国語施策・日本語教育

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議事 審議事項について

土岐会長

 ただ今から第34回総会を開く。はじめに,国語課長から前回の総会について事務的な報告をしてもらう。

白石課長

 前回は,43名の委員が出席し,会長,副会長の互選を行なった。会長選挙では39人で投票したが,けっきょく決選投票によって土岐委員22票,金田一委員16票で,土岐委員が会長に決定した。また,副会長は,41人が投票し,これも決選投票の結果有光委員28票,金田一委員13票で有光委員が副会長に決定した。土岐会長,有光副会長,西尾国立国語研究所長からあいさつがあり,これまでの仕事について説明があり,話し合いに移った。

土岐会長

 今までの例では,総会の発言をもととして,総会の意見をまとめ,部会を設けるというような形であった。きょうは前回にひきつづいて自由に発言していただき,どういうふうに運営していくかを決めるか,あるいは新しく委員になられたかたがたから平素考えておられる問題について意見を出していただき,そのうえで方向を決めるというようにするか。

山 田

 わたくしは,はじめてであるが,今まで国語課や国語研究所で実際に行なってきたなかでいろいろの問題があると思う。それらについて方針をうかがった上で,皆から意見を出したほうがよいと思う。

実 藤

 わたくしはそれとは逆に,新しいかたがたは今までの国語審議会を知らないから,新しい意見が出るだろうと思っている。新しい委員にしばらく発言してもらったほうがいいと思う。

土岐会長

 山田委員の方法のようにすると問題が限定されるから,ただ今の実藤委員の意見によりたいと思うがどうか。 (賛成)
 今まで委員であったかたがたにも意見はあるだろうが,きょうは新しい委員を主として話していただく。順番にやっていただくか,またはこちらから名ざしをするか。(名ざしをすることに決まる。)
 では,稲富委員。

稲 富

 わたくしは,はじめてなのでみなさんの話を聞いたうえでと思っていたが,指名されたので申し上げる。先日もらったパンフレットなどで問題点のあらましが理解できた。国語審議会では,一面において細かなものを研究するとともに,わが国の国語政策の根本方針をどう決定していくか ということに意義があると思う。根本的な問題に対して見通しがなければ,細かいことはわからないわけである。これまでの審議の状況をみると,簡易化,合理化のためにほねをおっている。漢字の制限とか,かなづかいの改訂とかみなそうである。今後しなければならないことは,目で見ることばを耳で聞くことばにしていくことだろうと思う。おしつめていくと,目で見る文字を表音化の方向にすることである。これをもっと進めていくと,ローマ字の問題にもなる。わが国におけるローマ字は古く明治以前から研究されているといえようが,最後的にいって日本の国字をローマ字にするのかどうか。ローマ字教育は国語をよりよく理解させるための手段としてやるのか,将来ローマ字化するためにやるのか,これは大きな問題であるから軽々しく結論を出すべきではないが,国語審議会としては見通しをもってやるべきであると思う。他のことも単に便宜主義だけでは解決できない。歴史と便宜とをどう調和させていくかが問題である。すぐに日常の役にたてるということはできないかもしれないが,根本問題についてじゅうぶん考えなければならない。結論に達しないまでも,この二つの問題についてやっていきたいと思う。

土岐会長

 ただ今のは大事な問題であるから,これを中心にして広げていくことも考えられるし,これも話し合いの材料の一つとして他の意見に含めてやることも考えられる。どう取り扱ったらいいか。(後者に決まる。)
 では,予定どおり他のかたの意見を聞くことにする。次に久松委員。

久 松

 今まで国語審議会でやってきたいろいろのことを,先日もらった資料で見た。それらのことをもととして意見を申し上げる。まず,「正書法について」であるが,わたくしども歴史的かなづかいに執着をもっている者にとって,正書法で決められているものの中には,ある程度解決されているものも見られるが,とくに複合語の場合などはまだ問題が残っているし,また活用の場合に五十音図がこわれるということに疑問がある。
 今日では教育界でも現代かなづかいが行なわれているのだから,わたくしとしてもできるだけ協力すべきであると考えている。疑問のものなどを解決して,これがさらに広く行なわれるように努力したい。実際に使ってみて,「――づく」「――ずく」などは,まだしっくりしないものがある。「――づめ」「――ずめ」などの関係もそうである。
 現代かなづかいの法則に必要な修正なり補正なりを加えて,世間一般に納得されるような処置をし,広く行なわれるようにしたい。
 「おう」「おお」の区別なども歴史的かなづかいを知っていなければ書けないと思っていた。これらのことがらにもかなり問題が残っているように思うが,「正書法について」を読んでいくらか納得できた点もある。
 送りがなについては,いろいろ問題もあり,まだ決まっていないと思うが,こういう機関で決められれば広く用いられる可能性が多いと思う。

土岐会長

 正書法の問題には,今の意見のようなことが含まれている。これは国語審議会として現代かなづかいについての考え方であるともいえる。この問題は今期の審議会でも考えなければならないことである。
 次に,成瀬委員。

成 瀬

 わたくしは現代かなづかいも当用漢字も個人としては反対である。
 今日こういうふうに改革されたことは,たとえば,明治の初めに行なったちょんまげを切ったり,刀をさすことをやめたりしたようなものである。その時はいやだったろうが,今から考えるときそうしたのがよかったといえよう。しかし,風俗と国語とは同じ考えにたって簡単に考えることはできないと思うが,国語の変化にどの程度政策を合わせていくかが問題である。漢字制限やかなづかいの改訂は,アメリカの占領政策に便乗して動いたのではないかと思っていた。大事な国語が外からの圧力によって変えられたか,内からの動きで変わったか,そこが問題である。
 国語の変化が敗戦ということに結びついているのでは,ほんとうの変化とはいえない。しかし,そうかといって現在ではすでに教育で実施されているのであるから,今から元へもどすという考えは愚かなことである。
 国語政策では,ある一つの変化を与えたらしばらくじっと見ているのがよい。漢字の制限や新しいかなづかいがどの程度世間で行なわれているか,今少し時間をかけて見守ってゆくべきであると思う。現在,ある程度混乱が見られるといってこれ以上変えることは,かえって混乱を招くことになる。ともかく漢字の制限やかなづかいの改訂ということは大きな変化である。後世において批判されるだろう。わたくしは東京大学で講義を受け持っているが,学生の誤字が多いことは驚くべきものがある。たとえば「対照」と書くべき場合,思い違いというのでなく平気で「対称」とか「対象」などと書いている。ある外国の教授は,誤字は誤訳であるといっているが,まさにそのとおりだと思う。こういうことは戦後の改革がもたらした混乱である。今日の国語政策はあまりにも理想的なものに流れすぎた。現状で10年なり20年なりじっと見守っておもむろに直していくのがいい。
 わたくしは,送りがななども自由でよいと思っている。何も急いで審議する必要はない。教科書などの場合,詩などにしても原典を変えてしまって出している。

土岐会長

 国語改革の問題は明治維新以来のことで,戦後これが実施の機運を迎えたのは,占領政策に便乗したのではない。その点は歴史的に考えるべきであると思う。では,次に岩下委員。

岩 下

 わたくしはただ今の成瀬委員の御意見とは逆に感じている。当用漢字や現代かなづかいが決まって,これが教育面に受け入れられてほっとした。生徒の漢字,かなづかいの学習の負担が減ったと喜んだ。改革に賛意を表し,自分でもできるだけ実行しようと努力してきた。しかし,実際は学校教育でどの程度徹底しているかというと,必ずしも問題がないとはいえない。わたくしの関係している日比谷高校の生徒もずいぶんまちがった漢字,まちがったかなづかいを書いている。
 まちがいやすいかなづかいとか,習得しにくい漢字とかについて何か調査したものがあるか。現実の問題としてせっかく行なわれているのだから,正しい漢字,正しいかなづかいをぜひとも広く徹底させてほしい。

土岐会長

 そのことについては,ことしの月末に文部省が国語・算数についての学力調査をやったが,その詳しい結果はまだ発表されていないけれども,これは参考になると思う。次に,西脇委員。

西 脇

 何か問題を出してひとりびとり意見を聞いたらどうか。わたくしは終戦後まもなくローマ字の問題で文部省から意見を求められたことがある。
 その当時ローマ字のつづり方には,日本式と標準式とがあり,英語をやっている人たちには標準式を支持する人が多かった。わたくしとしては伝統的にもまた外国語の習得という面から考えても標準式がよいと思っていた。現在はどうなっているか知らない。国語政策を国が決める場合はよほど慎重にやらなければいけない。
 日本語を世界の人にもよくわからせるようにすることも,政策の一つということができる。そういう点からいって,日本語をりっぱなものにすることも一つの仕事であると思う。つまり,わかりやすい美しい日本語にすることである。そのほか,日本語は男女の区別が大きいということもある。

土岐会長

 次に,高橋委員。

高橋(健)

 わたくしは高等学校でドイツ語を教えるようになってから,生徒の答案を見て,生徒が習いたてのドイツ語よりも日本語のほうができないので驚いた。しかし,これは生徒が悪いのではなく,だれにでも自由にこなせないような文字やことばを使う日本語の表記法に欠陥があるのではないかと思ったのである。後年,ドイツへ留学してみて向こうでは国語教育はうまくいっていると感じた。そういう意味で当用漢字,現代かなづかいが決められたことは賛成である。作家や国文学者は国民全体から見ると一部分である。一部の反対する人があったもそれはそれでいい。ドイツでは1700年代に正書法についての考えができ,それから100年余りたった1880年ごろには正書法が確立した。今日ではどんな作家でも正書法にかなうようになってきている。それに反して,わたくしなどは毎日のように,たとえば「きこえる」と書く時に「こ」を送ろうかどうかと考えさせられているしだいである。
 ドイツ語では普通名詞を大文字で書くことになっているが,シュテファン=ゲオルゲはこのことに終始一貫反対し,名詞も小文字で書いている。このように中には今の正書法に反対の人もいるが,反対したからといって少しも迫害を受けるようなことはない。要するに文学の価値は表記法にあるのではなく,内容がたいせつなのである。内容さえ良ければ文字づかいによって作品の価値に影響するようなことはない。
 夏目漱石が「ぼんやり」という語を「盆槍」と書いたからといって,この漢字で書かなければ漱石の文学が理解できないとか,「ぼんやり」は「盆槍」と書くのが良いなどということはできないと思う。大塚金之助氏は,現代かなづかいに不満であるが,各人がめいめいかってに簡易化する ことはかえって混乱をおこすから自分は現代かなづかいに従って書くという意味のことを序文で述べて,その著書に現代かなづかいを使っている。
 当用漢字にしろ現代かなづかいにしろ,全部が賛成ではないが,各個にやったのではなかなか平易にはならない。多少不満であってもある決められたものでやればみなが従っていく。それは当然のことであろう。当用漢字表にしろ現代かなづかいにしろ表記の標準を国で決めるのは国として義務である。また,送りがなについても,たとえば「少くない」など「すく ない」か,「すくなくない」かはっきりしないばかりでなく,読み方によって意味が違ってくる。国語審議会としては,これらの問題からかたづけていくべきだと思う。

土岐会長

 次に,佐久間委員。

佐久間

 これまでの審議会では,いろいろのことをやってこられたが,話しことばの方面についてはあまりやられなかったような印象を受ける。はじめはそうでもなかったようだが,正書法の問題などが大きく取り上げられてだんだん影をひそめたのではないか。今期の審議会では話しことばをぜひ取り上げてほしい。
 正書法については,近い将来にもう少しすっきりした案を出すべきだと思うが,まず現代かなづかいの徹底しないところをもっとすっきりしたものにすることである。これは公布されてから10年たったのだから,ある 程度手を入れてもよくはないかと思う。また「正書法」は「正字法」といわないところに意味があると思う。句とう法の問題も含めて考えなくてはならない。センテンスをはっきりさせるために,日本語の句とう法を確立させることである。

土岐会長

 次に,内村委員。

内 村

 はじめて国語審議会へ出て感じたことは,前回の選挙のやり方を見てのろいことと,話のやりとりがてきぱきしなかったことである。
 ラジオのニュースなど,外国語では5分ですむことを,日本語だと10分から15分かかる。これらは,日本語の性格でもあるが,いろいろの点で速さがない。日本語をもっと簡潔にし,すみやかに用が足せるようにしたい。その他,方言と標準語の問題,アクセントの問題,敬語の問題について審議してほしい。また,現代かなづかいが徹底するような処置を講じてほしい。

土岐会長

 次は,坂西委員。

坂 西

 近ごろつくづく感じていることは,外国語が翻訳なしにそのまま日本文の中に使われる傾向が多くなってきた。これでは日本語がだんだん貧弱になるのではないか。日本語の語いを豊富にする助けになるような方法として,外国語をどう取り入れるかということについてよく考える必要がある。漢語を取り入れたことによって日本語がどうなったかということと合わせて考えなければならない問題と思う。

土岐会長

 法律方面から藤江委員にお願いする。

藤 江

 わたくしは仕事の関係上文章を書くことが多い。裁判所の文書はわからないという定評があるようであるが,これは古いものをそのまま受け継いでやっているところからと,自己満足とからであろう。しかし,役人の仕事は国民への奉仕であるから,なるべく国民にわからせるような文を書くようにすべきであると思う。といってそれにばかりとらわれていると,かんじんの内容がおろそかになるおそれがある。能率的に仕事をする立場からいって,一般の人に広く理解できるような表現,すなわちやさしくとかわかりやすくとかいうことについて頭を使わないで自然にそういう文章が書けるようなよりどころになるものができればよいと思っている。文学方面の仕事をする人は拘束を感じるというが,これはある程度やむを得ないことである。作家と新聞との関係にしても,作家には表現の自由があり,新聞には編集の自由がある。その二つの自由をどこで調整させるかが問題であって,作家としては,たとえ気にいらないかなづかいでも新聞に発表するほうがよいと思えば,編集の自由を尊重すべきであるし,新聞社としては,つごうの悪いかなづかいであっても,その作家の作品を載せるのがよいと思えば,編集の自由を捨てて,作家の自由を尊重すべきである。こういうことは,おおぜいの人が共同で生活している社会にはいくらもあることである。たとえば,保険会社は約款以外の契約は絶対にしないようなものである。国語問題のゆき方としては,芸術家の意見も尊重しなければならないが,芸術家のみを本位とせず,それよりもっと多くの国民生活の立場から考えなければならないと思う。現代かなづかいの使用を国語審議会が強制したとか,圧迫したとかいうのはおかしな話である。

土岐会長

 次に,岩永委員。

岩 永

 わたくしはいわばテレプリンターの中で生活しているようなもので,国語問題について機械が使われている現実を見て国語審議会に何か役にたてばとも思っている。今後取り上げてほしい問題は,(1)送りがなの問題,(2)略字体の問題――これは機械に関係があるし,特に中国との関係もある。――(3)書きことばと話しことば,(4)日本語としての格調の正しいものを示す。――いろいろ出されている文章の中で格調の正しいものを推薦するというようなこともあってよいと思う。――などである。

土岐会長

 本日の出席者で新しく委員になったかたの話はこれで終わった。あと30分余り時間があるが,続けていってよいか。(異議なし。)
 きょう,各委員からの意見を大きくまとめると次のようになる。

  1. 今までに決められたものに対しては,現在多少ぐあいの悪い点があっても,実績は実績として認めて,正書法の立場から今後のことを慎重に考える。
  2. 国字をローマ字にするかどうか。
  3. 話しことばについて。(方言,アクセントなどを含む。)
  4. 外国語の取り扱いについて。
  5. 一般国民と,国語改革,国語政策の目標について。

 では,あと自由に発言していただきたい。4時閉会となっているが,皆さんの同意があれば多少延ばしてもよい。その前に話しことばの部会を担当された颯田委員から,これまでの審議の状況をうかがいたい。

颯 田

 話しことばについては,第1期では標準語,第2期では敬語をやり,第3期では一般の話しことば,特に教育・映画・演劇・放送における話しことばについて審議した。審議にあたっては,それぞれの実際面について材料を集めたり,現場の人にきてもらったりして研究した。それによって感じたことは,われわれがはじめに想像していたよりも,その場その場ではずっと進んだ研究をされていることがわかった。また,話しことばとして,どれが正しいか,どれが美しいかということを決める標準がない,この標準はどこで決めるか,決めてがないので困った。標準語を作るということは,国語審議会の仕事ではないかもしれないが,標準語はどうあるべきか,どうすればいいか,という基本方針を国語審議会で決めることは必要であろうと思う。

土岐会長

 さきほど西脇委員が,男女のことばの区別について言われたが,その区別をなくなすようにしたいという御意見なのか。

西 脇

 男女のことばを近づけて共通のことばを作る必要がある。外国人が日本語を習う場合,男の日本人から習ったのと,女の日本人から習ったのとで,日本語の話し方が違ってくる。こういうようなことではずいぶんおかしなことである。これなども標準語の問題であると思う。

成 瀬

 それはけっきょく,教養の問題であると思う。やたらに「お」をつけたりていねいすぎるものなど教養が高まれば洗練されていっていいことばが残っていく。あまり性急に行なうのはかえってどうかと思う。

土岐会長

 教養を高めればこうなる,というような標準を示すことはどうか。

成 瀬

 それはいいと思う。しかし,日本人にはいまだに封建的な気持ちが多分にある。たとえば,教科書を作る場合,ある基準が示されていると作るほうでは出ているものだけを取ろうとする。そういう受け取り方があるところへ,ある基準を示すと,曲解してそれによらなければならないという形で受け取られがちになる。

土岐会長

 国語審議会で決めたものを,文部省なり政府が採択し,それをたとえば,教科書図書検定基準に入れた場合,それについて誤解したり曲解したりするのは,するほうの責任で,国語審議会が悪いのではない。

成 瀬

 曲解や誤解を生じさせないような方法を考えることも,審議会としての責任であると思う。

石 井

 戦後,児童・生徒の国語の力が落ちているといわれるが,これは義務教育での国語指導時間数が非常に少なくなっているせいである。昔は国語の時間が全教科の50パーセントであったが,今は他教科と合わせて40パーセントになっている。これを国語だけでみれば20パーセントにしかならない。母国語の指導時間数がこんなに少ない国は他にない。国語審議会は,義務教育で根本となる国語教育をもっと重くみるような方法を考えてもらうようなことについても話し合いしてほしい。

土岐会長

 次の総会を来年1月中旬に開いて,本日の意見をしぼって問題点を出し,審議事項を決めたいと思う。

稲 富

 教育課程審議会で,いろいろな教科目についての話があった。
 小学校では,各教科全部時間が足りないという時間の要求が出ている。単に国語の時間をふやすということは,むずかしいのではないか。

岩 永

 この次には何か話題の手がかりになるような資料をいただきたい。

土岐会長

 なるべく御希望にそうようにする。きょうはこれで閉会とする。

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