間が永続的ではないことも、様々な権利制限規定があるのにも、著作権が制限付きの所有権であるということを表しています。その背後にあるのは、権利が強すぎると、著作権の生産は促進されるが、その利用は制限されるという考えがあります。
 著作権制度はこうしたトレードオフ問題を常に抱えていて、その落としどころ・バランシングポイントを探しているわけであります。また、その落としどころというのが、著作権制度を取り巻く環境に依存するもので、その環境の変化をタイムリーに踏まえて適正な保護水準/範囲/期間を設定することになります。先ほど、話をしたように、保護自体が最終的な政策目的ではないので、著作物の創造と利用を促進するのに、保護強化をした方がよいと判断すれば保護強化すべきであり、保護を弱めた方がよいと判断すれば保護は弱めるべきであります。
 上記はいわゆるインセンティブ論と呼ばれるものでありましたが、「費用便益論的な観点」もあります。これは法と経済学の領域になるかと思いますが、保護がもたらす費用を最小化し、便益を最大化すること、経済学的にいえば、保護が持つ限界費用と限界便益が一致するポイントに均衡点が存在するということで、それにあわせて著作権の強度を設定すべきであるという立場のアプローチです。ここでも著作権を取り巻く環境の変化に伴い、その均衡点がシフトするというのは念頭に入れる必要があります。

 それでは、ここから社会経済システムがどのように変化しているのか、ということについて考えてみたいと思います。社会経済という領域の中で変化するものは無数にありますが、中でも特に重要であると思うのをここでいくつかピックアップしてみました。まず、「世界のフラット化とグローバル競争環境の変容」であります。昨年度、NYTコラムリストであるThomas Friedman氏が書いた「フラット化する世界」という本が日本でもベストセラーになりました。その本の中で著者は、今や製造業のみならず、ホワイトカラーの精神労働までもがインド・中国をはじめとする開発途上国に簡単に国際的にアウトソーシングされてしまう世界になっていると指摘しています。そうしたフラット化する世界の中で、日本をはじめとした先進諸国が今後も競争力を維持・拡大していくためには、新しいもの・アイデア・製品を創造し続けないと競争優位は持続できないということがあります。そこでキーワードとして浮上するのが創造性であり、その創造性が中核的な経済的資源となるクリエイティブエコノミーという創造経済の台頭であります。これについては後ほどより詳しく述べることにします。
 次の、注目すべき動きとしては、「文化の経済化と経済の文化化」という流れが挙げられます。前者の「文化の経済化」ですが、今までの表現活動・文化活動がその経済的価値を高めていくことを意味するもので、近年のコンテンツ産業が政策的注目を受けているのはその典型的な例です。コンテンツ産業は人間の表現活動の産物であるコンテンツを商品化して、流通させることで経済的な価値を生み出す産業という意味で、文化を経済化した現象として考えられます。一方で、潜在的にはより大きなインパクトを持つ流れとして、「経済の文化化」という現象があります。過去、必要性に応じてモノを購入していた時代から、モノが持つ機能や品質に関心が移り、今やモノが持つ物語、またそれを消費することがもつ意味やそこから得られるエクスペリエンスがより重要になってきたわけです。言い換えれば、大量生産時代の10人1色時代が、今や1人10色の時代になったとも言えるもので、人々の欲求やニーズが多様化し、消費構造・行動に大きく変化が発生したことを意味します。この「経済の文化化」というのは、潜在的にはあらゆる経済的活動において、文化的な要素が介在するようになることを指すものです。今まではよいモノを作りさえすれば売れた時代から、そこにストーリーや意味を持たせ、共感させるという、人々の感性的なニーズまで満たさないとモノが売れない時代になってきたということです。この経済の文化化の流れを受けた概念として、感性経済、右脳経済、経験経済、というのが最近注目されています。
 他にも、クリエイティブエコノミーの台頭、融合社会の台頭、そしてデジタル革命に伴う著作物生産方式/主体の多様化という変化がありますが、これについては次のスライドからより詳しく見ていきたいと思います。

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