国語施策・日本語教育

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次第  「目安」について(2)

木内委員

 それから,考えてみれば,「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等,一般の社会生活において」と,まるで,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送というものが一般の社会生活のようになっているのも実におかしいことである。当用漢字表では,公用文書は官庁が訓令で縛ったから制限された。一般は,当時の思潮として制限漢字に賛成だったから同調した。その名残があるものだから,これが入ってくるので,一応はこれで結構だと思うが,どうしてこれらのものが一般の社会生活なのか。大工さんが大工をやっている,これは社会生活だと思う。その大工さんが「鋸(のこぎり)」という字を使いたくて使うのはいけないのか。それがどうして野放図な使い方になるのか。そういう疑問が出てくる。
 今日はこれ以上申さないが,この次のときは徹底論議をするならするで,それもいいと思う。しかし,しないならしないで,今までどおりサッと収めてしまって,それでもいけると思う。ただし,この漢字表は字数が少な過ぎるから,到底一般の社会生活で用いる漢字はカバーできない。着物を作っている人もあれば,料理をしている人もある。例えば佃(つくだ)煮の「佃」などは依然としてだめで,地名も全然だめである。今,このような字数の少ない表を出すというのは,全く元からの引継ぎであって,殊に福島会長が就任されて以来,字数を余り大きく変えるのは好ましくないと言われた。あの当時としてはもっともだと思い,私も真っ先に賛成した一人であるが,あれからもう既に6年もたっている。その間に時世は全く変わったということを考えに入れると,改めてこの際,日本の国語はこうあるべきだとか,その中で漢字はこうあるべきだとかいうようなことについて徹底的に議論をしたい。その上で,今までのはやめて,これからはこうやろうということを言ったらいいと思う。私はそういう議論をすることには大賛成である。
 ちなみに,私が今会長をしている国語問題協議会では,2年ほど前から漢字表の作成に着手し,これが9月早々市販される段取りになった。この前も申し上げたが,それは約3,500字で,「教養のための基本漢字表」という題を付けた。つまり,いやしくも精神生活上,日本で教養があると言える人間になりたければ,このくらいは知っていなくてはならない,あとはめいめいの分野において──歴史関係の人名などは非常に多くの漢字を知らなければだめだが──しかるべく字を覚える,しかし,これを覚えろという強制をする必要はないし,いわんや学校教育に持ち込む必要はないのだが,そんな趣旨で我々の漢字表が今度できる。
 私は,1,926字という漢字表は,世の中は相手にしてくれないだろうと思う。あの漢字表をいじり出して2年か3年後に出ていれば,まだよかったのだが,今となっては,相手にされないものを出すのはまずいから,思いきってあれをやめてしまおうかという大議論をして,その上でしかるべきものをまとめるのがいいかと思う。

福島会長

 木内委員の御意見は確かに拝聴したが,「目安」という表現で中間答申をしたわけであるし,最終答申もおおむねこれに近い形になろうかと思う。そして将来は,例えば法務省に対しても,あるいは場合によっては内閣に対しても説明をしなければならない,ということになる。これは国語審議会の説明であるから,私だけの思い付きで説明するわけにもいくまい。国語審議会全体としてはどういうふうな説明態度でいくのがよいかを,是非お決めいただかなければならないと感じている。「目安」という問題については,国語審議会の委員48名それぞれにいろいろな考えがあるということでは世間に説明できない。また,各方面から寄せられた意見の中にも,その点を質問している向きが非常に多かったことも事実であるから,いろいろ貴重な御意見をお持ちの方も多かろうと思うが,国語審議会の名において説明する場合には,この程度ならよろしかろうということについてだけは,是非とも総会の考えを飲み込んでおかないと,会長としても説明ができないし,また御検討願う両委員会でも困ると思う。その意味で御意見を拝聴したい。

志田委員

 改めて申し上げるほどのことではないかもしれないが,先ほど来御説明御発言のあったことに関連して,3点ばかり念のために申し上げてみたい。
 1番目は,問題点整理委員会の御報告では,第8期以来に限って表の性格に関する考え方をまとめていただいたわけであるが,これは,それ以前にも,先ほど御説明があったように,性格論に関していろいろ激しい議論があったけれども,そういうこともあって,第8期に,当時の文部大臣から審議会に対して「国語施策の改善の具対策について」の諮問があり,それがこの審議会が漢字表その他について改めて審議を進める出発点になったという意味で,資料をこのようにおまとめいただいたものというふうに伺っていたわけである。
 その中の,第8期の小委員会の報告の最後の所で,努力目標という言葉が使われているが,私などは,早くからこの努力目標という言い方を,説明のために好んで使いたいと思ってきた一人である。努力目標ということについては後でちょっと申し上げようと思うが,これが段々「目安」という言葉に落ち着いてきたということについては,それなりの事情があったと私も了解している。
 それから2番目に,学校教育との関連について,教育用漢字調査研究協力者会議に主として任せていいだろうというふうな御説明があり,また審議会自身としても,これまでに既にそのように考えてきたというお話であったが,それはどこまでお任せすると言っているのか。私としては,「常用漢字表」と学校教育との関連についての基本的な考え方は,前文の〔常用漢字表の性格〕の項に一応打ち出してあり,これは改定音訓表以来ずっと承認されてここまで続いてきた考え方であるから,このまま踏襲していただけるとありがたいと考えている。したがって,学校教育用の漢字について中間答申で言っていることは,学校教育のために,「別表」を廃止したままということでなく,その後のことを考える場合に,学校教育には学校教育として必要な漢字の扱いがあるので,個々の漢字の問題はおまかせするということだと思う。そのような基本的な考え方は中間答申の際既に述べられている,ということを御確認願えるとありがたいと思うわけである。

志田委員

 それから第3点は,「目安」の意味について,説明を付け加えるとすれば,このようなことがあるのではないかという案を示していただいたわけであるが,その(1)で努力目標という言葉を挙げて用いていただいたことは,先ほど述べたような考え方から,ありがたいと思う。ただ,ここで(1)と(2)とを示しているのは,法令であるとか,あるいは官庁から国民に対して物を言わなければならない場合には,努めてこの表に沿って行わなければならない,しかし,そうでない枠の外では,その扱い方,努力の仕方がおのずから違ってくるということを言っているのだと思うが,(1)と(2)をこのまま並べただけでは,今申し上げたような趣旨が,一般の人には必ずしも十分理解してもらえないのではないか。その辺のところを,会長談話なり何なりで配慮していただけると,一般の理解が得られやすいのではないかという気がする。
 それから,そのことに関連して,科学・技術・芸術等の各種専門分野には容喙(かい)しないというふうに一応言ってあるが,科学技術の専門用語を考えるような立場から言えば,やはりそれなりにこういうものを大いに参考にして考えていく,勝手に自分たちで別々に決めたらいいのではなく,かかわりを持ってくるというふうにお考えいただきたい。努力目標という言葉にはそういうふうな関連がいろいろ出てくるだろうと考えられると思うわけである。そういうかかわりを持つものとして,昭和31年の「同音の漢字による書きかえについて」の中には専門用語が大分入っていて,それが今度の漢字表ではどうなるかということを,専門用語を使用する立場の人が問題にしているのも,大変もっともだと思うわけである。こういうことに私どもが果たして正面から答えることができるかどうか,時間も十分ない中では無理なような気もするが,一応漢字表委員会などで外からの問いかけもあるということを含んだ上で検討していただくことになるとありがたいと思う。私も漢字表委員会のメンバーの一人であるので,なおそういう問題をどんなふうに取り扱ったらいいか一緒に考えていきたいとは思うが,いずれにしても,そうした問題が出てくると考えている。

福島会長

 大変貴重な御意見で,ありがたいと思う。「目安」についてお触れになった点は,確かに問題点整理委員会から指摘された点でもあり,漢字表委員会で「目安」の意味を補足説明する方法について御検討を願う際参考にしていただけると思う。また,前文の教育問題に関する御指摘の箇所についても,この辺を取り替えようとしているわけでもないので,御趣旨のような考えで漢字表委員会で御検討いただけるものと思っている。
 これから委員会で「目安」の説明の具体的な表現方法をどうするか,前文の書き直しが必要であるか,あるいはそのままにしておくかといった点で具体的に御検討願うわけであるので,そのためにもできるだけ多数の方々から御意見をいただき,総会としての意見という形にまとまれば一番結構である。時間もなくなってきたが,そのつもりでできるだけ多数の方の御発言をお願いしたい。

楓委員

 私も問題点整理委員会の委員であって,基本的に先ほどの遠藤主査の報告と同じ考えであるが,先ほど木内委員から言われたように「目安」論の元へ戻って議論をする必要はないと思う。
 そもそも,「目安」についてもう少し丁寧に説明した方がいいのではないかという議論が出てきたのは,各界の意見を聞いた上でそうすることが必要だと考えられたので,もう少し「目安」の意味がはっきり伝わるように,具体例を示すなり,注を付けるなり,前文をいじるなり,あるいは会長談話を出すなりの方法を講じたらどうかというのが趣旨であった。また,朝日新聞が6,000字も使える大型コンピュータを設置した,そのように時代は変わったのだから,漢字を無制限に使っていいのだというような意見も先ほど出され,新しい時代が到来したように思われるかもしれないが,大型コンピュータを使えるのは,実際には大新聞とか大企業だけである。また,そういう機械があっても,一般の社会生活の中でのコミュニケーションをよくしていくためには,相手が理解できないような言葉を使うということでは困る。私は,漢字を悪者だとは思わないが,先ほど言われた,一つの努力目標というか,共通の漢字としては,1,926字くらいのところがいいと思う。努力目標というのは,漢字表は「目安」であるから何を使ってもいいということでは,理解できる人はいいが,一般の人はそうもいかず,困ることになる。だから,文芸とか,そのほか専門的な分野で漢字をどんどん使うのは自由だが,一般の社会生活では,一応これだけを知っておくようにしよう,あるいはこれくらいのところで表現するようにしようという意味である。
 それから,先ほどイギリスの報告があったが,国際化時代の日本ということを考えてみても,漢字を急に難しいものにしてしまうのはよくない。やはり「常用漢字表案」程度がいいのではないか。
 現実の問題として,「目安」の意味について国民の一応のコンセンサスを得るための表現の工夫であるから,形はこだわらないが,主査から報告があったように,例示なり,注なりで補足するのがいいと思う。前文はなかなかよくできていて,特にいじる必要を感じていないが,会長談話では少し弱いような感じがする。いずれにしろ,何らかの形で「目安」についてもう少し突っ込んだ親切な説明をしてもいいのではないかと思う。

福島会長

 時間もあとわずかになったが,どなたかほかに御意見があれば,どうぞ。

森岡委員

 会長が,今期の最初の総会で,「目安」については委員全体の意思統一が必要であるということをおっしゃったので,私は,大変な問題をお出しになったと思って,実は驚いていた。というのは,新しい漢字表を作る出発点の第11期の1年間は,漢字表の性格をめぐっての審議でつぶしてしまった。そして,結局,「目安」とか,「基準」とか,「標準」とかいうことではなかなか意思統一ができないので,制限的なものでないということだけを確認して,そのような言葉はまだ使わなかったわけである。
 今,新しい漢字表が生まれようという時期に,会長がおっしゃったように,「目安」に関する考え方の一致はある程度必要だと思うが,48人の委員がそれぞれ自分は「目安」をこう思うと意見を述べても,なかなかまとまらないし,恐らくまた1年もかかるだろうと思う。
 ここで申し上げたいことは,実は,私の関係しているある会で,林(大)委員に講演をしていただいたことがあるが,そのときに「目安」について非常にユニークな,そして用意周到な定義と,非常に実践的な結論をお出しになった。林委員の「目安」に関するメモは漢字表委員会でもちょうだいしたのであるが,メモだけ拝見していたのではよく分からないので,もし意思統一をしようというのなら,林委員からそのメモを基に御説明いただくのがいいと思う。大変説得力のある御意見なので,抽象的に議論を行うよりも能率的に「目安」論が運べるのではないかと思う。今日はその用意もないであろうし,次回の総会にでもそういうことをしていただければ大変有効であると思って,一言申し上げた。

福島会長

 「目安」について,審議会全体の意思統一をしようということで申し上げたのではない。「常用漢字表」にしても,またそれに付随する前文にしても,国語審議会の名前で出すものであるから,「目安」という表現を使ったときの国語審議会の「つもり」というものは説明せざるを得ないと思う。その場合に,この程度の説明ならば差し支えがないという辺りの見当を付けたい,また付ける必要があろうということでお願いしたつもりであって,意思統一というところまで考えていたわけではない。
 いずれにしても,「目安」という比較的解釈の分かれそうな表現を使ったから,「国語審議会としてはこういうつもり」ということは説明せざるを得ないと思う。その点御了承いただきたい。
 また,お話のあった,林(大)委員から御意見を伺うという点は,私も大賛成であるが,本日は残り時間が少ないので,いずれまた伺わせていただきたいと思う。ほかに御発言があれば,どうぞ。

林(大)委員

 弁解させていただくが,森岡委員の所で話したことは,ここで申し上げるほどのことではないと思う。分かりにくいかもしれないが,ペーパーを事務局に渡してあるので,お読みいただければいいと思う。
 問題点整理委員会で整理された解釈は,「常用漢字表」における「目安」についてこういうふうに考える,ということにおいて大変よくまとまっていると思うので,私はこれに賛成したいと思う。
 ただ,一つだけ気付いたことを申し上げると,(1)の3行目に「この表を努力目標として尊重することが」とあるが,「表を」「尊重する」と言うのなら構わないが,「表を」「努力目標とする」というふうに続けると,表現としてちょっとおかしいと思うので,刺激的になるかもしれないが,「この漢字表の範囲において漢字を使用することを努力目標としてこの表を尊重する」というような意味として理解したいと思う。それが一つである。
 それから,(2)は私には誠に結構だと思われる。私は,独自に漢字使用の取決めをするというところにいろいろな自由があると考えているので,ある方面においては,これを制限範囲ととることも自由であるし,それから,この表を基にして更に漢字の取捨をして制限することも自由であると考える。そこで,この表が「目安」の役割をすることになるので,私は,(2)は大変結構な説明だと思っている。
 それから,「目安」という語については,先ほど来宇野委員からお話があって,その間のことがよく分かった。私は,第11期以前には傍聴者であったので,確かなことは覚えていないが,第8期だったろうと思うが,「基準」か「標準」かという議論があって,そのときに木内委員は──今から十何年前のことであるが──確か「一応の基準」と「一応」が付くのだから,「基準」でよくはないかということをおっしゃったように思う。ところが,一方で「標準」がいいのではないかという意見が出され,それに対して「標準」はかえってきついという意見があり,なかなかまとまらなかった。
 その時,よく覚えていないが,確か新聞関係の委員の方であったと思うが,「目安」という言葉を出され,皆さんがそれに飛び付かれたというような記憶がある。それで,木内委員がおっしゃったように,制限ではないとか,厳格な制限ではないとかいう趣旨を表すために,「目安」でいこうということになったように思っている。
 それが「目安」の趣旨であるが,ただ「目安」と言っても,表の中では自由である,しかし外へ出ると問題がある,ということであるから,やはり表というものは一つの範囲として考えなければならないだろうと思う。
 したがって,先ほど遠藤主査から,「範囲」か,「基準」かというようなお話があったが,「範囲」と「基準」とは同じレベルでは考えられないので,その範囲が,厳密な制限範囲であるのか,緩い範囲であるのかということであって,範囲を決めた上で制限の仕方が問題になるのであろうと考える。
 それから,「目安」という言葉に対して,実は私には不安がある。第8期のときから「目安」という言葉で審議会としては了解されているわけであるが,その「目安」の使い方が,字引をたくさん引いても,うまく出てこない。国語審議会が字引を作るわけではなく,国語研究所などで作らなければならないわけであるが,その中でその意味をどういうふうに書いたらよいかということが一つある。
 大体,今の字引は,「めど」とか,「標準」とかと言い換えるだけであって,我々がここで議論しているような大きな問題は,そこからは出てこない。その辺のところを少し用心しておく必要があるのではないか。これから作る字引には,「常用漢字表」の「目安」というのはこういう意味である,ということを書かなければならないかと思う。そういうことをちょっと付け加えさせていただく。
 そのほかに私の申し上げることは,ほとんどないと思う。

福島会長

 問題点整理委員会から出していただいた「目安」についての資料も,こういう趣旨で考えたらどうかという提起であろうと思うので,これを実際上どのように扱うかということは,更に漢字表委員会で御検討願うことになろうと思う。なお,その際,本日の御意見などを漢字表委員会にも考えていただくようにさせていただきたいと思っているので,御了承願いたい。両委員会で御検討いただいた上,次回の総会で皆様の御意見を伺うことになると思う。その際はまたよろしくお願いしたい。
 また,問題点整理委員会,あるいは漢字表委員会の委員の方々には誠に御苦労様であるが,よろしくお願いをしたい。
 それでは,本日の会議はこれをもって閉会とする。

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