国語施策・日本語教育

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次第 協議〔その3〕

築島委員

 現在私の知っている限りでは,高等学校,中学校の教科書などでは,「おう外」のものでも「漱石」のものでも全部当用漢字,現代仮名遣いに書き直しているようであり,さっき志田委員の発言にもあったが,いままでのことについては手をつけないというような御意向のようだが,もしそういうことであるならば,当然「おう外」や「漱石」のものは原文のとおりに書くはずであり,そういうものに対しても,今後,我々が審議した結果のものが,どういう形になるか分からないが,そういうのが出た場合にも「おう外」や「漱石」などのものに向かっては,なんの変更も加えるべきものでないということになるはずだと思う。
 要は,現代の国語という言葉を使わない方が明確に内容を表明できるのではないか。ちょっと思いつきだが,今後,国語を書き表すとか,今後,口語文の国語を書き表すとか,そういった表現をした方が,どうも従来の御意向に一層適切な表現になるのではあるまいかということを考えたので,申し上げた次第である。

倉沢委員

 ただ今の築島委員の御発言に私の理解と違うところがあるので,御真意等も伺いたい。
 高等学校の現代国語という科目の現代国語の内容は,現代の国語という内容とは違うのではないか。専門の長谷部委員もいらっしゃるから,間違っていたら御訂正願いたい。現代国語の中には,文学――いわば現代文学それから言語――いわば現代の言語及び文法ないし作文という三つの大きな領域がある。現代国語という高等学校の一つの科目の内容は,そういう意味では,文学教育や言語教育や文法ないし作文教育に基づいており,その中の現代文学の範囲はといえば明治以降の作品をさすのだと思う。
 したがって,明治文学を書き表すという場合に,明治文学を引用するということではなくて,明治文学のようなものを自分が書き表すというようなことはないと思うが,もしあればそれは適用される。しかし,明治文学を現代国語の学習の範囲内にしているということと,現代の国語を書き表すということは,ちょっとずれているのではないかと思う。

木内委員

 現代の国語という言葉が分からない。現代の国語を書き表すというと,非常に分からなくなる。違っているかもしれないが,これは苦心の作の文章なんで,同情して,当時も私は見ていた。私の理解を率直に申し上げると,要するに,この適用範囲については,今生きている者がこれから文章を書く場合には,と理解すれば分かる。したがって,もしそれが合っているなら現代の国語という字を使わなければまともにいくということを,今後の心得までに申し上げておいたらいいかと思う。
 これから文章を書く場合にはこういうふうにしろというのは,目安であるが,その目安はつまり一例をあげれば,有名な例は「育む」である。今まで書かれたものは「育む」なら「はぐくむ」と読まねばならないが,これから書く人は「はぐくむ」は「育」の字を使わずに,残念ながら仮名で書けと,こういうことを示しているのがこの音訓表だと思う。
 そうすればあの音訓表が分かるのであり,あの場合,ああいうものができたことを私は大いに評価するわけだが,ただし,非常に面白いことがその中に入っている。学校教育では,自分で文章を書くことも練習のためにやるが,人の書いたものを学ぶ場合はこの音訓表の範囲外のものであって学校教育は全く別に考えねばならないということが一つ入っている。このことは今後,ものを考えていくために非常に結構だと思う。
 今の問題,私はそういうふうに解釈したらいいかと思っている。

小谷委員

 私も今木内委員が述べたように理解するが,ただ限界になるところは,明治時代に書かれたもの,憲法,古い法律,そういうものを書き写す,再現するのがこのわくの中に入るのかどうか。再現する場合は入れなくてよろしいと思う。今後新しく文章を書く,例えば法律文を書く,あるいはもし新聞等が入るなら,新聞社で編集者が書くというようなところに限って――そこで引用する場合には,これは表外の文字がでてくるときにはそれが読めるような何らかの処置をして――必ずしもこれからつくるこの漢字表がそれを制限するということでなくてもよろしいかと思う。

佐々木(八)委員

 私自身は,一体自分の考えをどうまとめていいか,実は迷っている。なぜ迷っているかというと,この資料の4で「適用分野」という問題がある。これについて大方は,「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など,一般の社会」という一応の範囲を決めている。これに対して,何かほかに御意見もあるようだが,この適用範囲によって一つ決まるのではないか。これがはっきり決まらない限り,一体どこまでどう伸ばしていいのか,どう縮めていいのか,迷う。第2点は,内容の問題で見ると,例えばこの第1ページの6の(2)に,固有名詞(地名・人名)という問題について,これを含むべきだというような御意見が相当ある。
 同じように11ページの2番目のところに,動物名・植物名などを仮名で書くのは不便でうんぬんと書いている。そういうようなものを込めるか込めないか,ことに固有名詞の中でも,大体日常使われる固有名詞,その中に地名もあり,人名もある。そういうものを込めるか込めないかによって,かなり違ってくるのではないか。仮に込めないとした場合にただ書くための文字であるのか,一方においては読むことをも教えなければならないのか,読むためもあるのか。現にどなたかの御意見の中に,書くためというのに反対して,読むためというのが出てきている。
 そういうように見ていくと,その辺から決めてかかって,最後にこの話に落ち着いてもいいのではないかと……。私個人の意見はもっているけれども,ここは自分の意見のみを主張する場ではないので,御意見を伺って決めたい。そういうことを併せてお考えの上で決めたらどうか。

佐々木(八)委員

 問題は,今までの漢字部会では,現行のああいう漢字だけを範囲にして音訓を決めたが,今回は改めて新しく漢字表を……まあこれは改定になるか,新しくつくるか分からないが,結局は変更されてくるだろうが,それを踏まえた上で,最後に性格なり,そういう問題を決めてもいいのではないか。
 第3点は,先ほどのお話にも出た,古典などのことであるが,古典を読むための漢字までもここへ入れなければならないかどうかという問題。現に,ここには市古委員も御出席だけれども,「太平記」などには随分ややこしい漢字がたくさん出てくる。ところが高等学校では「太平記」等をも学習するが,そういうようなものを読むための漢字まで入れるべきか。その問題は別途にどう考えるべきかということ。一番始めの適用という問題は,教育といっても,教育の中には義務教育もあれば高等教育もある。そういうものとの関連もこの辺で少し細かにいろいろな御意見を伺って決めた上でいった方が,かえって早いのではないか。
 以上,議事進行の上で,こんなことも一応お考え願った方が,話が素直に進むのではないかという,ほんの感想を申し上げた。

新井委員

 今の御意見は,私もさっきから申し上げたいと思っていたことである。
 1の「漢字表は必要か」という,この漢字表は当用漢字表のことをいっているわけである。それから2の「現行のように制限的なものとせず……」というのも,現行の当用漢字のようにという意味であるし,それから改定音訓表というのも,当用漢字に関することをいっておられるだろうし,またそして改定送り仮名ということも,当用漢字の中における問題だろうと思う。
 したがって,今指摘のあった適用分野をどういう分野にするかということが,やはり先決的な大きな問題だろうと思う。適用分野は,今日まで私の聞いているところでは,まず第1に義務教育という方面を適用分野とする。そのほかに公用文書・法令とかが入る。適用分野ということをまずはっきりしておかないと,この当用漢字の問題は世間一般から,我々の手紙や会話のようなものまで拘束するのかというような反発を受けやすい。現にそういうような感じでもって,この当用漢字制度というものに対して反対する人が随分あるようである。
 したがって,まず適用範囲を義務教育の範囲だけに決めるのかどうかをはっきり決め……ということは,高等学校教育にまで当用漢字制度,あるいは当用漢字の改定音訓制度というようなものを広げるかどうかということが,やはり差し当たっての問題だろうと思う。
 世間一般で,何か自分たちがものを書くのに非常に制約を受けるというような考え方をもっている向きが多いけれども,それは間違いであって,私自身の考え方から言うと,手紙であろうと小説であろうと何であろうと,一般の人が自分の意志で書くものは,我々が,あるいは政府が,これを拘束,制限しあるいはよりどころとか目安とかいうものを,世間一般に与えるべきではない。ここは全部自由にしておくべきだというふうに思う。
 ただ教育段階において,義務教育,あるいは高等学校教育まで広げるか,とにかく教育段階でどの程度のわくをつくっていくかを,まずはっきりさせておくべきではないかと思う。

福島会長

 ありがとうございました。
 教育との関連という問題が当然あると予想し,その他の議題として予定している。
 3の「現代の国語を書き表すためのものでよいか。」が明確にならなければ次に進めないという性質のものでもなさそうであり,あるいは適用分野の(1)に書いてあるような問題についてある程度意向がまとまってくればまたこの問題も進ちょくするかもしれないという意見もある。なお,この3の現代の国語を書き表すという点に御意見がまだあればいただきたいが,できれば適用分野の問題に,話を移してみてはどうかと考える。
 一言,余計なことだが,私の考えていることを述べておきたい。近々運営委員会を開催して,これからの運び方などを更に御相談をすべき時期にきていると考えるが……。
 漢字表(当用漢字表とは書いていないつもりだが)は必要だということについては,我々共通の認識であるということになると,それをどういうふうにつくるか――適用分野その他の関係,あるいは制限的なものでないというようなことも条件になって作成することになるが,その具体的検討に入る段階では,運営委員会の御意見を伺ってみなければいけないけれども,恐らく専門部会とか,あるいは小委員会とかいうことで,専門の方にお集まりをいただき,漢字表の作成という作業に取り組むことになるであろう。その上で原案を審議会に出していただけるであろうというふうな進め方を,私としては考えている。
 小委員会にお願いする際に,ばく然とお願いしてもそれは困るのであろうということで,例えば目安ということで検討しながら作成願いたいとか,あるいは適用分野についてはこういうお考えを総会でまとめてあるので,それに基づいて,漢字表の一字一字の御検討を願いたいということにしたい。わくといってはちょっと語弊があるが,総会の意向をある程度とりまとめた上で小委員会にお願いしたいと思っている。
 この資料に書き出したものは,小委員会にお願いする前提として,できれば総会で意向を一致させておきたいというか,総会での大方の考え方のまとめということで,書き上げたものである。参考までに申し上げておきたい。そういう意味で,適用分野をどうするかということが決まっておれば,漢字表作成にある程度の助けになるであろうというつもりである。

福島会長

 同じく4の(2)に掲げてある専門用語の問題は本日の審議の予定にせずに,次の総会に譲りたい。学校教育との関連の問題,あるいは6にあるその他の問題,固有名詞(地名・人名)に関する問題等は,この次なりもう一回先なりに送る。具体的に小委員会に一字一字について漢字表の原案の御検討を願いますというまでに,あと2回か1回かで,お願いできるようなところまでこぎつけたいと考えている。
 したがって,本日はこの適用分野をどうするかというところの(1)を考えている。例えば,医学界の専門用語などは医学界で制定される漢字表を基準として,別にお考えになればよろしかろうというようなことになると思うが,そういう考え方でよいのかどうか,という趣旨であろうと思う。
 4の(1)について,問題点整理委員会の御意向を遠藤主査に御説明いただいた方がよろしいかと思う。

遠藤問題点整理委員会主査

 お読みになると分かるように,3にしても,4にしても,別にこうするのがよいとか悪いとかいう価値判断を我々はしているわけでない。皆さんの御討議に便利なように,今までの,例えば,改定音訓表や改定送り仮名では大体こういうふうになっているが,それに対して皆さんの意見はどうであるかということを申し上げているのにすぎない。書いてあるとおりにしてほしいというようなことはない。その点は御理解いただきたい。
 現代国語を書き表すためのものでよいかは,お手もとの参考資料の,当用漢字改定音訓表の前文の一番下に,書くための音訓というのがあり,それを踏まえてここに引いてあるわけである。これをお読みいただくと分かるように,これは岩淵委員から御説明願った方がよいかもしれないが,その趣旨は,過去の著作や文章をいかに読むかを示すものではない,過去に行なわれた音訓を否定するものではない,別途の工夫が必要と思われるといいうようなことが,ここに書いてある。この趣旨を踏まえて,ここへこの言葉を引いたものである。その点御理解いただきたい。
 それから先ほどからの制限的というお話も大体落ち着いたということになるので,むし返すのはかえってよくないと思うが,資料の5番,国語施策の基本的な考え方についてという,第8期の小委員会の審議経過報告によると,国語の表記について何らかのよりどころとなるような基準が必要であると認めるが,国語の美しさ,豊かさ,正しさ,厳密さを保つために,その基準を厳格に制限的なものとしない配慮が必要であると認めたと書かれている。我々は大体こういうのを受け継いできており,ここにいう制限的でないと申し上げたのも,厳格に制限的でないという意味である。どうぞその点も御了承いただきたい。
 それから適用分野も,先ほどいろいろ御発言があったが,教育分野のことは,選定の方針のところに書いてあるけれども,つまり教育というのを直接の対象にはしていないということが書いてある。対象とするのは,これがよいか悪いかは別として,適用の範囲は法令・公用文書・新聞・放送などにおける音訓をさしている。それが適用範囲の対象であるというふうに考えていて,今お話があった教育については直接の対象とは,今までの審議会としてはしていなかったわけである。その点を御理解いただいて,議事進行すれば,よろしいのではないかと思う。

木庭委員

 私,今までぼんやりしていて気がつかなかったけれども,新しい漢字表がもしできると,音訓表や仮名遣いの方は相当手直しが必要になるわけだが,そういうことはどうお考えになるか。漢字の数が違ってくるのだが……。

遠藤問題点整理委員会主査

 それは私が答えるべきことではないかもしれないが,それはどの程度起こるか,予測も何もできないけれども,当然そういう事態が起こると思う。

福島会長

 私もそれは分からない。それは岩淵委員に伺った方がよろしいのではないかと思うが,その基本となる漢字表が変わってくれば,その漢字表を基にして送り仮名の規則が定まっているとすれば,影響を受けるのではないか。

木庭委員

 非常な影響を受ける場合もあり得るということか。それからもう一つ,適用範囲を,例えば義務教育なら義務教育の方に限って,真に豊かで美しい国語は,なんだか別のところにあるようだというような考え方だと――学生は中学まで習って,今度高等学校に入ると今まで教えたのは実は便宜上であって,本当の国語は違うんだということを言われているような気になるのではないか。つまり二重になってしまうということも考えておいた方がよいのではないか。

遠藤問題点整理委員会主査

 これも私が申し上げるべきことではないが,当用漢字音訓表の前文にもあるように,ある程度の実社会,学校での生活を経た人々を対象とするというふうに書いてある。
 したがって,学校についても後の教育との関連で出てくるのが,直接に対象として決めない。しかし,学校での教育ということは十分配慮してかからなければいけない。

木庭委員

 難しいですね。

遠藤問題点整理委員会主査

 実際にやるとなったら,大変難しいことだと思う。

福島会長

 適用分野の問題について,御意見をどうぞ。
 この適用分野については,こう考えているということで書いたのではない。こういうことに従来なっているが,それでよろしいかという質問の仕方だと思う。特に御意見がなければ,従来考えられていた漢字表の適用分野は大体このとおり,教育の問題は別に考えるとか,予定として本日の議題に入れてなかったけれども,専門用語の関係はまた別であるとかということになるわけである。一応こういう適用分野というのが考えられているとして,むし返すようだが,3の「現代の国語を書き表すためのもでよいか。」という表現は,いろいろの御意見を伺っていると,若干検討を要するようであるが,現代の国語なり何なりという点は,どうせこれから書く人のためにということであろうから……。
 書くばかりではない,読むためのという意見が,実はアンケートのときにあった。従来の審議会で読むということを含めて検討して,結局書き表すためのという表現に落ち着いたように先ほど伺った。そうすると読むためか書くためかということは,結論としては書くためのものということでよろしいと了解してよいか。
 これは実は小委員会の段階に話を下げるときに,どうしても必要なのである。

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