国語施策・日本語教育

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次第 副会長就任あいさつ

池田副会長

 本日,阿部会長が急に公務のため出席できなくなり,わたくしに代理をということであるので,司会をつとめる。なお,先日の第1回総会で行なわれた会長・副会長の互選の結果・わたくしに副会長を再度勤めるようにということになったので及ばずながらお引き受けする。
 まず,3月11目の運営委員会で,今後の運営などについて話し合った。運営委員会での考え方のあらましを,お伝えする。本日の第2回総会も,前回に引き続き,しばらく自由討議を続ける。自由討議に際しては審議の対象をある程度しぼることが必要であり,効果的でもあると思われるので,特に次のことをお願いしたい。


(1) 審議会という機関の継続性を考え,第6期の報告を土台にして,具体的に検討してゆくという立場で討議したい。
(2) その間に,議論が基本的な問題にふれることは当然あるだろうし,場合によっては,報告にある考え方について,多数の意見によって発展的に修正することもあるかもしれない。しかし、いずれにしても、この報告を具体的にどう発展させるかという立場で今後の審議に役だつよう前向きに論議を進めてほしい。
(3) このような討議を進めてゆけば,今後の審議のしかた,たとえば,どういう部会を設けたらよいかということも,だんだんはっきりしてくるのではないかと思う。

 それで,討議に際して,以上のような考えでお願いしたい。
 次に,自由討議にはいる前に前回から宿題となっている会議を公開するかどうかについておはかりしたい。この問題についても先日の運営委員会で協議したが,これについては次のような意見が出て,最終的にはけっきょく総会で皆さんにおはかりして決めようということになった。


(1) 一般に公開することは適当であるとはいえない。しかし,憲法調査会のように,「報道の任務にあたる者」には傍聴を許可し,会議のなりゆきを一般に報道させるべきである。
(2) 審議を円滑に自由に進めるということを中心に考えると,政府の審議会の通常の例のように非公開がよい。
(3) 国語審議会で審議する問題は,憲法や選挙制度の問題のように政治上の問題とは少し性質が異なるから,これらの審議の場合と同様に考えないほうがよい。公開することが必ずしも適当とはいえない。
(4) 報道機関に傍聴させて自由に報道させるよりも,審議会側で責任をもって公正にもっと詳しく発表したほうがよい。
(5) いったん公開と決めたら,なんらかの事情によって将来非公開にしようとすることは,なかなか困難であるので,公開についてはこの際慎重に考慮すべきである。
(6) 会議のつど,議事の内容によって臨機に公開か非公開を決めてはどうか。

 なお,吉田委員から文書によって四つの提案が出ている。吉田委員は,ハワイヘ旅行中で本日は欠席であるが,次回にでも提案の趣旨をうかがうことにしてはどうか。しかし,ご意見があれば自由にご発言願いたい。

宇野委員

 このあと総会を開かず,すぐ部会を設けて審議をするはこびになっているのなら,吉田委員のきょうの提案を取り上げてほしい。しかし,来月にでも総会が開かれる予定ならばそのとおりに提案者からも説明を聞いてから考えてよい。

池田副会長

 きょうこれからの審議の様子にもよるが,もう1,2回総会を開くようになるであろう。

市原委員

 憲法調査会のような政治的なものと国語の問題とは違うから,国語審議会を公開することが適当でないというのはおかしい。政治的な問題には外交上の秘密ということもあるので,非公開も考えられないことはないが,国民全般に関係の深い国語の問題の討議は当然公開にすべきである。そうでないと,国民の反対意見を述べることのできないままに決定,実施されてしまう。いったん公開にするとあとで非公開にしにくいということであるが,政令から公開の条文を除いても,絶対に非公開にすると決めたわけではなく,そのときどきの情勢を検討して決めるという趣旨であると了解している。第1回の総会でも公開を主張する委員の発言は多く,運営委員会の席上でも細川委員は公開を強く主張されたと聞いている。
 審議の経過を審議会として責任をもって公正詳細に発表するためには,テープレコーダで録音することが必要である。先日配布された第1回議事録のわたくしの発言は明らかにまちがっている。運営委員会で出た非公開論の理由を明かにしてほしい。

池田副会長

 運営委員会で出た意見は最初に述べたとおりであるが,その際,公開の原則を条文から削ったのは,他の審議会の例にならっただけである。原則が非公開ならば,公開するためには積極的な理由が必要となる。それはけっきょくこの審議会で決めることではないかという意見が出た。また,報道関係者に公開するにしても重点のおき方によって必ずしも公正に伝えられないおそれもある。それで,会長なり何なり責任ある人から発表したほうがいいという意見があった。

市原委員

 8人の運営委員で論議した運営委員会の審議内容もやはり委員全体が正確に知る必要がある。議事録でその内容を詳しく知らせてほしい。なぜ,そんなに公開について消極的なのか。

中田委員

 わたくしとしては,公開・非公開について特に意見はないが,従来の公開の線を非公開にしたのには理由がある,それを,また公開に変更するのであれば,非公開のために審議に支障があったというような事実や根拠をあげる必要があるのではないか,そうでないと朝令暮改になる。審議の経過を公正に伝えるために,ぜひとも公開しなければならないとは思わない。

波多野委員

 基本的には市原委員の意見に賛成であり各界の多くの人々とともに考えるのは好ましいことである。しかし国語問題に関心のある人たちが全部会場にはいれるとは思わない。結果的にみて,ある一派の人たちだけがはいるような公開では困る。公開にして,入れる人を公平にするにはどうしたらよいか。また,事務局で作った記録でさえも正しく取れていないということであったが,ここの論議を自分につごうのよいように解釈し,伝達するおそれもあろう。それを公平に伝達するにほどうしたらよいか。

市原委員

 そのためにもぜひテープにとって保存し,その内容を官報に載せて公表するのがよい。

波多野委員

 記録を正確にとって発表できるのなら,公開しなくてもいいのではないか。

市原委員

 非公開でもいいわけだが,官報は読む人が少ないので,公開にしたほうがいっそう効果があがる。

宇野委員

 第5期までは公開であった。それを第6期になってから非公開にしたのが誤りであったのだから,もとのとおり公開にもどすだけのことである。なお,委員の発言を傍聴者が自分につごうのいいように解釈しようとも,しかたのないことであろう。

波多野委員

 おおぜいの傍聴者が会場にはいることが可能であれば,かってな解釈をされてもしかたがないですませるかもしれないが,せいぜい20人か30人では,その人選が問題である。たとえば,報道関係者だけに限るとでもするのか。

宇野委員

 報道関係者は,記者としての興味や関心だけで記事にしてしまうのであるから,それ以外の人たちの傍聴も必要である。ある一派の人たちといわれたが,われわれと反対の立場の人たちも傍聴しうるわけである。それでもなお,非公開よりもましであろう。

波多野委員

 いわゆる表意とか表音とかをここで問題にしているわけではない。教育の場の人々や国語の問題に関心をもつ母親たちが,傍聴したいと思っても実際には出てこられないのではないかということが問題なのである。われわれ委員は戦前の教育を受け,それなりに固定した考えを持ちがちであるが,これからの児童の将来のことも忘れてはならない。委員の全員が納得した形で公開にするのなら別であるが,公開にしたために生ずる不利な点も考慮してほしい。

宇野委員

 関心のある母親は傍聴に来ればいいのでないか。これまで公開にした場合のよくないほうの面の発言があったので,わたくしはよいほうの面を主張しただけである。

村上委員

 審議の経過や内容を公正に報道するための論議も必要であるが,その前に,どうしたら自由に意を尽くした審議ができるか,どうしたら妥当な答申をすることができるかということが大事ではないか。この観点にたって公開・非公開の問題も考えるべきである。率直にいって,かつて公開のため議事が混乱し,審議の内容も正しく伝えられなかったことがあったのではないか。これに反して第6期の非公開の期間中,そのために審議に支障をきたしたり,審議の内容が誤って世間に報道されたことはなかったと思う。
 政令の改正に伴い公開の条文を削ったが,このことは当時の総会で了承されたことである。その政令に基づいて審議会が運営されるのは当然であり,最初からその趣旨を無視しようとするのはおかしい。今後も非公開で進めてみて,そのための支障が出た場合には改めて考えればいいことであろう。国語問題の重要性,国民の関心の度合いなどからみて公開を主張されるのも理解できるが,政令に基づく審議会の委員になった以上,諮問機関という性格や,文部大臣が行政上の責任を果たすためにという背景も考慮しないわけにはいかない。

塩田委員

 非公開にするということを政令で明記しているのか。

村上委員

 政府の他の審議会と同じく,政令では公開・非公開についてふれてはいない。ただ,政令の趣旨は,公開の条文を削ったことでおのずから明らかであろう。

塩田委員

 政令などよく承知せずに委員を引き受けたが,そうした意味あいで束縛されるのであれば,委員を辞退することも考えなければならなくなる。国民全体が注目している事実が明らかでありながら,なお非公開を固執するのは納得できない。傍聴者の人数に制約があるから具体的な人選の方法については別に考えるとして,原則はあくまでも公開にすべきである。

村上委員

 非公開といっても,審議の内容や経過を秘密にするということではない。これは原則論ではなく具体的な問題として考えるべきものである。じゅうぶんな審議と公正な報道のため,はたして一般に公開することが最善の道かどうか疑わしい。過去の例からみても,そう思われる。

宇野委員

 当用漢字表などを審議していた当時,もし公開であることを知っていたら,わたくしはすぐ傍聴に来たであろうし,新聞雑誌などに反対の意見を発表したであろう。結果的にみて国民に知らされないままに決定され押しつけられたことになるので,これはぜひ改めたい。これまで傍聴者が発言して議事を妨害したこともなく,委員の発言がそのために制約されたこともないのではないか。むしろ,傍聴者は多ければ多いほどはりあいがあるのではないか。
 第5期の最初の総会でも,審議の経過や方向などを,もっとひんぱんに公表してほしいとの希望を述べたが,けっきょく取り上げられなかった。報道関係者の記事の扱い方がときには,やや誇張した表現をとることはあったろうが,国民の関心を高める上では有用であったので,ことさらとがめるにはあたらない。

塩田委員

 公開を可とする理由について,運営委員会ではどう考えたのか。

池田副会長

 特に論拠をあげて討論したということでなく,座談的に話し合ったのである。審議の内容については,何も別にかくしだてすることもない,正々堂々と公開にしてはどうか。国民の関心のある問題であるから,委員だけでなく皆で考えようということであった。

森戸委員

 だいたい,そうした趣旨であった。

佐藤委員

 国語は国民に関係の深い問題であり,経過も知る必要があるしいっそう注意を喚起する必要もあることであるから,原則的には公開に賛成である。ただ,これのマイナスの面として,一般国民や現状の教育関係者に,いたずらに動揺や混乱を与えはしまいかという点をじゅうぶん考慮する必要がある。現行の施策の当否はさておき,また変わるのではないか,審議会が混乱しているのではないかという印象を与えるおそれはないか。むしろ,全員の承認できる伝達の方法を議論して見いだすようにしたい。

波多野委員

 宇野委員のような,公開と知るとすぐ傍聴し,反対のために行動できるかたは別として,同じく国語に対して関心をもちながら,そういうことができない多くの母親のいることも考えほしい。そうなると公開といいながら不平等になり,よくない面も出てくるおそれはないか。この際,公開ということで全員の意見がまとまらないようであれば,前期と同じく,まず,非公開のままで進めてみてはどうか。

宇野委員

 当用漢字表のような内容のものが,もし審議の過程で示されたとしたら万難を排して反対したであろうということを強調しただけである。現在は,新聞社でも国語問題に関心が深いのであるから,投書という形で母親の意見を述べることもじゅうぶん可能であると思う。
 また,公開によるマイナス面として,教育関係者の動揺を招くといわれたが,既に動揺し,混乱しているのが現状である。およそ,生活に密着しているものを二本立てにすれば混乱するのが当然である。ローマ字のつづり方は,現在4本立てであり,メートル法が決められても,尺貫法,ヤード,ポンド法なども依然として使われている。まして,国語の問題は種々の意見があるのであるから,審議会で各方面から討論している実情が伝わってもさしつかえないと思う。決定した結果を示すよりもよほど民主的.である。他の審議会がすべて非公開であったとしても,国語審議会だけはあくまで公開にすべきである。

平林委員

 他にならって,この審議会も非公開にするというのはおかしい。いっそ,他のすべての審議会も公開にしたらいい。

浦上委員

 新聞社の立場から発言する,非公開を厳密に考えると,新聞関係の委員がこの会議で知り得たことを他に話すことも,報道することも許されないということになる。次に前期の2年間に新聞記事となった審議会関係のものは,第6期の最初と最後の総会など3回程度で途中の審議経過はほとんど記事に取り上げられていない。一方国民が,この問題に関心をもっていることも事実であろう。国語が混乱しているというが,歴史的にみて,まったく統一されていた時代はなかったのであるから,むしろ,現在は,比較的によく統一されているともいえるように思う。
 公開することが国民の関心をいっそう高めるうえに,よい方法だと思うが,他方,文部大臣の諮問機関であることなどを考え合わせると,憲法調査会における扱いと同様にするのがいいのではないか。その報道関係者を文部省の記者クラブに限るか,広く報道関係者とするかは,なお考えればいいことである。ただし,審議の内容が報道関係者の関心や興味をひくものばかりとはいいきれない。ある委員の声だけがよく聞こえるということがないように,記者に公正な記録を渡すのがよい。

池田(弥)委員

 国語問題は国民の関心の深いものであるというそれだけの,理由でいちがいに公開にしなければならないとは限らない。要は,早く正確に審議の内容が伝わればいいので,そのために,公開がよければそうするし,非公開その他別の方法も考えてよかろう。よい面,よくない面を比較せよというのであれば,かつて公開のためにマイナスの面もあったといわざるをえない。傍聴者が多いと張り切るとか,限られた会議時間中,50分近くも独演するとかいうのは,明らかにマイナスの面ではないか。

藤堂委員

 第6期のときの政令改正に際して,公開,非公開についての議論があったが,早く具体的な審議に移りたいということが先にたって,深く考えなかったように思う。そのどちらにでも決まればいいと思うが,浦上委員の提案を採用して,この問題を切り上げてはどうか。

中田委員

 浦上委員の提案にだいたい賛成する。審議の過程がもっとひんぱんに,しかも多くの意見を公平に述べた形で紙面にのるようにしてほしい。この意味ではわたくしは公開論である。ただ,個々の具体的な審議の内容を断片的に報道されると,末端の小,中学校には,むしろ悪い影響を与えることになるので,その点の配慮が必要であろう。
 政治上の問題は国民のひとりひとりに関係するが,国語問題は少し別であり,じゅうぶんに研究の上,結論を出すべきものである。この点,極端にいうと非公開になるが,国語問題の特殊性を考えて慎重に考えたい。浦上委員の提案にやや改訂を加えてはどうか。さしあたりこの案で進めてもいいのではないか。

池田副会長

 浦上委員の提案について,他のかたのご意見はないか。

宇野委員

 新聞発表するとしても,当日の議事録はまにあわない。そうすると報道関係者だけの判断で記事になってしまうが。

浦上委員

 記事に取り上げると決まれば,記者としては自分の記憶だけにたよらず積極的に発言者に発言の趣旨などを確かめてから原稿を作るのがふつうであるから,その点の心配はいらない。

遠藤委員

 浦上委員の提案に賛成する。原則は公開だが希望者の全部がはいれないので,新聞記者などに傍聴させる。やや遅れてもいいから議事録は作成し,新聞記者にも配布するということでいいと思う。

横田委員

 もう,この問題は,この程度でいいのでないか。

塩田委員

 公開が原則だというのであれば,報道関係者以外「国語学会」の関係者にも傍聴を許すということを付則として認めていいのではないか。専門家のほうが,審議の内容を的確につかめるはずである。

遠藤委員

 そうなると,音声,演劇学会などの希望もことわれなくなる。報道関係者だけに傍聴を許すことにし,議事録は希望者に配布するということにしたい。

森戸委員

 公開を原則とするが,報道関係者だけに限るというのと,非公開を原則として,例外的に限られた人に許すというのとでは,あとの取り扱いが非常に違ってくる。一般に公開するのを原則とするのでなく,特殊の報道関係者に限って許すということではないか。

浦上委員

 一般公開でなく,報道関係者に限って傍聴を許すということである。

遠藤委員

 報道機関を通して公開するというのが原則でないか。

浦上委員

 そうである。

池田副会長

 この場合の報道関係者には,ラジオ,テレビの関係者もはいるのか。

浦上委員

 ふくまれる。新聞社だけではない。

片桐委員

 そうなると週刊誌も含めて雑誌記者,民間放送関係者もはいるがそれでいいのか。あるいは文部省の記者クラブだけに限るのか。

池田副会長

 運営委員会では,報道の任務にあたる者として,憲法調査会に準じて考えていいのではないかという意見が出た。

森戸委員

 「……に準ずる」という形でなく,これこれの報道機関に限るとはっきり決めておく必要がある。

池田副会長

 これらの点は会長に報告し,事務局で研究のうえ,後日おはかりしたい。

愛川委員

 報道関係者に傍聴を許すとしても,総会だけなのか部会も含めるのか,その点もはっきりさせておきたい。

塩田委員

 池田(弥)委員などが公開であることのためのよくない面としていわれたことは,第5期の最後の総会だけでないか。

池田(弥)委員

 そのときばかりではない。公開にするのであれば,発言時間を制限する必要がある。

塩田委員

 補正漢字や送りがなの審議の際,もし,第三者の目があれば,あれほど安易な進め方はできなかったであろう。この意味で限定されたにせよ公開することは進歩である。なお傍聴は,部会にも適用してほしい。

村山委員

 全国小学校長会長の立場から意見を述べる。教育の現場では,個々に意見はあっても,文部省で決めた線にそって教育しているのが現状である。審議の過程のあまり細部にわたる議論をそのつど公表されると,国語政策に不信感をもち,教育上かなりの動揺が予想される。このため,傍聴は総会だけにとどめてほしい。


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