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吉田兄弟
「伝統音楽」は「古典音楽」と言い換えても良く現代の日本では、古代に成立した雅楽や声明から、江戸時代に花開いた箏・三味線の音楽あるいは沖縄における琉球王朝時代に発展した三線音楽からなる琉球古典音楽に至るまで、生まれも育ちも異なる多種多彩な音楽が層をなして共存しています。しかしそれらが「日本の伝統音楽」と認識される理由は、単なるモノの移入や転用でなく、日本的な美意識に従って楽器改良や音楽創造が行われてきたからに他なりません。その文化の伝統を担ってきたのはプロのアーティストたちであり、手から手へ、口から口へ、身体を通して「音の心とかたち」が伝えられてきました。音楽として存在するだけでなく、能や歌舞伎・文楽などの古典芸能の舞台を支えることも重要な役割です。
ジャンルによって、用いる楽器、発声法、音階、リズム、楽式、記譜法、演奏者、享受者、レパートリー、演奏の場や上演のスタイル等が異なるのも大きな特色の一つです。宮廷や寺社の儀式を担った雅楽、僧侶たちの声によって儀式を荘厳する声明や『平家物語』を弾き語る平家琵琶は、語り物芸能の先駆となっています。後に九州を中心に発達した琵琶音楽(薩摩琵琶・筑前琵琶など)もその延長線上に位置するものともいえます。
また、室町時代末期に伝来した三味線は華やかな江戸音楽文化の開花を促し、多種多様な浄瑠璃諸流(義太夫・河東・一中・常磐津・清元・新内・宮薗等々)をはじめ、地歌・長唄・端唄・うた沢・小唄その他、数多の三味線歌曲を生みました。特に人形芝居「文楽」を担う義太夫節、歌舞伎を支える長唄は、三味線の存在抜きには語れません。
その一方で、古くは雅楽の一員だった箏は、寺院雅楽の伝統を経由して、江戸時代には盲人音楽家たちの手によって新たな箏の音楽へと姿を変え、地歌と呼ばれる三味線音楽も含めて繊細の表現を展開し、尺八もまた中世の隠者世界を経て、禅宗の音楽と化して、新たな担い手と市場を得ています。芝居や舞踊とは無縁だったからこそ、箏や尺八は、欧米諸国の音楽が移入された明治以降、「音楽表現」の具として活躍の場を広げ、今や日本を代表する「楽器」として、新しい音楽の創造を促し続けています。
津軽三味線や和太鼓など、「古典音楽」の領域に含めにくいジャンルの活動が顕著となる一方で、伝統音楽領域の複数のジャンルでジョイントしたり、かつては一緒に演じられることが少なかった楽器や異ジャンルとの組み合わせ、本来はアンサンブル楽器だったものがソロ楽器へと転換するなどの現象が増加しています。その結果、伝統的な音楽領域の枠組みそのものに変化が生まれてきており、こうした創造的な試みの多くは、国際的な活動を視野に入れたものであることが少なくありません。
16世紀半ばに日本に伝来したと言われている三味線は、日本を代表する楽器の1つであり、長唄、義太夫、地歌など邦楽の様々なジャンルで活躍しています。こうした邦楽の舞台などで使われるだけでなく、多くの人が趣味として三味線を楽しんでいます。他の邦楽楽器と同様に、三味線はその伝統性ゆえに比較的年齢層の高い人たちが演奏する楽器というイメージが強かったのですが、最近では、三味線が器楽演奏として注目され、かつ地域性を薄れさせつつあるなか、新しい動きとして若い津軽三味線奏者が目立った活躍をしています。