国語施策・日本語教育

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前田会長

 ただいまの両部会の報告について質問や意見があれば伺いたい。

西原委員

 漢字部会の報告にある第1読会の経過および今後の第2読会の予定については,ほぼ妥当なことと賛意を表する。ただ問題は,当用漢字の使用法を調べるということである。これはけっこうなことであるが,使用法となるとむずかしいか,やさしいかの難易の問題,一定数の中でこれを取り上げる妥当性があるかどうかという問題,それに社会的慣習や一般的な傾向という三つの見方が必要になってこよう。さて,こういう観点から漢字部会の報告を見て特に目につくのは、漢字一字一字を形式的に考えるのでなく,語ということと結びつけて考えておられるということである。この考え方は重要なことだと思う。ことに教育の立場ではここ数年来,語い調査の方向にむかっているけれども,一つの語を漢字で書くか,かなで書くか,つまり,語という態度から漢字・かなを見るこの見方はたいせつなことと思われる。ところで,かな部会の審議も現在ぬかるみにはいった感じがあるが,どうしても具体的な語にふれてくると審議がはかどらなくなってくる。漢字部会でも語いの方向から音訓を考えられることはまことにけっこうなことだと思うが,それだけに今後かなりぬかるみにはいることが予測されよう。なお,漢字部会の報告の中で,「4 特殊な読み方は,漢字一字一字の音訓としてではなく,一語一語として取り扱う。(将来新しく造語する場合の成分とはしない。)」とあるが,成分とするかしないかは,こちらで決められるものではないので,どうかと思われる。それに,「6 同音異義語を漢字で区別する。」「7 多義語の意味の区別を漢字でする。」という考え方や「3 訓は漢字使用の歴史から見ると・・・。」「4 特殊な読み方は・・・。」といった考え方,ことに「5 音便等によって生じた特殊な語形。」は認めるといった立場は個人の主観的なものである。なかには慣用といった客観性もあろうが,客観性といってもなかなか基準の立てられるものではない。当用漢字1,850字とか絶対数の基準の中で,また字種を決めようという中で,これは少し困難な仕事ではないかと思われる。漢字部会の,ことばを主体に考えようという考え方には敬意を表するものの,教育の場では,ことばとなった場合,歴史性ということもあるけれど,時代によっては,そのことばをかなで書こうという時代だってあることも考えてほしい。漢字部会の体系は,これでよいけれども,けっきょくは絶対数の中で考えるということ,それに使用法を調べることもいいことだけれど,「行燈」などは,必ず読めて書かなければならないというのもどうかと思われるので,これはかなで書いてもよいのだというような,やはり具体的な客観性をもたせて決めてほしいものである。そうでないと,これは歴史性が強いとか,多義語だからこれも認めるとなって,むやみに音訓が多くなるおそれがある。

前田会長

 予定時間も過ぎたので,これで閉会とする。

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