国語施策・日本語教育

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次第 協議(1)

福島会長

 「新漢字表試案」について,各界からの意見がまとめられているわけであるが,今後,漢字表委員会で具体的に御検討願い,その結果の報告を受けてから総会で協議するということになるのが筋であると考えられる。120以上にわたる各界からの意見が寄せられているが,そのうち20ぐらいは,「繭」の1字に関する意見のようである。各界からの意見について御意見などがあったら,どうぞ。

木内委員

 一般的な意見を申し上げる。
 今の時点で,まず最初に国語審議会として是非審議,決定すべきことは,新漢字表を一体手直しするのかしないのか,直すならどう直すのかということであろう。
 手直しをするという意見の中で一番多いのは,33字の削除についてであろう。特に「繭」の字を復活してほしいという意見が多いが,この字を削除しなければならない理由はないと思う。そして,もし「繭」の字を復活するとするならば,強いて33字すべてについて削除しなければならない理由はないと思う。全部復活する方がいいのかもしれないと思うが,今論議しようというわけではない。しかし,いずれこの問題を審議,決定しなければならない。なるべく早い方がいいと思うが……。
 次に新漢字表を正式に答申する場合の前文というか何というか分からないが,これの中に改定の理由を明らかにしなければならないということがあろう。その起草は非常に大きな意味を持つので,文章は明確なものを期し,その起草の方法は慎重であってほしいと思う。
 問題の中心は,なぜ制限を「目安」に変えたかということであるから,その理由の説明はしっかりとしていなくてはいけない。
 この案文の作成はなかなか難しいと思うので,いずれ総会の問題となろうが,案文の作成までは漢字表委員会に一任してもいいし,別に起草委員会をつくって,そこにまかせてもいいと思う。
 また,更に「当用漢字表」を改定することに伴って生ずるであろう若干の事柄について,国語審議会としての意見を決定し,発表することがあると思う。その中ではっきりしているのは,「人名用漢字別表」などをどうするかということである。つまり,戸籍法との関係をどうするのかということであろう。戸籍法で制限しているのは,いうまでもなく「当用漢字表」が,漢字を制限するつもりであったからである。新漢字表試案で「目安」とした以上は,どうしても「人名用漢字別表」などを変えなくてはいけない。当然国語審議会としては,子の名に対してはどうあるべきか(実際に問題を処理するのは,法務省であるが。),という意見は絶対に述べる必要があると思う。
 戸籍法との関係にとどまらず,ほかにも問題は多くある。例えば,学術用語に用いられる漢字についても,同じように意見を述べる必要があると思う。
 そのほか,当審議会として審議,決定しなければならないことは,漢字教育はどうあるべきか,国語教育はどうあるべきかということについてである。つまり,「当用漢字別表」をどうするかということである。戦後30年,国語に関する国民的実験をやってきたが,これからは国語教育,小さく言えば漢字教育はどうあるべきか(何も教育方法の末節に入る必要はない。),という新しい方向づけは,どうしても審議,決定しなければいけないと思う。これは新漢字表に直接関係するものではないが,是非やっていただきたい。実は第12期の終わりごろに私が提出した意見書は,当否は別としてペンディングになっているが,あれは,新しい国語教育はどうあるべきかという考え方が入っているので,改めて取り上げて,この問題を決めていただきたいと思う。
 以上が是非やらなければならないことであって,既に話題になっている話し言葉,敬語,外来語などは強いて取り上げる必要はないと思う。
 ただし,是非やるべきこととは思わないが,やれば結構であって,見方によっては,そういうことに対しても考え方を決めておかないと,新しい国語教育はどうあるべきかということは,本当には論じられないということになるのかもしれない。
 大体以上のように考えるので,大局的なアプローチというものを論議して末節の論議に入らないようにしていただきたい。

福島会長

 もっともなお話である。ただいまの御意見は,先ほど問題点整理委員会から御報告があった4項目の問題に関係しているものだと思う。問題点整理委員会で整理した問題点については,本日の総会でこれを全部議論していただくことは不可能であるので,次回の総会以降,逐次意見を伺っていきたい。
 このうちの2番目の教育漢字については,先ほどの御報告もあったように,漢字表委員会としては,委員会である程度検討してから,意見を提出し,総会で協議するということを想定しているようであるが,私もその方が議論をするのに便利であろうと思う。
 それからまた4「その他」の(1)「仮名遣いについて」は,先ほど問題点整理委員会から,漢字表の検討が終わってからが適当であろうという意見が出されたが,私もそのとおりだと思う。そうなると,この点は,恐らく今期の審議会では間に合わないという結果になるのかもしれない。
 4の(3)「今後の運営・組織等について」は,木内委員からもお話があったとおり,前文あるいは理由書の表現に関して,別な委員会が要るのではないかという問題も含まれている。今後の運営・組織等に関して,運営委員会で検討した上で,この総会に案を具して協議をお願いする方が順当であろうというふうに考える。
 そうすると,1の人名漢字,3の話し言葉等,4の(2)の上記以外の国語政策について,順を追ってこの総会で取り上げていきつつ,漢字表委員会,問題点整理委員会の報告を待って,総会としては引き続いて議論をしていくというのがよいのではないかと考える。この進め方についても意見を伺わせていただきたい。

木内委員

 仰せのとおりだと思う。現在,一つの区切りにきている。新漢字表に関する後始末的なものと,新しいことをどうやるかという問題になっているわけであるから,これからはこの審議会の運営は大いに刷新されるべきだと思う。今,まさに運営の方法を考えるべき時だと思う。それに対して,会長に対するお願いであり,忠告であるが,会長のリーダーシップをもっと発揮なさっていいと思う。

福島会長

 リーダーシップをとりたいのはやまやまであるが……。
 教育漢字については漢字表委員会で御検討を願った上でという点は,そのように取り計らわせていただきたい。人名漢字とか,話し言葉とか,一般的な国語政策などが,直接総会で意見交換すべき差し当たりの題目であろう。順番はこのとおりでなくても一向に構わない。本日だけで事が済むわけでもないから,話し言葉,敬語,外来語などについては今後の総会で討議することにしたい。
 そこで本日の会議では,残りの1時間で人名漢字問題について,いろいろ意見を伺わせていただきたい。そして次回は初めから,一般基本問題についてということで2時間30分やったらどうかというふうに考えている。
 今後人名漢字問題を取り上げていく方向について審議会内部でも両方の議論があるわけで,意見が一つにまとまっているとも考えられない。人名漢字は,現在のような法務省の管轄下における制限的な形として残るべきものであるのか,それとも漢字表の性格が変わるのだから制限を撤廃すべきものであるのか,意見をお聞かせいただきたい。

宇野委員

 問題点整理委員会の提出資料を拝見したのであるが,中には法務省に一任,国語審議会は黙っているという意見もあるようである。それは一つの考えであるが,次のようにも考えられる。つまり,当用漢字は,いろいろ議論はあろうが,現実問題として明らかに制限であり,更に申すならば,漢字を段々減らしていくという目的をもって制定されたものであることは明らかだと思うので,その方針が,今度の新漢字表によって「目安」に変わり,制限はしないという国語審議会としての態度がはっきりした以上,やはり人名漢字についても国語審議会としては制限を撤廃することが望ましい,あるいはすべきであるというくらいの意見を述べるべきであると思う。つまり,国家の国語政策というものが国語審議会に一応諮問されているわけであるから,その諮問に対して,それが国語審議会としてなすべき当然の義務というふうに私は考えている。

福島会長

 鈴木委員,どうぞ。

鈴木委員

 人名漢字の問題について,判断をする材料としてお伺いしたい。当時の状況としてはやむを得ないにしても,一応漢字というものを将来全廃の方向にもっていく思想というか発想は,どうも少し早まっていたと思う。現時点ではそういうことは可能でもないし,また望ましくもない。そういう前提に立った場合,人名漢字の制限を廃止すると,具体的にどういう問題があるのか,何が困るのか,例えば,法務省などは,実際問題として人名にいろいろな漢字が使われると,どういうふうに困るのだろうか。自分の子に変な名前をつけた場合,自分の子供がいろんな人に間違った呼び方をされたり,場合によっては名簿などで変なところへ分類されてしまうとか,随分迷惑するだろうと思う。それでもそういう名を付けたいという人がたくさんいる。そういう名を付けたとして他の人はどういう迷惑を受けるのか。本人の迷惑だけだったら,私は自分の迷惑を承知でいろいろなことをするのは自由社会の原則としてかってではないかと思う。
 ドイツ,イギリス,フランスなどのヨーロッパではアットユアオウンリスク(at your own risk)とかいって,自己の負担において何でも好きなことをやれ,他人に迷惑がかからなければいいという発想があるが,日本の場合は,他人が困るのを見ていられないという親心が強い社会だと思う。この際,自分が困るならどんなことをしてもいいというように考えたらどうか。少なくとも言葉の上で他人に理解されない,人に読まれない,間違って読まれる,そういうことが本人以外の他者にとって社会的に困ると言える根拠は何なのだろうか。
 かつて挙がっている理由をどなたか御存じならば,教えていただきたい。また現在はこういう迷惑があるということがあれば,教えていただきたい。例えば,名刺をつくるときに,ある印刷店が自分のところにはそんな活字はないからと断っても,別に何の違反でもない。他者が迷惑をこうむる複雑なる奇々怪々な漢字は何かと考えると,余り多くないと思う。その難しい漢字についても,もし分からなければ,事務局に調べてもらうことにして,どなたか御存じであれば,伺いたい。

福島会長

 今の名刺の件については,私も若干印刷業に関連があるので分かるが,人の名前が読めない,印刷が簡単にできないということは相当の被害であって,本人以外たいした被害をこうむっていないではないかということには必ずしもならないと思う。早い話が,学校の入学試験の結果を急いで発表するといったような際に,読めない字,刷れない字がかなり多いということは,出版印刷関係では相当困る問題である。また,人の名前が読めないというのは,読み違えられた本人の問題だけであるということでは済まないと思う。その辺の過去の議論のいきさつなどで,事務局に多少の資料などもあるか。あるいは岩淵委員は何か御存じか。

鈴木委員

 そのとおりだと思う。そこで,ルビ復活ということが大分アンケートでも人気があるようだが,私は,自分の名前が非常に特殊な漢字で読めない場合には,ルビを振るということを奨励すればいいと思う。そういうことを社会常識にすれば,読みにくいという問題は,まず消えてしまう。問題は多くあると思うが,いろいろな手段を講ずることによって問題の根を断っていくことができる。
 もう一つ,やさしい漢字を組み合わせても,非常に独特な読み方をみずから要求する場合もある。例えば土井(つちい)晩か土井(どい)晩かというようなことが多々ある。漢字の字種,字数だけが現在問題になっている以上,不思議な読み方を要求する人の根をも断たないと問題は尽きない。
 それから音声符号であるヨーロッパ記号にしても,ヨーロッパ人の名は,アメリカでは,一つのつづりが幾通りにも通用しているということがあるので,結局,固有名詞は,その人がどの程度がんばるか,どの程度要求度を高くするかという,個人の問題であって,社会の大多数の人に合致するような普通の読み方をしないと,また普通の字を使わないと,正しく読んでもらえず,その人が損をするということはあくまで残ると思う。
 ただ印刷関係で字をそろえておかなければならないという問題は,名刺のような場合は,印刷できないと断ればいいが,官庁などである人の名前を書く場合にその字がないというのは,あくまで大きな問題として残ると思う。
 しかし,これ以外に,漢字を減らしていくということを一応はずして考えた場合に何が問題であるのか非常に興味がある。具体的に問題を詰める上で,かえってそういうことを議論することによって結論が早く出るのではないかという気がする。
 本人が困るのも,本人の責任であるとした場合に,ほかの人や社会にとって何が問題であるのか。官庁などの責任のあるところでそろえておかなければならない字が当然増えるということが一つあると思うが,それだけなのか,ということを御列席の各委員にも伺いたい。

福島会長

 将来,技術が発達して,もっと能率がよくなり,もっと字数を多く扱える時期は必ず来るだろうとは思うが,現在の技術水準では,2,500ないし3,000字ぐらいでないと(2,000字という人もあるが。),印刷というものが機械的に行われる限りにおいてはなかなか扱いにくくなる。印刷のコストが非常に上がってくるという問題をはらんでいると思う。
 審議会としては,だからといって,字の数をそれに合わせていく必要はないのであって,そういう機械的な進歩,発達が今後できるはずであるという考え方に立っていても,一向差し支えないと思うが,当面の問題としては,出版事業,印刷事業というものは,字数にとらわれざるを得ない時期にあると思う。
 つまり,人名漢字ということで,特に珍しい字が時々飛び出してくるということになると,能率が悪くなる。それはコストが高くなるということであるから,かなり問題があると思う。

鈴木委員

 現在「当用漢字表」にない字が出てきた場合は,それを仮名で書いたりすることはしているのであるから,人名の場合に,それを適用することに決めると非常に楽だと思う。つまり常識的でない字を書いた人が出てきたら,同時にルビを振るという教育をしておけば読めるわけである。
 そうすると,漢字がなければ,そのルビによって例えば「やまもとふみひこ」と仮名で書くことにする。つまり,「ふみひこ」という字は,見たこともないような字が二つで,本人はそう書くが,印刷関係とか官庁とかには,その活字はないのだから,社会的には,「ふみひこ」と読めばいいということにして,仮名で書くことにするわけである。繰り返すと,「曖昧」を「あいまい」と仮名で書くように人名漢字にも,公的な機関が仮名を適用することを許可するということをここで決めてしまえば,人名漢字を野放しにしながら,官庁とか印刷・新聞とか,公的な機関では,堂々と自分の好きな範囲の活字で組むことができる。しかも,読むことも絶対間違わない。
 したがって,漢字を減らしたいという深い思想がないとすれば,どんな複雑な日本人の名も仮名さえ付けてくれれば読めるので,人の名が仮名で印刷されることを覚悟して,どんな変な漢字でも使いなさいというふうにすれば,本人の権利主張と,受け入れ側の社会との摩擦が余りなく,この問題が一つ解決するのではないか,ということを申し上げたいために伺った。

福島会長

 もっともなお話だと思うが,印鑑証明を取る場合などは,私の「慎太郎」は「愼」の字で登録してあるので,「愼」でなく「慎」と書いたら,証明をくれないし,区役所で身分証明書を取る場合も同じである。ましてこれを仮名で書いた場合には,絶対くれないということもあるので,国語審議会で決めただけではどうもおさまりがつかないのかもしれないという感じを持っているが……。堀委員どうぞ。

堀委員

 私は,人名漢字の制限撤廃については非常に疑問を感じている一人である。今,福島会長が機械技術が進歩すればと言われたが,私たちテレビに関係している者としては,機械技術が進歩すればするほど,漢字は制限していただきたいと思う。字を取り出し,かつ鮮明にブラウン管に入れる技術は,日に日に進歩しているが,この技術を取り入れるためにも,余り字が多くない方がよい。
 それから,名前の呼び方と字種,字数の問題で,呼び方にルビを振れば字は制限しなくてもいいというお考えには,多少の無理があると思う。呼び方も制限してもらいたいし,字も制限してもらいたいというのが,放送業務に携わっている者の気持ちである。
 国語審議会は,どういう審議経過をとってきたのか分からないが,もともと多くの漢字を制限していく,そして単純な,しかも分かりやすい日本語を志していると思う。字数の面からも,人名漢字の制限については是非とも基本的な趣旨を崩さないでいただきたい。

小西委員

 二つの点について申し上げる。
 今まで人名に使う漢字を制限してきたいろいろな根拠は,「当用漢字表」その他,国語審議会で決めたことがもとになっている。したがって,後は法務省で,どうぞよろしくというわけにはやっぱりいかないと思う。この後どうするかということについて,当審議会として,法務省に対して何らかの意見を述べる義務があると思う。これが第一点である。
 次は,実際,人間の名前が漢字でどう表現されるかということは,実は戸籍だけの問題で考えてもしかたがないということである。もし私がへそを曲げて何かやろうと思ったら,雅号を自分でつける。以後私の著作は難しい漢字の雅号で発表して,新聞もこれを掲載せざるを得ないとなったら,戸籍法がどうがんばっても,仕方のないことだと思う。
 他面,実際の漢字の流布の方向は今段々減っていく傾向と考える。本日の資料の中に「講演会」という字が既に書けなくなってきているということが書いてあるが,そういう時代に育った人が,今度自分の子供に名前を付けるときに,そんなに難しい字を付ける能力があるとは考えられない。
 今は,私程度の戦前の教育を受けて,難しい字を使うから困るということなのであって,これから先は私程度(多分私は6,000字ぐらい知っていると思うが。)又は,それ以上の能力を持った人間がそうでてくると思えないので,漢字をもっと覚えろと,エネルギーを強力に与えない限り,この傾向は逆にはもどらないと思う。したがって,余り表現というものを法律の立場から制限することは感心できない。
 野放しという言葉は大変よくないと思うが,表現の自由は尊重したい。先ほど鈴木委員も言われたように,どうせ迷惑を受けるのは本人が大部分なのであるから,ごくわずかなところで,仮名で書き換えをするということでもやっておけば,社会的に余りひどいコンフリクトを起こさない形で,段々落ち着くところへ落ち着いていくのではないだろうかという感じを持つので,これからの方向について,法務省に,当審議会としての意見を何か表明する必要があるのではないかと思う。

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