国語施策・日本語教育

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次第 中国における文字改革等について(報告)〔その2〕

林(大)委員

 上海というところは江蘇(こうそ),浙江(せっこう)方言の一中心であるが,ここで我々は小中学校を参観した。ここでは教室,校内放送,会議等では普通話を用いらなければならないとして,大いに努力しているところを見せられた。小学校では赤い腕章を付けた紅小兵,中学校では紅衛兵がいて,この中には普通話宣伝のために大きな役割を果たしている者がいるということであった。学校では旗印というものが特に鮮明に印象づけられた。
 それからローマ字であるが,中国で表音文字について考察が行われたのは100年以上前であるが,現在1958年に全国人民代表大会で批准された漢語音方案を基準にしている。これには多少問題点があるようで,教育上では多少修正を加えて使っているようである。
 この漢語音がどのような方面に使われるのかということについては,次のように言っている。
 漢字の読み方の注を付ける。これは漢字で書かれた文章の中に音の難しい字がある場合に,この音方案の書き方で注をする。
 標準語を普及するとき,あるいは普通話を勉強するときに助けになる。
 少数民族が自分の文字を創造するときに共通の基礎になる。
 人名,地名とかサイエンスの術語における翻訳とかの問題等を解決することができる。
 外国人の中国語学習を助けることができる。
 漢字を使ったものの索引を編纂(さん)する問題を解決することができる。
 将来漢語をすべて表音化して書き表すための研究,実験,考察等にこれが用いられる。
 なお,具体的には電話,手旗信号,盲人のための点字,ろうあ者の手話といった方面にもこの漢語音方案が役立つということが言われている。漢語音方案そのものは,漢語を表音化する基になるものではなく,補助手段であるということが説明されている。
 印刷物についてこれを見ると先ほど述べたように,漢文の文章の中に音を注記する,ちょうど今の日本の新聞で当用漢字以外の字が出てくると,括弧して読みが付けてあるが,そういったところにローマ字が出てくる。それから文章全体に対して音をわきに併記しているものやルビのようにそばにつけているものもある。これは漢語漢字を学習したり,普通話を学習したりするためにとられている手段であると思う。それからローマ字だけで書かれたものも印刷物に次第に現れてきているようである。もっとも我々が見たのは,子供用の本である。もう一つ,漢字とローマ字を混用したものが現れてきている。ちょうど日本の漢字仮名交じりのように,漢字ローマ字交じりのような文章の書き方が小学生の作文には現れてきているということである。知らない漢字を音で書くといったようなことで,子供たちはしきりに音を使い始めている。文字改革委員会の方でもこれを否定的には見ていないで非常に興味あるものとしているようである。
 しかし,我々から見ると,日本の漢字仮名交じりとは性質が随分違っていて,中国で漢字ローマ字交じりというものを組織立てることは非常に難しいのではなかろうかと見てきた。そしてまたそれをすることによっても,漢字の字数を減らすことは困難ではあるまいか,中国ではもしローマ字にいくとすれば,一足飛びに移らなければならないのではあるまいか,という感じがした。これはただ私の感想である。
 以上のように中国の文字改革は,漢字の簡化,普通話の普及,漢語語の3方面から推進されているが,この考え方は日本と比べてみると,ちょうど今世紀初頭1900年(明治33年)ごろ,国語調査委員会が発足した前後の段階に非常に似ているように思われる。標準語の普及については,日本がある程度先に進んでいる。発音教育の熱心さ,あるいは朗読の重視という点では,日本は中国に学ぶべき点があるようにも思うが,これもやはり中国語と日本語の言語の性質の違いから来る面もあろうかと観察した。それから音については,日本には1,000年来の仮名の伝統があるので,国際的観点や漢字学習のための振り仮名という点においては似ている点もあるが,やはり日本とは大分事情が違っていると思う。
 差し当たって共通の問題となるのは,漢字の簡化,それも主して字体の簡化のことになるが,これもすべての漢字を簡略する方向で日中一致させることは全く考えられないことのように私は思う。中国側の専門家もそういうふうに思っているものと私は見てきた。
 そのほか,漢字については索引配列の問題とか,電気通信上の符号化の問題とかに関して,日中の研究者が互いに知識や経験を交流する必要があるのではないかと思った。葉籟士氏や李g氏が日中友好を将来永久に続ける中で文字改革の問題についても同様に苦心している者同士として互いに意見を交換し,学習し合っていきたいという意見を述べられた。私も国情の違いは非常に大きいものを痛感しているが,各々の立場を理解し合って,それぞれの知識や経験を交流すること,情報を交換することが非常に大切なことであると考えた。
 非常にざっとした報告であるが,これで終わらせていただく。

福島会長

 質問などもあろうかと思うが,続いて松村委員の話を伺った後にしたい,松村委員,どうぞ。

松村委員

 林(大)委員からまとまった詳しい報告があったので,私としては特に加えることはない。何しろ非常に限られた時間,それに視察する場所も上海と北京ということであって,一応こちらからの希望をいろいろ出したのであるが,結局は中国側である程度希望を組み入れた形でおぜん立てしてくれたところを見て回った。それだけで時間がいっぱいであった。

松村委員

 先ほど林(大)委員の話にもあったように語言研究所などは見られなかった。それから文字改革委員会の人たちとは,我々のホテルの部屋でひざを交えてざっくばらんに和やかな雰(ふん)囲気で話し合う機会を持ったわけであるが,肝心の文字改革委員会というものはどういうようなところでどういうように執務しているのか,聞いても結局分からなかった。我々はただホテルに来た中国の人たちの話を聴くという形であった。要するに我々が知り得たことは非常に限られた条件の中でのことということになる。
 しかし,それにしても中国においては国語施策を国策の中心に入れてやっているわけであるから,日本の実情とも非常に違っていて,簡化字の普及,普通話の普及,音の学習ということに熱を入れてやっているという実情はよく分かる。ただし,これも大学,専門学校,中学校,小学校,幼稚園とそれぞれ一つずつくらいのところを参観する機会を得て,簡化字,普通話,音を踏まえての言語教育が行われているという実情の説明を聴いたりして分かったものであり,あくまでも中国側に案内された学校なり研究施設なりであるので,全体として広い中国の中で実際にはこれはどういうものであるのか,また我々はごく一部を見たのであろう,という感じは率直に言ってぬぐいきれなかった。
 ただ,我々が行った直接の目的の一つに中国の実情を調べ,中国の文字改革にタッチしている人たちとコミュニケートするということがあったので,その点では満足すべきものがあったと思う。文字改革委員会の人たちは日本の国語問題,国語施策について非常に関心を持っていて,我々国語審議会委員及び文化庁国語課長は同じ仕事に携わっている者であり,そういう人間が来たということで,その背景にある教育界の人たちとともに心から歓迎してくれ,またできる範囲で非常に配慮してくれた。これも我々は非常に有り難く感じて帰ってきた。
 資料などもできればいろいろ手に入れたいということで行ったわけであるが,これもある程度できた。もちろん中国はああいう事情であるから,公表されたもの以外は我々に見せてくれたりしないし,ましてそれを直接我々にくれるということはなかったが,少なくとも印刷されたものなどでまだ日本に来ていないようなものについては少し分けてくれた。それからオフィシャルな時間を離れて,昼休み,見学場所からホテルへ帰る途中などで,できるだけ町の書店に立ち寄りたいという希望を言って,上海及び北京でそれぞれ数軒ずつの書店に行った。この書店は国営であるが,同じ国営でも店によって置いてある本の専門がいろいろであった。そういうところで目につく限り,言葉及び国語施策に関する本でまだ日本に来ていないようなものをかなり手に入れることができた。そういう資料も持って帰ることができたので,いずれ審議会の委員会などで具体的な審議に入った段階で必要があれば提供したいと思う。
 中国での見学先での会合の具体的な話合いの内容その他についても,同行の国語課の安永専門職員が詳しいメモをとっているので,整理できると,今後我々がいろいろな具体的な問題に当たって,中国でどういうことが考えられて今どういうことが行われているか参考にしようという場合に提供してもらえることもあるかと思う。
 全体としての報告は先ほどの林(大)委員の話で尽きているので,私は少し付け加える程度である。

福島会長

 両委員のみやげ話はいずれまたもっと詳しく聴く機会もあるかと思うが,差し当たって今の話について質問があれば,どうぞ。(宇野委員挙手。)どうぞ。

宇野委員

 実は中国の漢字の問題は,国語審議会としては直接にはどうでもいい(と言っては言い過ぎであるが。),あるいはそれに近いようなものだと私は理解しているので,質問に時間をとるのはどうかと思うが,私もその問題に関係しているので,個人的な立場で一,二質問したい。
 まず旧字の教育がどういうふうに行われているかということである。私の知っている限りでは,高等学校(中国では高級中学。)ではやっていると思った。もっともこれは随分前の話であるから,文化大革命以後は変わっているかもしれない。それから,表音化が最終目的であるという建前をとっているようであるが,私は簡化字を使うと表音化はうまくいかないだろうと推定している。簡体字が大変人民大衆にアピールしているということは,それはそのとおりであろうと思うが,それが固定してしまうと表音化は非常に難しいのではないか。もっともああいうお国柄であるから,強引にやろうと思えばやれないことはないと思うが,非常に抵抗が起きて,ほとんど不可能ではないかと思うことがある。これは意見であるから,お答えがなくてもよいが。
 もう一つ。普通話の普及についてのさっきの話では,上海において小学校と中学校で努力しているということであったが,例えば校内放送,あるいは教員が教室で話す言葉などでは普通話が完全に行われているのかどうか。私は行われていないと思っているが,もし行われているとすれば,子供たちに果たしてどの程度普及できているかという問題である。ただ,上海において小学校と中学校で努力しているのは,あの辺から考えて当然のことで,実は昔からやっているところである。中国流に言えば,解放以前からやっていることで,もう50年以上もやっている。大変立ち入った質問であるが,伺いたい。

林(大)委員

 旧字体の教育の問題については,私自身も関心を持っていて質問したが,余りうまく聞き出すことができなかった。北京大学でもその問題に触れたが,話がそれてしまったので,十分把(は)握していない。高級中学でもその辺のことは我々には教えてくれなかった。大学においては古代漢語の研究をする時間が4単位とかあるのだが,それをやるとどうも思想的に古いとされてしまうおそれがあるので,少し軽視されていると受け取れるような発言をしていた。
 それから,簡化字を使うと表音化できないのではないかということについて(これは御意見のようであるが。),中国の人たちは暫定的に簡化字をやるのだ,究極の目標は表音化なのだというように考えている。急に漢字は廃止できないから簡化字をやっていくのだという説明であって,ある意味では宇野委員の意見のようにもなろうかと思うが,私の見たところでは,もしかすると一足飛びにいく可能性はあるのではないかという気がする。
 旧字体の教育は一般人民のためには必要でないという考え方が根本にあるようである。これは一部の人たちが研究的に学習すればいいはずだという考え方ではなかろうかと思う。我々のように普通教育においても旧字体を教える必要があるということは一向に考えていないようであった。
 それから上海での普通話の授業については,私は中国語が聞き取れないので,上海語なのか普通話なのか判断がつかなかったが,同行の輿水氏の話によって,二重言語生活は完全に行われている,方言的な普通話もあるようであるが,上海語と普通話との使い分けを今は皆が上手にやっているのではないかと思った。そしてある場合には,宇野委員の指摘のとおり子供たちの方が早く習得するために,教員が往々にして子供たちから教えられるところがあるということを話していた。それは日本でも当然のことだろうと思うが,とにかく子供たちから攻撃されることを教員は歓迎しながら一生懸命やっているところを我々には見せたようである。先ほどの松村委員の話のように,我々は特に熱心な学校を見学したわけであるが。

福島会長

 ほかに質問があるか。(木内委員挙手。)どうぞ。

木内委員

 今,漢字廃止ということはできない相談だということは知っているようでもあるが,毛沢東の大方針は漢字廃止にあるということを聴いて,今更ながら驚いたわけである。しかし,批林批孔(こう)をやるところを見ると当然なのかもしれないとも考えるわけである。ただ,漢字廃止ができるかどうか,ローマ字化ができるかどうかという問題であるが,できるとするならばどういう中国になるのだろうということは,我々として考えたいことの一つである。これは国語審議会と直接関係がないとも言えない。むしろあると思うので,いい機会だから伺いたい。最近,日本語には非常にシラブルが少なくて121しかないということを知った。こういう言葉を持っている日本人は表記の方法として漢字があったから良かった。あったからシラブルも減ったのであろうが,中国で果たして漢字を廃止できるかどうかということで一番大きな問題は,一体中国語にはシラブルが幾つあるのかということである。英語は3,000か4,000か分からないほどあるという話であった。北京の標準語で結構であるから教えていただきたい。

林(大)委員

 シラブルの数は日本語と比較するわけにはいかないと思うが,四百幾つではなかったかと思う。

木内委員

 四声を入れてか。

林(大)委員

 入れないでだと思う。

木内委員

 鈴木委員,御存じではないか。

鈴木委員

 四百二十幾つではなかったかと思う。

木内委員

 シラブルが400であって,それに四声があるので1,600あっても………。日本語では発音の方は百幾つではないか。シラブルというのは,音声としてのシラブルである。この間鈴木委員から百幾つと伺ったように思う。

林(大)委員

日本語は114である。

木内委員

 それはローマ字化の基本点になるわけだから,中国の将来を観測するにはいい機会なので,伺っただけである。

林(大)委員

 日本では音節そのものが必ずしも意味を持たない単位である。「は」といったときに,「葉」の意味もあるが,意味を持たない,ちょうど仮名と同じようなものになる。ところが,中国の場合には音節が一応意味を持っている。それに四声を付け加えると,固定されるというところがあるので,ただ音節という言葉で比較は少し難しいところがある。

福島会長

 今の木内委員の参考になるかどうか分からないが,私が2年ぐらい前に北京に行った時に,私は今度行かれた人たちのように専門家ではないので,中国の文字改革委員会の葉籟士氏にいわばジャーナリスティックな質問をした。六中全会か何かでローマ字化という基本方針が決まっていると言うので,いつごろできるのかという質問をした。そうしたところが,現在方言がたくさんあって,違った方言間では話が通じない。しかし書けば分かるということになっている。それがローマ字化をすれば,書いても分からないということになる。したがって,ローマ字化をする前に方言が完全に統一されなければならない。そういったことを言うので,それでは方言の完全な統一は何年ぐらい掛かるのか聞いたら,50年も掛かったらできるであろう,というようなことを言った。したがって,どうも計画のレインジは50年か100年ぐらいではないかと思う。旧漢字のことについても,あれを一体どうするのだと言ったら,それは学者に任せるとか言っていた。(志田委員挙手。)どうぞ。

志田委員

 先ほどの報告で簡化漢字の追加準備中ということであったが,具体的な内容についてお聞きになったか。

林(大)委員

 この字とこの字という具体的な内容は聞いていない。近く追加するはずだという表明があっただけである。ただし,既に世間でもある程度用いられていて,まだ認められていない字があるということは,我々も認めてきた。それから,中国の「漢字正字小字彙(い)」という小さな本の中に俗字としてはこんなものがあるということが注記してあるので,これが今度加えられる準備的なものの一部になるのではなかろうかと思っている。

松村委員

 それに関連してお答えしておくが,前の段階までの簡化字は,文字改革委員会が中心になって案をつくり,そして,しかるべき機関を通して正式に決めるという形だったようであるが,文化大革命以後の新しい情勢の変化に伴って,その簡化字の決め方に少し変化が出たのではないかということが,中国の人たちとの話合いの中で感じられた。中国側の人たちから,労働者,農民,兵士の間から簡化字について多くの意見が寄せられている,そういうものを踏まえて新しい字を追加していずれ発表する,という説明があった。したがって,今新しい字についてのいろいろな意見が寄せられていて,そういうものの中のどういうものに絞るかということがやられているのだろうと思う。ただ,とにかくこれは正式には発表していないが,近い将来において相当数の新しい簡化字を決めていこうとする手続をするはずである。これは教育部責任者の言明であり,そういう方向にあることは確かだと思う。

林(四)委員

 全体とて国民に対しては,字を減らすというか複雑だった文字を簡単にしていくという感じなのか,それとも識字運動を盛んにやっているように,とにかく大半の国民は字を知らないという現実があるわけであるから,国民に字を教えていくについて,必ずしも従来の難しい字にとらわれないで新しい字を決めて,それを教えていく,知らせていくという感じなのか。そのどちらが主な方向なのか。

松村委員

 中国の人たちの言うところから推察すると,要するに従来は知識階級中心に文字改革なり国語問題なりが行われたが,そういうことではだめなので,人民大衆の中から簡化字その他を吸い上げて,それが自然な形で広まっていく,という方向で考えられるようになったということであった。そういうことからすると,非常に難しい字を簡単にするのかあるいは文字を知らないのを知らせるのか,どちらになるのであろうか。全く文字を知らない人民大衆が相当いるわけであるから,そういう人たちには文字を覚えやすいように簡単な字にしていくということであるし,従来文字を認識している人たちにしても複雑な字画は間違いやすく,間違いやすい字は簡略化するという一つのはっきりした方針があるので,両面あるのではないかと思う。

福島会長

 葉籟士氏の説明に,ローマ字化の基本方針は毛沢東の号令一下決まっているとあったから,日本ではとてもそんな手荒なことはできないという話をしたところ,日本とは事情が非常に違うから同じにはならないという説明の中に,日本よりも識字率が低く,また,全く通じない方言がたくさんあるという二つの点で中国の方はこのような文字改革案になるということがあった。

林(大)委員

 今の会長の話のとおりのことを我々も聞いてきた。低いものを上に上げるということではなくて,上のものが下に下がるということを非常に強調しているように思った。それから兵隊たち,農民たちが喜んでいるのであるから,その方へ行こうではないか,彼らこそ政治の主体なのだという言い方をしているわけである。その点では教育が普及してしまった(という言葉を使っては悪いかもしれないが。)日本とは随分事情が違うのではないか。それから経済上のことは分からないが,経済水準,生活水準ということから考えても相当な違いがあるのではないか,事情が違うのではあるまいか,というように感じてきた。

倉沢委員

 人民大衆の意見を吸い上げる,その仕方はどのようにしているか。

林(大)委員

 吸い上げるとはどういうことか,中国の人たちに聞いてみると,やはり調査をするのだと言う。また,兵隊たちなどから意見がどんどん来るので,そういう意見を歓迎している,尊重しているということを言っていた。それから最初の簡化方案ができたときには,30万部印刷して,これを各部に配って,各部で討論してもらって,その結果を中央へ持ってきたという話であった。その時には統計的な方法があったろうと思うが,そこまで立ち入って聞くわけにはいかなかった。

宇野委員

 それは今の林(大)委員の話のようなことではないかと私も想像する。初めにローマ字化を識字運動の意味でやった。字を知らないのであるから,それを押し付ければ通ったのではないかと思う。ところが人民大衆の中からどうも横文字はだめだという非常に強い意見が出た。しかし,昔の漢字は難しい,だから簡略化したものをということで簡体字が生まれたように聞いている。簡体字ができたそもそもは,やはり林(四)委員の質問のように識字運動のためが第一の目的であって,それを兼ねて知識人に対する便宜のためにもなるということであって,中国としては誠に筋の通った話のように思う。

林(大)委員

 私が聞いた範囲では,簡体字の問題は必ずしも戦後に起こったことではなくて前からもあったことである。今の宇野委員の話を全面的に否定するわけではないが,やはり表音化の方向へ進むのだと言いながらもそれはすぐにはできないということを最初から言っている。ローマ字化をやったのだが,やれないものだから簡化字を考えたということではないと思う。というのは1951年に毛沢東が音化の方向に進むべきだということを言ったが,1952年に文字改革委員会ができたときには漢字簡化の班ができているのだから,まず音化をやってからというのではない。それから音の問題を討議した時に,ローマ字を使うか注音字母を使うかという議論で3年間掛かっているのである。これは見方の違いかもしれない。

福島会長

 なお,いろいろ資料をお持ち帰りだそうなので,整理が付いた段階でまた話を聴く機会もあるかと思う。本日はこの程度にして次の議題に移りたい。

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