国語施策・日本語教育

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次第 協議〔その1〕

福島会長

 お手もとに差し上げたような資料を問題点整理委員会でおまとめ願った。したがって,この順序で本日の御審議を願ったらよろしかろうと考える。遠藤主査からもお話があったように,本日は少なくともこの1から4の(1)まで,すなわち,1の「漢字表は必要か。」という問題,2の「現行のように制限的なものとせず,改定音訓表・改定送り仮名の付け方のように,目安・よりどころとするか。」という問題,3の「現代の国語を書き表すためのものでよいか。」という問題,4の「適用分野をどうするか。」という問題のうち,(1)の「漢字表を適用する分野は,改定音訓表・改定送り仮名の付け方のように「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など,一般の社会生活」という形でよいか。」,そこまで本日御審議を願えたらと思っている。そこから先の問題は主として専門用語,学校教育との関連,その他ということになるので,次回に譲りたい。
 そこで,1の「漢字表は必要か。」という問題だが,アンケートによる26通の御意見に関する限り,漢字表が必要であるということに,ほぼ一致していると考えられる,という問題点整理委員会の判定である。御意見を提出されなかった委員もおいでになるわけであるが,必要かどうかということになれば,必要であろうということは恐らく大多数のお考えであろうかと思う。もし,そうであれば3や4など時間のかかりそうな問題を含んでいるようにも思うので,お差し支えなければ,反対の御意見,必要でないという御意見などあったら,集中的に反対の御意見を伺っておいたらどうかというような気がする。また,賛成である,漢字表は必要である,ということについては,特に発言の必要のある御意見もあるかとは思うが,大体においてそういう結論になるということであればよろしかろうというお取り計らいが願えないものかと思う。
 まず,1の漢字表は必要かという点について,私の希望としては,必要なしという御意見があれば先に承りたい。

遠藤問題点整理委員会主査

 資料整理の仕方だが先ほど申し上げなかったけれども各項目とも大多数の意見が初めに書いてあり,それに続いて,反対あるいは疑義を持っているという意見が書いてあるという形式をとっている。それは,委員の方から出た御意見に,なるべく反対の意見について議論した方が審議の進行が早いのではないかという御意見があったので,全部そのように整理したものである。

福島会長

 どうぞ御意見を。
 特に御意見がなければ,次の2に移りたいと思う。場合によっては,1にもどっての御意見も差し支えない。
 問題点整理委員会で整理していただいた2の問題点は,漢字表について「現行のように制限的なものとせず,改定音訓表・改定送り仮名の付け方のように,目安・よりどころとするか。」という点である。これもまた,アンケートに関する限りは,制限的なものとせず,改定音訓表・改定送り仮名の付け方のように,目安・よりどころとすべきものであるという意見が多いということである。それに加え,若干それとは違う六つの御意見がある。この問題も多数の傾向としては目安・よりどころとしたい,という御意見に重点があるように私としては思う。
 目安・よりどころの意義は何かについては,相当に定義の付け方も難しいと思うが,それはそれとして,今日のところは,審議を進めたい。目安・よりどころとは何ぞやという点は,いずれ答申が起案される段階で,この表現でよいか,あるいはもっと確実な表現があるかどうかを改めて相談したらよいのではないかと思う。差し支えなければ,余り深くせんさくしないでも,大方了解しているところで本日の審議を進めることができるのではないかと思う。
 これもまた,目安・よりどころということに反対であるという御意見から先に伺った方がよいように思うので,できたら,そのような心持ちで御発言いただきたい。

宇野委員

 今,福島会長のお話で,目安・よりどころという意味がはっきりしないということだが,私の意見は,漢字表というのは義務教育の教科書で使う文字についての基準(基準ということがいけなければ目安だが)を示すものとして必要だという考え方である。したがって,目安という言葉は非常に重要な意味がある。話が大変細かくなり恐縮だが,例えば教科書の検定,あるいは教科書を執筆する場合,目安というのがかなり強い拘束力をもってくるという考え方に立つと,つまり,この字は今度の漢字表の中にないから,使わないとか,使ってはよくないのだろうとか,あるいは仮名で書くとか,そういうふうになったのでは私は非常に遺憾であると考える。
 例えば,具体的にいうと,「英国」の「英」という字は当用漢字であり教育漢字に入っているが,これが今の小学校の子供の国語の教科書では,「英」という字を使った適当な熟語をうまく使えないものだから,「英一君が」というような人の名前として使って教えるというような例がある。そういう場合に,私ならば,例えば「英雄」とか,「俊英」はちょっと難しいが,「英雄豪傑」の「英雄」ぐらいは楽に使える字だと思う。そんなふうな言葉が,現在の段階では,漢字の学年別配当だとか,教育漢字の制限だとか,いろんなものに縛られて,非常な無理が起っているという実情を踏まえての私の考えである。
 したがって,目安ということに根本的に反対,絶対反対というほど強い反対ではないが,……本当の腹からいうと反対であるけれども(笑声)……それがかなり強い拘束力をもつというふうに委員の中では御理解になっている方があると思うので,もしそういうかなり強い拘束力をもっているというふうな考え方に立つとすると,私は目安では反対である。したがって,ここの目安・よりどころでよいかということに対しては異存がある。

福島会長

 目安というのかそこまで拘束力をもつのかどうか,その程度が,私も実は正直申して自信はないが,一応,目安という表現でお話し合いを願いながら,大体の輪郭,目安とは何かということもおのずから明らかになってくるように思うので,取りあえず余りせんさくせずに,更に御発言を求めた方がよろしかろうと思う。
 ただ今の宇野委員の御発言に関連してでも,あるいは目安・よりどころにするかしないかという問題についてでも,どうぞ御発言をいただきたい。

岡村委員

 私も目安・よりどころという言葉は何か少し気にかかるが,それよりも「基準(標準)」の方がよくないかという御提案があるので,目安・よりどころという場合と基準という場合との違いは一体何か,どういうふうに説明されるのか。もし同じようなものだったら,私は「基準」というふうにいうべきだと思う。そこの違い方は何か,どういうふうに考えられるか,ちょっと承りたい。

福島会長

 基準と申しても,それは基準であって違ってもよろしいというか,違うこともあるということを頭においての基準という御提案だろうと思う。本日,後から御審議を願う適用分野というところにも関係があるが,これを基準としてそれぞれの適用分野,例えば,新聞界では,自律的あるいは自発的にこれを基準にしてお考えなさいということになるのだろうと私は考えている。
 したがって,目安という表現もおおむねそれに近い意味をもつのであろうと思っているが,もし,基準という表現の内容が全く同じであれば,基準の方が分かりやすいかもしれないという気もする。私限りの感じであるから,引き続き皆さんの御発言に待ちたい。

岡村委員

 今,福島会長がおっしゃったように,余り違わないなら基準にした方がいいと,私も思う。目安というような言い方は,何だか腹がフラフラしており,言い訳がましいようなものの言い方のような気がする。大した違いはないのなら基準でいったらどうか,もう一遍申し上げる。

森岡委員

 3番目と一番下のあたりに私の意見を取り上げていただけたように思うが,目安とかよりどころという言葉に非常に抵抗を感じるのは,必ずそれに修飾語がつかなければおさまりがつかいということだろうと思う。つまり,書くための目安だとか,よい文章表現のためのよりどころは独立しない言葉のような感じがする。
 それからもう一つは,漢字表の性格に関係するが,一体漢字表とは何かというときに,やはり日本語における漢字の字母表でありたいという個人的な願いを持っている。そうすると,書くとか読むとか覚えるとかものを考えるとかいうふうなことに関係なしに,日本語の字母表であるというふうに考えると,目安とかよりどころというのは非常に実用的な,何々のための目安とか,何々のためのよりどころというふうになるので,やはり日本語における漢字の基準的な表であるというような性格の方がいいのではないかと思って,3番目のようなことを書かせていただいた。
 それから一番下の,音訓表と漢字表との性格はどう違うかということについては,音訓表の場合は,私は音訓表には反対であり,書くときの目安ぐらいになるのが当然だと思うけれども,漢字表は,そういう書くための目安だとか,読むための目安だとかいうふうな目的語をつけるような表とは,違った性格のものだと思う。こういう独立しない,何かそういう修飾語をつけなければいけない目安とかよりどころという言葉は避けた方がよいのではないかと考える。

福島会長

 この目安という表現は,音訓表の前文に使われている用語だが,従来の経緯もあって,目安という表現が使われたと承知している。
 従来の経緯をよく御存じの方として岩淵委員がおいでになるので,目安というのはどういうことでこういう表現が出てきたのか,恐縮だが教えていただきたい。

岩淵委員

 これは言葉の問題ではなくて考え方の問題である。第10期国語審議会の総会の席上で,ある委員から一応の基準というような考え方でいいのではないかという御発言があった。これは漢字表ではなく,もちろん音訓表のことだが,一応の基準というふうな考え方を言い表すものとして目安というぐらいの言葉が妥当ではないか,と考えたわけである。基準という言葉を使うことも確か意見が出たと思う。ところが,基準の場合には最低基準と最高基準と二つの使い方がある。基準という言葉を使っても,最高基準にとるか,最低基準にとるかによって分かれてくるので,それよりも目安とした方がよいだろうということになり,目安に落ち着いたと思う。よりどころについては,佐々木委員からお話しいただいた方がよいと思う。

佐々木(八)委員

 この問題は,恐らく第10期の委員の方々は十分に御承知のはずだと思うが,大変に時間のかかった問題で,今期の新たな委員からいろんな御質問や御意見が出るのももっともである。第10期までの審議会においては相当これに時間をかけた。経過の大要について,今,岩淵委員からも話があったが,私も知っている範囲で話したい。
 今度頂いた資料の第1ページの2は,「現行のように制限的なものとせず」と「改定音訓表・改定送り仮名の付け方のように,目安・よりどころとする」との二つに分かれる。現行の「音訓表」とか「送りがなのつけ方」は,ともすると,制限的であり,あったというような考え方が強かった。それには,確か範囲とか標準とかいう言葉が使ってあった。今もどなたからか,基準・標準という言葉が出たが,あの場合も基準とは何ぞや,標準とは何ぞやというようなことも出て,そのとき,それについて,現行法制局長官である吉国委員から何か御意見があったと記憶している。要するに,そこには何か制限的なというか,制約的なというような思想が受け取られた。それに対して,制限や制約であるよりは,かなり幅の広いものにしたい,というのが当時の委員の意見であった。どういう言葉がよかろうというところから,岩淵委員の漢字部会ではこれに目安という言葉を使い,私どものかな部会ではよりどころにしようということになった。また,総会でも,何回か,目安とよりどころとはどう違うか,というような細かいことまで質問があり,要はとにかく一応の標準であり,あるいは一応のよりどころであって,制限的なものではないということが大体の間違いのないところであったと思う。そこで,恐らくここに「現行のように制限的なものとせず」と書かれることとなったと思われる。
 今もお話があったように,3ページ上から五つ目の「音訓および送り仮名の付け方の性格と,漢字表の性格とを同じ段階で取り扱うことはできない。」という思想があるならば,当然そこで目安とか,あるいはよりどころということの当否は御判断を願ってもいいと思う。これから考える漢字表と称するものの適用範囲をどこに置くかという問題,義務教育だけにしようという御意見もあり,新聞・雑誌・放送等にしようという御意見もあり,大きく分かれているから,この適用範囲の問題が漢字表の性格の問題に関連してくるものと思われる。
 基準・標準というものはかなり制限的であった。それに対して前回の我々が答申した音訓表なり送り仮名の方がかなり幅の広いもので,むしろどなたか,今,修飾語が必要と発言されたが,副詞的な「一応の」というような言葉さえも出たのが,当時の状態であった。
 ここで私の意見の主張をしようとするのではなく,今までの経過についてかな部会のお世話をしていたので,私のほぼ記憶している限りにおいて,御説明申し上げた。もし,間違っていたら,どうぞ御修正・御訂正を願いたい。

植松委員

 ただ今,佐々木前かな部会長から御発言があったが,あのとおり私も理解している。ただそれに関連して一言いわせていただきたい。実は基準がよいか,目安がよいかというようなことについては,目安とか,あるいはよりどころという言葉の方が余りきちっとしなくてよいという趣旨で使われたと理解するが,それはやっぱり基準の方がよいのではないかという御意見が今出ていることはよく分かる。しかし,もっと制限的な意味に使おうというなら,それは基準の方がよいと思うが,制限的でなく使うのなら,基準という言葉は,かなり制限的な響きをもつように感じる。
 ただ今,「前期審議会の吉国委員からの発言であったと思うが」とおっしゃって,佐々木(八)委員から発言があったように,私などはやはり感じ方としては,基準というと,きちっとしたものを感じる。それから外れてもよろしいという意味には理解できない。これは言葉についての感じ方であるからいろいろあるだろうが,私などはそう思う。恐らく法律家は割にそう考えるのではないかと思う。
 殊に,今御発言の中にも既に岩淵委員から,「一応の基準」という言葉が出たし,佐々木(八)委員からは「基準・標準は制限的に響く」というふうな発言もあった。ということは,言葉の感覚として基準というのは,「一応の」とでもつけないと,かなりきちっとしたものが感ぜられるからそう発言なさったのだと思う。
 今まで使っている目安・よりどころがよいかどうかは再度御検討願ってよいことだと思うが,内容としてはそうきちっとしたものではなく,制限的なものでなくというところに焦点があると思うので,それを表現するような意味では,基準では強過ぎるように思う。何か別の言葉を考えるべきではないかと思い,もし基準を使うなら「一応の基準」という表現にする必要があるのではないか,そんな感じを受ける次第である。

福島会長

 表現として一応の基準なり,目安なりと,いろいろ案もあり得ると思うが,先般の文書で御意見の提出を願った限りにおいては,内容的には制限的なものとせずという御意見が多数あったと理解している。遠藤主査,内容的には制限的でない方がよろしいという御意見が多数であったと了解してよろしいか。

遠藤問題点整理委員会主査

 はい。この前御返事いただいたうち,多数の,つまり16人の委員が明白に制限的なものにしない方がよいという御意見であった。だから私どもとしては,表現のニュアンスについてはいろいろ論じていただきたいが,できたら,今日の会議で制限的なものにはしたくない,つまり制限的性格を緩和して弾力化するというような意味のことを御確認いただけたら,進行上非常によいのではないかと思う。

福島会長

 私もそういうような感じがして,先ほど申し上げたわけであるが,従来のものが表現の問題は別として,内容的に制限的であったのかどうかよく知らないけれども,今度の漢字表を制限的なものとしないよう考えていこうということが大多数の御意見であり,本日の段取りとしては,制限的なものにはしないということで御意見,御意向がまとまるならば,それで先へ進めないものかと考える。いずれ,我々の結論をまとめて答申に表現するという時期がくるわけだが,それまでに,その制限的なものとしないという表現をどうするか,という問題は時間をかけてもう一遍御相談することもできるのではないかと思う。本日の会議の段階では,考えられている漢字表を少なくとも制限的なものにはしない,ということで審議会の御意向がまとまりつつあるということに理解してよろしいかどうか。

三根谷委員

 先ほどの資料中で「同じレベルで取り扱うことはできない。」という言葉を使ったのは,私もそれを書いた一人だと思うが,音訓と送り仮名の付け方では,既に与えられている漢字と仮名について,その両方ともかなり大幅に各個人の使用法の自由が許されていることになると思う。漢字表になると,これはある範囲で使う文字が決められているわけだから,例えばある印刷所でそれだけの活字を一定の個所にまとめて置いて,それ以外の活字が出てきた場合には,これは当用漢字にないからというようなことで制限が出てくる性質のものだと思う。
 したがって,これはどういう範囲に適用するかというようなことから,やはり先に審議しないと,いきなりそういう制限的な性格を外すという前提の上で議論を進めるということには直ちに賛成しかねる。少数意見として付け加えておく。

福島会長

 ごもっともな御意見だと思う。
 ほかに……どうぞ。

小谷委員

 私は,実は目安でよいということを書いたので申し上げることはないのだが,私は,本来は日本の言葉――日本語,国語の正書法という意味で,少なくとも国語の基本的語彙に対してそれをどう書くか,ということをいちいち決めて,そこに必要な漢字を漢字表にすべきだったと思う。もちろんその場合に,漢字数が膨大にならないような周到な配慮が必要であるが,そういう正書法をもちたい。これは,世界の言葉の中で正書法をもたない,すなわち,その言葉をどう表記するかということが決まっていない言葉というのはかなり少ないのではないかという気がするからである。
 そういう意味では,いつの日にかは日本語の各語彙に対して,どうそれを表記するかということが決まってほしいと本来は思う。私が目安でよろしいと申したのは,そういう正書法的な審議はされないだろうという想像のもとである。本当は非常に長い国語の将来ということを考えたならば,5年や10年かかってもそういう正書法的な審議がされてしかるべきだとは思う。そういうことはここではやらない,断念するという決断をここでするということが,目安にするということに関係があると思うので,私が目安でよろしいと思うと申したのは,そういう条件がついてのことである。その条件は,本来は私が望む方向とは別にあるのだということを申し上げておきたい。

三根谷委員

 前回,急病で欠席したので,アンケートについてどういう趣旨で答えたらよいのか分からないままに一通りの意見を書いて提出したが,私はもともとこういう制限的なものは賛成ではない方の一人である。現在こうやって行われている以上は,性格を改めるについてはかなり慎重な考慮を加えた上で改めることが必要だろうということを申し上げておきたい。

安達文庁長官

 実は私,前期から国語審議会に出ておりましたので,目安・よりどころということについて,先ほど,岩淵委員あるいは佐々木(八)委員から御説明があって,大体そういうことだと思うが,若干私の理解を補足させていただきたい。
 まず,目安は,音訓表なり(その当時はむしろ漢字表の性格論として言われておったと思うが)漢字表は1,850字なら1,850字,あるいは,2,000字なら2,000字という個々の漢字を並べるわけである。それを仮に基準なり標準なりにすると,それ以外の字は,先ほど指摘があったが,基準から外れていることになる。では,何をもって外れているかの判断の基準は何ら示されていない。つまり,一つ一つの字があるだけで,それにない字は一体どれだけ外れているかの判断の基準はないわけである。したがって,漢字表そのものは,作成するときの考え方はあるにしても,表としてでき上がったものは別に法則性はないわけだから,これが基準である。基準から少し外れている,あるいは大変外れているとか,そういうことの言えないようなものではないかということである。そうなると,それは一種の範囲ということになるわけである。しかし,その範囲を厳重にしないで,制限的なものにしたくないとの考えが基本にあるわけだから,一応の見当,目安としてその表を考えるべきではないかということで,いわば,個々の字が一つの目安である。あるいは見当であるという考えで目安というような言葉が使われたのではないか。これは前の説明と同じであるけれども,そのように私は理解している。
 ところが,送り仮名の付け方になると,これはそういうものではなく,一種の法則を示すものである。したがって,法則であればこれは標準ということもあり得るけれども,標準よりはもう少し柔らかく一つのよりどころであるというふうに書き分けをされたのではないかと思う。
 いずれももちろん制限的な色彩,厳格な法則性ではないということを,できるだけ言葉の中で表したいという考えで,音訓表は目安・送り仮名の付け方はよりどころとされたのではないだろうかというように理解しているわけである。
 もう一つは,漢字表と音訓表が同一の性格であるかどうかの問題が指摘されていると思う。漢字表を作成するときに,先ほどお話の中にあった基本的な字母というようにあくまでも非常に理論的な考え方から出発する場合と,現在使われているものを考え方の基準にしてそれの目安をつくっていく場合とによって,若干の差はあるとは思うが,従来のこの目安という言葉は音訓表よりはむしろ漢字表自体の性格論として議論され,それが音訓表の中でまず実現されたのではないかと思う。このような経過も併せて御参考までに御報告する。

福島会長

 引き続いて,御意見をいただきたい。

林委員

 質問になるかと思う。前回の場合は当用漢字改定音訓表及び改定送り仮名の付け方という名称で,既にあったものに対して改定を施すという態度であったわけだが,今後の漢字表の場合にも,現行のものについて改定を施すという態度をとるべきか,それとも新しく漢字表をつくるという立場に立つべきか。
 というのは,実は当用という名称は昭和21年のときに登場したわけであるけれども,それまでのいろいろの漢字表で,参考資料6,各種の漢字表というところにさまざまな用語が使われている。追っていくと,常用漢字表,標準漢字表,日本基本漢字というようなのが大正12年から使われている。その中にあって今度の場合に,当用漢字表の改定という立場に立つか,それとも新しい意味での漢字表ということで,名称までも改めていくのであるかという問題が一つあるように思う。先ほどからの基準の方がよいという御意見の場合には,お話を伺っていると,基準漢字表というふうな名前に移行するお考えもあるのではないかと思うが,その辺はどうなのか。
 私の考えを申し添えると,当用漢字表は一度御破算にし,新しい名称の漢字表をつくる立場でやっていく方が今の目安・よりどころの論についてもすっきりするのではないかと思う。それはつまり,第1の問題と関係するが,本来は余り必要ではないと思うけれども,現行の漢字表が行なわれている以上,それの性格を変えていくという意味で必要だというような一つの立場があり得るとすれば,一つの割り切り方として,新しい名称でこの表をつくっていく,その際の問題として取り上げてはどうだろうかという意見になるわけである。前期の委員の方々からその辺のお考えを伺いたいと思う。

福島会長

 今回,我々が審議してできること,あるべき漢字表というものは,今の意見も分からないではないが,現実問題としては現行の1,850字が若干増減するとか,あるいは若干以上に増減するということで,現在の1,850字と全然違った1,850字を捜すということにはならないから,事実上はこれを改定していくという形にならざるを得ないのではないだろうか。ただし,性格その他は制限的なものとしないなど,かなり基本的な変化がそこに出てくるわけではあるけれども,同時にまた,それができ上がってからか,あるいは実際に漢字表を審議する過程において出てくる問題と思うが,当用漢字表という名称をそのままにしておくか,しておかないかという問題を,答申起草時に当然問題になる。当用漢字表の「当用」をとってみる,ほかの表現に変えるか,全然なしにするか,いきなり漢字表となるか,いろいろな過程は経るとは思うけれども,さりとて,この当用の字がなくなるというようなことは基本的に現在の漢字表を捨てて,新たに一つ一つ字を拾い集めてくるということでもなさそうだというふうに考える。当用漢字表という名称を使うか使わないかを出発点にしてからでないと,我々の審議ができないということでもなさそうだと思う。別に会長として申し上げているわけではないが,この審議会のいずれかの段階で,漢字表の名称は後から考えればよいと思う。
 ただ今,差し当たり御審議を願っているのは漢字表を制限的なものとはしないということで進めるかどうかという点である。そこで,制限的なものとはしないという前提において漢字表を考えることに,アンケートだけによった結果であるが,多数の方の御意見の重点があるという現状だと思う。
 私の感じだけをちょっと申し上げただけなので,どうぞ皆さんの御意見をお聞かせ願いたい。

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