国語施策・日本語教育

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次第 自由討議,その他

日高委員

 先ほどの阿部委員のお話に関連するが。少し角度を変えて,それと似たようなことを感じているので申したい。幼稚園の子どもがテレビを見ていて,だれも教えないのに実にはっきりと漢字を読むことができる,これが一般的問題であれば時勢の相違というものであろう。国語教育を学校の先生が読本なんかを構えて教える以外にテレビなどがもっている教育的環境というものをよく調べれば,われわれが苦心をして覚えたものを,小学校に行く前に相当にむずかしい漢字が読めるようになる可能性があるのではないかと思う。それは,昔は論議をしても問題にならないことであっても,今日では論議をするに値することではないかと思う。阿部委員のいわれるように視聴覚教育というものが,国民の国語能力を発展させるのにどういう影響をもっているか,多少悪い影響があるかもしれないけれど,こういうことを科学的に研究していただけたらと思う。原則として,そこまで立ち入る必要があるかどうかは問題であるけれども,そこに問題があるということだけは提起して,国語の環境と国語能力との関係について討議してみる必要があるのではないか。目で覚えて,それが読めるということについて,昔は問題にならなかったような事態が,今はあるのではないかと思っている。

小野(昇)委員

 審議の参考資料について少し要望しておきたい。「国語表記に関する意見収集」を実施して,審議の過程に,国民の表記に関する意見を反映していくということは非常によいことだと思うが,それにしても,カ一ド数が588ということでは少し少なすぎると思う。せめて3,000枚ぐらいでやっていただきたい。5倍になったからといって必ずしも精度が正比例して5倍になるということはないけれど,その精度がぐんと高くなることは確かである。

国松国語課長

 ただいまの小野(昇)委員の御発言に関連して,一言,御説明申し上げる。最初,「国語表記に関する意見収集」を実施するにあたって,その目的や調査方法等について国語審議会委員および関係各方面のかたがたと御相談した。国語問題について統計的な処理をしようとするのであれば,対象者の数を非常に多くし,選出方法も別に考えてやることになったろうが,しかし,今回の調査の目的は,個々の意見を収集するために行なうもので,統計的な処理を目的として行なうものではないということで考えられた。小野(昇)委員の調査カードを3,000枚にふやしてはという御意見は,むしろ統計的な処理をするという前提でのお話かと思われるが,今回の調査については,以上のようないきさつであることを御了解願いたい。なお,もう一つお断わり申したいのは,先ほど山田委員から資料が豊富すぎるかどうかということにふれて,前回の議事要旨に関する御発言があったが。そのことについては「議事要録」のほうに詳細に記載されているので御了承願いたい。なお,資料豊富うんぬんの御発言は岩淵漢字部会長の発言ではなく,前田会長の御発言で,そのあと,漢字部会長から,補足して御発言があった。議事のまとめには,「議事要旨」と「議事要録」の二つがあることを御了解いただきたい。

遠藤(五)委員

 先ほどから,一般問題小委員会の審議の方向についていろいろと意見が出ているが,そのことについては西島委員長のほうからお答えがあるかもしれないが,いちおうそのお気持ちをくんで申し上げたい。わたしの理解する限りにおいては,小委員会は,教育課程審議会の領域にまで深入りをして,国語教育の具体的な施策にまで立ち入って審議をしようというような気持ちはもっていないはずである。ただ,漢字の習得,その指導にあたって,「読み」,「書き」同時にするか,あるいは分離をするかというような話は出た。しかしこの問題は,漢字学習の教育方法論上の問題であるから,それに深入りをするような気持ちはなく,当用漢字別表を教育用として示すような場合があったときに,義務教育の段階で,「読み」「書き」ともに習得させるという性格をもつものとして示すのか,どうかということが問題になってくるので,いちおうこれらについて話し合ったにすぎない。つまり当用漢字別表の性格論のところで,かかわりあいが出てくる限りにおいてである,というようにわたしは理解している。

古賀副会長

 さきほどから資料および「国語表記に関する意見収集」について御発言があったので,このことについてわたしから補足したい。資料がほしいということについては,わたしも部会に出席していて感じていることである。ほしい資料が得られなくても,ある程度審議を進めなければならないこともあるが,そのときに応じてなるべく良識ある審議をしていただくことは各委員ともじゅうぶん認識しているところである。ただ,委員のかたがたから,それぞれ,こういう資料がほしいという意見が出たときに,それは部会や小委員会で一致してその資料を必要とすることがまとまったのかどうか,あるいは大多数のかたはその必要もなかろうということで終わったのかどうか,そのへんの受け取り方が違っている場合があるように思う。事務的にも,もう少しそのへんの確認をとられるよう今後気をつかっていていただきたい。
 次に,「国語表記に関する意見収集」に関連して申し上げたいことは,国語審議会で,ある程度世間に示すことのできる一種の素案というようなものができた場合に,それを世間に公表して反響を聞く,そしてさらに仕上げをしていくという行き方がもっとも自然な方法ではないかと思う。この点については,既に各委員とも御賛同の意向と思う。そこで,そういう時点がきたときに,できることならこれを統計的にもなるべく意味のあるものにしようということを目標に,事務当局でも検討してもらうということが望ましいのではないかと思うわけである。

三樹委員

 簡単なお願いをしておきたい。さきほど渡辺委員から,漢字部会で音訓の審議の結果をみてから,送りがなの問題を考えるようにしたいというような発言があったがこれは,漢字部会の方針がどうなるかという,かな部会としても気がかりな問題があるからだと思うが,おそらく漢字部会としても,その問題だけを早急に取り上げ結論を出すということはむずかしいであろうと思われる。そこで,わたしの了解するところでは,一般問題小委員会の一つの機能は,両部会の谷間にある問題を取り上げるということではなかったかと思うので,今後,そういうことの考慮と,両部会の相互的な交流というような問題について,小委員会のほうでお考えいただくことができれば非常にありがたいと思うわけである。

前田会長

 ただいま,いろいろな御意見を伺った。その中には既に各委員の間で回答の出ている問題もあろうかと思う。今期は,前期からの継続ということであるが,昭和41年6月の,中村文部大臣の国語審議会に対する要望は,漢字かなまじり文を国語表記の原則として,社会の批判を考慮しながら,これまでの国語施策を改善してほしいということであった。しかもこれは一部分的な問題ではなく,わが国独特の表記法のあらゆる分野に関係する問題であり,その分野の中には教育もはいっているということを明らかに述べているわけである。そこで,ここで本日の総会に出た各委員の御意見をとりまとめて,今後の方向というか,わたしの感じた印象を申し上げたい。
 どうも会議を開くと,とかく部分的議論に終始して,本質が見誤られるおそれがあるようである。たとえば一般問題小委員会が取り扱っている問題等であるが,小委員会の任務は,三樹委員の発言にもあったように,漢字とかな,あるいは一般的な問題の谷間をうずめる役割を果たすということになっていたと思う。そういう意味では,前期は大臣の諮問にこたえて訓令・告示の問題,いわゆる「制限」を「基準」と解釈したようなことにもみられるように,非常な功績を果たしたわけである。ところで本日の小委員会の報告に関連して,なにか教育課程審議会の勢力の中にはいっていくのではないかというような印象を持たれたかたがたがおられるようであるが,わたしはそういうふうには聞かなかった。むしろ,一般の国語施策に関連して教育課程の国語の問題をどう取り扱うかという一つの問題を提起したということで,非常に価値ある報告だったと思う。ともかく,今回の部会および小委員会の報告を伺って,それぞれに前期からの継続作業が,かなり進展しているような印象を受けた。今後は,三つの委員会でさらに,本日の総会で出た各意見について特に御考慮願うと同時に,事務当局においても必要な資料の整備等の御協力をお願い申し上げておく。なお,ただいまは,会長の発言というよりは,委員のひとりとして発言した。

木内委員

 前期はもとより,今期でもこの会は,戦後二十数年にわたる国語施策の総反省をしている会だと思う。前期に西尾委員が,戦後の国語施策は一種の大きな国民的実験であったというようなことを述べられたように記憶しているが,その実験には,いいこともたくさんあったけれども,まずいこともたくさんあったというのが今の問題で,その総反省をしているところである。だからその意味では,部会の審議は,結論に達したくても,ある程度,問題を取り扱ってみたらこういう印象であったということが出てくれば,そこから今後の方向づけも論じることができるのではないかと思う。今回の報告の速記を読めば,その方向づけに関しては,かなりまとまった発言ができる段階だと思われるので,次回の総会は,あまり急ぐのも問題であるが,できれば速記の配布後,1か月内ぐらいに開いていただきたい。
 次に,話は変わるが,最近,O社が出した国語の辞典をもらった。これは非常におもしろい辞書で,英語も載っているし,漢字のくずし方も載っている。絵もたくさんある。普通のいわゆる世間一般でわれわれが書く文章で必要な語いもほとんど全部ある。それでいて漢字の字数が2,360字で案外少ない。もう一つ,おもしろいのは,この総会でも,たびたび発言されていることであるが,漢字から出発するのではなく。日本語の語いから出発すべきだという話があるが,これは正しいアプローチだと思う。「どう察」もほしい,「駐とん」もほしいということでやって,あとで数えたら,漢字数は2,360字しかなかったものであろうと思う。
 日本語というのは非常にむずかしいというのはまちがっており,だいたいあれだけの語いがあったらいいのではないか。世間の基準というのは,どうしても語いでいかなければいけない。このアプローチのしかたはいいのではないかと思われる。あの辞書をちょっと使ってみて,こういう感じがした。あの辞典の編集はだれが,どういうふうにしたかについて,参考までに知りたいものである。

前田会長

 ほかに御意見はないか。次回の総会についてはいずれ運営委員会で相談したい。なければ本日はこれで閉会とする。

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