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平成19年度芸術選奨 受賞者及び贈賞理由



[芸術選奨文部科学大臣賞]
部門 受賞者 贈賞理由
演劇 桐竹(きりたけ) 勘十郎(かんじゅうろう)  亡父の名跡を三世として襲名し五年,充実した表現と芸域の広さは,進境著しい。女形(おんながた)では華麗な鷺娘(さぎむすめ)の後,チャリがかったおらちを躍動させ,お(はつ)では心中する女の愛を描いた。立役(たちやく)では時代物の桂中納言実は貞任(かつらちゅうなごんじつはさだとう)も,世話物(せわもの)半兵衛(はんべえ)もこなし,武将・光秀(みつひで)の悲劇,団七(だんしち)の殺しの美学,小助(こすけ)の小悪党ぶり,老父平作(へいさく)の悲しみまで表現した。その多彩さと存在感は非凡である。
三谷(みたに) 幸喜(こうき)  パルコ劇場で上演された三谷幸喜作・演出「コンフィダント・絆」は,十九世紀末のパリを舞台に,画家のスーラ,ゴッホ,ゴーギャンらが作った共同体的空間の成立と崩壊を喜劇性豊かに描き,優れた舞台成果を上げた。芸術家同士の友情とともに,彼らのエゴと激しいライバル意識をも浮き彫りにした三谷氏の作劇術,さらに俳優たちから魅力的演技を引き出した氏の演出はともに高く評価できる。荻野清子(おぎのきよこ)氏の音楽・演奏も加わったこの作品は新しい音楽劇としても注目に値する。
映画 周防(すお) 正行(まさゆき)  周防正行氏の監督・脚本による映画「それでもボクはやってない」は,痴漢の冤罪を着せられた一青年の裁判での戦いを描いた,見応えのある社会派娯楽作である。綿密な取材による情報量を圧縮し,サスペンス豊かな物語に仕立て上げた脚本も,緊張感に満ちた映像空間を終始持続させているシャープで隙のない演出も,見事と言うほかない。この作品は周防氏の映画作家としての力量を示すと同時に,彼が優れたプロデューサー的資質の持ち主であることをも証明している。
たむら まさき  たむらまさき氏は風景を撮ることのできる,希有の撮影者である。風景や情景などというものではなく,映画表現としての風景,人と風土とをたむら氏は的確にとらえる。それはドキュメンタリー映画の傑作「ニッポン国 古屋敷村(ふるやしきむら)」(監督小川紳介(おがわしんすけ))から劇映画「サッドヴァケイション」(監督青山真治(あおやましんじ))に至るまで,ジャンルを問わずに一貫している特質である。この眼によって,日本映画はこれまでどれほど助けられてきたことだろうか。「ことば」に傾きがちな現今の日本映画界にあって,たむら氏の仕事は極めて重要である。
音楽 高橋(たかはし) アキ  日本のみならず,海外でも目覚ましい活躍を続ける高橋アキ氏は,現代音楽の牽引者としてますますその存在感を示すにとどまらず,最近は古典音楽の演奏にも,その研ぎすまされた感性を持ってのぞみ,素晴らしい成果を上げている。特に平成十九年度は,CDとしてリリースされた「シューベルト/ピアノ・ソナタ集」の演奏,またヴァイオリンのマーク・サバット氏,チェロのロハン・デ・サラム氏との「モートン・フェルドマン/トリオ」の演奏(静岡音楽館AOI 九月)で,その至芸を見せた。
細川(ほそかわ) 俊夫(としお)  下野竜也(しものたつや)氏が指揮して読売日本交響楽団によって世界初演された「ダンス・イマジネール」(サントリーホール 十月)と,(じゅん)・メルクル氏が指揮してフランス国立リヨン管弦楽団によって日本初演がかなった「循環する海」(サントリーホール 十一月)の両曲で示された作風は,国際的に活躍する作曲家としての力量を発揮するのみならず,内容面での最近のさらなる深化と充実を物語っており,日本を代表する作曲家としての地位を名実ともに揺るぎないものにしている。
舞踊 金森(かなもり) (じょう)  ダンスの未来へのヴィジョンと,ジャンルを超える大胆なコンテンツは,近年,日本人ダンサーの中にあって群を抜く才能とスケールの大きさを示している。九十年代はヨーロッパでベジャール,キリアンらに付いて実地の修行を重ね,帰国するやその成果を生かして斬新な自作を発表,平成十六年からはこの国で初めての公立劇場専属集団「Noism−ノイズム−」を新潟りゅーとぴあに結成,今年度の二本の創作「PLAY 2 PLAY」,「W-view」においても,振付・演技・演出・制作のすべての点で群を抜くオリジナリティを発揮した。
若柳(わかやぎ) (ぎん)  若柳吟氏は京阪を代表する舞踊家の一人であり,今,最も脂が乗った旬の人である。手がける作品も古典舞踊,座敷舞,創作舞踊と幅広く,変化に富む。平成十九年には長唄(ながうた)石橋(しゃっきょう)」(吟の会(ぎんのかい),大阪松竹座,九月),地歌(じうた)(かわず)」(楳茂都陸平(うめもとりくへい)二十三回忌追善の会,国立文楽劇場,九月),荻江(おぎえ)八島(やしま)」(東西名流舞踊鑑賞会,国立文楽劇場,十月)などで,きりりとしてしなやか,メリハリがあり,江戸前の粋と上方の雰囲気をも合わせもつ芸風をあますところなく披露した。後継者の育成や長年にわたり学校教育を通じて邦舞の普及にも力を入れるなど,社会貢献面でも評価は高い。
文学 島田(しまだ) 雅彦(まさひこ)  小説家島田雅彦氏が,多摩丘陵という縄文遺跡の宝庫の上に生まれ,育って浴びたオーラを,最初にみごとな才気ほとばしる物語に仕立ててみせてくれたのが快作「忘れられた帝国」だった。それからおよそ十四年たって(ちょうどまん中に九・一一テロが象徴的に挟まる),より自在な語り口と考え抜かれた構成で,より広く深く,スピーディーに,シャーマン探偵ナルヒコなる魅力的な人物の誕生秘話を展開してみせてくれたのが「カオスの娘」である。興趣は最後まで尽きることがない。通俗・類型的という消極的意見もあったが,小説には避け難いそうした部分を,読者の便宜のために積極的に活用しているので瑕瑾(かきん)には当たらない,という判断に落着いた。ひとつの貴重な達成である。
矢島(やじま) 渚男(なぎさお)  句集「百済野(くだらの)」は,青年期に石田波郷(いしだはきょう)加藤楸邨(かとうしゅうそん)らの求心的な作風と古典に深く学び,俳句は極少の詩であるがゆえに無辺の詩であるという基本姿勢を持ちつつ,広角な視野で独自の作風を築きあげた。難解な主題を平明にして軽妙な技法で表現した句は読者に負担をかけることがない。俳諧古典への造詣も深く,ことに加舎白雄(かやしらお)への理解には独自なものがある。古典研究や批評精神を生かした評論などが,俳句作品と乖離していないところも確かである。
美術 小川(おがわ) 待子(まちこ)  小川待子氏の作品「Li2O・Na2O・CaO・Al2O3・SiO2:水の破片」は,「土から生まれるもの」と題された東京オペラシティアートギャラリーにおける収蔵品展の一部にスペースをとり,旧作に加えて新作を特別出品する形式の発表であった。平成十六年のMDSギャラリー,平成十四年の神奈川県立近代美術館における展示と,近年その制作に脂が乗った感があるが,今回の作品は従来のそれにもまして陶芸の魅力をさらに空間自体へと拡大し,彼女自身の世界を大きく飛躍させたと評価された。
森村(もりむら) 泰昌(やすまさ)  森村泰昌氏は,美術史上の名作のモチーフに扮し,その構図の中に入り込む。マネの「オランピア」から信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)の「剣の護法(けんのごほう)」まで,その演じてきた対象は幅広い。また現代史にも切り込み,チェ・ゲバラや三島由紀夫など,時代を象徴する人物にも扮する。生きた人間が過去の表象を演じる同氏の作品は,生と死,憧憬と揶揄などの鋭いアンビヴァレンスに刺し貫かれている。森村氏は,現代において最もスリリングな作家の一人である。
放送 菅野(すがの) 高至(たかゆき)  よい時代劇とは,よい日本人を描くことである。正義,信義,大義,無私の愛など,それは現代の人々の心の糧となる。菅野高至氏はNHKの時代劇の制作者として「清左衛門残日録(せいざえもんざんじつろく)」,「(せみ)しぐれ」など多くの作品を制作してきた。徹底した時代考証により,昔人の語る言葉や風俗の正確を期し,更に現代感覚を付加した清新なドラマである。「風の果て」(NHK木曜時代劇,藤沢周平(ふじさわしゅうへい)原作)も下級武士たちの青春と生涯を貫く友情を詩情豊かに描いた。消えかけている時代劇の灯を次代に伝えることは放送人の使命である。そのために菅野氏の仕事への情熱の果たしたものは多大である。
水島(みずしま) 宏明(ひろあき)  セーフティー・ネットの備えなく拡大した規制緩和が生み出した悲惨な事態を,水島氏はドキュメンタリー「ネットカフェ難民〜漂流する貧困者たち〜」で見事に描き出し,その意味する事柄の重大さを鮮明に伝えてくれた。この作品のみならず,水島氏はこれまでも「理不尽な制度やしきたりに痛めつけられている立場の弱い人たち」の眼で問題の核心に迫ってきた。その思いと力量が新たな活躍を期待させてくれる。
大衆芸能 立川(たてかわ) 志の輔(しのすけ)  本筋である落語=噺(はなし)を軸に,エッセイスト,タレントなど立川志の輔氏の活躍と充実は近年,著しく目覚しい。とりわけ平成十九年は,前年の師匠・立川談志(たてかわだんし)との二人会「夢一夜(ゆめいちや)」(新橋演舞場)の成果をふまえ,「志の輔らくご in パルコ vol.11」(パルコ劇場 一月),「志の輔らくご in 下北沢 vol.14」(本多劇場 八月),さらに三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう)作の「政談月の鏡(せいだんつきのかがみ)」を掘り起こした「志の輔らくご ひとり大劇場」(国立劇場大劇場 九月)等々で大きな芸の飛翔を為した。
細野(ほその) 晴臣(はるおみ)  平成十九年,細野晴臣氏は高橋幸宏(たかはしゆきひろ)氏,坂本龍一(さかもとりゅういち)氏らとの「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」の復活,若手ミュージシャンらと「細野晴臣と地球の仲間たち〜空飛ぶ円盤飛来60周年・夏の音楽祭」(日比谷野外音楽堂 七月)の開催,ザ・ワールド・シャイネスを率いての「フライング・ソーサー 1947」の発表などの成果を残した。70年,松本隆(まつもとたかし)氏,大瀧詠一(おおたきえいいち)氏,鈴木茂(すずきしげる)氏らとの「はっぴいえんど」では,日本語によるロックに取り組み,78年のYMOではテクノ・ブームを生んで,海外でも高い評価を獲得。他方,作曲,編曲などで歌謡界,また,映画音楽の分野でも活躍。常に創作意欲に溢れ,斬新で先鋭的な成果を生んできた。日本のポップス界におけるこれまでの業績,貢献への評価だけでなく,最新作が物語る意欲的な姿勢など今後の活動にも注目される。
芸術振興 福武(ふくたけ) 總一郎(そういちろう)  福武總一郎氏は,かねてから,瀬戸内海に浮かぶ直島(なおしま)において,「アートの日常化」を推進してきたが,平成十九年には,「直島スタンダード2」の総合プロデューサーとして,島全体を舞台とした大型企画展による独自のアートプロジェクトを実施した。大自然の中や古くからの家並みが残る地区など様々な場所を使って,「風景をつくる」ことをテーマとした作品を展示し,直島という空間のアートとの結び付きによる新たな魅力を内外に示した。
評論等 赤坂(あかさか) 憲雄(のりお)  著作「岡本太郎の見た日本」(岩波書店 六月)は,画家・岡本太郎に見る動物的な意匠を切り口に,彼の民俗学的思考の軌跡を辿ろうとするものである。パリ時代,バタイユ,モースとの交流に始まる生きる意味への根源的な問い。それを抱えての,縄文文化から東北,沖縄,韓国へと広がる「日本」を探す旅。赤坂氏は,その思索の痕跡を民俗学的な視点で読み解くことで,近代に始まる狭隘(きょうあい)な「日本」概念を,多層的な「日本」へと解き放つ。
木下(きのした) 直之(なおゆき)  著作「わたしの城下町 天守閣からみえる戦後の日本」(筑摩書房 三月)は,第二次世界大戦終了後,六十年余を経過し,めざましく発展するとともに複雑に屈折し,著しい明暗の生じた一国の文化をどう評価するか,という重要なテーマに臨んで,その諸面を,都市の原型である「城下町」とその象徴である「天守閣」を比喩として設定した上で,定説にとらわれない美術史家としての斬新な視点を各所に生かして,歴史的にまた社会的に解明した複眼的な把握が独特で卓抜である。


[芸術選奨文部科学大臣新人賞]
部門 受賞者 贈賞理由
演劇 唐沢(からさわ) 寿明(としあき)  蜷川幸雄(にながわゆきお)演出によるシェイクスピアのローマ史劇「コリオレイナス」(彩の国さいたま芸術劇場,大阪・シアター・ドラマシティ,ロンドン・バービカン劇場など 一月〜四月)において,唐沢寿明氏は難役のタイトルロールに挑んだ。難役たる所以の一つは,現代人の共感を呼びにくい激しい民衆蔑視。唐沢氏は知力と恵まれた身体能力を駆使し,気品と粗暴さを共存させ,時に情感を込め,格調ある悲劇的人物を造形した。説得力と魅力に富む優れた演技は高い評価に値する。
映画 廣末(ひろすえ) 哲万(ひろまさ)  廣末哲万監督の「14歳」は,思春期の危機を描いてその深層に手が届いており,結果的に,思春期のみならず,われわれの「現在」そのものの危機を暗示することに成功している。一見暗澹(あんたん)たる世界を描きながら決して希望を失わず,少年少女たちを見つめる視線は温かい。映像は,主題からだけでは想像できない独自の鋭い感覚で組み上げられており,まさに「映画的」と言うほかない秀作である。力強い新人の登場に拍手を贈りたい。
音楽 徳丸(とくまる) 十盟(じゅうめい)  徳丸十盟氏は,故・山口五郎(うやまぐちごろう)師の芸を継承する琴古流(きんこりゅう)尺八家で,すでに数多くの国内外での安定した演奏活動によって,常に高い評価を得てきた。平成十九年の「第一回 徳丸十盟 尺八演奏会」(紀尾井小ホール 十二月)では,「鹿の遠音(しかのとおね)」と「真虚霊(しんのきょれい)」において尺八本曲の様式美を感じさせる品格ある演奏を,「五段砧(ごだんぎぬた)」と「七小町(ななこまち)」ではよくコントロールされた音高・音量・音色・緩急によって箏・三絃との絶妙なアンサンブルを示した。本曲と外曲の双方における今後の活躍が大いに期待される。
舞踊 山本(やまもと) 隆之(りゅうじ)  バレリーナに眼を奪われがちなバレエだが,それも傍らでサポートしリフトする男性の力業あってのこと。近年はダイナミックな跳躍など男性のテクニックが著しく発展し,バレエダンサーの活躍は眩いほどである。山本隆之氏は新国立劇場バレエ団の古典や,新作「オルフェオとエウリディーチェ」(三月),「椿姫(つばきひめ)」(十一月)で主役を務め,輝かしい技量と存在感に加えて,作品解釈でも深い洞察力を見せた。いまや日本のバレエを力強く牽引するスターである。
文学 斎藤(さいとう) 恵美子(えみこ)  詩集「ラジオと背中」(思潮社 五月)は,戦後生まれの詩人が描いたユニークな近代の歴史。祖父と父と家族の生きた時代を偏見にとらわれず丁寧に掘り起こした。日清戦争から現代の戦争をラジオの「声」からとらえ,それぞれの時代を鮮明に喚起し,時代に固有な様々な音をとらえることに成功した。雑音に混じった玉音放送は戦争を終わらせ,その後の日本の歩みを決定づけたように,ラジオは大正から昭和を通じ最も鋭敏なメディアであった。
美術 塩田(しおた) 千春(ちはる)  大学卒業直後からドイツを拠点に国際的に活動している塩田千春氏は,平成十三年の横浜トリエンナーレで泥の付着した長大なドレスが水を浴びながら立ち尽くす衝撃的な作品を発表し,根源的な不安にさらされた人間の存在感を物質と記憶の深い層から喚び起こす類いまれな資質の持ち主として,一躍日本でも注目される存在となった。そして平成十九年秋,神奈川県民ホールギャラリーで多ジャンルを糾合したアート・コンプレックス二〇〇七の中核を担った個展「沈黙から」では,錯綜する黒い毛糸,焼け焦げたピアノ,窓枠の廃材を組み上げた光の回路,現象的時間の中の眠りの映像等,これまでの多様なレパートリーを動員して全展示室を生の全局面が息づく空間に変容せしめ,改めてその圧倒的な力量を証明した。
放送 金本(かなもと) 麻理子(まりこ)  ドキュメンタリーが果たす大きな役割の一つは「埋もれた現代史を発掘し今に問う」ことである。金本氏が制作したNHKハイビジョン特集「マニラ市街戦〜死者12万 焦土への1ヶ月」は日米比三国にまたがる関係者の証言を軸に,多くの日本人が知らなかった歴史的事実を掘り起こし,その現代的意味を浮き彫りにした。それは氏の充実した構想力,取材力,構成表現力の結果であり,今後の活躍を期待させてくれる。
大衆芸能 林家(はやしや) たい(へい)  闘病中の師・林家こん平門下にあって,古典を軸に飛躍を重ねてきた新進・林家たい平は平成十八年から師に代わって人気テレビ番組「笑点」(日本テレビ)のレギュラーメンバーとなる。一層の知名度アップなどを背景に平成十九年も「林家たい平 独演会」(博品館劇場 十二月)などで落語話芸への意欲と精進のほどを,笑いと娯楽性を軸に存分に示した。同時代に広く受け入れられ,また,歴史を生き抜いていく芸の担い手としての新鮮さと期待度は一段と高い。
芸術振興 池田(いけだ) (おさむ)  創造都市横浜の中核をなす公設民営の文化施設BankARTの運営により,創造都市推進の拠点モデルを形成した。歴史的建造物にアーティスト・イン・レジデンス,スタジオ,美術展示場,パフォーマンス会場を中心に,カフェやショップをもつ複合的なアートセンターを展開し,多様な文化芸術を内外に発信し,世界的にも注目を集めている。平成十九年には,食と現代美術のシリーズ,地震EXPOの開催など,社会のさまざまな課題とアートを結合する企画の展開など,アートによる地域社会への寄与に新領域を開拓した。若手芸術家の発掘と支援においても抜群の業績と評価できる。
評論等 田中(たなか) (じゅん)  田中純著「都市の詩学─場所の記憶と徴候」(東京大学出版会 十一月)は,近代都市によって可能となった想像力の経験を,建築・文学・写真・美術・映画など複数のジャンルと多様な対象を横断しつつ,克明に分析し,今日の文化の歴史的基層を鮮やかに浮かび上がらせている。膨大な資料の博捜,強靭な論理,「思考の詩」とさえ呼べる鋭く刻み込むような文体によって,建築文化史と思想史の接点で斬新な領野を切り開いてきた田中純氏の業績の一到達点を示す,優れた著作である。


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