国語施策・日本語教育

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第1部会 設置、概要

 第1部会は,第47回総会(昭和37.4.16)で設置され,日本のことばと文字のあるべき姿を正して,国語改善の基準を立てることを任務とした。
 部会は,まず審議の方針について協議し,その結果,この問題について適正な審議をするためには,「国語改善の意味を明らかにすること」と「国語の性格,機能について,委員間の理解の一致を図ること」が,まず必要であるということになった。
 そこで,部会は,国語課から提出した資料によって,国語改善の意味や,国語の改善に対する各種の考え方について検討すると同時に,熊沢委員から,ことばの本質についての現代の代表的な学者の説や,文字についての問題点の所在などに関する解説を聞いて考えることとした。このようにして,第8回部会(昭和38.1.17)まで,国語に関する諸問題について,あらゆる角度から検討,吟味を加え,問題の本質を明らかにしようという努力を続けた。
 そして,この間の検討の結果をもとにして,第9回部会(昭和38.2.19)以後は,部会としての考え方を一本にまとめるための審議にはいり,第50回総会(昭和38.5.2)に,その中間報告を行なった。
 以上の審議過程で,討議の課題として話題になった考え方の中のおもなものを要約して列挙してみると,だいたい次のようである。

@ 国語は単なる思想伝達の道具ではない。また,漢字は思想そのものでさえある。したがって,ことばや文字に人為的な手を加えて整理しようとすることは好ましくない。自然に改まるのを待つべきである。(改善しようとすること自体に問題があるという意見)
A これまでの国語審議会は,ローマ字論者やカナモジ論者のような表音主義者に引き回され,そのために問題が紛糾した。したがって,国語問題を解決するためには,まず「国語の表記は,漢字かなまじり文によることを原則とする。」という立場を,はっきりと決めてから,細かい審議にはいるべきである。(これまでの審議は,改善の目標の立て方にすでに誤りがあったのだとする意見)
B 国語審議会は,理想案を作って示すだけにし,その案を人に強制しないようにすべきである。(案の実施を意図するところに問題があるのだという意見)
C ことばや文字の整理は,事務能率の分野では必要であるとしても,それを他の分野にまでも画一的に推し及ぼそうとすることはどうであろうか。激動期にある今の日本で,国語改善の一般的な基準などは立たないのではないか。また,そうした基準に対する社会的な要請もないのではないか。そうすると,基準を作るとしても,一つの基準でなく,多元的なもので行くよりほかに方法はないのではないか。(統一的な一般基準を設けようとするところに問題があるという意見)
D 当用漢字表や現代かなづかい実施の結果,一般に古いものが読めなくなった。また,表外漢字をかなで書こうとすると,同音語の処理に困ることがある。その他いろいろな点で,案の作成に根拠の不確かなものや整理方針に不統一なものが,これまで作られてきた基準には多かった。(案の作成,実施の方法に問題があったという意見)

 このような批判的な意見に対して,ことばや文字の性格,機能について,部会でほぼ異論のないものとして認められた考え方を列挙すれば,だいたい次のようなものになる。


@ ことばを道具的なものと見ることに対する非難があるが,ことばを道具というとき,これを外界の道具と同じような意味で受け取ると,見当違いの議論におちいる危険性がある。
A ことばのよしあしを論ずる場合,それをことばによって示される事物についての評価,あるいはそのことばの用い方の適不適の議論と混同してはならない。
B 人は,ことばによって,実在しない事物について話したり考えたりし,人と相談して相手の協力を求めたり,あるいは人に頼んで,自分の代わりにしてもらったりすることができる。このように,ことばは,実際の事物を代理するものである。そして,また,その伝達の機能は,ことばの最も基本的で重要な機能である。
C 国語は,広い範囲にわたって多くの人が刻々に使っているものである。したがって,法令や一部の人の力などによって,簡単にそれを改善すること,あるいはその反対に変化をとどめることはむずかしい。
D 文字も,ことばと同様に,人々がその具体的な生活の中で用いているところの社会的な慣習である。しかし,文字は,根本的には,思想を直接に写すものではなくて,ことばを写すものである。したがって,文字の価値は,ことばを写すものとして,どれだけの働きをしているかによって計ることができる。
E 表音文字の中でも,NHKとかUNESCOとかいうように,表意的な文字の使用法が見られる。しかし,これによって,表音文字の体系が表意化したと見ることはできない。
F ことばの習得は,生まれてすぐに始まるが,文字の習得は,主として教育の力による。それだけに,文字を使うことは,ことばを使うことよりも高級であり,能力差が多く表われる。したがって,文字を,多くの人に使いやすいものにしようとするか。それとも比較的能力の高いものだけのものにしようとするかによって,文字についての問題のとらえ方も違ってくる。

 次に,審議の過程で,「国語改善の基準」ということばが,しばしば使われたが,これには,およそ次のような3種の異なった意味が含まれていることが,わかってきた。


@ ことばの理想的な形
 人々が心の中に思いえがくところの改善の理想である。この意味の基準は,各人の知識,趣味,世界観などによって,それぞれ異なっている。したがって,互いに近い考えを持っている人どうしの間でも,細部は意見が一致しない部分がある。まして,相当に隔たりのある意見を持つ人どうしの間では,それを調整することは非常にむずかしくて,最終的な一致は不可能である。しかし,このような意味での基準を各人が心の中にもつことによって,国語の改善に関する意欲や批判や意見も起こりうるわけである。
A ことばや文字の使い方のきまり
 これは,現実にことばや文字を使う場合の基準である。このような基準は,時と場所とで異なり,また変化したりするものでもある。国語審議会の任務は,そのような実行上の基準となるべきものを,社会の要求に応じて基礎的一般的な国民的立場から審議決定して示すべきものであると考えられる。
B ことばや文字の使い方のきまりの決め方
 しかし,今回の第1部会の任務は,そのような約束あるいは規則のようなものを作ることではなく,実行上の約束として最も妥当なものを得るためには,どのようにして審議したらよいかという,審議の方法,態度についての基準を考えることであろう。この意味での基準を考える場合,まず必要なことは,ことばを歴史的に形成され発展していくものとしてとらえ,過去における伝統的なものと,将来における発展的創造的なもののいずれをも尊重するという立場をとることであると考えられる。

 このような考え方のもとに,第1部会は,第13回部会(昭38.5.16)以後は,総会で出た意見や「国語問題要領」の中で述べられている考えを考慮しながら,さきの中間報告を修正して〔A10〕「国語改善の改善について」を作成した。この「国語の改善について」は,さきの中間報告の字句に多少の修正を施したほか,そのまえがきとして「国語改善の経過」の項を新たに加えて,明治以来の国語改善の経過の概略を述べ,この際国語改善審議の基準について,考え方を明らかにする必要のある事情を述べたものである。さらに幾回かの審議を経て,字句表現に手を加え,最後に「国語改善の考え方について(案)」として,運営委員会・部会長合同会(昭和38.10.7)で他部会の報告案との調整を経て,第51回総会(昭和38.10.11)に提出した。

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