国語施策・日本語教育

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次第 総会の運営のしかた/前文について補足説明

前田会長

 審議を始めるにあたって,総会の運営のしかたについて少し説明しておきたい。
 今回は音訓表に限って審議するわけであるが,漢字部会では試案公表以来じゅうぶん審議を尽くしてこのような結論に達したものであるから,できれば今回の総会で最終的な審議としたい。しかし,きょうの総会で問題が出れば,次回の総会でさらに御審議願えるものとして総会を運営していきたい。この方針は11月25日の運営委員会でも確認した。
 なお,この音訓表と「改定送りがなのつけ方(案)」がいっしょにまとまればそれにこしたことはないが,かねて御承知のように,これらを別々の総会でじゅうぶんに審議するということになっているので,一応お断わりしておきたい。「改定送りがなのつけ方(案)」は,12月10日に説明会を開いたが,総会はできれば1月ないし2月に開いて,そこで最終の審議をしたいと考えている。

岩淵漢字部会長

 少し前文について補足説明する。この前文のいちばん大きな特徴は,音訓を,漢字に即してというより文章を書く場合の漢字の使い方という観点から選んだということであろう。また「目安」については,試案の書き方でははっきりしないという意見があったので,今回は「目安」の意味を明らかにするようにかなり書き直した。この音訓表の適用範囲は一般の公共生活で使うものということであって,個人の私生活などにまで及ぼそうとするものではないと考えた。ここで「公共生活」というのは,具体的には法令,公用文書,新聞,雑誌および放送などの公共的な性格の強いものを考えた。
 それから,これも試案のときと同じであるが,今回の音訓は,現代語を書くためのものであるから,過去の文献を読むための音訓というようなものを特別に考えていない。
 次に,現行のものと比較すると,現行の音訓表は御存じのように代表的な訓を取り上げ,自他の対応関係や派生関係にあるものはだいたい認めるとか,あるいは動詞として掲げたものは形容詞としても使えるというように一括的な取り決めをしているが,今回の音訓表ではその類は疑義が起こらないように親切に一つ一つ出したようがよいということで,かなり詳しい掲げ方がしてある。したがって,音訓の数をどのように数えるかはむずかしい問題であるが,事務当局のほうで数えてもらったところ,新しく実質的に増加したのは357,このほか熟字訓など付表に掲げたものが106語ある。この中で一つ一つの音訓の問題や審議については,ことばはかなり具体的なものであるし,個人個人の生活や経験が違っていることもあって,いろいろな意見が出てきた。一応先ほど述べたような音訓の選定方針は立てたが,きちっと決めることのできない場合も少なくなかった。ある人が妥当と認めてもほかの人はそうでないと判断することもある。また,かりに,ひとりの人間が全部の音訓を取捨選択したとしても,中にはどちらか迷うものもあるというように,音訓の選定は非常に微妙なものである。
 今回の音訓表は現行の音訓表と違って,これ以外のものは使えないというような性格ではない。「目安」ということで掲げたもので,これ以外のものでも使えるし,またここに掲げたものでもある程度までは内輪に使うことも考えられる。あるいは場合に応じて使い方を変えるということも当然あるだろうと考えた。そういうことで,非常に微妙でむずかしいことではあるが,合議の上で漢字部会としては,お手もとにお配りしたような音訓表に落ち着いたわけである。
 なお,音訓の中には相当長い時間をかけて議論したものがある。たとえば「はぐくむ」であるが,「育」という漢字に「はぐくむ」という訓をつけておくべきだという意見と,その必要はないという意見とがあった。「はぐくむ」は,万葉時代にも使われた古語ではあるが,今でも生きている。しかしこれはほかの音訓に比べると多少古風であり,このことばと「育」という漢字の結びつきを考えると,かつてはそれがあったとしても,現代ではそれほどではないだろうという意見が多く,結局取り上げないこととした。もっともこれを審議するにあたっては,主席した委員だけで決めるということはせず,欠席した委員にも「はぐくむ」に関するいろいろな資料を送って意見を聞き,その結果に基づいてわたしの責任でこれを取り上げないこととしたのである。それはかなり多数の委員が「育」という漢字と「はぐくむ」という訓とを結びつけなくてもいいという御判断であったと受け取ったからである。もちろん,このことは「はぐくむ」ということばを使うことを制限するなどと考えているのではない。こういうわけで,「育」には「はぐくむ」という訓はついていない。これは一つの例であるが,このほかにもいろいろ議論のあったものが少なくなかったがだいたいこの案にまとまった。

岩淵漢字部会長

 しかし,前文にもあるように,ここに取り上げなかったからといって,その訓の使用を制限するとか禁止するとかいうことでは決してないのであって,かなり幅のあるものである。意見の中で極端なものとしては,音訓表などは作らなくてもいいのではないかというものもあったが,われわれが文章を書く場合にやはり何らかの目安があったほうがよいと考え,われわれのたよりにするものというようなことでこの表ができたわけである。
 このほかに多くの議論があった問題は異字同訓である。今回はとくに慣用として広く行なわれているものは取り上げるという方針で検討した。たとえば,前文の〔音訓の選定の方針〕の「6」に例が載っている「まるい」に対して「丸」と「円」の両方を取り上げたが,この両者を厳密に理屈を立てて書き分けることはむずかしいかもしれない。それは言語が習慣とか歴史の上に成り立っているからで,異字同訓の使い分けは,合理的にきちんと決めることのできないものがあると思う。
 なお,慣用として広く行なわれていることから取り上げた類には,「開」の「あく」などがある。この「開」を「あく」と読むことは試案では取り上げなかったが,これは広く行なわれているし,「開」を「ひらく」と読むことと「あく」と読むことは文脈や場合によってだいたい区別がつくであろうということで今回取り上げた。
 異字同訓のための参考資料として,「『異字同訓』の漢字の用法」をまとめたが,これはこの表のまえがきに,

(1) 「同音で意味の近い語が,漢字で書かれる場合,その慣用上の使い分けのだいたいを,用例で示したものである。」とあるように異字同訓の慣用上の使い分けのだいたいを典型的な用例で示したものである。
(2) 「その意味を表わすのに,二つ以上の漢字のどちらを使うかが一定せず,どちらを用いてもよい場合がある。また,一方の漢字が広く一般的に用いられるのに対して,他方の漢字はある限られた範囲にしか使われないものもある。」これは,異字同訓には従来の習慣でもどちらを使うかはっきりしていないものもあり,また,たとえば,「みる」の場合のように,一般には,「見る」がかなり広く使われているのに対して,今回取り上げた「診る」のように,「病人を診る。」など非常に限定した使い方しかしないものもあるということである。これについてある委員からは,一方は汎(はん)用であって,一方はそうではないというような区別をしるしてはどうかという意見も出ていたが,実際問題としてこのような区別のむずかしいものもあるのでそうしなかった。
(3) 「その意味を表わすのに,適切な漢字のない場合,または漢字で書くことが適切でない場合がある。このときは当然かなで書くことになる。」これはことばによっては現行の当用漢字では書けないものがあり,それは今までもかなで書いていたが,これからもこの当用漢字が改定されない限りかなで書くことになること,および,表内の漢字であっても場合によってはかなで書いたほうがいいこともあるということである。

 次に付表であるが,ここには慣用として広く用いられる熟字訓などを中心にして取り上げた。この中には今まであて字であるとして排撃されていたものを入れたが,ここに掲げたものは,慣用がありいちおう現代の文章を書く場合には必要であろうと考えたものである。
 次に本表について少し具体的に説明しておきたい。たとえば本表の12ページに「ガイ(街)」を掲げ,その用例として「街頭」,「市街」があるが,このほかに「カイ(街)」として「街道」が掲げてある。「カイ」は「街道」しか考えられない。このような特別なものは,試案では備考欄に入れたりしていたが,今回はなるべく音訓欄に入れたほうがよいということでそうしてある。もっともこの類のものは,非常に限定された場合にしか使わないということで,だいたい1字下げて示してある。
 以上でわたしの説明を終えるが,さらに詳しいことは御意見があるたびに申し上げたい。

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