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次第 字体について

福島会長

 それでは,本日の主な議事である漢字表委員会の審議状況について,三根谷主査から御報告いただきたい。字体の問題と教育に関連する問題の二つの議題があるが,最初に,前回総会から引き続いている字体の問題について,御報告を伺い,協議いただくこととしたい。

三根谷主査

 前回総会では時間がないために,非常に簡単な報告にとどめたが,その後,漢字表委員会を4回,字体小委員会を4回開き,主として,字体の問題と教育に関連する問題について検討を進めた結果,漢字表委員会としての基本的な考え方が大体まとまってきたので,御報告申し上げる。
 初めに字体の問題について御報告する。お手元の資料1の「1 字体の示し方等について」を事務局から朗読していただく。(上岡国語課長補佐朗読)

字体について

1 字体の示し方等について(前文等で言っておくべきこと)
  字体の示し方等について,次のように考えることとした。
(1)  新漢字表には,字種,字体,音訓(及び語例)を併せ示す。
(2)  字体は文字の骨組みと考える。
(3)  字体は印刷文字の面から考え,現在,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等一般の社会生活で通用しているものをもって字体の標準とする。
現行のものには手を加えない(例外─灯)。新しく加わった字は,現行のものに準じて整理し,略体の慣用されているものは略体で取り上げる(蛍,斉,縄など)。
(4)  字体を示すのには,最も広く用いられている印刷文字である明朝体活字の一例をもってする。
ここに示したものによって,明朝体活字のデザイン的要素を拘束しない。明朝体と異なる印刷文字,書写の実際を拘束しない。
(5)  明治以来行われてきた活字とのつながりを示すために,いわゆる康熙(き)字典体の活字を適宜括弧に入れて添える。
著しい差異のないものは省く。(試案では,画数に違いのあるものを主として,349字について字典体を添えてある。)
注)(4)の括弧書きについては,別途解説を加えることとし,その内容については現在検討中である。

三根谷主査

 「1 字体の示し方等について」に関して,初めに御説明する。
 第(1)項は,表の作り方の上で試案と同じような形をとるということを意味している。字体表というものを別に作らず,本表の見出し漢字で字種を示すと同時に,字体をも併せて示すという考え方である。
 第(2)項は字体の定義であって,第12期以来,こういう考え方をしてきたものである。実際に用いられる文字は骨組みに何らかの方法で肉づけがなされたり,デザイン的要素が加味されて出来上がっているものであるが,字体という場合には,そういう肉づけやデザインなどを考えるのではなく,字の骨組みを取り扱っていくということである。
 第(3)項は,字体は印刷文字,すなわち写真植字を含む活字について考えるのであって,手書きの場合とは区別して考えるということ,そして現在,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等,一般の社会生活で通用しているものは,現行の字体表に基づいて作られた活字であるが,それを動かすことなく,字体の標準とするということをいっているものである。
 字体について「標準」という言葉を用いるか,あるいは「目安」の方がいいのではないかというような意見もあったが,「目安」というのは,もともと各自の判断の目印ということで,使う,使わないは各自の判断に任されているという性質のものであるので,字体の場合には適切ではない。むしろ客観的な「標準」という言い方が適切であろうということになった。字によっては異字体がいろいろある中から一つを採っているわけで,そういう意味からいっても「標準」というのが適切であると思われる。現行の字体表も「標準」という言葉を使っているし,文部大臣の諮問においても,「字体の標準に関する方針及び各字の字体の標準について検討する必要がある。」と述べられている。そこで「標準」という方を採ることにした。
 括弧の中に述べたことは,試案の場合と同じであるが,試案で取り上げた字のうち,「缶」,「竜」,「潟」の3字の字体については,漢字表委員会の中で意見が分かれていることは,前々会の総会で御報告したとおりである。

三根谷主査

 第(4)項は,字体の示し方について述べている。これについては,現行の「当用漢字字体表」のような形で示すとか,あるいは教科書体活字で示すとか,いろいろの考え方があったが,字体小委員会でかなり時間をかけて具体的に検討した結果,現在使用されている明朝体は,形の上で少しずつ違いはあっても,その違いはいずれもデザイン上の問題であって,字の骨組みとしての字体については,それらの違いは問題にしなくてもよいものであるということがはっきりしたので,明朝体の活字の一例をもって字体を示すことが最も実際的であるということになった。
 では,明朝体活字として今日用いられている活字の中で実際にどれを選ぶかという問題については,漢字表を印刷する大蔵省印刷局で使っている明朝体活字を使用することがまず考えられるわけである。試案の場合にも,大蔵省印刷局で印刷したが,印刷の都合上,親字,つまり,見出しになっている漢字だけは,写真植字によった。すなわち,親字は印刷局所有の活字ではなかったため親字と語例に挙げている活字とで,字形の違いが幾つも認められるような結果になったわけである。今回は親字についても,なるべく大きい14ポイントくらいの活字を使いたいと考えている。その活字の見本は,なるべく,早い機会に一覧表の形でお目にかけたいと考えている。
 それから,括弧の中に書いたように,漢字表に用いた活字によってそれ以外の今日世間一般に用いられている明朝体活字に見られる形の上での細かい違いを問題にしようとするものではない。すなわち,デザインについては拘束しないということをはっきりと書いておく必要がある。それによって混乱を起こすようなことがないように注意したい。そして,問題にしないという違い,デザイン的な要素というのはどういうものであるかということを,具体的な例を挙げて解説しておくことが必要であろうと考える。この具体的な例のサンプルについては,前回総会で配布してお目に掛けた。
 また,現行の「当用漢字字体表」には,「使用上の注意事項」というものがついていて,活字と手書きの文字との関係について,例を挙げて説明してある。今度作る漢字表の場合も,このような手書きの文字との関係についての解説が必要であろうということで,資料1の下の方に注記したように,こういう解説の文案についても,現在検討を進めているところである。
 第(5)項は,試案の場合と同じ考えである。これについては,違いのあるものは全部康熙字典体を添えた方がいいという意見もある。また康熙字典体を添える必要はないという意見もあるが,委員会の大勢としては,若干の手直しを加える必要はあるにしても,大体試案のままでよかろうということに落ち着いている。
 以上は字体の示し方にかかわる基本的な問題についての考え方である。
 次に,資料1の2枚目「2 表外字についての字体整理の問題について」に移りたい。(上岡国語課長補佐朗読)

2 表外字についての字体整理の問題について
   表外字の字体に関しては,表内字の字体に準じた整理を及ぼすかどうかの問題がある。これについては,漢字表委員会の大方の意見は次のとおりである。
   この問題については,将来の状況の推移を見てから国語審議会として態度を決めるべきであり,今は特定の方向を示さないものとする。ただし,ある程度考え方を示した方がよいという意見もあった。その際考えられることは,次のようなことである。
   「へん」「にょう」等のうち,次のようなものは表内字に準じて統一することができよう。
   示→    
   「つくり」などについて表内字の字体に準じた整理を及ぼす場合は,習慣の有無や識別性を十分考慮して,慎重に取り扱うことが必要である。

<参 考>

参考

三根谷主査

 表外字についての字体整理の問題は,影響するところが非常に大きいもので,慎重に考えなければならない。漢字表委員会の大方の意見は,ここに書いたようなことであって,性急に方針を示すことなく,実際の世間の動きを見てから,国語審議会としてこの問題を取り上げればよいという慎重論が大勢を占めている。
 しかし,一方,現実には世間の一部で,ある程度表外字の字体についても,表内字の字体に準じた整理を及ぼした活字が使用されている。漢字表が「目安」ということになると,今まで以上に表外字が使用されることも予想されるので,国語審議会としてこの問題に触れないわけにはいかないという意見もあり,ここに書いたような考え方も出ている。
 参考として挙げてある字のうちで,黒丸がついている例が出ているが,それは,習慣の上からいっても,識別性の上からいっても,そういう字体の採用には無理があろうかと考えられるものである。こういう問題について御意見をいただきたい。
 なお,このほかの部首の問題についても検討したが,結局,次のような結論となった。
 部首というものは,漢字の分類,配列,索引とかかわるものであって,部首に関して新しい統一的な基準を設けることを要望する声も世間にはあるが,現実には漢和辞典等においては,それぞれ部首について工夫がなされており,そのような創意工夫に任せることが当面適切だと考えられる。新漢字表では,漢字を配列するのに,字音による五十音順の配列方式をとっていることでもあるので,特に部首について新しい基準を立てることはしなかった。
 以上が字体に関係する諸問題についての報告である。

福島会長

 ただいま御報告をいただいた字体の問題について,御意見,御質問をお願いしたい。なお,前回も申し上げたことであるが,今期の国語審議会の任期もだんだん終りに近づいてきているので,今後,ある程度期間を詰めてお集まりをいただかなければならないと考えている。
 さて,字体についてただいま御説明があったとおり,一々の字体というよりは,字体についての基本的な考え方について御了解をいただきたいと考えている次第である。そのようなことをお含みおきの上,字体について,あるいは字体の示し方に関する基本的な考えについて御意見と御質問を伺いたい。

松村問題点副主査

 これは意見でなくて質問である。資料1の(3)で「字体は印刷文字の面から考え,現在,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等一般の社会生活で通用しているものをもって字体の標準とする。」とあり,はっきり「標準」ということを出しているが,(5)に「明治以来行われてきた活字とのつながりを示すために,いわゆる康熙字典体の活字を適宜括弧に入れて添える。」とある。「試案」ではこういうことに何も触れないで,いわゆる新字体と,それに対して大きく違うものを括弧に入れて示している。今回示された字体についての考えでいくと,括弧に入れられた康熙字典体は標準ではないとするのか,それとも字体の標準とするということは,括弧内の康熙字典体も含まれるのか。この文面ではいわゆる新字体が標準であると,はっきり規定してしまっている。そして,括弧内のいわゆる康熙字典体は,明治以来行われてきた活字とのつながりを示すためだというふうにはっきり出ているが,漢字表委員会ではその辺をどういうふうにお考えか。

三根谷主査

 一番難しい問題であって,説明の中で「標準」ということをくどくど申したのは,「標準」がいいか「目安」がいいかということで問題にしたからである。一般の社会生活で通用しているものをもって字体の標準とするというのは,現在一般に用いられているものという意味である。それから字体に限らず,新漢字表はすべて,一般の社会生活において用いる場合の問題を取り扱って,それ以外の漢字を使ってはいけないとか,それ以外の字体は使用されるものではないとか,ということではないというように考えている。
 康熙字典体を添えるか,添えないかということについても,いろいろな相反する意見がある。康熙字典体は,「当用漢字表」あるいは「当用漢字字体表」によって,新しい字体が制定された際には従来の漢字とのつながりを示す必要から添えられたが,今回は「当用漢字字体表」の字体が既に長い年月の間,一般社会に定着してきているのである。康熙字典体を添える必要はないという意見も出された。
 しかし,明治以来行われて,長い使用の歴史を持った字体も,これが我々の使用する字体ではないというふうに誤解されることは好ましくないので,前回に引き続いて,康熙字典体を添える。添え方について,またいろいろな意見が出されているところである。

松村問題点副主査

 試案ではあいまいであったが,この辺が今回,字体表を示すときの一番のポイントになると思う。今回も形の上では恐らく試案と似たような形で出ると思われるから,実際はそう変わっていないように見えるが,ここではっきり新字体の方が標準であるというふうに規定して,康熙字典体が括弧に入って示されるということになると,これは恐らく非常に混乱を招くもとになると思う。だから,出すならこの辺をはっきりさせておきたい。
 前からの漢字表委員会の考え方,岩淵委員のお話などを通して何となく感じていたところは,字体については,正・俗・通とあるうちの通用字体を示すというふうな考え方を中心にするということであったように思う。
 つまり,字体の標準とするというと,標準とは何ぞやということを明確に規定しなければならない。いろいろな考え方もできると思うが,字体の標準となると,いわゆる正体をはっきり示すという考え方をとるのが普通であるし,「当用漢字字体表」では,はっきり字体の標準を示すとなっているわけで,新字体が正体で,それ以外は間違いだというような考え方で教育その他も行われてきている。
 だから,「当用漢字字体表」が標準だからといって,それをそのまま踏襲すると,ここに示された以外の字体はどうしても正しくないという考え方で受け取られるおそれがある。
 要するに,「標準」という言葉を使うとすれば,括弧内の康熙字典体までも標準の中に入るのか,あるいは括弧の中はあくまでもつながりを示すためであって,括弧のない,いわゆる新字体の方が正しいというふうにするのか,その辺をもう少しはっきり詰めないといけないと思う。

三根谷主査

 前々から岩淵委員などのお考えを受けて,今回の字体表の標準というのは,一般社会において通用している通用字としての字体の標準ということを示しているのであって,康熙字典体を否定しないという立場がとられている。そのことは,試案の142ページ,(3)「字体について」の第4項目に,「この表に示す字体は,いわゆる「通用字」として考えたものであって,康熙字典に基づく字体を否定するものではない。なお,これとの関連を示すため,適宜,いわゆる康熙字典体が添えてある。」とあり,この考え方を改めようというのではない。今度の資料1の説明が言葉が足りなければ,起草する場合に十分その趣旨を明らかにするようにしていきたい。

松村問題点副主査

 そのようなお考えなら「標準」という用語についてももう一度慎重に御検討いただきたい。「当用漢字字体表」では,「字体の標準」となっているので,それと同じ用語が使われると,今回の表は通用の標準だといっても,通用字体というのとは違っているようにとられるおそれがあると思う。更にこのことをお願いする。

福島会長

 ただいまの御発言は,試案に示してあるような言い方の方がベターであるということか。

松村問題点副主査

 試案には「標準」という文字がない。表現の仕方はいろいろできると思うので,言い方を考えていただきたい。

志田委員

 今の主査の御説明は,試案が成立したときの総会に提出された説明資料に基づくものであって,この説明資料と試案の前文の両方を突き合わせて新しい前文が今度書かれるというふうに考えている。

福島会長

 そのとおりだと思う。

小西委員

 いま話に出た「標準」ということであるが,これがいわゆる正体,俗体,通体というものの正体とすぐ結びつけるような考え方があるかと思うが,従来,明治この方,いわゆる正体と考えられていた康熙字典の字体なるものは,実は中国では割合近世になってからできたものである。六朝時代には,字体というのはそれほど一定しておらず,いろいろな書き方があった。これが唐代になり,虞世南や遂良のころになって,一つの標準字体めいたものができたが,これもそう長続きしないで,しばらくすると,顔真の,あるいは篆(てん)書の筆法を入れたものが出てきて,これが康熙字典などのもとになっているわけである。
 しかし,中国の刊本にしても,写本にしてもいわゆる康熙字典のようなものでずっと長い間を統一してきたという歴史はなく,康熙字典の字体が,もし日本で正体と考えられたとすれば,これは明治のこの方の割合短い期間であって,それを知っているから明治以前の日本の古典を読むときに便利であるとか,中国で出版された古典を読むときに便利であるとかいうことには必ずしもならない。私は厳密に言えば正体というものは,その時々に決められた,その時々のものしかないのであって,結局,全部通用体の標準であるという以外にはないと思う。
 康熙字典にしても,序文などを見ると,唐代の遂良や欧陽詢が書いたような書体が何字か使ってあって,康熙字典そのものの中でそもそも一致していないということがあるので,余り正とか俗とか,どれが間違いであるとかというようなことを考えないで,標準といえば,ある時期,例えば100年なら100年,200年なら200年程度の期間で通用している中のよりどころになるものという程度で,一方は正であり,一方は俗であるという意識は余り持ち込まない方がいいのではないかという感じがしている。

森岡委員

 漢字表委員でありながら,質問になるかもしれないが,私の理解では,正,俗,通という考え方は,一応ここでは取り入れないで,字体というのは何かと言ったときに,結局,通用字であるという考えがあったのではないかと思う。今日の資料1の1の(3)の表現の仕方は,確かに松村委員が述べられたように,正体のような印象を与えるが,この文言は,「印刷文字の面から考えて」とあるように,今度の字体の示し方は,印刷文字の字体を示すのである。だから,手書きの文字に対して活字体の文字の字体を示す場合の標準とする,基準とするという意味ではなかった。字体そのものの通用文字としての標準というよりも,新漢字表で字体を示す場合に活字体を基準として示すという意味ではなかったかと思う。(3)の表現の仕方は,確かに正体,俗体,通用体というふうな印象を与えるところがあるので,私も少し手直しする必要があるのではないかと思う。

福島会長

 御意見は実体的には必ずしも相違はなくて,表現の仕方についてお考えがあるのだろうと思うが。

三根谷主査

 いろいろの御意見を承り,大変参考になった。森岡委員の御意見の,活字で標準を示すということは,活字体が標準であるというのではなくて,標準的な字体を便宜上明朝体の活字で示したということである。
 小西委員から,漢字の歴史についてのお話を承ったが,正,俗,通というふうにいうのも,それぞれの時代において定められていく性質のものであるということは,まさにそのとおりであると考えられる。
 今日,それでは何をもって標準とするかということであるが,通用の字体というものをまず定めておいて,それと並んで明治以来行われている字体も否定するものではないから,それを併記して,否定するものではないという立場を明らかにしておこうということで,いろいろな違った方面からの意見が調整されてこういう形になったというふうに考えている。

林(四)委員

 漢字表委員会の一員としてこういうふうに理解している。先ほど三根谷主査がお答えになったとおりの理解であるが,(3)の書き方がうまくないなという感じを持つことは森岡委員と同じである。というのは「……通用しているものをもって字体の標準と」というふうな書き方は,いろいろな字体があるが,その中で通用しているもの,つまり通用字体をもって字体の標準とする,と読めてしまう。いろいろな字体があるがといわれると,正,俗,通というものを我々は頭にえがいてしまう。そうすると,いわゆる正体なるものではなくて,通用体なるものをもって標準とするんだというふうに読めるので,松村委員の御心配が出てくるわけである。
 漢字表委員会では,そういうふうに理解しているのでなくて,(3)は字体の示し方についての技術的なことをいっているのであって,そもそも今回示す漢字表は,字種と字体と音訓とを一緒にして示す,一体となった漢字表である。そして漢字表そのものは,すべて通用字体について定めたものなのだということで,すべてが通用字体という中の話である。その中の(3)の通用しているというのは,またもう一段狭い意味で,通用字体といってもたくさんあるから,通用字体の中で何を標準としようとするのかというと,それはいま一般に法令や公用文等で使われている通用字体の中の通用しているもの,それをもって標準としようということである。そうでない,いわゆる正体というものを頭に置いて,それを排除しているというものでは決してないと思う。したがって,「通用しているものをもって」という言い方が誤解を招きやすいと思われる。これは内輪の文章であるが,答申のときにそういう誤解が起こらないようにしなければいけないということは,確かに松村委員の御指摘のとおりだと思う。
 なお,漢字表委員会の中で「標準」という言葉をいろいろ審議したのは,そういう意味での標準かどうかではなくて,「目安」という言葉を使うかどうかということで議論をしたわけである。委員会の中でも,「目安」でいいのではないかという意見ももちろんあったが,字体については「標準」の方が適当であるということになった。それは,字種の方はこの字を用いるか,用いないかというのは結局は自由であるけれども,現代生活をするものとして,なるべくこの方向に沿って,この範囲内でこの線に沿って使っていこうという目安で,そこには揺れがあり,個人差は許される。全体としても何となく目標というものを,揺れを許す意味で目安というふうに言うのが至当であるから「目安」といった。けれども,字体の方はある程度正しさがあるので,康熙字典体を誤りとするとか,そういうふうな意味での正しさではないが,棒を三本引くべきところに二本しか引かなければ,それは誤りに決まっているし,また,「大」という字の真ん中に点が入っていれば,それは「太」いという字になってしまう。そういうことで,誤りとそうではないものとの境ははっきりしていると思う。だから,字体の場合は,目安という程度では困るので,客観的に立っているものだというふうに考えるべきなので,「目安」よりは「標準」がよかろうということになった。したがって,いわゆる正体なるものを誤りとしようというような,そういう意味で「標準」といっているのではないという理解である。

福島会長

 通用している字体の標準を示したものであるということか。

林(四)委員

 いわゆる通用字体の中での目標,標準と考えられる。

福島会長

 大体以上のようなことを基本的な方針として新漢字表の最終的な検討の段階に入っていただくわけであるが,出来上がった際に,前文なり解説なりに,この方針で説明が書かれると思う。漢字表委員会で字体について引き続き御検討願う際のある程度の方針は,これで出ている。ただ文言の表現については,更に御検討いただかなければならないと思われるので,そのためにもこの問題についての関連する御意見を伺えるだけ伺っておいた方がよいと思う。

渡辺委員

 二つばかり感想のようなことを述べたい。まず資料1の1(2)項の「字体は文字の骨組みと考える」ということであるが,三段論法でいうと,明朝体は字体の一つである,そうすると,明朝体は文字の骨組みである,というようなことになるので,結局,言葉上の問題であるけれども,字体の骨組みという意味が明確ではないのではないかということが一つ。
 それから,康熙字典のことだが,全くの素人でよく分からないが,先ほどのお話によると,余りたいしたものではない。確かあれは甲骨文が発見される前にできたものではなかったかと思うし,かなりミスが指摘されているということもある。康熙字典を趣味とか教養の一部として論じるのは結構だと思うが,国の法令の中でこれを取り上げることは,日本の国が康熙字典に非常な権威を与えたということにもなる。教育と関連して,例えば,康熙字典の部首の取り扱いが教育上重んぜられなければならないのかどうか,という問題も起こってきたりするのではないか。
 そういうことをいろいろ考えると,康熙字典を非常に権威のあるものだとオーソライズするのか,もしそうでないなら,(5)項目はいらないのではないかという気がするので申し上げておく。

三根谷主査

 まず最初の,三段論法に関してであるが,こういうふうな簡単な文言で十分に説明が行き届かないのはやむを得ないと思われるが,字体というものをもう少し抽象的に考えており,それが筆写体とか印刷の活字体とかいうようなことで具体化されてくるので,明朝体というのは活字体の中の一つの書体であって,字体が明朝体という形をとって表れているものというふうに理解して論議を進めているところである。この点については,できれば,一番詳しい林(大)委員から補足して御説明をいただきたいと思う。
 もう一つの康熙字典体に対するお考えについてであるが,第(5)項に述べてあるように康熙字典体の活字を適宜括弧に入れて添えるということであって,これは康熙字典体を尊重して是非康熙字典体にもどせというようなものではない。新しい字体が用いられて30年近くの年月がたったが,それ以前に明治以来ずっと続いて用いられていた字体も,今日の我々の漢字として存在しているので,その両者の関係を明らかにしておくという意味である。「当用漢字字体表」が制定される前に用いられていた明治以来の活字,というところに重点を置いているというふうに御理解願いたい。

福島会長

 渡辺委員の御意見についても表現の上で誤解を生じないように漢字表委員会で御検討願うこととしたい。
 主査の御要望があったが,林(大)委員,何か御意見はないか。

林(大)委員

 少し注釈を加えさせていただきたい。(5)項については,先ほど主査からお話があったが,私は康熙字典体は示さない方がいい,という意見を述べている一人である。これは少数意見であるが,そういう立場を離れて申し上げると,ここで康熙字典体といっているのは,康熙字典そのものに書いてある字のことではなくて,いわゆる康熙字典体として明治以来の明朝体活字がとっている形,というふうに解釈すべきものと考えている。昭和24年の「当用漢字字体表」が成立する以前の明朝体活字は,いわゆる康熙字典体で作られていたものというふうに考えてよかろうかと思う。ただ,その中には略字もあったので,その略字との関係で,いわゆる康熙字典体の活字というものが出てくるわけである。
 ここで適宜括弧に入れて添えるというのは,微少な差ではなく,画数が変わったりしたものである。現行の印刷活字と違っている点が認められるものを,括弧の中に入れておこうということである。
 それから先ほど明朝体にもいろいろあるというお話があったが,確かにいろいろある。非常にデザインの違いがあるわけである。その中で一つの例として,先ほどお話のあった大蔵省印刷局の活字を使おう,それを示せばいいではないかということだったと思う。
 それから「字体は文字の骨組みと考える」ということであるが,これは従来から字体の審議の際に字体論があり,非常に議論があって,一応文字の骨格と考えよう,それで共通理解をしておこうではないか,ということだったと思う。それをそのままここに記してあるわけで,これは小委員会が特に今度意見を一致させたというものではないと私は了解している。
 それから,さっきの「標準」のことである。字体を示すということは何か,「よりどころ」なのか,「標準」なのか,「目安」なのかということである。先ほど松村委員から「標準」という言葉を使うと誤解のおそれがあるという御指摘があったし,林(四)委員からもお話があったが「標準」とするならば,何かそこへ持ってこないと,字体を示すものであるといっても,字体にはそれこそいろいろあるわけであるから,その中の一つをなぜとったんだという疑問が出るかと思う。やはり明朝体の活字を作るとき,あるいは文字を書くときに,何かのよりどころになるものを示すものだというふうに考えないと,ここで字体を示すといっていることが,全く意味をなくしてしまうような感じがする。だから,字体の標準を示す,それを示すには何を採用したか,どういう字体を採用したかというと,一般社会で通用しているものを採用したのであって,いま新しく字体を考えたり,古いものを引っ張り出したりしたものではないということが,この(3)の意味するところであるというように私は理解している。

福島会長

 結局,大体ここに示されているような方針で漢字表委員会では今後の字体問題の御検討をいただく。そしてまたこのうちの一部なり何なりが,最後の答申の際に,前文とか説明の中に表れてくるということになるのか。

三根谷主査

 ここに示されている各項目は,これだけのことは前文のどこかに何らかの形で言及しておかなければなるまいというものである。それを具体的にどういうふうな文言にするかというのは,これからの字体小委員会の仕事になる。一番大きな,また基本的なことは,新しい漢字表が出たときに字体は大きくいじっていないということであり,それはそのまますんなり理解してもらいたいことである。

福島会長

 漢字表委員会には引き続いて字体の御検討をいただいた上,総会に具体的な説明がなされると考えるが,最終的な答申になる際に,ここに示されているような方針にのっとって前文なり,あるいは説明なりが書かれるということになるので,その際にまた表現の問題を更に御審議いただくことになるかと思う。ほかに御意見はないか。

志田委員

 この字体の検討を漢字表委員会にもどすときに,かなりの多くの方から,場合によってはこれまでの等線体というか,線で示したような形と変えて,教科書体の活字で示したらどうかというふうな御意見もあった。私も当時はそう考えていた一人であるが,漢字表委員会にもどして小委員会で検討された結果を伺っていろいろ考えてみると,やはり明朝体で示すという考え方の方がいいのではないかと考えてきているので,いろいろな考え方があり得るが,本日の総会としては,今回は明朝体で示すという案がよかろうというふうに確認していただくと,漢字表委員会としては今後その点については心配なしに進められるので,いいのではないかと思う。

福島会長

 ごもっともと思う。志田委員の御発言があったが,字体については,今後の委員会で御検討願って,その結果はまた総会に御報告いただくわけであるが,検討していただく際に本日示していただいた(5)項目の方針を基本として考えていただいてもいい。ただし,若干表現については研究すべき面もあるという意見もあった。その中で明朝体活字の一例をもって示すという点は,その方針で進めてもよいというふうに総会としては了解したということにしてよろしいか。
 それでは,このことを前提として漢字表委員会で御検討を続けていただきたい。その際,表現上の問題については,意見があったということを参照していただきたい。

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