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ローマ字文のわかち書きについて(部会報告)

ローマ字のわかち書きの問題

 今期のローマ字調査分科審議会に属する委員は,国語審議会令第7条に基づいて,昭和34年5月11日,文部大臣の指名によって,有光委員ほか8名が決定し,第1回の分科会は,昭和34年6月12日に開かれた。まず,分科会長の互選が行なわれ,有光委員が選出され,以後,有光分科会長の司会によって審議が進められた。
 分科会として取り上げるべき審議事項について検討した結果,ローマ字文のわかち書きのしかたを取り上げることに決まった。このローマ字文のわかち書きのしかたの問題は,分科会としても,また,それ以前の調査審議機関においても,これまでにいくどか取り上げられ,審議された事がらであり,そのつどある程度の成果が発表されてはいるが,まだ,最終的,体系的な結論には達していないので,今期の分科会として,改めて,この問題を取り上げることになったのである。
 第2回(昭和34.7.6),第3回(昭和34.9.14)の2回の会議で,分科会としての審議方針・態度を決めてから資料〔1〕〜〔7〕を検討した結果,昭和22年に文部省から発表された「ローマ字文の書き方」を基礎資料として取り上げ,審議を進めていくことになった。
第4回(昭和34.10.19)には,「ローマ字文の書き方」について,これをどのように改善し,補充すればよいかということについて各委員から意見の提出を求めた結果,提出された意見を中心として検討した。いろいろの意見が提出されたが,わかち書きのうえで特に問題となるのは,(1)助詞,(2)助動詞,(3)複合語であり,この中でも,特に助詞,および助詞と助詞とが重なった場合のわかち書きのしかたに問題があると思われるから,これを審議の対象として取り上げるべきであるとの意見が採択され,次回(第5回,昭和34.11.20)からいろいろの助詞をできるだけ多く,その用例とともに集めたもの(〔11〕「いろいろな助詞とその用例」)を,新たに資料として審議を進めていくこととなった。
 以後,第10回(昭和35.5.16)までの6回の会議において,格助詞・副助詞の全部と,終助詞の一部について検討を終えたが,時間のつごうもあり,また,これまでの審議結果を整理する意味も含めて,第11回(昭和35.6.20)・第12回(昭和35.7.5)の2回にわたって,〔11〕を審議した結果を整理した資料〔12〕〔13〕〔14〕について再検討を加え,ローマ字文わかち書きはどうあるが望ましいかについて審議した。
 これに関して,各委員から多くの意見が提出されたが,これらの意見をごくおおまかに分類してみると,

(1) その語の使い方に応じて,語形のうえでも区別が表われるように,一続きに書いたり,分けて書いたりするほうがよい。
(2) 原則として,なるべく常に同じ語形として書き表わすほうがよい。

という二つの立場・考え方に分けることができ,そして,そのどちらがより妥当であるかを決めることは,きわめてむずかしいことであるとされた。
 そこで,次回,すなわち,第13回(昭和35.9.12)から,新しい資料によって,具体的に別の角度から見ていくこととし,いろいろな助詞と助詞とのあらゆる可能な結びつきの一つ一つについて,一続きに書いたほうがよいか,分けて書いたほうがよいかについて検討していくことになった。そこで,資料〔15〕「ローマ字文わかち書きのしかたを検討するための助詞の組み合わせの表」を作成し,検討を始めた。
 この資料は,格助詞・接続助詞・副助詞・終助詞取りまぜて67語を,アイウエオ順に縦横に配列し,その中から可能な組み合わせを抽出したものである。
 その結果については,時間の関係上,最終回,すなわち,第18回(昭和36.2.6)までに,ごく一部の検討を終えたばかりで,全体の見通しをつけるところまで進まなかった。したがって,分科会としては,わかち書きの根本方針,ないし,わかち書きの原則を打ち立てるまでに至っていないが,以上の審議経過を総会への報告とすることになった。
 すなわち,第18回(昭和36.2.6)に,原案として,〔17〕「国語審議会ローマ字調査文科審議会報告(案)」を提出し,これを検討して,第2次案〔18〕を作り,各委員からの文書による修正意見に基づいて,分科会長が修正を施し,成案を得て,第42回国語審議会総会(昭和36.3.17)に,次のように刷り物にして報告するとともに,その要点をかいつまんで,分科会長が口頭で述べた。
 なお,分科会は,第40回国語審議会総会(昭和34.12.8),および第41回国語審議会総会(昭和35.7.19)に対して,それまでの審議経過をそれぞれ中間報告している。

ローマ字調査分科審議会報告



 第5期の国語審議会ローマ字調査分科審議会は,昭和34年6月12日に第1回会合を開いて以来,今日に至るまで,18回の会合を重ね,ローマ字文のわかち書きのしかたについて審議を進めてまいりました。
 従来,ローマ字文わかち書きについて,いちおうのよりどころとされていたものには,昭和22年に文部省から発表された「ローマ字文の書き方」がありましたが,これはその内容が簡略にすぎるから,もう少し充実したものがほしいと,関係方面から要望されておりました。そこで,分科会としては,「ローマ字文の書き方」を基礎とし,これを発展・拡充させて,しっかりしたわかち書きのよりどころを作ることを必要と認めましたので,「ローマ字文の書き方」を資料として審議をすることといたしました。
 その前に,わかち書きの問題を検討するうえの根本となるいわゆる単語認定の問題,品詞分類の問題,漢字かなまじり文のわかち書きとの関連についても,検討いたしました。
 単語認定の問題というのは,ローマ字文わかち書きの最も普遍的な一般原則は,たとえば,「原則として単語は一続きに書き,他の単語から離して書く。」というのでありますが,この「単語」とは何かということがはっきりと決まっていない以上,原則の適用上にいろいろの解釈が生じてくる場合があるわけであります。しかし,この問題は,単にローマ字文のわかち書きについてだけの問題ではありません。したがって,これについて審議することは,分科会として適当でないと思われますので,審議事項として取り上げないことにいたしました。
 次に,品詞分類の問題につきましては,これはある語の品詞を何であるかを決めてみても,それがただちにわかち書きのしかたを決定することにならず,また,品詞分類のしかたについても,いろいろの説がありますので,これもまた,分科会の審議事項として取り上げないこととし,必要がある場合は,普通の考え方に従うことといたしました。
 ついで,漢字かなまじり文とローマ字文とは,ともに日本語を書き表わしているものでありますから,その両者のわかち書きを合致させてはどうかとか,すくなくともできるだけ近いものにしてはどうか,の問題についても検討しましたが,現在の段階としては,ローマ字文としての立場だけから,わかち書きの問題を考えていくことになりました。
 以上のように,まず分科会としての態度を決めてから,具体的な審議にとりかかることとし,前述のように,昭和22年に文部省から発表された「ローマ字文の書き方」を再検討していくこととして,これについて,各委員から意見の提出を求めました。
 提出された意見の中には,普通名詞の語頭を大文字で書くか,小文字で書くかをはっきりと決めてはどうかという意見や,現代かなづかいの「じ」「ぢ」,「ず」「づ」,の書き分けに対応して,ローマ字でもziとdi,zuとduとを書き分けるようにしてはどうかというものもありましたが,これらは,わかち書きを決定するうえに,さしあたって関係ないものとして取り上げないことといたしました。
 けっきょく,わかち書きにおいて,特に問題となるのは,
  a 助詞
  b 助動詞
  c 複合語
であり,その中でも,特に助詞および助詞と助詞とが重なった場合のわかち書きのしかたに問題があると思われるから,これを取り上げるべきであるとの意見が採択されました。



 そこで,いろいろの助詞について,できるだけ多くの実例と,その実際の使用例を集めたものを資料として審議を進めていきましたが,その結果,おもな点は,次のとおりであります。

  1. たとえば,
      多少年齢よりはおくれているんだ。
    という例文における「よりは」,すなわち,「より」という格助詞と,「は」という副助詞とが重なったものは,yoriwa と一続きにかいたほうがよい。なお,「よりは」と同じく,格助詞と副助詞とが重なった「よりも」も同様に,yorimo と一続きに書いたほうがよい。あるいは,「よりは」と「よりも」とは,ともに格助詞と副助詞とが重なったものであり,似てはいるが,両者の間には多少の違った点がある。それであるから,「よりは」は,yori wa と分けて書き,「よりも」は,yorimo と一続きに書くというふうに,両者を書き分けることによって形のうえからも,はっきり区別しておくほうがよい。

という意見と,

  1. 「より」と「は」とが重なった「よりは」も,「より」と「も」とが重なった「よりも」も,ともに一つのまとまりであると認めることはさしつかえないが,この問題とは別に,「より」という助詞,「は」という助詞,「も」という助詞が,それぞれ別に,単独に存在しているのであるから,表記の面では,「よりは」「よりも」をともに yori wa,yori mo と分けて書くことにしてもよいのではないか。

という意見が述べられました。
 以上の二つの考え方については,どちらがより妥当であるかは,にわかに決めがたいのであります。同様に,たとえば,
 ・わたくしにでもできる。
 ・手にさえとらない。
 ・きょうでさえおそいのに……。
などの例文における,「にでも」「にさえ」「でさえ」などの部分は,いずれも「に」「で」という格助詞と,「でも」「さえ」という副助詞がかさなったものでありますから,「よりは」「よりも」と同じくnidemo,nisae,desaeと一続きに書くと決めてもつごうが悪いということにはならないわけでありますが,一般には,ni demo,ni sae と分けて書いているのであります。
 以上をまとめてみますと,格助詞と副助詞とが重なった場合に,

  1. 一続きに書いてもさしつかえないと認められるもの。
     よりは よりも からは
  2. 一続きに書かないほうがよいと認められるもの。
     にさえ でさえ にでも をしも にすら になり

などがあります。以上についてだけで見れば,格助詞と副助詞とが重なった場合に,格助詞が2音節で,副助詞が1音節の場合には,一続きに書いてもよく,格助詞が1音節で,副助詞が2音節の場合は,分けて書いたほうがよいと思われたのでありますが,同じく2音節の格助詞と1音節の副助詞とが重なった「よりか」(よりかも)は審議の過程において,一続きにではなく,yori ka と分けて書くべきだとされ,また,後に述べる助詞と助詞のあらゆる可能な組み合わせの表の審議においても,
  からか(どこからか現われた。)
は,2音節の格助詞と1音節の副助詞とが重なったものであるにもかかわらず,一続きでなく,kara ka と書くと,いちおう決められましたようなわけで,助詞と助詞とが重なった場合に,一続きに書くか,分けて書くかを,助詞の種類と音節数によって決めることはむずかしいと思われるのであります。



 ここまできて,実際的な審議をいちおう打ち切り,元にもどった感がありますが,わかち書きはどうあるのが望ましいかという根本的な問題について審議し,各委員から,おおむね,次のような意見が述べられました。

  •  情報伝達としては語形の種類が多いほど有利である。だから意味上区別のある場合は,できるだけ区別して(つまり別の語形として)書き表わすほうがよい。
  •  意味の異なりに応じて,すべての場合に異なった表記をするなら,それでもよいが,そういうことは不可能であり,別の形にするといっても一続きに書くか,分けて書くかしかない。それならば,そういう特例だけを取り立てて,一続きに書くとか,分けて書くとかを厳密にいう必要はないのではないか。すなわち,原則として,いつでも一続きに書くとか,あるいは分けて書くとか,どちらかに決めておいたほうが,だれにでも,いつでも,誤りなく書けるのではないか。そういうものにはすべてつなぎ〔−〕を入れて書くということにも,理屈のうえからは考えられるが,わずらわしいし,見た目もきたなく,実用に乏しい。
  •  意味によってわかち書きを変えるべきだということも確かに一理はあるが,どんな場合にでもすべて書き分けているというならば,それはそれとして納得できる。しかし,現状はそのようにはなっていないようである。たとえば,「どういうふうに」という場合の「どういう」は,「どういう」という一つのまとまったものと見て,diu と一続きに書き,「どういうとうまく言い表わせるか。」などという場合の「どういう」は,「どう」の部分は,「言う」いう動詞を修飾している副詞として,それぞれ別のものとみて,d iu と分けて書くというぐあいにきめることは,この場合についてだけ考えれば納得できよう。
     それならば,たとえば,「行ってみる。」などの場合,「どこそこへ行き,そして,何かを見る。」という場合には,itte miru と分けて書き,「ちょっと駅まで行ってみる。」など,つまり,いわゆる補助動詞としての用法にittemiru と一続きに書くというふうに,同じ「いってみる」でも,その意味によって書き分けているかというと,そうではなく,「いってみる」の意味のいかんにかかわらず,常にitte miru と分けて書いている。このほか,「やってくる」か,「やってみる」とかについても同様である。
     このように,意味上一つにまとまっているものは,一続きに書くということは,特別ないくつかの場合だけについて厳密にいい,他の場合には触れずにいるというようなことがありはしないか。
  •  書かれている文を読む場合に,分けて書いてあるからといって,それぞれ独立の二つのものが並んでいると考える必要はなく,表記面にこだわらずに,たとえば,句とか連語とかの場合のような形のものとして考えればよいのではないか。
  •  従来,わかち書きをしない漢字かなまじり文の表記法を身につけてきた一般の人々が,個々の具体例について,その場で,一続きに書くか,分けて書くかを判断して,正しく書くことはむずかしことである。そこで,どうしても,原則として一続きに書くとか,原則として分けて書くかのどちらかに決めておく必要がある。
     前に審議した「には」「にも」なども,niwa,nimo などと一続きに書くことは少しもさしつかえないことであるが,助詞全体を見渡してみると,「に」「は」「も」という助詞がそれぞれ単独で存在していることは事実であるから,「には」「にも」のような場合でも,必ずしも一続きでなく,ni wa,ni mo と分けて書くことに決めてもさしつかえないとも考えられる。
  •  助詞と助詞とが重なったものとみられるようなものでも,特殊なものを除いては,別々に分けて書くように決めたらどうか。具体例でいうと,「よりは」「よりも」なども,「にでも」「にさえ」などと同様に, yori wa,yori mo と分けて書くように決めたほうが,表記の簡潔化という面から見て合理的ではないか。

以上のいろいろの意見は,おおまかに分類してみますと,

  1. その語の使い方に応じて,語形のうちでも区別が表われるように一続きに書いたり,分けて書いたりするほうがよい。
  2. 原則として,なるべく,常に同じ語形として書き表わすようにしたほうがよい。

という二つの立場・考え方に分けられるのでないかと思われます。
 この二つの立場・考え方は,具体的な例について言えば,さきほど申し上げました「多少年齢よりはおくれているんだ。」などにおける「よりは」を,yoriwa と書くか,yori wa と書くかの問題となってくるのであり,この二つの立場・考え方は,ただいまのところでは,どちらも考えようによって,妥当なものと考えられるのでありまして,どちらがより妥当であるかを決めることはきわめてむずかしいことと思われるのであります。



 そこで,次には,新しい資料によって具体的に,別の角度から,もう一度この問題を検討してみることといたしました。すなわち,格助詞・接続助詞・副助詞・終助詞取りまぜて67語を,それぞれ1語ずつ互いに組み合わせたものの中から,実際に使われないようなものを除いて,そのすべてについて一続きに書いたほうがよいか,それぞれに分けて書いたほうがよいかについて検討を始めました。
 その結果については,時間の関係上,まだごく一部の検討を終えたばかりで,全体の見通しをつけるところまで進んでおりませんが,現在までのところ,次のようなことをいちおう確認いたしました。
 すなわち,
 終助詞と終助詞とが重なったものとみられる「かい」「ない」「やい」「かえ」「ぞえ」などの,あとのほうの「い」や「え」は,その有無が文の意味に大きな違いを生ずるわけではなく,単に,質問・反問・反ばく・念押しなどの意味を表わしているもので,語・文の意味を強める接尾語的性格が強いものと認められるので,それぞれ前の助詞に続けて,kai,nai,yai,kae,zoeなどと一続きに書くことといたしました。
 そのほかの助詞については,

か(副助詞) か(終助詞)
が(格助詞) が(接続助詞) が(終助詞)
かしら(終助詞)
から(格助詞) から(接続助詞)
きり(副助詞)
くらい(副助詞)
け(終助詞)
けれど(接続助詞)
こそ(副助詞)
こと(終助詞)

のそれぞれの助詞の前に,「い」(終助詞),「え」(終助詞),「か」(副助詞),……「わ」(終助詞),「を」(終助詞),「ん」(格助詞)など67語のそれぞれの助詞が重なった場合に,一続きに書くか,分けて書くかを検討いたしましたが,現在のところでは,すべて,それぞれの助詞ごとに分けて書くことに決まりました。
 なお,さきほど申し上げましたとおり,この助詞と助詞とが重なった場合の書き方については,目下検討の途中でありまして,「さ」(終助詞)以下「ん」(格助詞)に至る51語の助詞と,67語のそれぞれの助詞とが重なった場合の書き方については検討いたしておりませんので,分科会としてのわかち書きの根本方針,ないし,わかち書きの原則を打ち立てるまでにはいたっていないのであります。
 以上,今期の分科会の審議経過をありのままに述べて報告といたします。

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