国語施策・日本語教育

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次第 文部大臣あいさつ

前田会長

 大臣が出席されたので,ごあいさつがある。

劔木文部大臣

 会議の途中でおじゃまして申しわけありませんが,一言ごあいさつを申しあげます。わたくしは今般はからずも文部大臣に就任いたしました劔木でございます。わたくしはかつて文部省に勤務しておりましたが,あれからすでに13年の年月が経過しておりまして,その間に文化行政も幾多の変遷を重ねてきております。国語・国字の問題につきましても当然のことながら,その後の事情が大きく変わっているように考えられます。さる6月13日第58回の総会に際し,当時の文部大臣からこの審議会に対して国語施策の改善の具体策につきまして諮問がなされたのでありますが,この問題はわが国の国語政策の基本につながる問題でありますので,わたくしも前大臣と同様,慎重に検討すべきものと考えております。各位におかれましては,国語・国字の問題が国民の生活に直接関係があり,かつ,わが国文化の進展の基礎をなす重要なものであることを心にとどめられ,国民がこの審議会に寄せている大きな期待にこたえて,広く高い立場からこの諮問の事項について,慎重にご検討賜わりたくお願いするしだいであります。問題の重要性にかんがみ,本日,就任早々ではございますが,皆様に親しくお目にかかって,お願いをかねてごあいさつ申しあげたしだいでございます。どうかよろしくお願い申しあげます。

前田会長

 引き続き,皆さんの意見をお聞きしたい。

時実会長

 漢字部会にお願いしておくが,漢字というものはことばとともにあるので,別に制限する必要はない。いろいろなことばを作ると同時に,新しい漢字もできてよいと思う。ただ,義務教育の場だけに限って配慮すればよいのではないか。

福田委員

 わたしは日本児童文芸家協会,つまり小学生や中学校1,2年生を対象とした文学団体に所属している者であるが,われわれの仲間は教育漢字881字よりもっと少ない字数で新しい文章を書く努力をしているし,もうすでに新しい文体もできている。とかく,おとなは,従来のものからなかなか脱却しようとはしないけれど,児童文芸家の間では,このように前向きの新しい文体が創造されつつあるということを考慮に入れて,幹事は若干足りなければふやしてもよいが,非常に多く増加するとか,無制限にするとかというようなことはさけてもらいたい。「あいさつ」ということばの意味内容は「挨拶」という漢字を習わない中学生にも浮かんでくるのである。

志田委員

「現代かなづかい」が今日ほどの普及をみた一つの理由は,助詞の表記が従来どおりのままに保たれたことにあると痛感している。これを表音という立場から「お」「わ」「え」にすると,読むという観点からいろんな支障が生じるという印象を強くする。次に漢字部会の問題で,当用漢字に教育漢字を含めてその性格を国民生活の立場から考えると,法令で使われる漢字についてもある程度規制する必要があるし,また,かりに漢字を増加するにしても,むやみに増加すべきではないが,義務教育で習得すべき漢字には,いちおう法令で使われるものも含めるべきではないかということ,それと一般社会というか,その方面には現在の規制という考えを出さないようにするという方向で具体的に検討していってはどうか。

植松委員

 阿部委員の考え方に基本的に賛成である。要するに当用漢字表は基本漢字というふうな考え方で,必ずしもそう厳格なものと考えないほうがよい。当用漢字表を厳格な制限をもったものとするのは,かえって社会生活の能率を害する。また,専門の分野と社会生活の面でのことばには開きがあるので,たとえ前期のように刑法関係の漢字を少しばかりふやしても専門的には違わないということを考えると基本漢字という性格にしたほうがよいように思われる。それにどの漢字が別わくで,固有名詞だけにしか使えないのだというようなことをいちいち考えなければならないとしたら,これほど実情にそわないものはない。なお,かな部会では,原理のはっきりしたかなづかいにしてもらいたい。基本原則さえ習えばわかるというようにしないと改革の精神にそわないのではないか。

小谷委員

 まず,漢字について申したい。社会一般で使用するという点では,あまり強い制限は不適当と思うけれど,いっぽうでは,たとえば学術用語にかぎらず新しいことばがどんどん生まれてくる。その場合,専門用語は別わくでという意見もあるが,わたしは学術用語というものは一つの専門家の中で通用するのではなく,しだいに広く世間一般に通用していくのが文化発展のために必要だと思うので,無制限にどういう漢字でも使えるのと,そうでないのとでは,ことばを作り出していくうえにかなりの影響があると思う。これまでは漢字がたくさんあると,なにか似たような漢字を二つ並べることによって,新しいことばができるという便利さがあり,その便利さになれて安易に漢語を作り出すという傾向があった。けれどもわたしは造語に際しては,もっと日本語の特色を生かして作っていかなければならないと考える。美しいことばの創造は必ずしも使われる漢字の総数が多いことによるものではなく,むしろ制限されているほうが,その意欲を強めることになるのではないかと思う。やはり,漢字は野放しでなく,基準,標準というか,あまり多くないほうがよい。つまり,当用漢字表を手直しした程度で社会に示されることが望ましい。次いで,かな部会にお願いしておきたい。諮問事項にはいっているかどうか疑問であるけれど,現在,日本語としての外国の固有名詞の表記のしかたが決まっていない。せめて主要な世界の都市名の書き表わし方ぐらいは決まっていてもよいのではないか。そういう書き表し方の方針,方向だけでも示してもらえれば,非常に役だつのではないかと思う。最後にこの夏,各委員から提出した意見を項目別に整理したものの中の基本的な考え方については,まだ議論されていないようであるが,これをどのように考えるのか,審議していただければと思う。

金田一委員

 本日,阿部委員から提出された意見書もけっこうであるが,一つ問題がある。3ページ1行目に「(ロ)熟語を同音の他の文字に書きかえることは,やめる方針で再検討する。」とあるが,これでは漢字がふえることになる。文学者からは漢字は減らしすぎであるとみられているようであるが,やはり機械にかけたりする場合,漢字は少ないほうが便利であるように思う。それにわれわれが,全く違った漢字だと思っていたものが,字源や語源からいって,実は全く同じ意味をもつ文字だったり,ことばであったりするものがたくさんあるということである。たとえば「関係者」「後継者」の「係」「継」なども,同じ音に対して,たまたま,ふたりの人間がそれぞれ違った漢字を用いたものを,引き続いて現在のわれわれも区別しているにすぎないということである。明治時代に多く変体がなが一つに統一されたときには,さびしく感じた人もあったろうが,いまから考えれば,これが大きな功績であったように,「係」「継」も,これを同一にすれば反対の人も多いだろうが,そういうことを考えれば,同じになるものがいくつかあるのではないかと思う。わたしはもっともっと漢字を減らすほうがよいと思う。

森戸委員

 わたしは常識的な考え方から,漢字は少なくなるほうがよいという考えをもっている。その意味では,当用漢字表は字数の問題は別として,方向としてはよかったと思っている。ただ字数には問題があるので再検討してもらってよいが,大幅に変更するのはどうかと思う。こういう問題を論じる場合,国語の専門家が中心になることもたいせつではあるが,これから国語を学ぼうとする人のこと,それに一般の人が国語対策をどう考えているかということも考えてほしい。わたしには一般国民にはだいたいこれまでの方向性でよいと感じられているように思えるし,また,これは国立国語研究所などの調査結果を待つ必要もあろうが,ともかく,国語を日常使用している人々の考えもじゅうぶん参考にしなければならないと思う。それから審議の未熟な間に当用漢字表はいらなくなるのだとか,大幅に字種が変わるのだとかいうようなことが世間に出ると,学校教育にも動揺を与え,教育上望ましくない事態をきたすことになるので,くれぐれも注意してもらいたい。

大野委員

 漢字の数は,現在わが国で発行されているいちばん大きな字引きで,だいたい5万字程度あるが,実際にその5万字が使われることはない。万葉集では2,270字,続日本紀で3,400程度,平家物語では2,550余字である。今日,大きな印刷所では6,000字,町の印刷所では4,500字程度で商売ができるということである。だから無制限にするといっても,おそらく固有名詞に用いられる珍しい漢字を入れても,だいたい3,000〜4,000字程度で必要なほとんどの漢字がはいってしまうだろう。もう一つ重要なのは,当用漢字表1,850字で日常の文に使われる漢字全体の90何パーセントかを占めているという報告があるが、だからといって当用漢字の1,850字だけでじゅうぶんだということにはならない。文字やことばの調査をした場合にはいつでもそうであるが,文字・単語の最後の500番ぐらいまでが使用度数が高くて,全体の60から70パーセントを占めるもので,1,500も選べば95パーセントはまかなえる。しかし日常生活では非常に使用度数が低いものであっても,それがなければ困ることになるのである。それに電子計算機で使用度数を調べると,それが決め手になるように思われるけれど,使用度数の低いものは富士山のすそ野のようになっていて,どこで切るか,その切りめを発見するのはむずかしい。

石割委員

 諮問には,いくつかの前提があるので,いまの段階では漢字を無制限にするとか,かなにするとかという議論は成り立たない。浦上委員からめやすがほしいという意見があったが,根本的に言うと,われわれが日常どの程度の漢字が必要なのかということが大前提になる。そして必要な漢字はふやし,いらないものは減らしていくべきである。最初からふやすとか,減らすとかを決めないで必要に応じてやればよい。それに漢字論者,かな論者という表現は失礼かと思うけれど,お互いがこの際,漢字1字の増減によって勝ちとか,負けとか考えないで,日常生活に必要かどうかという見地から慎重に検討してほしい。

山本委員

 漢字の字数の増減もさることながら,音訓の問題も検討してほしい。「魚(さかな)」「厳(きび)しい」と読めないのはおかしい。当用漢字表にある漢字は,訓でも使えるように検討してほしい。

日高委員

 漢字を多く知っていることが,必ずしも日本語を習得していることになるとはいえない。従来の日本人は漢字をあまりにも軽々しく日本語の中に取り入れすぎてきたきらいがある。たとえば哲学で言う「範疇」というむずかしいことばなども,当然みんながわかるというように考えるのはどうかと思われる。日本語をだいじにして,漢字は借り物だということをみんなが注意したうえで、漢字制限を考えていただいたらと思う。今日,日本の置かれている位置ということを考えると,漢字のほかに科学的な知識を身につけなければならない情勢にある。その点からも形式上の問題については,できるだけ簡易にしてほしい。戦後の国語施策においては,歴史的な配慮がなかったという点で,今日,批判的に考えているけれど,全体としての方向は誤っていたとは思われない。そこで部会では多少の行き過ぎを是正する必要はあるかもしれないが,あまり根本方針まで深く立ち入らないでやってほしい。国語政策のような問題は年代をかけることによってしだいに調整されていくものであると考える。

前田会長

 時間もせまってきたのでみなさんのご賛同を得てまとめさせていただく。いま,いろいろご意見を伺い,その点から部会に対して何を要望するか,みなさんの発言を要約すると,問題はやはり国語の問題であり,その国語は現代国語にその目標の基礎を置くことが第1であると思う。次にこの現代国語を土台に,国民の生活能力と文化水準の向上という二つの目標があり,また,そのためにはどういう方向をねらうべきかの問題がそこに含まれている。そういう意味で,大野委員の説明でもわかったけれど,5万字より3,000字のほうがよいというその意味での制限は積極的な効果が大きいと思う。これはわたしがしろうととして感じたことである。やはり,無制限でなく制限する方向で,いまの国民の生活能力と文化水準をあげるほうがよい。それに国語を純化していくほうが,学校教育であろうと社会であろうと,種々雑多なものよりは勉強もしやすい。音訓その他でも,そういう方向をまず考えながら部会で審議していくのが適当ではないかと思う。それぞれの部会では,こういう立場でそれぞれの見識をまとめていただければ総会として幸いである。審議会では無理もないと思うけれど,まだまだ専門的見地からいろんな意見の対立が今後もいろいろ起こってくると思うが,わたしはこういう方針で部会の仕事をはじめていただいたほうがよいと思う。もし満足が得られたらそういうようにしたい。

大野委員

 いま,「制限」といわれたけれど,「基準」にしろという意見が先ほどからあるが。

前田会長

 「基準」「制限」ということ,教育に限っては制限と考えるが,他は一部の人のいわれるように,「基準」という呼び名にしたらよいかどうか,それは文化水準を高める上にどちらのほうがよいのか,部会審議によって決めていけばよい。(賛成。)では,そのようにさせていただく。今後は当分,部会や運営委員会によって,この審議会の活動をするので,次回の総会は3月27日にいちおう予定しておく。

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