国語施策・日本語教育

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次第 前回の議事要録の確認/常用漢字表案について(報告)の決定

福島会長

 第109回国語審議会総会を開会する。
 第13期国語審議会最終の総会である。
 それでは,お手元に差し上げた議事に従い進行したい。なお,4時ごろ,文部大臣のごあいさつをいただく予定になっているので,多少時間の窮屈な点はお許しを願いたい。
 前回総会(第108回,昭和53.9.8)の議事要録は前もってお送りしてあるが,本日この黒表紙の最後にもとじ込んである。御自身の発言で修正の箇所があったら,お知らせ願いたい。(発言なし。)後ほど事務当局に御連絡をいただくということでも結構である。前回の議事要録の確認はこの程度にさせていただく。
 第2の「常用漢字表案について(報告)の決定」という議題に移りたい。今期の審議開始以来,総会は8回,先ほどの全員協議会も含めて全員協議会は5回,数多くの漢字表委員会,漢字表小委員会,字体小委員会,前文等起草委員会,その他問題点整理委員会など,67回の会議を重ねて,常用漢字表案が中間答申としてまとめられたわけである。先ほどの全員協議会で御了承いただいたように,この際,なお慎重を期して常用漢字表案は,今期は報告にとどめ,これを公表したいと考えているので,御承認いただきたい。この手続によって,常用漢字表案が広く国民に受け入れられ,長期間にわたって使用されるものとなることを期待するものである。
 それでは常用漢字表案について三根谷漢字表委員会主査の御説明をいただきたい。

三根谷主査

 御報告申し上げる。
 昭和47年11月に第11期国語審議会が発足して以来,3期6年間にわたる検討を経て,このたび常用漢字表案を報告する運びとなった。
 まず,先ほどの全員協議会の御審議の結果によって,常用漢字表案の前文に若干の修正を施した。すなわち今までお配りしてあった前文の「答申」とあるところを「作成」と改めるというような,若干の字句の修正があるが,実質は変わっていないので,御了承いただきたいと思う。
 それでは,いささか僭(せん)越にわたることを顧みず,この間の経緯を振り返ってみたい。第11期においては,漢字表の性格や字種,字体等に関連する基本的な問題について議論を重ね,新たに作成されている漢字表を制限的なものとしないというような,基本的な点についての合意が得られた。これは遠藤委員を主査とする問題点整理委員会の御努力によるものである。これらの方針に基づき,故岩淵委員を主査とする漢字表委員会が発足した。そこで,多くの資料によって一字一字についての入念な審議が行われたのである。
 この審議は第12期に引き継がれ,1,900字の新漢字表試案として実を結び,広く世間に公表された。そしてこれに対し,各方面から意見が寄せられたのである。
 今期,すなわち第13期においては,これらの意見を参酌(しゃく)しながら,試案の再検討を行うとともに,試案において残された事項とされていた人名用の漢字の問題とか,学校教育用の漢字,特に当用漢字別表の扱いとか,更には字体についての具体的な諸問題というような,諸事項についての審議が行われた。
 以上,3期を通算すると,総会が29回,全員協議会が9回,問題点整理委員会が25回,漢字表委員会が54回,漢字表小委員会が26回,字体小委員会が21回というように,誠に多くの会議において,漢字表とそれに関連する問題が討議されてきた。
 昨年5月,不幸にも岩淵漢字表委員会主査が亡くなられ,思いがけなく私がその代わりをお引き受けする立場となった。本日の常用漢字表案をまとめることができたのも,岩淵委員の御遺徳によるものであることは申すまでもない。またそれと同時に,会長,副会長を初め委員の諸先生方の御教導,御鞭撻(べんたつ)によるものであると申さずにはおられない。とりわけ漢字表委員会の委員各位の御協力に対しては,この際,改めて深く感謝申し上げる次第である。
 一体,漢字表の作成,特に字種の選定というような仕事は,その事柄の性質上すべての人の完全な同意を得るということ,あるいはそこに完璧(かんぺき)を期するということの誠に難しい問題であることは言うまでもないことである。人それぞれに意見が分かれており,殊にその分野が異なるに従って,それぞれの必要とする文字もまた異なってくるのは当然のことである。この点から考えて,常用漢字表の性格が,その前文に述べてあるように,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等,一般の社会生活で用いる場合の,効率的で,かつ共通性の高い漢字を収め,分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安となることを目指したものであるということ,すなわち,故岩淵委員のお言葉を拝借すれば,「広場のことば」として通用すべき漢字使用の目安としての字種を選定するということが,本審議会のとるべき最善の道であるということについては,つとに世間の大方の賛意が得られたものであると信ずるところである。
 従来,総会や全員協議会でたびたび報告してきたが,字種と並ぶ字体の問題についても,ここで一言申し上げておきたい。
 試案においても,既に現在世間に通用している字体を軽々に動かすべきではないと考えた旨述べられているが,今期の審議においても,当用漢字字体表に基づいて現在広く行われている字体は,「灯」の一字を例外として,変更しないということにした。したがって,現在世間の各方面で使用されている活字は,すべてそのまま使用していけばよいということになるものである。これらのことに関しては,特に前文において「字体についての解説」を付して詳細に例を挙げて説明したところである。

三根谷主査

 新しく加わった字については,当用漢字字体表に掲げたものに準じて整理を加えた。また,缶詰の「缶」というような,既に略体が慣用されているものは,その略体の字体で取り上げた。これらは,前文に述べてあるとおりである。
 また,常用漢字表案に掲げていない漢字の字体,いわゆる表外字の字体に対して,表内の字体に準じた整理を及ぼすかという問題については,当面,特定の方向を示さず,各分野における慎重な検討にまつこととしたのであるが,既に当用漢字表において字体の整理が加えられ,今回表外に置かれた文字,例えば「翁」という字の「羽」の部分の字体については,これをあえてもとの字体「秩vにもどす必要もないことと考えている。
 常用漢字表案を世に公表するに当たっては,本表に掲げた1,926字の字種,これに付随した4,065の音訓,更に付表に掲げた110語のいわゆる当て字や熟字訓等とともに,前文に縷(る)々述べてある本案の趣旨等について,重ねて十分な御理解を賜り,国語,ひいては我が国の文化の発展に本漢字表が多大の寄与をすることを希求するものである。
 簡単であるが,以上をもって最終総会の報告とさせていただく。

福島会長

 ただ今の御説明に対して質問などがあったら,御発言をいただきたい。あるいはまた,当面の漢字表案についての御意見でなくても,今期の最終総会であるので,次期総会に対して申し送るという意味で発言があったら記録にとどめて,申し送りたい。

宇野委員

 今までにも何遍か申したことであるが,最後の機会であるので,平素考えていることを,この際もう一度申しておきたい。
 一つは,漢字というものに対する偏見というか,一般に,日本人に漢字というのは易しいか難しいかと聞けば,まず100人のうち90人と言いたいところであるが,100人が100人難しいと言う。
 しかし,最近,石井勲氏の長年にわたる実験──二十数年になるが──によると,漢字というものは,子供にとって,特に幼児にとっては誠に易しいことですぐ覚えるという実験が報告されている。漢字というのは決して難しくはない。難しいと思うのは,年をとってから教えようとするから難しいのであって,子供のときに教えれば決して難しくはないという報告がはっきり出ている。これは実験の結果である。
 石井氏は,初め小学校で教え,現在は幼稚園で教えている。更に幼稚園前の子供に対しても教育をし,あるいは精神障害児などに対しても,その教育を行って効果を上げている。
 私は,国立の附属学校などにおいてそういう教育実験を是非やってもらいたいと思う。その結果が悪ければ悪いという結果をそこで出せばよろしいのであって,実験もしないで,ただ観念的にそんなことはとんでもないなどといっているのは,私は誠に怠慢であると思う。そのことを是非私は文部当局にもお願いしたい。国語審議会の席でそういうことを言うのはどうかと思うが,国語の漢字の問題に絡んだ事柄であるので,そのことを是非お願いしたい。
 もう一つは,ただいま三根谷主査からの報告にもあったが,それぞれの関係分野において使用する漢字は非常に違う。私は,自分の専門の分野から言うならば,世間とは大分違って非常にたくさんの漢字を相手にするけれども,それを世間一般に押しつけようという気持ちは毛頭ない。しかし逆に,主として理科,工科の方面の方々は,この会議の席でもたびたび御発言があったが,漢字というものは余り要らない。場合によっては,原語を使ったり,あるいは片仮名を使ったりといような形で,漢字というものは面倒だから余り使わないということも,私はそれはむちゃなこととは決して思っていない。それはそれでその分野で済むならばいいと思う。しかし逆にそういう方々が,自分たちは漢字は余り要らないのだから,こんな漢字は多過ぎるではないかと言われるのは,これはちょっと見解が狭いとあえて申し上げたい。
 先ほどお話があったように,岩淵委員は「広場のことば」と言われたそうであるが,まさにそのとおりであって,国語審議会というのは,それぞれの専門分野における漢字部会ではなく,日本の国語表記,国民全体の国語表記をどうするかということを審議しなければいけない。だからそういう意見を発表されることは自由であるが,それに余り固執することは筋が違う。もしそれを固執するなら,私は逆に少なくとも1万字必要であるということを強力に主張せざるを得ないことになるが,私はそんな非常識なことは毛頭考えていない。したがって,逆に自分の方は漢字は千字ぐらいでいいんだなどというお考えの方であっても,この国語審議会においては,そういう意見は御遠慮願いたいと思う。
 それから第3に申し上げたいことは,これは昔からそうだし,国語審議会ばかりではなく,今の日本の社会一般においてそういう空気があるが,「若い者のために」,あるいは「次に来る者のために」という議論が非常に多い。私ももちろん「若い者のために」ということを考えないではない。しかし,本当の意味で若い者のためにはどうすればいいかということを真剣にお考えになっているならばよいのだが,例えば早い話が,先ほどの漢字のことで言えば,自分たちは漢字で苦労した。だから若い者にはこの苦労をさせたくないという意見がある。お志は誠に結構であるが,それは,私は筋が違うと思う。

宇野委員

 漢字というものは,日本の文化を担っている極めて大事な要素である。だからその漢字を若い者にたたき込む方がむしろ,本当は若い者のためなのであって,そういうことを考えないで,ただ上っ面だけで,若い者に苦労させたくない,若い者のために漢字は減らした方がいいというふうに考えることは,私は少し考えが甘いのではないかと思う。
 このごろ,新聞などで,大学卒業の若い会社員だとかその他の人たちの漢字力というか,国語力が非常に低下しているという投書を頻(ひん)々と見かける。漢字力の低下,国語力の低下ということはどこに原因があるかということは非常に難しい問題であり,ただ漢字さえ教えれば向上すると言えるほど簡単ではないが,少なくとも,低下しているから漢字は減らした方がいいという議論は本末転倒である。我々が日本の文化を支えるためには,例えば子供が幾ら苦しもうと,必要なものは教えなければならないのであって,子供に何でもかんでも妥協して,レベルを下げていってしまうということは,私は本当の意味の日本の文化のためではないと思う。これは何も国語審議会ばかりではなく,教育の面においても,学校制度の面においてもそうだし,ほとんどあらゆる面においてもそういう空気が横いつ(いつ)しているが,私はそれを非常に残念に思う。せめて国語審議会においては,本当に日本の文化,日本の国語というものを考え,勉強もし,その上で考えをまとめてもらうことを私は切にお願いしたい。
 是非申し上げたいと思ったことは,以上の三件である。

福島会長

 この際何かほかに御意見はないか。木内委員,どうぞ。

木内委員

 常用漢字表案を公表して反響を待つということは,結構である。しかし,反響が分かるまでのその間,何もしないでいる必要もないと思う。戦後の国語施策は今,全面的に再検討が加えられているわけであるが,大きな柱は,当用漢字表,当用漢字音訓表,送り仮名の付け方,それにいわゆる現代かなづかいである。現代かなづかいを一体どうするのかといったことを是非急いで取り上げていただきたい。これは漢字表と違って,意見はいろいろあるだろうが,恐らく長期の審議を要する問題ではないと思われる。
 ところで,別途の考察になるが,終戦直後に現在の国語政策は始まり,昭和41年から再検討に入った。私はそのとき以来,委員の末席を汚しているが,世の中の変わり方は激しく,また,国語というものに対する考え方,あるいは言語学における進歩というものも著しいと聞いている。最近は大脳生理学が発達して,日本人は虫の声を左側の脳で聞いていると言われる。これは国語と大変に関係のあることだというようなことまで話が進んでいる。
 したがって,今後,仮名遣いの問題を取り上げるときは,そもそも国語施策とはどうあるべきなのかというような,もっと大きな見地から審議をしていただきたいと思うわけである。ただ今,宇野委員の述べられたことは,つまりそういうことだと思う。
 もう一つ,是非述べたいことがある。戦後の国語施策が,実施の経験にかんがみて,考えるべきことが多くなったから新たに諮問するというのが,昭和41年の中村文部大臣の言葉である。そこで,戦後の国語施策の悪い点を直せばいいといったようなことが極言されるが,悪い点を直すよりも,そもそも国語施策とはどういうものであるべきかという大問題を論ずべきときにきていると思う。だから,そういう新しい諮問をなさって(これは当局の方から諮問していただかないと十分な仕事はできないことであるが),それと並行して,あるいはその一部として仮名遣いの問題を扱っていただく方がいい。
 今度の答申もそうであるが,一般の社会生活で便利であればいいということになっているけれども,およそ言葉というものは,本当のところは,過去とコミュニケートするためのものだといってもいいかと思う。つまり,自分というものを知るには歴史をさかのぼらなければならない。ところが,今のような言葉の使い方では歴史は理解できない。世の中の人は,このごろは若い人の言葉がいろいろ乱れているということを言うけれども,問題はそこにあると私は思っている。
 だから,そういう見地から問題を取り上げているような,新しい諮問をいただかないとだめであろう。──だめでないにしても,十分なことはできないだろうと思う。以上,最終総会に当たって希望として申し上げる。

福島会長

 事務的なことになるが,先ほど三根谷主査から御説明のあった常用漢字表案を本総会の結論として御承認をいただくということになるが,文部大臣に手渡しする際,「常用漢字表案について(報告)」の文書を付すことになる。この文案については,先ほどの全員協議会で御意見をいただいた点を書き加えて修正してある。国語課長にそれを朗読していただきたい。

室屋国語課長

 先ほどの全員協議会において,文部大臣あての「常用漢字表案について(報告)」案に関していろいろな御意見を伺ったが,それに基づいて会長,副会長と御相談の上,お手元にお配りしたような文案とした。これを朗読する。

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