芸術文化

HOME > 芸術文化 > 芸術創造活動の振興 > 芸術家の顕彰 > 芸術選奨 > 平成20年度芸術選奨 受賞者及び贈賞理由

平成20年度芸術選奨 受賞者及び贈賞理由

[芸術選奨文部科学大臣賞]
部門 受賞者 贈賞理由
演劇 (ちょう) 義信(うぃしん)  新国立劇場で,日韓合作として上演された鄭義信作「焼肉ドラゴン」は,昭和四十五年前後の関西を舞台に,焼肉店を経営する在日コリアン一家と店に出入りする人々,やがて彼らが離散していく姿を,陰影と笑いに富む生き生きとしたタッチで描き出した。日韓の俳優たちが,日本語と韓国語で演じたその舞台は,東京とソウルで上演され,観客に深い感銘を与えた。在日コリアンの歴史の重みと痛みに正面から向き合い,完成度の高い作品に仕上げた鄭氏の劇作術は見事である。梁正雄(やんじょんうん)氏との共同演出で活気あふれる舞台を生んだ手腕も評価できる。
松本(まつもと) 雄吉(ゆうきち)  「維新派」主宰の松本雄吉氏は約四十年間,野外劇の作・演出を続けてきた。平成二十年十月,滋賀県長浜市の琵琶湖畔で上演した「呼吸機械〈彼〉と旅をする二十世紀三部作#2」は,舞台奥が湖へ水没してゆく前代未聞の構造。前作はブラジル移民の流浪を描き,今回はポーランドを舞台に,戦災孤児の放浪と成長,孤独な魂を描いた。壮大なセット,独特の拍子,さらに歴史をのみ込む悠久の時間を思わせる湖面と一体化した脚本・演出は,優れた成果を挙げた。
映画 小泉(こいずみ) 今日子(きょうこ)  小泉今日子氏は「グーグーだって猫である」と「トウキョウソナタ」の二作品で,人生と孤独に向き合う女性を演じきった。二つの異なるキャラクターでありながら,どちらも小泉氏でなければ作品が成立し得ないような印象を与え,映画界に圧倒的な存在感を示した。常に自分を必要とする作品,自分がそこに参加する意義を探して作品を選ぶ力が「十階のモスキート」を出発点とし,「風花」を経由するフィルモグラフィーに現れ,今や日本映画を代表する女優となった。
滝田(たきた) 洋二郎(ようじろう)  「おくりびと」は,納棺師というあまり知られていない職業を取り上げ,主人公の挫折や苦悩,人の死に直面していくうちに生きることの意味を見いだしていく様を見事に演出し,ややもすれば重くなりがちなテーマを軽快なタッチで綴りながら生と死の尊さを描いた感動作である。「コミック雑誌なんかいらない!」で一般映画へ進出以来,話題作を次々と手がけてきた滝田洋二郎氏のひとつの到達点と言える作品である。
音楽 酒井(さかい) 松道(しょうどう)  酒井松道氏は,大阪を拠点に活躍しているが,全曲独奏による古典と現代曲のリサイタル(王子ホール 十月)では,尺八楽の深い精神世界に立ちつつ,自然の竹の形状を生かした管による演奏と,至難の吹管技法を駆使する演奏で,多くの聴衆に深い感動を与えた。特に「鹿之遠音(しかのとおね)曲」,「鶴之巣籠(つるのすごもり)」における,形似に甘んじない情愛表現は見事。そして現代本曲の異名をもつ諸井誠作曲「竹籟五章(ちくらいごしょう)」では,酒井氏の全人格的表現を結集した名演奏であった。
鈴木(すずき)  雅明(まさあき)  バッハ・コレギウム・ジャパンの音楽監督として,J.S.バッハの教会カンタータ全曲演奏という前代未聞の偉業に取り組んできた鈴木雅明氏は,平成二十年も三回の演奏会で着実にシリーズを継続し,また,マタイ受難曲等,バッハ作品で素晴らしい解釈をみせた。バロック音楽の第一人者としての存在感は圧倒的で,国際的にみても高く評価できる。また,ヘンデルの「ユダス・マカベウス」(東京オペラシティ 十二月)では新境地も示した。
舞踊 酒井(さかい) はな  十代半ばより舞踊家としての道を歩み始めた酒井はな氏は,平成九年の新国立劇場開場以来,同劇場のバレエ公演において中心的役割を果たしてきた。近年は,古典のみならず,コンテンポラリー,ミュージカルと表現の幅を広げ,他ジャンルのアーティストとも積極的に交流するなど,従来のバレリーナの枠に囚われぬ活躍が目立つ。「カルメンby石井潤」(新国立劇場 三月)では,優れた解釈と演技力で著しい成果を収め,その魅力をいっそう深めた。
花柳(はなやぎ) (もとい)  年少の頃から優れた舞踊技芸を身に備えた花柳基氏は,近年,古典,新作のジャンルを超えて舞台成果を収め,内面性の充実にも一日の長を発揮するに至っている。「第十回基の会」(国立劇場大劇場 九月)では,長唄「黒塚」他で見事な舞台をつくった。また,「花柳舞踊研究会」(国立劇場 九月)で上演した「空の初旅(そらのはつたび)」で,卓抜な演技を示したのに加え,舞踊集団「()の会」の中核の一人として作品をリードするなど,その業績は多彩であり,今後への期待も大きい。
文学 時田(ときた) 則雄(のりお)  時田則雄氏は,北海道十勝の飛行機が発着できるほどの広大な土地で,農業を営んでいる。トラクターやパワーショベル,フォークリフトやバックホーなどをあやつって,何トン,何十トンもの馬鈴薯,長芋,小豆,大豆,南瓜,小麦等を作るのである。歌集「ポロシリ」は,そうした労働の中から生まれた,働く男の歌である。大自然を相手に,ただただ懸命に働く男の肉体と心。生きることそのことの深みが読者の心にしんと伝わってくる。
南木(なぎ) 佳士(けいし)  「草すべり」は四作よりなる短篇集だが,一つの主題に貫かれた連作小説として読むことができる。人の死に深く関わり続けたために精神に変調を来した男性医師が,快復に向かう五十歳の誕生日を機に突然山を歩き始める。「人生の復路に入ってから山を歩き始めるほうがより豊かな感覚の刺激を受け入れられる気がする」,との主人公の言葉どおり,心身を大自然にこすりつける時に生まれる恐れと哀しみと熱の動きを,冷静な言葉によって描き出した秀作である。
美術 舟越(ふなごし) (かつら)  舟越桂氏は,一貫して木彫による人物の上半身像を制作してきた。顔の表情や髪型,形態に独特の解釈を与えて繊細な人間感情を盛り込んだ作品は,彫刻の新しい表現を切り開いたものとして早くから注目されてきた。最近は人間存在を問うかのようなスフィンクス・シリーズに取り組み,両性具有など危うさを秘めた形態に果敢に挑戦している。今回の東京都庭園美術館の展観は,そうした彫刻作品に素描等を合わせたものであるが,会場の空間まで巧みに作品に取り入れ,充実した技量を感じさせるものであった。
水越(みずこし) (たけし)   水越武氏の写真集「知床 残された原始」などに表された写真は,自然の美しさばかりか,奥に秘めた厳粛な不思議さまでも,鋭くしかし丁寧に優しさを持って写しとっている。単なる風景写真の域を超えて,あたかも地球とがっしりと組んだような表現力で,まるで写真の原点に立ち返ったような納得感を覚える。環境問題がますます切実な課題となっている今日,水越氏の写真作家活動は,その芸術的な面を通して私たちに根本的なテーマを語りかけ,突きつけてくるだろう。重要な作家の一人である。
放送 池端(いけはた) 俊策(しゅんさく)  ドラマ「帽子」は,池端俊策氏の長年にわたる誠実な創作活動の成果が,見事に結実した珠玉の作品である。老職人の老いと孤独を精緻な筆で描きながら,観る者を過去への旅にいざなっていく脚本技術は称賛に値する。恐らくは池端氏の原体験であろう軍港での生活と,不幸な過去を持つ男女の老境での再会を痛切な作品世界に仕上げた。また,互いに良き理解者であったに違いない緒形拳氏へのオマージュとしてみると一層感慨深いものがある。
大衆芸能 小田(おだ) 和正(かずまさ)  平成二十年,小田和正氏は全国二十九都市五十二公演に及ぶ「Kazumasa Oda Tour 二〇〇八”今日もどこかで”」,次いで東京,名古屋,大阪の三か所でドーム公演を実施。オフコース時代に遡る自身の足跡を踏まえ,前者では次世代へのメッセージを託し,後者では娯楽性も重視した構成,演奏展開により,歌手,作詞,作曲家としての存在を強く印象づけた。普遍的な魅力を持つ数々の作品は幅広いファン層に支持されるなど,日本のポピュラー・ミュージック界における実績,貢献への評価も高いが,現在に至っても意欲的に音楽活動に取り組み続けるなど,今後の活躍が期待される。
(かつら) 文珍(ぶんちん)  これまでマルチタレントとして注目を集めてきた桂文珍氏。だが,近年は古典落語に対する評価に目覚ましいものがある。特に,一昨年秋からスタートさせた全国ツアーは,四十七都道府県七十公演を敢行。各地で満員を呈し,成功裡に収めた。その最後を飾る「十夜連続独演会」(なんばグランド花月 四月)では,古典,新作,古典の改作に,巧みな人物描写,独自の演出を施し,上方落語継承者としての底力と本分を見せつけた。また,リクエスト形式の独演会(国立劇場演芸場 七月)にも挑戦し,本領をいかんなく発揮。上方を代表する落語家としての存在感を存分に示した。
芸術振興 加藤(かとう) 種男(たねお)  加藤種男氏は,アサヒビール株式会社の企業メセナ活動のリーダーとして「アサヒ・アート・フェスティバル」を企画運営し,全国の市民主導による地域文化振興や,アートNPOの育成に多大な貢献をした。特に,平成二十年の同フェスティバルでは,アートツーリズムという概念を打ち出し,各地のユニークな芸術事業が大きな地域資源であることを提示した。また,財団法人横浜市芸術文化振興財団の専務理事としても辣腕をふるう加藤氏は,平成二十年に「黄金町バザール」の陣頭指揮を執り,芸術による大規模な地域再生事業で横浜市の文化芸術創造都市構想に大きな結実をもたらした。
評論等 石井(いしい) 洋二郎(ようじろう)  「ロートレアモン 越境と創造」は,詩人ロートレアモンの謎に満ちた生涯を徹底的に解明するとともに,その遺したテクストの内在的意味作用と文学史的意義とに克明な考察を加えた画期的な評伝である。現存する全資料を精査した実証的労作であり,また詩作品の修辞と構造を解読してゆく柔軟な手捌きには優れた批評的感性が発揮されている。すでに完成しているロートレアモン作品の全訳と併せて,わが国におけるフランス文学研究の最高度の水準を示した石井洋二郎氏は本賞によって顕彰されるにふさわしい。
津野(つの) 海太郎(かいたろう)  「ジェローム・ロビンスが死んだ」は,有名なアメリカ生まれの振付家J・ロビンスの死を悼んで事績を追った著者が,はからずも知った故人の一面-赤狩り時代の裏切り,ユダヤ人で同性愛者だった事実などを,次々に解明していく推理ドキュメンタリー風の評伝。面白いだけでなく,ミュージカル世界を通して,国家と芸術家の問題が,軽妙な文体の裏に,さりげなく語られている。この国のサブカルチャー時代を身をもって生きた一文化人ならではのユニークな一冊といえる。
メディア芸術 岩井(いわい) 俊雄(としお)  昭和六十年の「時間層U」以来,アナログとデジタル,映像と音楽を横断する斬新かつ温かみのある作品で日本のメディアアートを牽引してきた岩井俊雄氏は,テレビ番組「ウゴウゴルーガ」,任天堂DS「エレクトロプランクトン」,三鷹の森ジブリ美術館の立体ゾートロープ,絵本「100かいだてのいえ」など,従来のアートの枠に留まらない活動で,メディアアートの持つ豊かな可能性と広がりを示した。TENORI-ONの国際的評価はその成果であると同時に,岩井氏の今後の一層の活躍を予感させる。
[芸術選奨文部科学大臣新人賞]
部門 受賞者 贈賞理由
演劇 市川(いちかわ) 亀治郎(かめじろう)  新春浅草歌舞伎で演じた「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)〜金閣寺」(浅草公会堂 一月)の雪姫は,「三姫」に数えられる大役の一つで,市川亀治郎氏は初役にもかかわらず,「縛られた姫」という制約の中に,格調と瑞々しい情感のこもった演技が秀逸だった。また,新秋九月大歌舞伎における「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」(新橋演舞場 九月)のかさねは,端正な芸格で,一途な女心の切なさ,裏切りへの怨念を清元に乗せて見事に踊り切り,歌舞伎の次代を担う活躍への大きな期待を感じさせた。
映画 蒼井(あおい) (ゆう)  平成十三年,「リリィ・シュシュのすべて」(岩井俊二監督)で鮮烈な映画デビューをかざった蒼井優氏は,以後着実にキャリアを積み重ね,今日の日本映画を代表する若手演技派女優へと成長した。平成十八年の「フラガール」(李相日監督)での熱演で多くの観客に感銘を与えた蒼井氏は,平成二十年の「百万円と苦虫女」(タナダユキ監督)でも,そののびやかで自然な演技で圧倒的な存在感を示した。未だ開花されない豊かな可能性を秘めた蒼井氏の将来には,大きな期待を寄せられている。
音楽 児玉(こだま) (もも)  五回にわたる「メシアン・プロジェクト二〇〇八」(彩の国さいたま芸術劇場 九月他)の連続演奏会は,メシアン・イヤーならではの意義深い企画であり,その企画実行力も評価できるとともに,中核となる演奏者として,「幼子イエスに注ぐ二十のまなざし」などの,これまでの自身のレパートリーを鮮烈かつ確実に演奏するのみならず,メシアンのピアノ作品の集大成である巨大な作品「鳥のカタログ」に意欲的に取り組み,めざましい成果を挙げたことは激賛に値する。
舞踊 平山(ひらやま) 素子(もとこ)  海外での研修を終えて帰国後,ダンサーとしてめきめきと頭角を現し,「Butterfly」(平成十七年),「DANAE」(平成十八年)など次々に秀作を発表,さらに近年は振付・演出の分野にも芸域を広げた。また,並行して演劇・スポーツなど隣接ジャンルでの積極的な参加も見逃せない。今回発表したDUO「春の祭典」(新国立劇場中劇場 十一月)は,これら多角的な才能を一気に投入,おなじみストラビンスキーの曲を,斬新な視点と手法で斯界に送り出した,真にオリジナルな現代舞踊の逸品である。
文学 平野(ひらの) 啓一郎(けいいちろう)   小説の重要な役割のひとつは,同時代の社会にひそむ病巣をその根源から照らしだすことである。「決壊」は,大きな規模で正面からその難題に取り組んだ力作である。不特定の人間のあいだで交わされる無責任なブログのやりとり,そこから誘発される犯罪の可能性,小・中学校でのいじめ等々,ある家族の崩壊の物語を軸にしながら,作者はそうした現代の緊急の問題に真摯な探究の視線を向けてゆく。現代小説に新しい地平を拓く斬新な動力が,そこから生まれてくるのが印象的である。
美術 丸山(まるやま) 直文(なおふみ)  近年,日本の若手画家の間ではごく私的主題やマンガ的手法に依存して閉じた表現に走る傾向が著しいが,丸山直文氏は一九八八年のデビュー以来,常に技法(特に「染み」),様式,主題等を自己開放的な試みにさらしつつ,その底で一貫して絵画本来の「あらわしたものを通してあらわれざるものがあらわれる」ことの構造と魅惑を探求してきた出色の存在である。目黒区美術館の「後ろの正面」展は,抽象・具象の別を融かし込んで展開し続けるこの絵画の独特の伸びやかさをよく伝えていた。
放送 柳川(やながわ) (つよし)  太平洋戦争のB級戦犯として訴追された見習い士官の逃亡日記を一遍のドラマに結晶させた「最後の戦犯」は,これまで描かれることの少なかった「個人の戦争責任」に鋭く迫った。また,十九年に柳川氏が制作した「鬼太郎が見た玉砕」も日米戦の凄惨な実態を新鮮な演出で見事に描き出した。太平洋戦争を戦った世代が次々と世を去りつつある今,彼らが後世に残す思いを主題に据えてドラマを作り続ける柳川氏の存在は得難く貴重である。今後の活躍を期待したい。
大衆芸能 椎名(しいな) 林檎(りんご)  平成十年に「幸福論」でデビューした椎名林檎氏は,若者を中心に幅広い人気を持つシンガーソングライターである。平成二十年十一月にさいたまスーパーアリーナで三日間にわたり行った「なま林檎博'08〜10周年記念祭」では,六十人を超える管弦楽団とバンドを従え,新旧の代表曲を新たな解釈で歌ってみせた。平成十八年に映画「さくらん」(蜷川実花・監督)の音楽監督を担当して以来,一段と柔軟で野心的な表現に取り組み,日本のポップスの可能性を広げてきたが,今後もさらなる活動が期待される。
芸術振興 山出(やまいで) 淳也(じゅんや)   国内外の主要美術館や美術展で作品を発表するアーティストである山出淳也氏は,文化庁在外研修員としてパリに滞在後,故郷・大分に戻り別府市においてBEPPU PROJECTというNPOを立ち上げ,芸術による地域振興事業で目覚ましい活躍をしている。特に平成二十年度は,中心市街地活性化協議会の一員として行政や地元経済界,大学やNPOなどと連携し,空き店舗をリノベーションして再利用するPlatform事業で次々と新たな交流空間を生み出し,地域再生のコーディネーターとして多大なる文化力を発揮している。
評論等 岡田(おかだ) 暁生(あけお)  十八,十九世紀には鍵盤楽器は,魂と心と手の形に最も近い楽器であった。しかし,ピアノに金属のフレームがとりつけられ,鍵盤の敏捷な運動が重視されるにつれて,その音色の輝きを増大させるために,指と腕のアクロバット的な訓練が開始される。ピアニストを目指したシューマンが,そうした道具による訓練に失敗したのはその例。岡田暁生氏は,著書「ピアニストになりたい!十九世紀もうひとつの音楽史」において,これまで見過ごされてきた十九世紀のピアノ教育のシステムに着眼し,メカニックな練習曲,過酷な練習方法などの多彩な例を駆使して,十九世紀音楽文化の知られざる一面にあざやかに光を当てた。
メディア芸術 井上(いのうえ) 雄彦(たけひこ)  「Slam Dunk」,「バガボンド」,「リアル」などの長編マンガにより既に国内のみならず,海外での評価も高い井上雄彦氏が,「井上雄彦最後のマンガ展」(上野の森美術館 五月〜七月)で展開した美術館空間の全体を活用してのダイナミックな画面表現行為は画期的であり,マンガ展の在り方に新しい次元を切り拓いた。マンガの持つ可能性と,そのパワーを体験させたこの展示のメディア芸術への貢献は顕著である。


トップページへ

ページトップへ