国語施策・日本語教育

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次第 各部会,小委員会の報告に対する質疑等

前田会長

 ただいまの西島委員長の報告について補足する御発言があればお願いする。

阿部委員

 漢字の「読み」と「書き」を分離して指導することについて研究してほしいというのがわたしの希望である。小委員会では,小学校課程で,漢字の「読み」と「書き」の指導は同時に行なったほうがよいだろうということは,まだ結論に達したとは思わない。もう少し,この問題を煮つめてほしいという気持ちでいる。できれば,この問題について少し意見を述べたいと思うがいまでよいかどうか。

前田会長

 御意見は,のちほどの自由討議の時間にお願いする。いちおうこれで漢字部会,かな部会および一般問題小委員会の審議経過報告を終える。なお,ただいまの報告に関して質疑を承りたい。

木内委員

 質問したいことはたくさんあるような感じがするが,審議経過報告がじゅうぶんにわからないから明確なことばにならない。つまらない質問にならないように,だいじなことを落とさないように,できれば本日の報告の速記の全文をいただきたい。

前田会長

 そのように取り計らいたい。ほかに発言はないか。なければ,本日の報告の速記をお手もとにお送りするから,次回はそれを御検討のうえ,御質問や御意見を承ることとしたい。引き続いて自由討議にはいる。

阿部委員

 さきほどの漢字部会,あるいは一般問題小委員会からの報告にもあったが,一般問題小委員会で問題を取り上げてもらいたいという希望である。これまでは,漢字は読んだものはすぐ書けるように指導するというのが明治以来の日本の国語教育のやり方であったと思う。しかし考えようによっては,これはヨーロッバ諸国の国語教育の翻訳的なものではないかと思う。というのは,日本では漢字かなまじり文がつかわれている。かなはヨーロッパの表音文字と同じであるから,読みを指導したものは,すぐ書くことを指導すればよいが,表意文字である漢字は,読むことは読めても,つまり,識別することはやさしいけれども,書くということはむずかしい。そこで,書く指導はあとまわしにして,読むことを先にやる,「読み」と「書き」とは別に指導することがよいのではないかと思うわけである。こういう研究は民間でも盛んに行なわれている。たとえば,石井勲氏の研究によれば,幼稚園の子どもでも1,000字ぐらいの漢字は楽に読むということである。昔から日本では素読ということが行なわれてきたが,それはなんとなく漢字を識別するということである。だから漢字は読むほうは非常にやさしいが書くほうはむずかしいのである。これまでは,とかく漢字の学習負担ということが言われてきたけれども,これは非科学的な言い方であって,読む負担なのか,書く負担なのか,その点を区別して考える必要がありはしないかと思う。したがって,「読み」と「書き」を別々に指導するということについての研究を文部省や国立国語研究所あたりで進めていただきたい。こういうことを国語審議会や小委員会が要望すれば,非常に大きな影響を及ぼすものと思う。単に,漢字を知るというのは,字を知るというだけではなくて,字を知ったことによっていろいろな知識が豊富になり,それがもとになって,一般教育の向上につながって,能力が開発されるわけである。これは教育界全体の問題につながってくることであり,また国力の発展につながってくる大きな問題であって,国語審議会が取り上げるのにふさわしい問題であると思う。
 この国語審議会が,当用漢字表や当用漢字音訓表を,これまでの「範囲」という考え方から,「基準」という方向に考え直そうとしていることが,大きな前進だとして評価されているが,それと同時に漢字の「読み」,「書き」分離指導をここで決議するなり要望するなりすることは,かなり大きな反響があるのではないかと思われる。この問題を,一般問題小委員会ででも,もう少し煮つめていただきたいし,この総会ででもいろいろお話し合い願えればありがたい。

前田会長

 ただいまの阿部委員の御発言に関連しての御発言,あるいはそれ以外にでも御意見があれば伺いたい。

志田委員

 わたしは漢字部会に所属しているので,かな部会ならびに一般問題小委員会に対して希望を申し上げたい。送りがなは,できるだけ原理的に説明のつく方向でお考えいただいているようであるが,前期でも,わたしから,いわば考えればわかるような送りがなのつけ方にしていただきたいと言い,その一つの考え方として,何らかの形で活用するものはできるだけ送るという方向で考えていけばどういうことになるかということについて御検討いただいたのである。ただいまの御報告にもあったように,送りがなのつけ方の原理を理解すれば,あとは実際に書く場合にどう送ればよいか判断して決めることができるような方向を,できるだけ徹底させていただけると,使う者の側からは非常に使いよいものになるということがいえると思う。ただ,それを徹底させると,やはりかな部会の報告にもあったように,従来の慣用の送り方と違った形のものが,場合によってはふえてくるとか,現行のものがそういうことで不満であるとかいうような意見が一方ではかなり強く出てくる。しかしこの問題は,現行の送りがなのつけ方が成立した当初のころと,その後の送りがなの時代的な変遷などをみていくと,その間にかなり大きな変化が全体を通じてあるように思われる。長い目で見ていけば,変わっていくことも当然であるとか,やむを得ないというような考え方があってもよいのではないかと思う。今後,かな部会では本日の報告の線で。なおいっそう徹底させるような方向で御検討願えるとありがたい。
 次に一般問題小委員会の報告について考えや感想を申し上げたい。まず,義務教育等で教える漢字の範囲ということについては,当用漢字表を基準として考え直そうという場合と同じ意味で「基準」とは言い切れないので,これは最低基準というようなことになるであろうというような報告であったと思う。もし,こういうことばを使うと,当用漢字表についての「基準」と紛らわしくなる。最低ということばがついていれば,あるいはそれでよいのかもしれないが,できればそこでは「基準」ということばでなく,それを表わすような別の表現をお考えいただくと,そのへんの混乱も避けられるのではないかというような印象を受けるわけである。それから当用漢字別表についてであるが,現在の学習指導要領での別表の扱い方はすでに制定当時の別表の性格と変わっているように思われる。そういう意味からいうと,いま検討中のことは,現在の別表をどう変えるかということではなくて,当用漢字表を基準として考え直すというのに対して,義務教育に,その漢字をどのように持ち込むか,持ち込むためには,いわば最低基準ということで,いま扱われているものを表として表わすかどうか,表として表わせばどういうものになるのかというようなことを,お考えいただくことになるであろうと思われる。ところで,漢字部会のほうでも第1,第2,あるいは第3基本漢字といった考え方が話題に出ているが。これを義務教育とどう結びつけるかといったこと,これは総会でも議論した上で決めることになるのではないかとも思うが,こういうような点からも義務教育との関係をお考えいただくべきではないかという気がする。

西原委員

 一般問題小委員会の報告に関連して希望を申し上げたい。審議の方向が国語施策と教育の問題ということから学校教育の関係者を小委員会の委員に加え審議されているのはまことにけっこうなことであるが,全体としていくつかの問題があるようである。さきほどの阿部委員の発言に関連することであるが,漢字指導は教育界では大きな問題である。現在では,「読み」,「書き」同時か,分離かということは,既に実験などをもとにした研究や提案も多いから,各委員もご存じのことと思う。こういう現在の研究や提案をじゅうぶんに取り入れることも必要であると思うが,反面,この問題は教育上,歴史的な問題でもあるから,小委員会として結論を出すのはあまり急がないほうがよいと思う。この問題は,漢字を多く教えるか,少なく教えるかということにも関連する問題になる。明治19年,森有礼文部大臣のときに,小学校で国定の「読み書き入門」,「尋常小学国語読本」が出て,はっきりと「読み」,「書き」同時となった。以後,明治37年度,明治43年度,大正7年度,昭和8年度,昭和16年度と,しだいに改定されても,漢字の教え方は,常に「読み」と「書き」が同時であった。
 また,漢字数にしても,戦前は尋常小学枚で,1,362字とか,1,364字とかいうわずか2字が問題になったこともあった。このように国語教育の歴史上,非常に大きな問題である。現在では,広く日本人の言語生活につながる重大な問題である。現在,小委員会は,非常に重大な問題と取り組んでいるわけであるが,この問題の審議は慎重にやっていただきたい。次に,新しい学習指導要領では昭和46年度から小学枝で取り扱う漢字の数を増したが,これは当用漢字表の漢字の中から教育的配慮によって選んだものであって,一般には好評である。しかし今後,国語審議会で,学校の国語教育の問題を取り扱うならば,教育課程審議会とも密接に連携を保たなければならない。その窓口として一般問題小委員会などもけっこうであるが,国語施策が学校教育の問題を考える場合は,よほど慎重に取り扱っていただきたい。

西島一般問題小委員会委員長

 ただいま志田,西原両委員からいろいろ御意見や御要望があったが,当初,この小委員会ではどういう問題を審議すればよいかということを考えた。結局,先ほど報告したように,前期の報告の中で,どうも検討が足りないと思われるところを少し穴埋めする形をとりたいということで,この問題の検討にはいったのである。それをやっているうちに,先ほどの阿部委員のような御意見も出たし,教育の現場での問題が出てきて,こういう問題を小委員会で取り上げてよいものかどうかということになってきた。もし,教育漢字表の改定をするということにでもなれば,それは漢字部会の取り扱う内容にまで立ち入っていくようなことになるし,いったいどのへんをめどにするのか,現在困っているところである。それに教育課程審議会との関連も問題になった。このままかってに小委員会が進めていってよいものかどうか。やはり総会の承認を得たのち,漢字,かなの両部会からも代表者の参加を得てやっていかないと進まない。実際の学習指導要領の内容とか漢字の学年配当の問題にまではいっていってよいかどうか。もし,そこまではいっていくとなると,これはたいへんな問題になるので,現在は,そのへんのところを決めかねているといった状態である。

西尾委員

 ただいま問題になっている事がらについて,わたしの所感を二つ申し述べたい。一つは,漢字の習得は「読み」,「書き」並行か,あるいは「読み」優先かという問題についてであるが,この問題については,われわれがこれまでに教育してきた経験から考えて,またわれわれ自身の漢字習得の状況から考えて,既にそのことは解決している問題ではないかと思う。はいり口は,言いかえれば低学年は「読み」,「書き」並行でなければ,確実な漢字知識を得られないし,ある程度まで進めば自然に「読み」が非常に多くなって,そこからまた自然に書くことも習得していくものである。これが,われわれのいままでの経験であり,また常道でもある。このことは漢字の性質からもいえることだと思う。
 昔,小学校の教科書が,読み書きからはいっていたということも,その必要からやっていたことである。「読み」を盛んにすれば,「書き」も自然にできるようになるという現在の考え方については,自分たちの実際の生活を考えてみればよくわかることで,必要な文字は自然に書けるようになるものである。単語一つ一つについて,漢字を習得させていくということは考え直さなければならない。漢字の知識は読むにも1語1語として習得していくものではなくして,語句あるいはセンテンスとして身につけていくのであり,実際に漢字を使うことについては,なおさらこのことがいえると思う。だから「読み」,「書き」並行か,「読み」優先かということをここであらためて御研究になることは,わりに意義が少なく,それよりもどこまでは「読み」,「書き」並行でいかなければならないか,それから先は「読み」でいって,書くことも自然にできるようになるということがわれわれの理想ではないかと思う。
 もう一つは,小委員会で国語施策と教育の問題を取り扱うということであるが,たしかに国語施策は,当然教育に一つの原則的なものを与えるから,そのことも必要ではあるが,国語施策を審議することをおもな任務としている国語審議会が,教育の問題にまで立ち入るということになると,これは全く別の組織といえるほど,そのほうの専門家でなければできないことだと思う。たしかにこれまでの伝統からいっても,国語施策を考えるときに,常に教育のことを考えに入れるということはだいじである。けれども,教育課程審議会が現在考えている方向で適当であるし,それでも不足なら。そのほうの専門の委員を集めて別な審議会をつくることが必要であろうと思う。

山田委員

 前回の総会で,わたしは特に漢字の音訓を審議する場合に資料が不足しているのではないかということを質問したところ,漢字部会長から,資料は豊富すぎるほどあるというようなことをいわれた。そのことは前回の議事要旨に記載されていない。実際の審議に携わった経験からいうと,毎回,決定的な結論がなかなか出てこないというのは,やはり必要な資料が不足しているか,資料はあっても資料の発表年代,調査年代が古かったり,抽出の方法に問題があったりして資料としての役目をじゅうぶんに果たしていないからであろう。漢字の音訓を国民の読み書きのために決めるという場合に,どうしても客観的な尺度でいちおうのめどをたて,それを各委員の良識で決定するということでなければ,なかなか審議は進まないものである。そこで,この際,要望したいことは,科学的な審議,能率的審議が可能になるような調査資料をそろえていただきたい,あるいは,そういう調査を前提としての審議を行なうような体制をつくっていただきたいということである。いまから予算措置がどうなることかわからないけれど,委員に就任したときに憂慮したことが事実となって現われてきているので,特にこの総会の機会に要望するしだいである。

渡辺委員

 かな部会に所属していて感じたことの意見を申し上げたい。送りがな検討にあたってはいろいろな語例が出てくるが,ある語は現在も生きているが,ある語はあまり使われないのではないか,というようなこともあって,これを資料として取り上げるときに迷うことがある。このことが,いろいろな原則を出すときの問題になったり,また部会の審議を複雑なものにしている一つの原因のように思われる。ほんとうに国語の本質をみてというようなことで審議していくとなると相当の期間がかかる。いま,われわれは社会的要望に基づいて審議しているものと思うが,このままでは審議が停滞するというわけではないが,一生懸命やっているわりにはなかなか思うところまで進まないし,なにか壁にぶつかりそうな気がする。そこで,一つの打開策として,漢字部会から,漢字の字数や音訓のだいたいの方向だけでも示していただけると,その漢字についての送りがなを考えるというようなことで。能率がやや上がっていくのではないかと思う。
 それから漢字の字数や音訓を決めるについては,やはり,一種の日本語の基本語い的なものが必要ではないかと考える。そこで現代社会における基本語いというようなものを考えると,この奥にはさらに現代社会の流通語いというようなものが,どのような使用度数で存在しているか,それをもっと科学的にしかるべき機関で調査を行なっていただきたいと思う。幸い国立国語研究所には電子計算機を入れて,そのほうの研究も相当に進められているのではないかとも思うが,ともかくも資料を固めていくということは,審議を能率的にして,結果を出すのに近づけていくことであると考える。

吉田委員

 一般問題小委員会の報告を伺って感じたことであるが,率直にいって,小委員会は漢字部会で審議するような事項に深入りしているのではないかと思った。小委員会では,もっと今日の日本の国民の言語生活というか,文字の生活というか,そういうことについて将来こういうふうに国民は考えていくべきであるとか,こういうような言語生活をすべきであるとかといったような国語の問題に関する理想・理念といったものを検討し,国民に示す必要があるのではないかと思う。以前,国語白書を出したことがあるが,それに類する第2国語白書,第3国語白書というような形で社会に示していただきたい。本日の配布資料である「国語施策に関する意見を聞く会」をみても,国語問題に対する国語審議会の考え方を,もっと国民に示し徹底させる必要があるのはないかということを感じた。そういう方面の仕事を小委員会で進めていただけたらとお願いするわけである。

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