国語施策・日本語教育

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次第 字体表の問題点等について(報告・協議)

福島会長

 字体の関係については,前回の総会での話に基づき字体表に関して委員の方々の意見をいただき,それを基に問題点整理委員会で,問題点を整理願った。そして,今後の検討について総会の意見を伺いたいという次第である。まず問題点整理委員会の報告を遠藤主査からお願いしたい。

遠藤主査

 今,会長から話があったように前回の総会の決定に従い,問題点整理委員会から全委員に対して字体についての自由な意見を求めた。全部で11通の意見の提出があった。そのうち阪倉委員提出のものは,阪倉委員自身の意見ではなく,もしも国語審議会で字体表が問題になったならば,国語審議会に提出してほしいという要望を前に受けて預かっていた2通の意見書である。これは整理の対象外としたが,参考意見として受付のところに置いてあるので,希望の方はお持ち帰りいただきたい。残りの10通のうちの望月委員の意見も,全国大学国語教育会で出したアンケートの返事なので一応整理の対象外とした。阪倉委員が託されて提出したものを除き10通の意見は全部刷って皆さんに送ってある。それで計9通を整理して問題点を拾い出したのが,資料7「字体・字体表の問題点(案)」である。この資料7の6「字体整理の具体的な問題について」のオ「異体字を統合することについて」というのは,実は委員の方からの意見にはなかったが,事務当局とも相談して,必要ではないかと思い,付け加えた。次にすべての委員の意見を問題別に整理したものが,資料6「字体表の問題点に関する意見の問題点別分類」である。これらを基にして,4月5日の問題点整理委員会で協議した。その際,昭和24年に現在の字体表が出されるまでのいきさつ,つまりそれ以前にどういういきさつでそれが出されたのか,あるいは歴史的に見て,それ以前はどうなっていたのかということが問題になった。この点について全委員が一応共通理解を持って今後の審議に臨んだ方がいいのではないかという意見が大勢を占めて,林大氏著の「当用漢字字体表の問題点」「漢字の新字体について」という二つの資料を皆さんにお届けした。その上で今日の総会でこの両方の筆者である林さんからなるべく簡単に解説をしていただき,二つの資料についての質問を皆さんにしていただいてから,具体的な字体表の問題について皆さんに自由な意見を述べていただいた方が良いということに,会長,副会長とも相談の結果,なった。なお林さんは今度初等中等教育局の主任視学官から国立国語研究所の日本国語教育部長になられた。今日わざわざ見えているので,皆さんの賛成を得て林さんに話をしていただきたいと思っている。

福島会長

 ただいま遠藤主査から話があったように,字体表の問題についてまず林大さんの説明を聴いてから,審議を進める方が良いと思う。問題点整理委員会主査の報告に対する質問もあるかと思うが,林さんの話を伺ってからということにしたい。では林さんよろしく。

林日本語教育部長

 今日提出の資料について一通り説明したい。まず最初に字体という言葉について,次に漢字字体表そのものの直接の制定のいきさつということについて,最後にそれ以前の漢字の字体を標準化するということが過去においてどのように行われてきたかということについて説明したい。
 1「字体・書体」 お手もとの資料でなくて,私の手控えのノートによると,当用漢字字体表で字体といっている意味は,「一点一画の組合せから成る一字一字の形である。」,すなわち一字一字につき,それがどのような点画から構成されているかということであるとしている。これは国語審議会で字体が問題になる直前に,活字字体整理協議会というところが案をまとめたときの字体についての説明である。似た言葉である書体については,篆(てん)書,隷書,楷(かい)書,行書,草書といったようなもの,それから印刷方面でのゴシック体,明(みん)朝体,宋(そう)朝体といっているようなものを指すとしていて,字体と書体とを区別している。更に当時の国語審議会の総会で主査委員長が報告した中に,字体について「点画の組合せの定型化されたものといってもよろしかろう。」という言葉がある。やはり「定型化されたもの」というところに重点があると思う。字体は一つの観念的な形であり,具体的に右の方が上がっているとか,左の方がどうはねているかということではなくて,点と線とがどのように組み合わされているかということを示そうとしたと思う。この字体の定義は,当用漢字字体表で初めて決めたわけではなく,もっと以前の字体整理案とか漢字字体整理案とかの中で既に使われていたのは前に述べたとおりであるが,世間では字体と書体とのこのような区別を認めない人もいて,字体とは活字についていう,書体とは筆で書くときについていうといった,いろいろな使い方もしている。もう一つ似た言葉として「字形」があるが,これについての定義は示されていない。私は実際に現れた字の形を含めて,目に見える形になっているものをすべて字形といっておけばいいのだと理解している。

林日本語教育部長

 2「当用漢字字体表制定のいきさつ」 当用漢字字体表が告示されたのは昭和24年であるが,字体が問題になったのは,やはり当用漢字表の制定のときである。当用漢字表の「まえがき」に「簡易字体については,現在慣用されているものの中から採用し,これを本体として,参考のため原字をその下に掲げた。」とある。これは1,850字の中の131字だけのことである。例えば「體」の字の代わりに「体」の字の方を本体に採用しその下に括弧してこの「體」の字を挙げている。また「まえがき」に「字体と音訓との整理については,調査中である。」とあり,宿題に残されたわけである。それで音訓の方は,例の当用漢字音訓表として改めて発表されたが,字体については文部省の教科書局内に活字字体の整理に関する協議会というものが設けられた。この協議会のできたいきさつを説明したい。当用漢字表ができて,131字の略字体が採用されたが,一方では131字よりもっと簡略にすることはできないかという声があったと同時に,また印刷界の方で活字についていろいろなものが出てきた。例えば「当」の字については上を「小」のようにするのか,「」のようにするのか,下を「」のよう横へ出すのか,「ヨ」のように横へ出さないようにするのかといった疑義が大分生じてきた。そしてこれらを早く確定してほしいという要望が出てきた。これは新しい文字についてだが,その他の古い字でも,例えば「商」の字の頭について,「二」のように横一にしている活字もあるし,「亠」のように鍋(なべ)ぶたの形にしている活字もあるといった状態であった。これらのものについてもどうにかして統一することはできないものだろうか,活字業界の方で非常に困るのだという話があって,当時印刷学会副会長をしていた山上謙一博士が毎日のように文部省を訪ねて,早くこういう活字字体の問題をやらねば困るということで,活字字体の整理に関する協議会ができたわけである。これには印刷学会の代表,国語審議会の代表,実際に活字を作っている人たち,文部省の関係官等が入って案を作った。これが昭和23年の活字字体整理案である。この案の中に示されている七百何十字かの表に説明書を付けて900通ばかりを方々へ送って批評を求めたが,返ってきた175通を材料にして国語審議会で改めて字体整理に関する主査委員会ができて審議を進めた。その結果,活字字体の整理に関する協議会で作った原案がいろいろと修正を受け,新しい結論が出て昭和23年6月の国語審議会総会に報告された。これが主査委員長報告で,お手もとの「当用漢字字体表の問題点」の279ページに全文ではないが引用してあり,また,「国語表記実務提要」の中には全文が報告されてあるので,御覧いただけると思う。以上のようにして「当用漢字字体表」ができたわけである。
 これの「まえがき」を見ると,

(1)  字体の標準を示したものである。
(2)  読み書きを平易にし正確にすることをめやすとして選定したものである。
(3)  @異体の統合(一つの字についてもいろいろな字体がある。先ほど黒板に書いたような小さな違いもあるし,大きな違いもある。例えば「剣」という字についても三つも四つも書き方があるので,そういう異体を何か一つに統合することはできないかということである。)A略体の採用(通俗に用いられている略体を採用するということである。)B点画の整理(点画をもう少し整理すること,例えば,鍋ぶたのようにある字は縦についている(「亠」)が,ある字は横についている(「二」)といった,似た字でありながら小さなところで違いがあるというようなことについて整理することである。)を考えると同時に,C筆写の習慣(手で書いている場合の従来の習慣)D学習の難易(こう書いた方がたやすく書けるようになる,学習できるようになるということ。)をも考慮したとあって,大体の趣旨が示されている。

 次に「まえがき」の「備考」を見ると,(1)配列,(2)当用漢字字体表で示すものがどういうものかということが示してある。

(1)  配列―「当用漢字表」で示したときの順序に新しい字を並べ,木部の第何番目の字はこういう形になったということが明りょうに1対1で対応することができるように元の位置に示してある。もっとも,字形が変わってしまったにもかかわらず,元の位置にあるのは不当であるという批評がある。例えば「当」の字が「田」の字を失ったにもかかわらず「田部」に入っているのはおかしいという批評である。しかしこれは,部首を整理したのではなくて,字の形を一字一字について決めたものなので,順序は当用漢字の順になっているわけである。
(2)  当用漢字字体表で示すものがどういうものかということ。――大別して次の3種類になる。
@  活字に従来用いられていた形をそのまま採用したもの
A  活字として従来2種類以上あった中から,その一つを取ることにしたもの。例えば,「商」「」の2種類から一つを取ろうとしたものなどである。
B  活字としては,従来普通には用いられていなかったが,今度新しく略字として筆写の習慣などを考慮してこれを本体にしようと考えて取ったもの,これは更にその例を8類に分けている。

林日本語教育部長

 この後に「まえがき」の「使用上の注意事項」があって,

(1)  活字字体に適用するための注意(当用漢字字体表は,からす口で書いたような字で,活字になるような形で示してはあるが,これは活字の明朝体でもなく,宋朝体でもなく,何体でもない形であり,すべての活字に応用できるものであるということ。)
(2)  筆写の楷書に適用するための注意(これは楷書の標準となるものであり,書くとき標準ともなるものであると考えられたので,楷書の標準とする際の注意として,ある場合にははねてもいいしはねなくともいいとか,手で書くときにははらっても構わないしとめても構わないとかいうようなことを6種の例で示してある。)が示してある。そういうわけで,この当用漢字字体表の特色は,印刷のための活字の形と手で書くときの標準とを一緒に示そうとしたことにある。これが問題点の大きなものであろうかと思う。

 実はこういう議論をして,活字のことを考えているときに,もしここで活字の字体を変えなければならなくなったとして,変えるのにどれくらい期間が掛かるか活字の専門家に聴いてみた。その話では15年ぐらい掛ければ全国に行き渡るであろうということであったが,実際は15年は掛からずに普及したようである。昭和24年から15年というと大体昭和40年ぐらいになるが,昭和40年以前に一応普通の印刷物は新字体になったということができるかと思う。そのために,旧字体の印刷が非常に困難になったということが一方にあるわけである。
 2の最後として「小学校用教科書に使用されている活字」について申し上げたい。これは特別の活字であって,明朝体とは違っている。もちろん教科書は明朝体でも印刷されるが,小学校用の,特に国語の教科書では昭和6年以来,元は文部省活字などといわれるものが使われていた。多分文部省にその原形が保存されていて,東京書籍とか大阪書籍とかいった教科書印刷の会社がそれから活字を作って印刷していたものと承知している。そこでは,教科書に載っている活字は全く統一されていた。しかし,終戦後,それぞれの検定教科書になって,各社で自分のところで母型を作って教科書体に倣った活字を使うようになった。これは手で書くときには楷書体といえるような形で作られた書体であって,別に印刷の方でいっている楷書体とか正楷体とかいう書体とは少し違った形なので教科書体といわれている。この教科書体の活字の字体について,やはり当用漢字字体表だけでは確定できないところがあるので,昭和33年に初等中等教育局長から通達が出て,次のような細かい点についてもこういうように作ることを希望するということが示された。例えば「竹冠」については,楷書で書くときは当然「」ふうに書くが,普通の活字ではどうも右側も左側も「」ふうなのが従来の習慣であったので,これは筆写のときに「」のように書いていいことにさえすればそれでよかろうということで字体表では「」ふうに示してあるが,教科書体というのは子供たちのために直接楷書の手本になるものであるので,これを示すときには教科書体活字は「」ふうに作ってほしいということである。以上申し上げたようなことだが,私どもが子供のときは,国史の教科書や地理の教科書は明朝体の太い活字で印刷されていたが,国語の教科書は手で書いた形のような字で作ってあった。それは活字ではなくて,昔の木版のように書いたものをそのまま1ページ彫ったものであった。それが昭和6年になって新しい,いわゆる文部省活字が作られて,その際に字体も変わったわけである。例えば,「アオ」の字は,「青」と書いた,下は「月」になっていたが,昭和6年に活字が作られたときに,字源主義になり,「」になった。実は字源的には,この「」の方が古いのかもしれないが,教科書に採用されたのでは,この「」は昭和6年以後であって,字体表ができてから後はまた「青」へもどったということになる。そこで字体表についてもクルクル変わるので困るという批評が,その当時の教育界から出たこともあった。
 3 「以前における字体の標準化」 隷書が秦(しん)の時代にできあがり,漢にかけて大いに用いられた。そして魏晋(ぎしん)の字体に楷書が非常に盛んに行われるようになった。楷書の字体は大体隷書を受けているが,その受け継ぎ方にいろいろ違いがある。その違いは地域的に差によるものであったり,また,学者の考え方によるものであったり,無意識に使用することから起こったものであったりして,いろいろの字体が世の中で行われていた。そこで唐の時代になって,「干禄字書」が作られることになった。この「干禄字書」は,官吏の登用試験を受ける人のために文字の使い方を示したもので,正(正しい文字,すなわち正式の文書に用いられる文字),通(普通に使ってよい文字),俗(俗に使う文字)の3段階に分けて,使う場所を決めている。そのほか「非」と書いた文字(間違った字で絶対に使ってはだめだという文字)も示されている。その次の「龍龕手鑑」は,ちょうど10世紀の最後に仏教の経文に用いられているいろいろな字を整理して辞書の形にしたものである。それから明の時代になって,1615年に「字彙」という字書ができた。これが実は「康熙字典」の原型になったもので,今の「康熙字典」の部首分類の仕方は「字彙」のそれを踏襲している。「字彙」では運筆,从古(「从」は「従」に同じ。この字は昔からの書き方に従う,つまり古い字の方を採用するということ。),遵時(現代的な書き方に従う,つまり現代の書き方に従ってそれを採用しておくということ。),古今通用(これは古い字であるし,これは今の字であるが両方とも通用させたい,どちら使ってよいということ。)というようなことが書いてある。日本では主として明治以後に「康熙字典」が非常に権威を持つようになって,この中で使っている字を字典体などといっている。しかし,「康熙字典」そのものは必ずしも明朝体の形ではないようなので,実際に明治の活字と比べてみると相当その間に違いがあるようだ。以上申し上げたのは中国における文字の問題であるが,日本においても,主として江戸になってから異体のことを問題にした書物がたくさん出ている。これについては「異体字研究資料集成」という非常に大部の本が刊行中である。明治以後個人的に正字,俗字を論じている著書もあるが,ここでは主として文部省側で作ったものを挙げてみる。

林日本語教育部長

(1)  「漢字要覧」1908年(明治41年)国語調査委員会
(2)  「漢字整理案」1919年(大正8年)普通学務局。

 小学校の教科書に用いるべき漢字,あるいは用いられる可能性のある漢字,2,600字余(数え方によっては2,609字)について字体を整理して確定した案を出しているもの。この案の中の字体で実際上教科書に用いられたものがあって,習った中に入っている。例えば「」に「刀」を書いた「分」ではなくて,「「」」に「刀」を書いた「」などがある。これは当時の俗用であったが,教科書に用いられたわけである。

(3)  「常用漢字表」1923年(大正12年)臨時国語調査会。当用漢字表と同じような性質のもの。1,962字を定め,その中の154字については略字を正字として定めようとしている。
(4)  「字体整理案」1925年(大正14年)臨時国語調査会。常用漢字表の1,962字中の字1,020字について改めて字体を決めたもの。
(5)  「漢字字体整理案」1937年(昭和12年)国語審議会。常用漢字表について改めて考えることになって,1,858字中の864字について新しい字体を考えたもの。第1種と第2種に分けてあって,第1種は標準字としてあり,第2種は使ってもいいが少し進歩的過ぎるのではないかとする字になっている。
(6)  「標準漢字表」1942年(昭和17年)国語審議会。2,528字中の78字は簡易字体が本体になっていて,更に64字について簡易字体を許容としている。
(7)  「標準漢字表」1942年(昭和17年)文部省(6)が少し手直しされた形で出されたもの。(6)とは少し様子が違っていて,2,669字中の80字について簡易体を括弧内に示している。

 こういうようなわけで,全体を見渡して漢字の字体の標準化ということについては二つの方便があると思う。それは実用上の必要と学問上の必要ということである。実用上の必要というのは,現在的な日常生活上の実用度であり,学問上の必要というのは,いわば学問というものがいにしえの人の跡を追うこと,「述べて作らず信じて古を好む」というような形における学問上の必要である。その場合には,できるだけ古代の精神を字体の上に実現しておかなければならないという考え方になると思う。いろいろ字体の標準化を考えているいろいろな書物についても,この二つの方向はあったかと思う。どちらかといえば学者の作った標準の書物は,学問上の必要の方に傾くことが多かったと思うが,それでもその中に実用の今日的な形を採用しないわけにはいかないということがいえると思う。それからもう一つ楷書と活字書体の問題がある。明治以前においては,いろいろな文書の書き方は必ずしも楷書ではなくて,お家流というようなものであって,いろいろな正式の文書が行草体で書かれることが多かったが,明治以後は全く楷書が標準になったように思う。また,活字印刷が普及して整版で本が書かれるということは全く少なくなった。この活字の使用により非常にコミュニケーションが広がった,文字上の普及が広まったということがある。更に毛筆がどんどん退いていき,硬筆の世界になったということがある。硬筆の世界になったということは,やはりそこに関連性が重んぜられたからであると思う。活字印刷が非常に普及したときに,一方では楷書体の標準性を求める意識が強かったので,上海活字を買い入れてきたときには,「康熙字典」に倣おうといったことで進んできた。ところが今日では,印刷術が非常に変わってきて,複写技術や写真製版の技術が盛んになってきた。このことから見ると,いつまでも活字に頼っているということでは,学問的なものはもう印刷できないのではないか,もう少し学者自身の書いたものが尊重されなければならないのではないかという感じがする。活字を使うのは結局翻訳であって,元のものではない。翻訳して実用のものにするというところに活字の意味があると思う。そこで活字の意味,活字が今日印刷上の道具としてあることの意味を考えなければならないと思っている。これは意見になって説明から逸脱したかもしれないが,やはり楷書と硬筆と活字の間の関係を考えなければならないと考えている。

福島会長

 質問などもして更に話を伺いたい点もあるかと思うが,予定の時間を過ぎたし,多分林さんに次の総会にも参加いただけると思うので,次に譲りたいと思う。この次の総会では,更に字体問題の話を伺い,かつまた委員の方々からの意見も伺って,今後字体問題をどう扱うかまとめていきたいと思う。次の総会は先のことなので,また連絡して相談ということもあるかもしれないが,7月19日(金)と承知おき願いたい。(その後,7月23日(火)に開催することとなった。)本日の総会はこれで終わる。

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