国語施策・日本語教育

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次第 まとめ

佐藤委員

 わたしの答えられる限りで申し上げると,まず,例外の考え方がすでに問題である。いわゆる例外を基本に考えれば,それは例外とはいえないわけで,あるなにかを本則として考えた場合に,それでないものが例外だということになると思う。「単独の語」のような場合には,だいたい本則を立て,本則に合わないものを例外とするということであるが,もっともこれを押し進めていうと,たとえば,通則1に対して通則2は例外だということにもなるわけで,本則と例外との関係はかなり相対的なものだということができると思う。それが「例外」の一般的な考え方だということができると思う。そうして,初めに,第8期以来からの考え方では活用語尾を送るということをいちばん重要な原則として考え,それだけでは処理できないものを,あるいは例外とし,あるいは許容とするという考え方になってきたのである。
 「複合の語」は「単独の語」に比べてみた場合には,また「複合の語」が「単独の語」の例外のような点があるので,「複合の語」の場合は「単独の語」の原則をそのまま応用できる場合もあるし,それから,やはり「単独の語」とは違った取り扱いをしなければならないところに,いろいろな段階的な違いがある。通則の立て方の方針として,これもちょうどお話があったように,なるべく簡明な法則にまとめたいということが一つの大きな方針でもあったので,「複合の語」についても同様な態度で臨んできたわけである。
 そういうわけで,内容の説明をすれば,例外,許容について「単独の語」の場合とは同じようにいかないので,それについては例外の取り扱い方,あるいは許容の取り扱い方について特別の扱い方をする。そしてその内容は,「許容」の場合は「単独の語」で許容にしたものは,「複合の語」でもそのまま許容になる。そのほかに「複合の語」に特有の許容があるのである。それをいちいち区別することになると,それはこんどの通則の立て方が煩雑なことになる。
 それから例外は例外として,「単独の語」と同じように,通則6の例外とするのなら,「単独の語」の掲げ方と同じようになって,そのへんは一見してわかりやすいわけである。しかし,実際にあたってみると,どうも単に例外としては,すなわち,ほかの場合の例外のようには取り扱えないような面がどうしても出てくる。そしてまた,これは表面には出ていないが,審議の過程で問題になったことは,たとえば,「単独の語」の場合,通則3の名詞の場合には送りがなをつけない,そういう原則でこれを「複合の語」にあてはめてみると,「複合の語」の名詞は,やはり名詞であるから送りがなをつけないとする考えもあるわけである。そういうことについてもいろいろ話し合ったのであるが,この点からいうと,むしろ通則7は単なる例外ではなくて本則とすべきではないか,というふうな考え方も出てくるわけである。
 活用語尾を送るということを,いちばん基本的な原則として押していった場合に,名詞の場合にはそれに対して例外だということにもなるが,通則6と7とを考えた場合に,基本的な方針からいうと,やはり,通則6が全体としては原則になる。それに比べれば通則7は例外にあたるので,その考え方を示したのである。場合によっては通則7を本則と立てる考え方もあるが,全体の体系,系統を考えると,やはり,通則7は通則6に対しては例外にあたる,という取り扱いになるので,その全体の流れを前文の中では説明し,そして実際に合うように通則の立て方としては通則7を立てることとした。そして通則6に対していえば例外にあたるわけであるから,この場合,小委員会の意見のようにここには例外と書くべきではないかということも考えられるわけであるが,通則はそれぞれに独立したものになるのに,ここは例外ということになると,実際に使う場合に混乱が生じることも考えられるので,ここは別に本則とか例外とかにはこだわらない。ただ通則6を基準にして考えた場合には,通則7は例外の関係になるのだということを前文で示したわけである。

大野委員

 送りがなの問題について森戸委員のようなお考えは,たぶんたくさんのかたがたがお持ちのことと思う。会議体としてもう6年もやったのだから適当なところでまとめたほうがよいと思うという御判断は当然出る意見だと思う。しかし,国語は流動するものであるから,数年たったらまた問題にしたらよいではないかというお考えは,わたしは賛成いたしかねるということをここで申し上げたい。というのは,結局,こういう送りがなの問題をこうやってやかましくいろいろどう送るか,というふうなことをあれこれ考えているが,読むときに読めないというようなことは実は起こらないのである。これは,実際に正しく書くのにはどうすれば正しく書けるのか,また,自分は正しい書き方をしているか,していないかということに心を配ったときに問題になってくるものである。
 それからもう一つ,この送りがな,それと,かなづかいを問題にするのは,ことばを目で見た形で安定させたいという要求がわれわれにあるからである。目で見た形が一定しているということは,つまり,それによって一つのことばだということで安心して早く読めるということである。
 ことばは流動するという発言であるが,語意は確かに流動する。それから意味も場合によって流動する。しかし,表記というものは比較的安定させることができるものである。だから,かなづかいは何百年にわたって守られ,ことばの発音が変わってしまっても,かなづかいを守るということがあったわけである。そういうことを考えたときに,われわれは何年かたったら,これはどうせ流動するのだから,また変えたらいいではないかという考えはこの送りがなの問題には適当でないとわたしは思う。ことに,たとえば,今度の改定送りがなのつけ方,つまり,送りがなそのものを改定すること自体について,もうそんなに変えないでほしい,変えることはともかく反対だ,という意見が,試案が発表されたときにもたくさんあったことを知っている。これは自分としては多少変に思っても,覚えるために目で見た形を安定させて,ことばを認識していきたいということであろう。そういうふうに考えていったときに,もう6年もやったんだから適当にもうこのへんで結論を出し,また,何年かたったら再び改めよう,という考えにわたしは賛成できないのである。ことに学校教育では,これを適当に配慮して使ってほしいと書いてあるが,これが公になるとまた教科書に響いてくる。そして生徒はテストのとき,○になった,×になった,で何点とったということになってくる。そういうことを考えたときに影響するところが非常に大きいのである。だからわたしはここで,急いでこういうことをすべきではない,ということを言っているのである。
 もう申し上げるつもりはなかったが,ただ,先ほどの発言は基本的は問題に触れていると思うので,意見を申し上げたのである。

前田会長

 このへんで,わたしはお許しをいただき,まあ,すもうでいえば,この問題を仕切らせていただきたいと考える。ただいままでの御熱心な議論,それからまたそれに対する佐々木部会長,あるいは佐藤委員の御説明を伺って,わたしは大野委員の根本的考え方と,今回の取り扱い方には,それほど深い,乗り越えられないみぞがあるとは,実は感じなかった。すべて御発言の趣旨を考え合わせながら,全体としてこういう方向に答申案をつくったという意味に御理解いただけるならば,わたしとしてもまことに幸いだと考えている。ただ国語の問題は日本での根本的な問題であるから,ただいまのいろいろな御発言については,記録に残して将来の参考に資したいと考えている。そういう意味では,わたしとしては賛否の投票というような方法でこの問題を仕切りたいとは思っていない。
 そのへんも御理解をいただきたい。大野委員をはじめ,いろいろの方からいただいた御意見は将来への示唆になるものと思う。わたしとしては,この案を総会としての最終答申の原案としたいと考えているが御賛同いただけるか。
 (賛成。)

前田会長

 それではそのように決定する。
 これと関連して漢字部会から,昨年12月20日の総会で決定した「当用漢字改定音訓表」の(案)について,その前文中の適用範囲に関する記述についての修正を岩淵漢字部会長から御提案になっているので,岩淵部会長から御説明を願いたいと思う。

岩淵漢字部会長

 お手もとに資料がある。左側が前回の12月の総会で審議していただいたものであるが,それに対して,先ほどかな部会長からお話があったようなことで,ある程度修正したほうがいいという考え方で右側のような修正文をつくった。このいきさつは改めて申し上げるまでもないと思うが,12月の総会の段階では前文は,送りがなと音訓とではある程度性質が違っているので,それぞれ違っていてもよいであろうということに,いちおう,落ち着いた。これは漢字部会をかな部会の協議会で話し合いをした結果である。ところがその後,できるならばやはり共通の部分は表現を同じにしたほうがよいという意見が出てきた。これはかな部会でもそういう意見があったようであるが,ことにこの前のかな部会の説明会でそういう御意見が出席委員から出て,どう調整するか,どういう語句にするかは,両部会長に一任するというお話があった。そこで両部会長で話し合った結果,だいたいこの修正案のようなことで折り合ったわけである。であるからこのように改めたのは,部会ではなくて国語審議会として答申する以上,できるだけ同じ言い回しにしたいということでまとめたわけであるので,それをお含みのうえで御覧いただきたいと思う。
 左側に「今回の改定音訓表は,一般の公共生活における,よい文章表現のための目安として設定された。」とある「公共生活」を「社会生活」に直したい。すなわち,「……一般の社会生活における,よい文章表現のための目安として設定された。」というふうになる。それからこの「公共生活」が適用の範囲にも出てくる。「ここにいう一般の公共生活における音訓使用とは……。」の「公共生活」を「一般の社会生活」に修正して,「ここにいう一般の社会生活における音訓使用とは,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など」とする。これは,前の「等」が多少文語的だということで,修正して「など」としたい。その次に「科学・技術・芸術をはじめとする……」を「科学・技術・芸術,その他の各種専門分野における」と直したのである。その下にまた「公共生活」が出ているが,これも「社会生活」に直したいと思う。そうすると左側の「義務教育における学習を終えた後,ある程度の社会生活または学校生活を経た人々を対象とする。」とある「社会生活」が紛らわしくなるので「実社会」に直したいと思う。この「実社会」ということばは多少問題があったが,これ以上の適当な語が考えられなかったので,「……ある程度実社会や学校での生活を経た人人を対象とする。」と修正したいと思う。
 修正案は以上のとおりである。それから音訓表の中で語列の配列などがじゅうぶん整っていない箇所がる。全体の統一をきちんとしたいと思うので,多少,順序を変えるが,その点もお許しいただきたいと思う。以上である。

前田会長

 ただいまの岩淵部会長の御説明に御賛同いただけるか。
 (賛成。)
 それでは決定いたしたいと思う。
 それで,今後の取り扱い方であるが,前回にも申し上げたが,この両案の最終答申は,表記をそれぞれの改定案によって修正したもので行ないたいと思う。そのための作業は両部会長と事務当局にお任せ願いたい。形を整える作業である。したがって,その作業を終えたあとで,次回の総会で文部大臣の御出席を願って正式に答申したいと思う。よろしくお願いする。
 それでは本日の総会はこれで閉会とする。

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