国語施策・日本語教育

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漢字部会審議経過について(部会報告)

〔漢字部会審議経過報告〕

第1 はじめに

 漢字部会では,総会の決定により,「当用漢字表」「同音訓表」「同字体表」を受け持つことになった。これらのついていちおう問題点の検討を行なったうえで,まず現行の「当用漢字表」「音訓表」に関して,いわゆる「制限」と「基準」の問題について論議を行ない,さらに,新しい表を制定する目標を「義務教育」に定めるか,それともいわゆる「一般社会」にするかについて論議を重ねた。「制限」を主張し,あるいは「義務教育」に限定しようという意見もあったが,大勢は,「基準」とし,「一般社会」を目標とするという方向に傾いたと考えられ,いずれにしても一定のわくは必要であるということで具体的な審議にとりかかった。
 さて,部会としては,漢字表,音訓表,字体表のうち,何を最初にとりあげるかを話し合ったが,その結果,まず音訓表にとりかかることに一致した。ただし,当用漢字の字数,字種はひじょうに重要な問題なので,この問題に関し,とくに小委員会を開き,意見を交換した。この小委員会は諸種の事情で1回しか開けなかったが,字種の審議に要する各種の資料は極力広く求めて整備することとした。その後,部会は音訓表を中心に17回の会合を開いた。部会としては,任期内に,しかも総会で部会報告をじゅうぶん審議する余裕を見越して,できるだけ早く,しかも具体的な形で報告するようにしたいと考え,かなりの努力を重ねたつもりである。
 部会としては,当用漢字1,850字の一字一字について,その音訓に対する考え方,音訓の具体的な処理に関し,じゅうぶんな根拠をもって,部会としての結論を出したいと考えた。しかし,細部にわたっての検討はややふじゅうぶんであったために,部会として審議未了の形で総会に報告せざるを得なくなったことは,まことに残念である。ただし,大綱に関することは,ほぼ部会として合議が得られたものである。

第2「当用漢字音訓表」について

 音訓の審議にあたっては,数次の総会に中間報告を行ない,部会が漢字の音訓に対してとった態度方針はすでに明らかになっているはずである。しかし第8期終了を目前にひかえての総会の報告として,重複を顧みず,中でも重要な点を次に述べておきたいと思う。

 漢字の音訓とは,漢字を中心として考えれば,一字一字の音訓ということになるが,実は,このことは,日本語を書き表わすための本質的な問題であり,日本語の表記という立場からすれば,それは,語の書き表わし方,あるいは語の成分の書き表わし方に関する問題というべきである。われわれはこの認識の上に立って問題を考え,処理しようとした。
 われわれが音訓を取り扱う場合,中国語の漢字の意味用法には,必ずしもとらわれることなく,主として現代の日本語を書き表わすためのものとして考える。
 したがって,われわれが考えようとするものは,今後,一般社会で現代の日本語を書き表わすためのものとしてであって,漢文,あるいは専門語,学術語,固有名詞等に及ぼそうとするものではない。また,すでに発表された文献に用いられた漢字の読みを定めようとするものでもない。
 ここでいう「一般社会」とは,いちおう,新聞・放送・公用文・法令文等,主として一般国民を対象として文章を書く世界のことである。国民個人個人の問題や文芸作品のことではない。

第3 音訓の選び方

 ここで取り扱ったものは,現行の当用漢字表1,850字の範囲内についてであって,それ以外のものには及んでいない。将来,当用漢字表の字数,字種が新しく考えられた場合には,理論的には,音訓も当然,再び検討し直されなければならないものである。ただし,現実的に考えれば,そう大きな異動が起こるとは思われない。今回は,語の書き表わし方という観点に立って音訓を審議したのであるから,今後,新しく国語施策が考えられる場合には,字数,字種,音訓などをじゅうぶんに考え合わせて検討されなければならないものと信ずる。
 現行の当用漢字表は,明らかに制限として考えられたものであり,音訓表も当然そのような性格を持つものと考える。したがって,もし音訓表に音訓が認められていなければ,漢字そのものは仮に当用漢字表内のものであっても,かなで書くか,同音の漢字に書きかえるか,あるいは別途の語を考えるかであったはずである。しかし,今回は,制限という考えよりも,「基準」という考えに従うこととして,そのうえで一つのわくを考えようとした。ただし,反対の少数意見のあることを明記しておく。基準とするとしても,基準である以上はなるべくこのわくに従う,あるいは,わくを守るという精神のうえに立つべきであると考え,この考えは部会でだいたい一致したといってよい。
 選定の方針,考え方としては,だいたい次のようなことを考えた。
(1)  音訓には,現在の読み書きに効率の高いものを採用する。その意味で,主として,国立国語研究所編「現代雑誌九十種の用語用字」(3冊)に現われた結果を資料とし,使用度数,使用範囲,機能度という観点から考慮した。〔(注)ここに,補足資料(2)を補う。〕
(2)  いわゆる異字同訓(価=値。厚=暑=熱。倉=蔵の類)は,使いわけの困難な場合がある。したがって,できるだけこれを避ける方針をとった。ただし,使用上,区別がたつと考えられたものについては,これを採用した。なお,異字同訓のうち,音節数の少ない語においては,漢字で書き分けないとその意味の理解の困難なものもある。これらもある程度採用することとした。
(3)  現行の音訓表でも,自動詞として用いたものは他動詞としても用いうる等の規定がみられるが,今回は,同語根の語は広く認めたほうがよくはないかという意見が多かった。
(4)  もっぱら副詞だけに使われる和語(たとえば,「すでに」「しばらく」「ようやく」)のために,特に漢字の訓を認めることはしなかった。ただし,形容詞,形容動詞の連用形が,副詞的に使われたものは除いた。(「静かに」「快く」)
 なお,漢字によってでき上がっている副詞(たとえば,「一概に」「一層」「一切」)は,必ずしもかな書きにする必要を認めないものと思われる。
(5)  歴史的に,特別な読み方が成立し,それが現代語として広く行われているものに対しては,一語一語としてある程度認める。(それらの音あるいは訓としての用法は,その語を表わすことだけに限定する。)
(6)  現行の音訓表では,音だけしか認めていないものが,1,850字中844字ある。しかし,その中で訓を認めたほうが,現代の口語を書き表わすのにつごうがいいと考えられるものについては,訓をも採用した。この訓をその漢字に認めることは,表意文字である漢字の理解を助けることにもなると思われ,教育上にも役だつことがありうると信ずる。
(7)  日本語では,語のわかち書きの習慣がないので,漢字が語の切れ目を示す役割を果たすことがある。かなの連続は,語としてとらえにくいことが少なくなく,必ずしも読みやすく理解しやすいものとはいえない。そのためにも,ある程度の漢字の訓を採用することは,文章読解のうえで利益があると思われる。
 以上あげた原則的なものは,ものによっては相互に矛盾する場合がある。この場合には,部会員合議のうえ,判断を下した。ただし,あるものは,委員間の意見の一致をみず,やむを得ず保留とし,さらに今後の研究を待つことにした。



第4 審議未了の問題

 前述のとおり,今回の音訓に関する考え方の特徴は,漢字の一字一字の音訓としてだけでなく,語または語の成分としての書き表わし方としてとらえようとしたところにある。したがって,特別の,限定された書き表わし方の語,または,いわゆる熟字訓の類(紅葉→もみじ,海女→あま,時雨→しぐれ,為替→かわせ)は,現代の口語の書き表わし方としてやむを得ないものは採用するが,どの程度の語を認めるかは,一語一語に対する審議がじゅうぶんではなかたっため,部会としての決定には至らなかった。今後の問題である。
 同語根の語に各種のものが認められるが,ものによっては,
(1)動詞の連用形を名詞としてだけ認められるかどうか。
    怒(いか)り
(2)自動詞か他動詞かのいずれかを認めたものは,互いに通用しうるかどうか。
    挙げる←→挙がる
(3)動詞として認めたものは,形容詞等,他の品詞のものをも認めるかどうか。
 その他,細かい部分についての考え方は必ずしもじゅうぶんでなかった。これらも今後の課題である。
 現行の音訓表に認められているものの中で,全体のバランスのうえから,削除してよいものもあると思われる。特に,現代の口語を書き表わすためという点からみて,再検討すべきものが少なくないので,全体にわたって,改めて厳密な検討を加える必要がある。
 今後,1,850字の一字一字について音訓を明記した表を作製することはもちろんだが,さらに,漢字の音訓が定まった場合,少なくとも和語に関しては,どういう語が漢字で書けるかの一覧表を作る必要があるだろう。
 文芸家協会,新聞協会等からの要望があった。これらについてのじゅうぶんな検討が今期間内に行なわれなかったのは心残りである。

第5 その他

 これまで,部会で検討した結果,結局は若干の数の音訓が増加するということになった。この増加は教育上の負担になるのではないかという心配もあるかもしれないが,それが直ちに教育の場で,学習の困難さを増すものとは必ずしも考えられない。訓を与えることが漢字の意味をとらえる手がかりになる場合もあるからである。一方,現行の音訓表は,特別に教育上の問題を考えているとは思えない。かりに漢字を提出した場合に,その音や訓を同時に学習することとすると,小学校第2学年に配当されている「天」では,「テン」という音を習得するほかに,「あめ」という訓をも学習することになる。また,「遠」の字は第3学年に配当され,「久」は第5学年に配当されており,それぞれ「オン」「ク」という音を認めている。しかし,これは恐らく「久遠(クオン)」としか使われない語であろう。このような語は,小学校で学習させなければならないかどうかは疑問である。したがって,音訓についても適切な段階づけが望まれる。
 現行の当用漢字表においては,ふりがなを使わないようにしている。もし,漢字や音訓がない場合には,かなで書くか,同音の漢字で書くか,あるいは言いかえるかである。今回,ある程度の音訓を増し,限定された読み方や熟字訓をある程度認めることにすれば,漢字の形のままで使うことが可能になる。
 ふりがなは,これを使用することによって,漢字の習得に役立てることもできるし,また,語の正しい読み方を示すことも可能であり,現在でも,固有名詞や難解の語句(ことに,専門語・術語。)にはふりがなを利用している。しかし,ふりがなは目の衛生上,印刷の技術上,その他多くの問題点もあるので,乱用をつつしむべきことは今後においても変わりはない。
 補足資料(1)
用法の限定された音訓の処置
A  機能度の低いものは,すでに現行音訓表で認められているものでも削るか,あるいは,その語を表わすものとして認めて,一般的な字音字訓とは取り扱わない。(呉音,唐音のものが多い。)
    衣 衣紋,白衣,浄衣
    依 帰依
    遠 オン 久遠
    久 久遠
    乙 オト 乙女
    期 最期,一期
    回 回向
B  以上のような取り扱いをするのにややためらいを感ずるものがある。
    己 知己
    遺 ユイ 遺言
    会 会得,会釈(ただし,会式,法会,図会は別か。)
 補足資料(2)
使用度数等

 最後に個人的な感想を申し述べたい。わたしは,常々漢字を少なくしようとする以上はわかち書きの研究をしなければならないと考えている。国立国語研究所でもその研究を試みようとしたが,複雑な問題があってうまくいかない。自然にわかち書きができればよいのだが,理論的に法則を立てようとするとなかなかむずかしい。しかし,その研究の必要性は痛感しているところである。もう一つは,正書法のことである。正書法は,また正字法ともいうが,これには,漢字を使うか,かな,あるいは,ローマ字を使うかといった問題と,一語一語をどう書き表わすかの問題との二つの種類がある。はたして日本語は英語のように一語一語の書き表わし方がきめられるものかどうか,わたしとしてはなんとか成立させてみたいと考えている。しかし日本語には,漢字とかなの両方を使用し,かなづかいにおいても,歴史的かなづかいと現代かなづかいの両方が存在するという,正書法にとって基本的な問題がある。送りがなのむずかしさも一つはそこにあるといえよう。理想的には一語一語の書き表わし方がきまっているということは望ましいことで,われわれとしても努力すべきことだろうと思う。それと2年間にわたる長い部会での審議を通じて感じたことは,これまでの国語施策の検討が,漢字は漢字,音訓は音訓,送りがなは送りがなといったように分けて処理されてきたということである。あまり総合的な観点からながめられず,また,とかく一語一語に気をとられすぎて文章全体に対する配慮が足りなかったということである。今後は,文章ということに焦点を合わせて漢字やかなの問題を検討してほしいと思っている。

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