国語施策・日本語教育

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前田会長

 以上のように,今期の最終総会にあたって,漢字とかなの両部会からは,それぞれ一つの試みの案が出,一般問題小委員会からは教育との関連を明らかにする報告があった。本日の総会で,これらの報告の全体について討議する時間はほとんどない。したがって,会長としては,ただいまの報告を部会の試案として,それぞれの立場で,世間の批判ならびに意見をきく対象として発表するという段階にとどめたいと思う。各委員も,こういう立場でお考えいただき,そして了承していただくことで,今期の最終総会を閉じたいと思うかどうか。

柴田委員

 「改定送りがなのつけ方(案)」について意見を述べたい。結論から先にいえば,「改定送りがなのつけ方(案)」を,試案として公表し,世間の批判をきくことは慎重にしたほうがよいという考えである。その理由を申し上げる。「改定送りがなのつけ方(案)」の「前文」で述べている現行の「送りがなのつけ方」に対する批判は,まさに正当だと思われるが,その批判は,そのまま今回の「改定送りがなのつけ方(案)」にもかえってくるものである。その根拠を申し上げる。
 第1は,活用語はその活用語尾を送る,したがってその裏として,活用のない語は送りがなを送らないということを最も主要な原則とするならば,その原則こそ,大分類の第1の基準とすべきであるのにもかかわらず,単独語あるいは複合語といった自らが便宜的な分類と認めているものを第1にもってきたという,分類上の混乱があるということである。事実,これは便宜上ではなくて,よく読んでみると,複合語の場合には,単独語に準じて送るというように,便宜どころか,たいへん有効に使われている。しかし,これはまさに分類としては,もっと下のところで使うベきものではないかと考えるのである。
 第2は,活用のない語は送りがなをつけないといいながら,副詞・連体詞・接続詞といった活用のない語は「又」というたった一つの単語を除いて,全部送りがなを送ることになっていることである。そのことについては「前文」に断わってはあるけれども,使用者のがわからいえば,それは例外として取り扱うか,あるいは,活用語および副詞・連体詞・接続詞は送りがなを送るというような論理的に一貫した簡明さが期待されるところである。
 第3は,通則が「1」から「9」まで並べてあるが,それぞれが同じ重みで並んでいないということである。既にかな部会長の報告の中で指摘があったように「通則9」は「通則8」のただし書きでしかない。もちろん,「通則8」に書くべきことがらがあまりにも多いので「通則9」を設けたというのならば,それはあまりにも便宜的であって,簡明にして一貫した法則などとはいえなくなると思う。せめて「通則9」は「通則8」の(2)としたほうが妥当ではないかと思われる。
 さらに「通則1」,これは大原則であるが,「通則2」は「通則1」の例外である。したがって「通則1」にある例外と同じ列に並べられたいまでも,例外として同じところに位すべきものであろう。同様に「通則4」も「通則3」の例外でしかない。「通則3」のただし書きと,例外という点で一括されるべきものである。
 ともかくも「改定送りがなのつけ方」そのものの全体の構成を,もう一度じゅうぶん考えたうえで組み直す必要があると考える。
 以上は,形式について指摘したが,具体的な内容面については,時間がないので大まかなことだけを申し上げておきたい。
 参考資料として配布されている「現行の『送りがなのつけ方』と『改定送りがなのつけ方』との対照表」で調べた限りでは,現行のものとほとんど変わっていないということが特色である。はっきり現行と違うのは「係」と「並」のたった2語にすぎない。本則と許容という法則の中で,本則だけに限っても,現行と違うのは16語にすぎない。
 いっぽう別の3語は,現行よりも多く送る結果になっている。この程度の違いでもって「改定送りがなのつけ方(案)」の名で世に公表して,いたずらに混乱を起こさせることは,もう少し控えたほうがよくはないかというのがわたしの考えである。
 あと細かい点は幾つかあるが,それはまた別の機会に申し上げることとしたい。なお,以上申し上げたことは,きょう,突然ここで申し上げることではなくて,ほとんどの部分は2回にわたって,既にかな部会に口頭ないし書面で申し上げていることである。

前田会長

 御意見の点は,慎重に取り上げたいと思う。しかし御意見のような点をさらに今期で審議するということは事実上不可能でもある。そこで今回は,両部会の試みの案として意見なり批評なりをいただくものとしたい。ただいまの柴田委員の意見も,意見としては尊重しながら,総会としては,先ほどのわたくしの提案のように両部会の試みの案として世に問うというたてまえをとりたいと思うわけである。いかがか。

大野委員

 「改定送りがなのつけ方(案)」を試案として世間に出すということに関しては,手続き上明確にしておきたいことがある。きょう,示された「改定送りがなのつけ方(案)」は,つい1週間ほどまえに相当大規模な改定が行なわれたものであるが,そのことについては,かな部会所属の委員ですら,きょうに至って,はじめてこの文章をみたのである。その改定の間の事情をここで詳しく言うつもりはないが,先の合同会議以後,柴田委員からは33か条にわたる意見を述べ,わたしからは「前文」について12か条の修正を申し入れたのである。それを取り上げて改められたのであって,かな部会でも御研究いただいたことは認めるものの,きょうの,この案を見て,なお,幾つかの重要な問題点のあることを見いださざるを得ない。その大きな問題点の幾つかを申し上げたい。
 5月8日の案では,かな部会では「改定の方針」として4か条掲げていたが,きょうの案では,そのうちの3か条しか掲げてない。削除した1か条は「送りすぎにならないようにする。」という方針である。実は,現行の「送りがなのつけ方」が送りすぎであるという批評が非常に多かったため,それを具体的に修正するということが,今回のかな部会の課題であったはずである。したがって「送りすぎにならないようにする。」という項目を,改定の方針としてたてることは,しごく当然のことなのである。ところが今回の案ではこの方針は消えている。なぜ消えたのか,それは,先ほど柴田委員からも発言があったように,現行とほとんど変わるところがないにもかかわらず「送りすぎにならないようにする。」という改定の方針をたてることはおかしいという指摘をしたためである。その結果消えたものであるものの,これは相当重要な問題である。

大野委員

 このことは,送りすぎにならないようにしようと思って,いろいろやってみたけれども,結局,送りがなはいまのようにしなければならないものであるということになったものであろう。それなら,今回の改定については,今日行なわれているものを尊重して,まずそれを原則とする,ただし,送りすぎだという意見の人のために,別の系列のものも考えた,つまり,いまの原則をAとしたら,Aの方式もある,しかしBの方式にすることもできるというような方法で全体をまとめるなら,国民の理解も得やすいし,学校教育における混乱も救われるのではないかと思う。
 今回の案は,現行の26か条にわたるものを9か条にまとめたということであるが,はたして,われわれがこれを読んで理解できるだろうか。まして国民がこれを読んだ場合に,非常な混乱に陥るであろうことは明白である。
 次に具体例を幾つか申し上げたい。「改定送りがなのつけ方(案)」では,「本則」,「通則」,「法則」,「原則」というよう。に四つの単語が使われているが,これが非常にわかりにくい。「前文」の「3内容」にある「また,一方,法則を一貫して適用しようとすると,……。」。いう文章の「法則」とは,実は「本則」とすべきであろう。
表現は,すぐに「『副詞・連体詞・接続詞は,最後の音節を送る。』という本則などが成り立つ。」という文章もあって非常にわかりにくい。これは「活用のない名詞は,……。」あるいは「活用のない体言は……。」とすべきところである。要は,今回の案を,多少ともことばのことについて,国語のことについて学問的に知っている人がみれば非常に混乱をきたすものであるということをわたしは申し上げたいのである。それに「前文」の「6現行の『送りがなのつけ方』との比較」の「(3)」の文章を読むと,いったい送りがな法が決まったのか,決まらなかったのか,どうでもよいということにしたのか,全くわからなくなるような文章だといわざるを得ない。これでは,送りがなについて国民は迷うだろうと思う。
 最後に,もう一つ重要なことは,最初に申し上げたように,今回の案は,実に,一部の国語課の人たちがご存じであり,また,かな部会の一部のかたはご存じであったかもしれないが,他の委員は,この成文になったものを,きょうになってはじめて御覧になったということである。そういうものを,国民にさらすということは,国語の将来を誤るものだと思う。そういう意味で,わたしは,この「改定送りがなのつけ方(案)」をこのまま世間にさらすことに賛成しかねる。
(前田会長退席,古賀副会長が議長を代行。)

西尾委員

 会長から部会の試案として発表したいという提案があったが,試案として発表すれば,それで国語審議会の責任は終わったことになるのか,それともさらに試案を成案とするまでやり直すことになるのか,もし試案を成案としてやり直すとなればたいへんな時間がかかる。国語審議会がこの問題にふれてからの時間を考えると,社会はもっと早く案の出ることを期待している。それに対して国語審議会は怠慢であるという責めを負うことになろう。
 反面,試案として発表し,そのまま実行に移されることになれば,大野委員が指摘したような混乱が起こるという心配もある。そういうことから,われわれとしては,そういう二つの責任を果たすために,この際かな部会のかたがたが,これだけほねをおって今回の案をお出しになったことには敬意を表するが,審議会の内部からみてまだ問題があるというのならば,このまま国民のまえに出して意見を問うまえに,もっと審議会の内部で,そういう意見のあるかたや,もしも今回の案を完成するために建設的な協力をしてくださるかたがあるならば,わたし自身は,いまの御意見などは,まさに協力して完成していただけることの可能な案だと思うので,かな部会長において,それを聞きとる機会をお与えいただきたいと思うわけである。
 そして少なくとも内部の検討において,これが一致した案であるというものを出して社会に問わなければ,国語審議会の責任としては少し問題ではないかと思う。
 くり返して申し上げるが,もし建設的に,この案を完成することに協力してくださるというかたがあるならば,そういうかたに発言の機会を与えていただきたいということを,この総会に提案して,ひとつ御意見をいただきたいと思う。

古賀副会長

 ただいまの西尾委員の御意見,また,先ほどの柴田委員,大野委員の御意見もごもっともな点があると思う。しかし,一面,わたしが承ったところでは,かな部会では,けさもまた柴田,大野両委員の御意見なども考慮に入れて相談の結果,きょうの報告のように,これを試みの案として世間に示したいという意向となったものである。だから,ただいまの西尾委員の提案に対して,すぐそれではというわけにもいかない点がある。
 そこで,一つの案として,ここで15〜20分問,総会を中止して,そしてかな部会のかたがたで,どう考えるかを御相談願ってはどうかと思う。  
 きょうは,会長の提案のように,これを部会の試みの案として世間に公表することの是非が最大の問題である。
 これはあくまでも参考までに申し上げるのであるが,きょうは御承知のとおり既に報道機関の取材を許して審議を進めているわけである。したがって,この報告の結果は,世間に自動的に報道される。つまり,ほうっておいても,世間はこれに対して関心を持ち,いろいろ意見をもつことになるだろうと思う。

古賀副会長

 そういう意見はむしろ歓迎すべきでもあるから,この際,必要な方面に積極的に意見を求めて,改善すべきところは改善していくという心構えでやってはどうかというのが部会の考え方ではないかと思う。その期間,柴田,大野両委員の御意見もじゅうぶん参考にされ,仕上げをすることができるのではないか。
 両部会とも,今回の案がりっぱなもので文句のないものだといっているわけではなくて,あくまでも中間的な試案だと説明しておられる。これを世間に公表して,その反応を参考にして,さらにりっぱなものにしたいと説明しておられる。決してこの案をこのまま最終的なものとしたいという考えではないことははっきりしている。
 ともかく,総会を15〜20分間中止し,念のため,かな部会で御相談願うということはどうか。

大和委員

 大野委員から試案として出すならば手続き上明確にしたものを出せという御意見があったが,その手続き上の明確というのは,具体的にどういうことなのか。

三樹委員

 総会を中止して,かな部会で相談するのもよいが,そのまえに,かな部会でも既にそのことについてじゅうぶん考慮し,一つの意見がまとまっているので,かな部会長からそのことをお述べになってはどうか。

佐々木かな部会長

 最終の処置は総会が決めることだから,それに従うものの,そのまえに,先ほどの大野委員の発言に関して一つ申し上げておきたい。
 きょうの「改定送りがなのつけ方(案)」は,かな部会の一部の委員しか,知らないものであるというような発言があったが,これは5月8日の合同会議以後に開いた5月18目のかな部会で審議した結果であることをはっきり申し上げておきたい。前回の合同部会以後,予定としては部会の開催はなかったが,部会長として部会を開く必要があると考えて手続きをとった。
 問題にしたのは三つある。一つはかな部会の植松委員からの修正意見,二つは,合同会議で問題になった柴田委員の23か条にわたる修正意見,これは柴田委員は合同会議の席上廃棄すると言われたが,かな部会としてはずいぶん傾聴すべき点もあるというので,できることなら柴田委員と連絡して部会で取り上げたいということであった。
 いま一つは,大野委員の意見である。これは残念ながら抽象論であったが,しかしともかくもこれらは大きな問題であるので,各委員のつごうのよい日を選び,場合によっては関係者の出席を求めてということで,5月18日にかな部会を開いたのである。この部会で検討するにあたって,大野委員からは書類をいただいた。
 また,柴田委員の修正意見は,廃棄するということではあったが,たまたまかな部会の「前文」を起草した熊沢委員が,その点を考慮に入れた修正意見をまとめられた。それに基づいて検討の結果,部会の決定をしたのである。いちおう,そういう手続きをとったことを部会長としての立場上申し上げておく必要がある。したがって,今回の案は,かな部会の一部の委員しか知らないということはない。
 次に,ただいまの提案であるが,かな部会では,総会に臨むにあたってどういう考えであったかということを申し上げる。
 一つは,「当用漢字改定音訓表(案)」についてである。かな部会で一度も取り上げて論議したことはなかったが,個人的には,相当御意見のあるかたもあるようで,適当なおりに意見を述べたいということであった。
 二つは,「改定送りがなのつけ方(案)」の取り扱い方についてである。これは部会の試案であって,いちおうの案である。とにかく送りがなというものはわれわれ学者だけのものではない,一般人に最も関係の深いものだけに,積極的に世間にさらして意見を求めたい,そしてその意見によっては,さらに,部会を開いて検討したい,今期に不可能であれば,次期にこれを一任しようではないかということであった。
 それに,きょうの総会で,この「改定送りがなのつけ方(案)」に対していろいろ意見があれば,それを伺って,また,発言の時間がなければ文書ででも意見をいただいて,それらをかな部会長のわたしが正式に次期に申し送る,そして世間のいろいろな意見といっしょにあらためて次期で審議していただくようにしようというのが,けさのかな部会の一致した意見であった。
 したがってかな部会としては,これをいちおうのまとまった案として世間にさらしたい,あとは内外の批評を喜んで受け取って,次期の審議会に譲り,そこでじゅうぶんに検討してもらって最終案にもっていきたいという考えである。
 部会を開くこと37回,小委員会,起草委員会を開くこと12回,計49回の会合を重ねた。かな部会にも国語学,言語学,それにジャーナリスト等,それぞれ専門のかたもおられて,一生懸命ここまでまとめあげたものである。いろいろ御批評いただくのは自由であるが,これだけのことは部会をあずかるわたくしとして総会の席ではっきりと申し上げて御理解いただきたいことである。

木内委員

 先ほどの,いったん総会を中止してはという副会長の提案は,ただいまのかな部会長のお話で,もう必要はないように思われるかどうか。

古賀副会長

 わたくしもただいまのお話を伺ってその必要はないと思う。

木内委員

 わたしは専門家でもなく,両部会の委員でもないので詳しいことはわからない。ただ,いま,かな部会ばかりが問題になっているものの,わたしのようなしろうとからみても漢字部会の案に関しても,特に「前文」は,かなり申し上げたいことがあるように思う。しかし両部会から一つの案が出たことで,音訓表の問題,送りがなの問題が国民としてはじめて論議することができるようになったと思う。そういう意味では,ぜひ,この両案をすぐに試案として出していただきたい。それが当然の処理であり,国民もそれを待っていると思う。
 それに,われわれの仕事は音訓表と送りがなの二つの問題だけでなく,まだ字種の問題等その他多く残っている。もし,今回,これを試案として出さなければ,今後試案が出るのにまた1年近く延びることになろう。今回の案にどれくらいの欠点があるかは知らないが,それは各々の意見であって,欠点があるならあるで試案として世に問うのであって,国語審議会の内部でいかに練ったところで国民がそのまま納得してくれる案はできないと思う。わたしは非常に強い意味で,ぜひこの総会で試案として出していただきたいと思う。

西尾委員

 ただいまの御意見も,ごもっともと思う。しかし,先ほど申し上げたように,もし,建設的に協力するというかたがあれば,かな部会長にそういう機会を与えてもらって検討し直す,そうすれば審議会内部の一致した試案というものにも達するし,社会に問うにもいたるであろう,それは1年近くもかかるものではなくて,ここでわずかな時間をさけば可能なことであるから,そういうお手数をかな部会長にとっていただけないかというのがわたしの提案である。
 次に,もう一つ,なぜ,送りがなについてわたしがこういうことを申し上げるかについて述べたい。これは漢字部会の案に対して意見がある,それならかな部会の案に対しても意見があるといったようなことではけっしてない。
 もともと,この送りがなの問題を取り上げるときに,国語学の先覚者新村出氏は,そのときの国語審議会会長に対して「送りがなを取り上げるな。あれは命取りだ。採決はできない。」と警告されたことを知っている。つまり,非常に困難な問題だから,社会的にそういう奥底の知れない問題だから,できるだけ審議会としては慎重を尽くすべきであり,そしてその最後のところで,積極的に建設的に協力するというかたがあるなら,ここでかな部会長と懇談していただきたい。そうすればよりいい案になるだろうし,またそれだけのわれわれの良心と配慮は,当然必要なことではないかと思うわけである。
 ただ社会に対して,ここでなにかを出さなければならないということでやろうとする,その責任者の気持ちもよくわかるが,やはり,この問題は慎重のうえにも慎重を期するというのが,われわれの当然の責任ではないかと思う。

古賀副会長

 西尾委員の発言に関連して,わたしの承知している範囲内のことを参考までに申し上げたい。先ほどの柴田,大野両委員とも建設的な意見として熱心にお話しいただいていることはじゅうぶんに了解しているところである。
 しかしかな部会でも,そのことをじゅうぶん御理解のうえで,両委員の意見を参考にして今回の案をおまとめになったもので,けっして,両委員の意見を,いわば無視して作成したものでないことを,かな部会に関係のないかたがたも御了解くださる必要があると思う。

大野委員

 先ほど,手続き上と申し上げたのはこういうことである。「当用漢字改定音訓表(案)」の「前文」が国語審議会の委員全体に最初に配られたのは,3月13日の第1回の合同会議の席上である。その後,それを修正すること実に数度,ようやく今回のものにまとめあげたのである。
 これには,まだいろいろ問題点もあるし,御意見のあるのも当然だとは思うが,まあ漢字部会としては,ほぼこれでもって国民に問うてもよい段階に達したのではないかというふうに考えたわけである。
 また,漢字部会としては,部会外の委員に対しても音訓表とかその他についていろいろ意見を伺うようにはかってきたつもりである。それに対していままで御意見はなかった。
 ところが「改定送りがなのつけ方(案)」は,5月8日の第3回合同会議で案が出たが,それと今回の案とがどれだけ変わっているかということは,ごらんいただけばおわかりになるだろうと思う。
 5月8日の案は,わたしどもも,単にこの点がよくないというだけではなく,こういうようにしたほうがよいという形でいろいろ申し上げたのであるが,きょうの案をみれば,先ほども指摘したように送りすぎにならないようにするといった非常に重要な問題がなんの説明もなしに省かれていたりするのである。
 これがそのまま総会を通過してしまうのは困る。内外の意見を問うという場合には,まず内の意見をよくきいて,われわれとしてこの案でよいであろうというところへきたとき,「われわれとしてはこう考えるが,これを国民に御批評願いたい。」というのが国民に対する礼儀であろうと思う。そういうことが,わたしのいう手続き上のことである。

佐々木かな部会長

 漢字部会では細かくやっているが,かな部会ではなにもしていないというような印象に受け取られると困るので説明しておきたい。
 「改定送りがなのつけ方(案)」は,既に第1回か第2回の合同会議で発表し,各委員から御意見をいただき,その意見をもとにして部会で検討した。「前文」についても,5月8日の合同会議に突如として提出したものではなく,事前にお送りしたはずである。それだからこそ柴田委員の23か条にわたる修正意見も出ることになったものである。
 なお,送りすぎの問題については,前回も大野委員の質問に答えて,読みまちがえるおそれのないときは送りがなの一部を省くことができるというのが今回の案であると申し上げた。また,この批判は,「通則2」の場合だと思うが,これについては途中の段階でいろいろの意見も出た。しかし結局は,いろいろ批判はあるが,問題は新しく送りがなを制定するのならば話は楽であるが,ともかく昭和34年に制定された「送りがなのつけ方」が,相当,慣習として定着している今日,やはりそれは尊重しなければならない。
 しかしながら,精神は「前文」の最後で述べているように,送りすぎにならないようにということを許容のところで出しているのである。この点が現行のものと著しく違う点であろう。許容が多いということは弾力性をもたせて各分野ごとに幅をもたせた取り扱いができるということである。現行のものを尊重しながらということになると,どうしてもこのようにしないわけにいかなかった。

佐々木かな部会長

 今回のような分類のしかたでは,学問的にはさまざまな意見もあろうが,このほうが一般の人にもわかりやすいであろうということで,こうなったものである。それから西尾委員の提案についてであるが,われわれの任期は6月9日までである。はたしてあと2週間程度で結論を得ることができるかどうかとなると,その期待にそいかねると申すよりほかはない。

古賀副会長

 ただいままで各委員から御意見を承った結果,わたしの判断では,柴田,大野両委員のように,世間の意見を問うことは時期がまだ早いから控えるべきだという意見と,かな部会長の部会の意向を代表した意見とは,どちらとも決着がつかないように思う。
 こうなっては,先ほどの試みの案として世間に公表してはという会長堤案を多数決でもって決するよりしようがないと思われる。いかがか。

遠藤委員

 試案として出すことに賛成する。わたし自身,かな部会の所属であるが,別に2年間の審議の責任を全うしたいという意味で賛成するのではない。
 送りがなには二つの機能がある。一つは,活用語尾を明らかにするという機能であり,もう一つは,漢字の読みを助けるという機能である。この活用語尾を明らかにするという機能のほうは理論的にいろいろ検討することができるが,もう一つの機能の漢字の読みを助けるということになると,これは国民一般の漢字に対する理解と非常に相関関係にある。
 極端にいえば,漢字ばかりで書いて送りがながなくてもよいという考え方も成り立つわけである。そしてこの読みを助ける送りがなをどこで切るかは,なかなか少数の,それも,どんなに偉い国語学者が検討しても,そう急には決着のつかない問題である。
 こういう意味では,今回の案が不備であっても,一般国民に公表して,意見をまとめ,いったい漢字の読みを助ける機能はどういうところに置いたらよいのかということを知りたいと思う。

吉国委員

 会議の基本原則として多数決原理を用いることもけっこうであるが,試案として公表するか,それともしないかという二つきりではなく,試案として公表するについても,いろいろ公表のしかたがあろうと思う。たとえば,国語審議会の内部でもいろいろ異論がある。
 そこでいろいろ外部の意見も取り入れて,次期で最終的なまとめを行ないたい,というような意味のことを添えて発表するということも考えられるであろう。単に,試案として公表するかどうかということだけで決をとるのではなく,そういう点についても御検討願ってはどうか。

長岡委員

 かな部会の委員は,部会長をはじめその責任において「改定送りがなのつけ方(案)」をおまとめになったのであるから,この際,試案として公表されることに賛成したい。

熊沢委員

 先ほど柴田委員から建設的な御意見があったが,それ以前にもしばしばかな部会に対して御意見を寄せられたわけである。一つは,5月8日の合同会議に提出された修正意見である。これは柴田委員自身が廃棄を申し渡された以上,それをかな部会で取り上げるのは礼を失するし,また,筋も通らないということで,実は廃棄の御希望を尊重したわけである。
 しかし,その中には,非常に建設的な御意見もあったので,わたしが個人的に柴田委員とひざを交えてお話を伺い,そして取り入れるべき点は大いに取り上げて,わたしの修正案ということで部会の審議にかけたのである。ただきょう,柴田委員から指摘のあった点は,部会としてもいろいろな理由があって取り上げることはできなかった。しかしその他についてはずいぶん取り上げて修正したわけである。
 それも部会で2回にわたって検討し,審議を尽くしたうえで,きょうのような案ができたわけである。
 西尾委員から建設的に御協力くださるかたがあれば,そういうかたがたを交えてもう一度練り直してはどうかという提案もあったが,そういうことは,既にじゅうぶんでないにせよ,実行したのである。
 しかしどうしても柴田,大野両委員の御意見を全面的に取り上げることは,部会では不可能であった。特に,送りがなのような学問的に割り切れない問題は,国民に便利なように,また簡便に理解のできるようにという配慮をすると,どうしても論理的に一貫しないような面が出てくるのはやむを得ないことである。
 これが万全だという案は,どの段階にいたっても出ない性質のものだと思う。だから,この際,この案は,かな部会としてまとめた委員の意見の一致したものであるから,総会でお取り上げいただいて世間に公表していただきたいと思う。

李家委員

 両部会の案ともに,まことに真剣な討議の末に部会長が責任をもってまとめられた以上,この総会での取り扱いは木内委員の説に賛成する。特に,発表文をつけるという吉国委員の提案にも賛成である。

古賀副会長

 では,これまでの御意見を総合して,まず,両部会の案を試案として世間に公表することの賛否を,多数決でもって決めてもよいかどうか ということから決めたい。そのうえで,よいということになれば賛否の数を調べ,さらに公表するということになれば,これに発表文をつけるかどうか,つけるとすればどの程度のものにするかといった順序で運んでいきたいと思う。いかがか。

大野委員

 副会長に申し上げたい。今回の「当用漢字改定音訓表(案)」と「改定送りがなのつけ方(案)」とが,これほどまでに混乱した状態にいたったことの原因の一つは,常に,漢字とかなとを並べて取り扱おうとするところにあったと思う。
 もともと,送りがなは音訓に従って決めるものであるから,音訓が決まらなければ送りがなは決められないものである。おのずからそこには決めていく順序があるにもかかわらず,これを常にいっしょに取り扱おうとしたところに問題があった。
 それに多くの案を限られた時間で議論するものだから,話が行き違ったりして,お互いが気まずくなったりするようなことが起こる。表決する場合も両案を分けてしていただきたいと思う。

古賀副会長

 理論的には大野委員の説のとおりかもしれないが,できれば,この総会でやはりいっしょに取り扱えるようにしたいという念願のもとに,かな部会でも非常に努力してきたのであるから,この点,もうかな部会長が説明されるまでもないと思う。
 なお,両案については個別に賛否を問うてほしいということであるが,それも一つの方法だろうと思う。

柴田委員

 賛否を問うというのは,賛成の意見と反対の意見があるときのやむを得ない方法だと思うが,音訓表は,世間に出すことについて反対意見は出ていない。だから会長の提案どおり,このまま通るものではないか。もしそれが反対ならば,その御意見を伺ったうえで決をとることになるのではないか思う。
 なお,先ほどの大野委員の発言に付け加えて申し上げると,昭和21年以来,同時に二つ以上の案を出すということは,これまでになかったことである。もっとも,「当用漢字別表」というのは,事がらの性質上他のものと同時に出たようであるが,今回のように。同時に二つの案を出すということは,まだまだ無理なことであったと思う。それが関係者の努力で,とにかくここまで一つのまとまりをみせたということであろう。
 最後に,表決をとる場合には,あらかじめ国語審議会令の表決に関する規則を説明していただきたい。

西原委員

 さきほどの大野委員の発言には,賛成であるが,漢字部会とかな部会とが,最近になって,それも総会の段階になって互いに批判,論議しあうというようなことは,もはや,これは総会ではない。そういうことは合同会議でやることである。わたしは第1回の合同会議で,改定音訓表(案)の説明を受けてその案に対するわたしの意見を文書にして提出してあり,それがかなり取り入れられているように思っている。
 しかしその合同会議の運営にも問題がないわけではなかったが,もともとは漢字とかなという部会の分け方自体が論理的でなかった。
 きょうは,かな部会のほうがだいぶ旗色が悪いようだけれども,世間に公表すれば,どちらがどうなるかそれはわからないことである。
 総体としては,たしかに音訓が決まってから送りがなを決めるのが本筋である。それを同時にやろうとするのはおかしいし,また二つを同時に発表しようとすれば意見のくいちがいが生じるのも当然である。しかし,その意見の相違の議論は総会ですべきではなく合同会議でやるべきものである。
 総会の席でいっぽうが高い声を上げればなにかしているようで,他はあたかもばかのように聞こえる,これはもはや総会ではない。したがって結論的には木内委員の説に全面的に賛成である。会長提案どおり両部会の試案として世に問うことによって総会を終了したい。

森戸委員

 両部会の相互の意見の相違は合同会議等で了解するように努め,総会ではできるだけ,細かい議論は避けるということを期待していたのであろうと思う。いろいろ論理的な問題もあるが二つの部会が作られて,それぞれ両部会が並行的に審議を進めてきて今日に至ったのであるから,どちらが先で,どちらがあとであるかというような議論は適当ではないと思う。
 いろいろ議論はあろうが,これはひとつごしんぼう願って,最後の段階であるから,総会では表決をとらずに,試案としては,それぞれの部会が検討して部会の意見として出たのであるから,総会は,満場一致で了承するということで有終の美を飾ってはどうか。

古賀副会長

 森戸委員から貴重なお話をいただいて感謝している。この際,大野,柴田,西尾の各委員にも,重々,そのお気持ちはわかるが,ひとつごしんぼう願って,この総会としては,両部会の案をそれぞれ試案として世間に公表することに御賛成願いたいと思う。投票という悪例を残さずに,御賛成願えればたいへんしあわせである。いかがか。(「賛成」の発言多数。)

大野委員

 絶対多数で決まったとおっしやることは随意であるが,どうか満場一致で決定したとは言わないでほしい。

古賀副会長

 一部にそういう御意見があったということは記録しておく。

柴田委員

 その意見が3名であったということもやめてほしい。発言者は,たしかに3名かもしれないが,もし表決をとれば決して3票だけではない。何票かわからないが,ともかく全会一致でなかったということだけは明記しておいていただきたい。

古賀副会長

 承知した,では,そういうことで委員の多数の了承を得て,両部会の御希望どおりに試案として世間に公表することに決定したとする。
 これで今期の最終総会を閉会する。

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