国語施策・日本語教育

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木内委員

 前回総会での私の発言について,第95回総会議事要録では「私案」となっているが,あれはほんの試みの案という含みがあるので,「試案」と訂正していただきたい。
 さて,私は日本で使っている漢字は全部で5,000字ないし6,000字ぐらいしかないと思う。これは,日本で使う漢字の底を示すことになる。日本人は一種の漢字恐怖症にかかっているので,幾ら多くても6,000字ぐらいしかないと分かれば,安心することになる。私どもでも3,000字や4,000字ぐらい知っているように思う。それを示すことによって,基盤が置かれるから,その後は便宜上の必要に従って,教育用の漢字表を作ってもよいし,一般社会用の漢字表を作ってもよいし,あるいは教養のある人は大体このくらい知っているという意味(漱(そう)石,おう(おう)外を読めば,これだけ必要であるというものをそこから得る。)の漢字表を作ってもよしとするので,私は複雑(この前は四つといったが,もっと作っても一向に差し支えない。)の表を作ればよいと思う。いずれ廃止にもっていく目的を持って漢字を制限し始めた戦後の政策では,実社会が動かなくなって,現状では新聞社でももっと漢字を使っている。その現状を考えて,今後どうすればいいかということを考える場合,今の状態から移る一番いい方式はたくさんの漢字表を出すのがいいと思う。それが社会の下した判決に沿って一番円満に現状を変える良い方法であると思う。
 私は第95回総会の議事要録をよく読んでみて,この趣旨のことは一回言えばそれでいいというものではないと思うし,議論を煮詰めて結論を出してもらいたいと思うので,また話すわけである。漢字表委員会の場でも総会の場でも本当に煮詰めて議論をしてもらいたい。なぜなら,表を幾つ作るか,どんなものを作るかは,日本語とはどういうものか,その日本語の表記とはどういうものか,教育はどうあるべきか,という認識にかかわると思うからである。それで私は,その線に沿って若干書いたものを作ってお見せしたいと思う。これから急いでやりたいと思っている。

福島会長

 ほかにないか。全般的な問題でも結構である。

鈴木委員

 前回総会の時にマイクロホンの数を増やして,座って発言できるようにしてほしいと申し上げたが,早速古賀副会長を初め事務当局において,非常に苦労され,要望を入れてくださり感謝申し上げる。少なくとも私は前回よりは発言がしやすくなった。
 全般的な問題に関係して申し上げる。国語審議会では,今,漢字表委員会がどれだけの漢字を選ぶかということと,字体表委員会がその選んだ漢字をどう書くかということが問題になっている。
 そのほか,送り仮名の問題もあるが,これは前々期に既に答申を出している。
 ところで,国語審議会の機能を考えてみると,漢字を制限するにしても,漢字をある程度の基準目安を決めるにしても,そもそもの目的は日本語,国語というものを一部特権階級のものではなく,広く国民全般に開放するということにあったと思う。それは現在も変わらない。もう一つは,歴史的には後から出たことであるが,情報化社会の要求にこたえるということにある。いかに日本人に便利であっても,それが金額の点で,たとえばタイプライターとかテレックスとか印刷とかの費用が余りにも掛かるということでは国際競争の問題にもかかわるわけである。結局,国語審議会の使命は,国語の国民化と情報化社会の要求をどう調和させるかにあると思う。
 ところが,このごろいろいろ調べてみて驚いたことがある。それは,漢字を主力に置いて日本語,国語を一般国民のものにしよう,一部学者とか特権階級のものにしないということをしている間に,片仮名の外来語がはんらんして,一般国民にとって国語審議会が考えてもいないようなところから再び国語が分からなくなっているということである。新聞,雑誌,広告を初め,国会の首相の答弁にまで外来語がどんどん入ってきて,「コンセンサス」「ステップ・バイ・ステップ」「ケース・バイ・ケース」といった,(私たち外国語の勉強を本職にしている人間には分かるが。)普通の人たちには分からない片仮名による外来語がはんらんしている。結局,漢字問題を検討し,国語を日本人の手に奪いもどそう,広く開放しようという目的で,いわば表門を固めている間に裏門から崩され,どんどん日本語を皆の手から遠ざけてしまうということが起こっている。
 更に非常に驚いたことには,このごろは国鉄,専売公社,警察庁といったところまでが,片仮名の外来語でなくて生の英語そのものを国民の目に触れるところでどんどん使い出している。そうすると,漢字だけを寄ってたかってどれだけ使わせれば国民が便利か便利でないかということに全精力を集中してきたこの30年間の国語審議会の趣旨は,どういうことになるのか。見たところ易しいつまり抵抗のない片仮名で書かれているというワンクッションを置いた形で,結局,国語が国民一般からどんどん遠ざけれらているのではないかという気がする。
 そこで,私は提案として,すぐに実現できるかどうか分からないが,片仮名語・外来語が一体国民のすべての層にどのくらい理解度をもって使われているのかを,しかるべきところ,例えば国立国語研究所のようなところで調査するとか,あるいは国語審議会で問題として取り上げるとかして,とにかく何らかの形で,見たところやさしい,敵の格好をしていないで実は敵よりも恐ろしい片仮名語・外来語のはんらんの問題や生の英語そのままを公的機関が堂々と使っているという問題を考えるべきではないかと思う。
 こういうことについても,いろいろと意見を聞きたいと思っている。

福島会長

 ほかにあったら,発言いただきたい。

宇野委員

 直接関係のないことかもしれないが,いつか話したいと思っていたことである。漢字の正字体・旧字体を読み取り漢字としては教えなければいけないという私の主張についてである。それと同時に,日本国憲法は,いわゆる正字体・旧字体であり,しかも,歴史的仮名遣いで書いてあるので,歴史的仮名遣いをも学校で教えるべきであるということも言いたい。つまり,書くのは現代仮名遣いでも構わないが,歴史的仮名遣いが読めないのは困るので,それをどこで教えたらいいか分からないが,遅くとも中学校段階では是非教えていただきたいと思う。その方法としては,例えばおう外とか漱石の作品を使えばよいと思う。殊におう外は歴史的仮名遣いを固守して,仮名遣いの変更に対しては非常に抵抗した人であるから,おう外の作品などがよいと思う。(おう外の作品を現代仮名遣いに直すということは,誠に故人に対する冒とく(とく)であると思う。)もし,おう外の作品が難しければ,夏目漱石の「坊ちゃん」でも何でもいいが,比較的易しい,だれにでも分かりそうな材料でよいと思う。そういう教材で歴史的仮名遣いを是非教えていただきたい。これを私は希望する。

福島会長

 真田委員,憲法はその中の字が変わったりしてはいけないものか。

真田委員

 原典は歴史的仮名遣いで書いてある。それを批判する人が翻訳することは自由であるが,憲法そのものは,作った時の文字,送り仮名のままであるから,その字を直すことになると,憲法改正ということになって所定の手続を経なければならないことになる。したがって,これを変えることは,現実の問題として難しかろうと思う。

福島会長

 ほかに意見はないか。(意見なし。) 
 次回の予定は,10月中旬以後の金曜日になると思う。事務当局の都合もあるかと思うが,10月24日の金曜日という想定ができると思う。なるべく早めに連絡申し上げたい。それではこれで閉会する。

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