国語施策・日本語教育

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次第 協議

有光会長

 それでは,ただいまの御報告に対する御質問なり,御意見なり,どうぞ御発言をお願いしたい。

村松委員

 今の林主査の説明で,大体大綱は皆様方にお分かりいただけたと思うが,委員会でいろいろ意見が出て行き悩んだというような箇所が幾つかあったということを主査から申し上げたので,その辺のところをもう少し具体的に皆様に申し上げた方が,御意見を伺うのに便利ではないかと思う。

有光会長

 ごもっともな御意見である。林主査いかがか。

林主査

 少し御説明をすると,検討中と申したことであるが,一つの大きい問題は,「ぢ」「づ」についてである。同音の連呼という「ぢ」「づ」については,御意見があるが,まあ,このままでよかろうということである。二語の連合というところの「ぢ」「づ」については,二語の連合ということが考えられるかどうかという問題があり,ある意見では「二語」と言う必要はないのではないか,「二語」と言うと,後で困るのではないかというような御意見もあって,「語の連合」と言ったらどうかという案もあった。しかし,この「二語の連合」というのは大分昔から仮名遣いについて出てくる言葉なので,その伝統に従って,そのままにしておいても別段大きな支障はあるまいということになっている。
 ただ,二語の連合について,意識が薄いかどうかということになると,これは非常に解釈が問題になろうかと思われるので,その辺の書き表し方をどうするかということが,今のところの問題になっているわけである。
 いろいろ書き方を考えて案を出しているが,どれといってまだ決定的な書き方と認められるものがないわけである。これについては,委員の方からも補足をしていただければと思う。
 それから,ゆれの問題だが,ゆれの問題については,先ほどちょっと申し上げたように,「ホオ・ホホ(頬)」については,二様の語形があり,その語形に従って書けばいいということが前文には書いてある。このようなものと,それから,付記の2の「テキカク」か「テッカク」かというような発音上のゆれが認められるものがある。それについて,併せて説いた方がいいという意見も出ている。「ホオ・ホホ(頬)」あるいは「テキカク・テッカク(的確)」,こういったものを併せてゆれのあるものとして説いておいた方がいいという意見もあるし,それから,今のように「ホオ・ホホ(頬)」は前文に書いてあるが,付記のところで「テキカク・テッカク(的確)」の方だけ取り上げるかどうか。また,これはもう取り上げないでもいいという意見も出ている。
 それで,「テキカク・テッカク(的確)」をどういうふうに書き分けるか,書き分けないで両方を表すことにするか。これはさんざん議論をしているが,まだ決定的なところまで行っていない。ただし,「改定現代仮名遣い(案)」では,「なるべく「き」「く」と書く」というのが強く出ているので,それを強く出すということはどうであろうかということで,多少その問題を表現上緩めた形をとるように考えようということになっている。
 まず,問題として大きなところは,その辺であったかと思っている。
 なお補足して,「ここに問題があった」ということを言っていただければと思う。

村松委員

 大体主査がおっしゃったくらいのところだと思う。私も委員会に出ており,一番問題になったのは,そんなところだと思う。

鈴木委員

 仮名遣い委員会の方々,大変御苦労さまでした。私も一度参加したが,大変御熱心な御討論で,大体において賛成なのだが,ただ第2の3「よりどころ」ということについて,十分共通理解をしておく必要があると言うが,この委員会だけで共通理解をしても実はしようがないので,国民も含めて初めて共通理解ということになるわけだと思う。そう考えたときに,その共通理解は談話の形で国民に説明なさるつもりはないか。私は前文に解説をするというより,むしろその方がいいのではないかと思うが,いかがなものか。

林主査

 その点については,まだ議論を詰めていない。とにかく,前文に書くということがどういう意味を持つかということもあると思う。しかし,議事要旨の中ではそれを明らかにしておく必要があるのではないかというようなことを,私は考えている。ともかく,前文に「よりどころ」という言葉を使っておいて,同じ前文の中にこの「よりどころ」の意味はこうだなどという説明を入れるのもおかしなことではないかと思う。
 それで,「よりどころ」という言葉だが,「よりどころ」と書いたことによって規定が緩められたというふうにお考えになる方と,そうでない解釈をなさる方があるわけなので,その辺がどうも解釈がゆれるのではないかということになるわけである。
 初めて「よりどころ」という言葉が使われたときが「送り仮名の付け方」のときであり,同時に「当用漢字音訓表」の改定が行われ,「当用漢字音訓表」の方では「目安」という言葉が使われて,「目安」というのは「標準」という言葉をきつくとらないようにするための手だてであった。そういうところで元来「よりどころ」という言葉も使われてきているから,それに合わせて「よりどころ」を使ったのだが,そのときに「目安」が緩められているところから,「よりどころ」という言葉も,ある緩められた意味がついていると考えられているわけである。しかし,辞書的な意味においては,必ずしもそれは軟らかい規定であるとか,きつい規定であるということは出てこないので,その辺のところをはっきりさせる必要があるであろう。そして,我々としては,ここでは今度の仮名遣いもきつい規定ではないつもりで使っているということは明らかにしなければならないということである。

野元委員

 ちょっと主査に御質問したい。資料の「仮名遣い委員会の審議状況について」によると世間から寄せられた意見について「いろいろ意見」が出てきたという表現が,第3の5の「ぢ」や「づ」のところと同6のオ列長音のところにあり,それから「若干の意見」という表現が第2の6と7のところにある。ほかには何も書いていないと思うが,そういう文言の違いには仮名遣い委員会のこれらの意見に対する評価的なものが入っているのかどうかお教え願いたい。

林主査

 私はここでは「いろいろ」と「若干」と使い分けたつもりでもなかったわけだが,その意見の内容は,既に意見書が出ているので,それを御覧いただきたいというぐらいのことで,それを特にここで分類して申し上げるつもりはなかった。

野元委員

 「若干の」とあるのと,何も書いていない「こういう意見があった」とは,どちらがウエートが大きいのか。

林主査

 それは具体的なものでは,「若干の」とか「いろいろの」とかがないのは,大体一つの意見,一種類の意見というようなものであったかと思う。それから,「いろいろの」というのは,いろいろな御意見があったもの,二通り,三通りの意見もあったというようなことであったかと思う。これは,ここに出ている意見をもう一度読み上げながら申し上げれば一番よかったわけだが,時間を節約するために,その御意見の内容を今日は申し上げていない。その意見は,ここにそのまま収録されているとおりである。

野元委員

 こういう変なことを申し上げたのは,第3の1のところで,主査が御説明なさったときに「「なるべく」は削るべきだという意見が多く寄せられた」と,ここに「多く」をお入れになったので,それでちょっと伺ったわけである。

林主査

 「多く」というのは,何箇所かからというような意味であって,意見の内容が違うというわけではない,というつもりである。「多く」と入れたのは,そういうわけである。

前田副会長

 私は,会長を補佐することが仕事であるから,私個人の意見はできるだけ申さないことにしているが,今日は議事進行についてちょっと申すと,皆さんがいつもよりも御意見が少ないのは,委員会の審議が途中であって,まだ最終案には至っておらなくて,幾つかの点についてなお検討中であるという御説明があったので,それが一通り終わるまで御意見を控えていらっしゃるのではないかとも思うけれども,その御検討の助けにもなると思うので御意見をお聞かせいただけたら結構かと思う。

有光会長

 ただいま副会長がおっしゃったように,その委員会の方で検討中の事項がまだあるようであって,それだけにまた,今日皆様から御意見があったら,ぜひ伺いたいという気持ちでいるわけである。せっかくの総会であるので,今後の委員会の作業が円滑に進行するためにも,この際皆様の御意見を伺っておければ幸いだと思う。
 なお,検討中の問題等について具体的な御質問等があれば,主査の方からその御説明を伺うこともできると思う。

木内委員

 ちょっと申し上げる。実は私ども──と申すのは,国語問題協議会であるが,大分前から議論していて,仮名遣い問題をどう扱ったらいいかという論文を書いて,公開講演会でそれを発表して,今それを手直しをして,今度11月2日に秋の公開講演会をやり,我々の主義,協議会としての最終案を出す予定にしている。それを御覧になっていただいてから,意見を申し上げたいと私は思うので,今申し上げても余り価値はないと思うが,大体のことを申すと,今の「改定現代仮名遣い(案)」は世間の受けも大体よかったと言われたけれども,そのとおりだと思う。この仮名遣いはそう悪いわけではない。ただ,歴史的仮名遣いとの調和をどうするかが問題である。
 今までは,歴史的仮名遣いを敵視したわけではあるまいが,まま子扱いにしてきた。なるべくやめろと言うのであるから。だから,そこをお変えにならないといけないというのが,私どもの考えである。要するに,併用しろということである。その見地に立てば,夜が明けたように明るくなると思う。それが我々の意見である。11月2日前にパンフレットができるから,皆さんに差し上げたい。どうぞそれを御覧になって,この次の会合では,そのことを議論していただきたいと思う。
 私は今度の案も,そんなにひどく変えなくてもいいと思うけれども,気分的には大いに変えてほしい。前文の文章をがらりと変えてほしい。あの文章は普通の庶民には分からない。
 例えば,一体この原則はどこにうたってあるかと言うと,この「改定現代仮名遣い(案)」の2ページ,性格のところに「この仮名遣いは,語を現代語の音韻に従って書き表すことを原則とし,一方,表記の慣習を尊重して一定の特例を設ける。」とある。
 これが分からない。分かることは分かるけれども,実際に何をしようとしているのか,庶民には分からない。庶民に分かる言葉でお書きになったらどうかと思う。そうなると,これは全部文章が直ることになるが,これまでの案でいくと庶民に何が起こるかと言えば,ちょうど漢字のときに「常用漢字表」というのが出て,95字しか増やさなかった。いい,悪いと,いろいろ論じたけれども,「常用漢字表」が出た後,何が起こったかと言ったら,あれを全部の人が無視したということが起こった。もとの「当用漢字表」ならば,これ以外は使うなということになっていたから,例えば,新聞記者は表をしょっちゅうポケットの中に持っていて,使いたい字があったときにそれが表にあるかどうか見てやっていたのだが,「常用漢字表」は単なる目安となったから,あんなものを持っている新聞記者はいないと思う。この間ある人に聞いたら,持っていることは持っている,ちゃんと社でくれるから,持っているけれど,見ることはないと言っていた。だから,今は実は漢字の使用は自由になっていると考えられる。このように,いろんなことをおっしゃっても,世間は無視してしまうわけである。だから,今度は無視されないようなものを発表してほしい。悪いことを言っているのではないから。ただ,歴史的仮名遣いとの間をどう調和するか。今度「尊重する」とおっしゃったのは大変結構であるが,「尊重」とはどういうことかというのは,今読み上げた文章で言えば,「表記の慣習を尊重して」──慣習とはどういうもので,尊重するとはどういうものか庶民には分からない。そういうのが分かるような書き方ができるのであるから,そういうふうになすったら,今度の発表はそれでいいと思う。
 これが私の意見であるが,最初に申したとおり,今度書いたパンフレットを御覧いただいてから,改めて申し上げるから,ぜひ読んでいただいて,この席でも問題にしていただきたいと思う。

広瀬委員

 私,委員会に出ていて,なお,検討中であるということにかかわってきたわけであるが,例えば今日の資料の最後の8,付表についての具体的な修正,その前の7の付記1,2についての具体的な修正,これについては「付記1については問題がないが,付記2については委員会でなお検討を加えているところである。」というふうに書かれている。このとおりであるが,付記2というのは,キ又はクで終わる字音が結合している場合に,「てきかく(的確)」「きくか(菊花)」「さんかくけい(三角形)」「すいぞくかん(水族館)」,これは結合部分が時に促音化される場合があってもなるべく「き」又は「く」と書くということである。ただし,「がっこう(学校)」のような場合,完全に促音化しているものはこの例に当たらないということで,促音化しているか,していないかという,聴覚による判断が入ってくる。しかし「てきかく(的確)」は促音化して発音しているし,「さんかくけい(三角形)」も,「サンカクケイ」と言う人は少なくて,「サンカッケイ」と言ってしまうので,これも「がっこう(学校)」と同じように促音化しているから,「さんかっけい」と書くのが発音に近いのではないかという意見もあるわけである。
 ここでいろいろな御意見を伺って,私なりに感じながら結論が出ないことは,仮名遣いというのは,発音符号ではないということで,発音どおりに書くのが仮名遣いであるというのは,性格のところに「原則とし」となっているけれども,むしろ原則としては,仮名遣いと発音記号とは別のものである。これは外国語の場合でもそうだし,英語の発音記号とアルファベットは違うので,そういう意味で立場が二つに分かれて,なるべくと言うか,できる限り発音どおりに書くという立場と,なるべくもとの意味を字の上に残すという立場と二つに分かれたと思う。

広瀬委員

 四つ仮名の場合も同じであって,漢字の意味をなるべく残して,「じ・ず」ではなしに,「ぢ・づ」を書くという立場もあるし,発音は同じ「ジ・ズ」だから,みんな「じ・ず」にすべきだという意見もあるわけで,私はそういう意味で言えば,むしろなるべく言葉の根源が分かるような形で仮名遣いをやっていきたいという意見を持っているが,必ずしもそれが最有力の意見ではないので,もう一度ほかの委員の方々の御意見をぜひ伺いたいと思っている。

有光会長

 ただいま広瀬委員から御発言のあったように,他の委員の御意見を伺いたいという御希望もあるようであるので,もしそれにおこたえいただく御発言があったら,お願いいたしたい。

鈴木委員

 実は私もただいまの御意見に本質的には賛成である。今回の「改定現代仮名遣い(案)」の2ページ,「「仮名遣い」という語の示す内容」は,「仮名によって語を表記するときのきまりを「仮名遣い」と考えた。」とあるが,これは今回の新しい考えと思う。そうした場合にいろいろと細部において異論が出たのは,8ページの「ぢ」「づ」「じ」「ず」の場合の後の方であるが,二語の連合の意識の薄いものとして,「じ」「ず」にするというふうに挙げてあるところの中で,いろいろひっかかる方がいたと思う。連合が薄いか,濃いかというのは,大変主観的であるから,もう少しここに掲げるような例は絞って,ぜひともこういうふうな方向で行っていいだろうというものだけにして,問題のあるものは削除した方がいいのではないかという感じを持っている。

野元委員

 今の御意見に私は反対であって,なるべくたくさんの例を挙げた方がいいのではないか,国語審議会としての案を挙げた方がいいのではないか,というのが私の意見である。人によって考え方はいろいろだし,分かれることは明らかであるから,それを契機にしていろいろ議論が出るだろうと思うけれども,今のようなものを除外すると,国語審議会は逃げたという批評になるんではないだろうかと思うので,次の語はどちらを書いてもいいという項目があってもいいのではないかと思う。

林主査

 これは申し上げないでもいいようなことであるが,ちょっと私の考え方で説明を加えさせていただくと,ただいまのお話の後半に出た「じ」「ぢ」の問題は,発音上,音韻上は区別がないもの,音韻の区別に従って,あるいは発音の区別に従って書き分けるという問題ではなくて,専ら語の構造上の問題であると考えていいかと思う。
 そういう部類と,それから付記2に挙げた「キ」と「ク」の促音の問題というのは,これは発音上いろいろなバラエティーがあって,それについて語構造上の問題が絡んで,どう書いたらいいかということが出てくるというので,多少性質が違っているかと思う。
 いずれにしても,その区別をしようとしているわけであるから,その区別がはっきりさせられなければ困るだろうと思う。そうすると,実際上,皆さんが理屈でそれを書き分けることができるか,具体例によって書き分けることができるかということになるので,一応の理屈は立てておいても,やはりこの語はこう書くようにしようという一語一語の規定を明らかにしておく方が便利ではなかろうか,というふうな考え方である。
 そこで,野元委員が今言われたように,できるだけのものは挙げておくというような方針が今日までとられてきたかと思っている。
 それに対して「キ」「ク」の方は,これがまた語例が極端に少なかったものだから,それでいろいろの御意見も出たかと思っている。
 なお,もう一つ,「キ」「ク」の方の問題は,促音化しているか,促音化していないかという問題であるが,そのほかの促音の問題は──そのほかと言うのは,例えば「ここんどっぽ(古今独歩)」というようなときの促音化は,あれは元来「独」という字と「歩」という字であるが,「ドクホ」と「ドッポ」との間には,中間段階とか推移というものはなくて,「ドクホ」と「ドッポ」という二つに分かれてしまう。けれども,「てきかく(的確)」のような類になると──「てきかく」が適切な例かどうか分からないが──「テキカク」というところから「テッカク」というところまでの間にいろいろな発音上の推移をどのような音韻として考えるかというところに議論の余地があるわけで,仮名遣い委員会でもそれをどのように決定したらいいかということが問題になったと考える。
 発音上の問題で言うと,ここで出てくるはずがないような言葉にもあって,例えば,「あきかぜ(秋風)」というようなものでも,名簿の「かきかえ(書き換え)」と言うときでも,「き」と「か」が連接すると,「アッカゼ」になったり,「カッカエ」になったりする。けれどもそれを促音だと言う人はほとんどいないのではないかと思う。実際の発音は促音的に発音されているのに,それを「っ」で書こうなどという人は,ほとんどおられないだろう。実際の発音を聞いていると,そういうものが出てくる。
 だから結局,実際の発音ということではなくて,やはり語というものを考えるということが必要になってくると思う。そこでは「秋」という言葉,「書く」という言葉が意識されるから,そうなるわけだけれども,その意識が「かきかえ」とか「あきかぜ」と言うときには明らかにそれが意識されるけれども,そのほかではどうなのか。それも随分段階と言うか,傾斜があって,人によってそれぞれ違ってくることがあり得る,そういう問題だと思う。
 だから,ある程度は表記を語ごとに決めてしまわなければならないというところもあろうかと考えている。何かそこでいいお考えが得られると,私ども幸いなのである。我々もいろいろ考えているけれども,その辺のところが大変難しい問題になっていると思う。

村松委員

 度々で申し訳ないが,さっき鈴木委員から,あいまいと言うか,どっちかに決めかねるものは余り例を挙げない方がいいのではないかという意見があったが,これはごもっともな意見である。それから,野元委員の方から,語例を減らせば逃げたみたいになるのではないかという意見があった。これももっともである。ただ,委員会の方で,どういうふうにしてこういう例を挙げてきたかという過程を申すと,文化庁の国語課で非常に膨大な日本の代表的な国語辞典の例を,これは「じ」にしている,これは「ぢ」にしているという用例を集められたので我々はそれを基礎にして作業を行った。だから,決して委員会の主観でこれはこうだと決めたのではないということを,ちょっと補足して申し上げておきたい。

広瀬委員

 度々で恐縮であるが,委員会では必ずしも激しい議論ではなくて,むしろ卒業したような感じで過ぎたことのうちの一つであるが,地面の「地」を「じ」で書くということがある。これは二語の連合による濁音でもないし,「地図」とか「地域」の「ち」が濁ったのではなしに,呉音の発音でこれは最初から「ジ」だということを学んで,「じ」で疑問はないのであるが,しかし,正直申して,まだなお何か腑(ふ)に落ちない点がある。世間の人もそうではないかという気がする。「地面師」とか,これは「ぢ」だというふうにほとんどの人は思っているのではないかというふうに感ずる。
 それが「改定現代仮名遣い(案)」では,本文の凡例のうちの第1の1の直音の例として「じめん(地面)」というのが出ている。これだけであるが,これだけでは不自然ではないかという気がするので,これは漢音ではなく,呉音だということを,何かの機会に,何かの形で説明した方が世間のためになるのではないかという意見を,今なお持っている。皆さんの御意見をお聞きしたいと思う。

宮地委員

 いろんな意見があるが,それについて審議会の考え方を説明できるようにしておきたい。例えば,前文等の中で言葉を加えた方がよい場合もあると考える。これは先ほどもお話があったけれども,口頭でという形になさるとすれば,また大分変わってくるかとも思うが,今出たようないろいろな細かいこと,先ほどあった「よりどころ」という言葉の解釈,ここで依然として「よりどころ」をとるという理由など,それから,次の「科学,技術,芸術その他の各種専門分野」のところで,この「科学・技術」を依然として入れておくのがよろしいかという,そういうような問題が大小様々あるが,審議会の考え方というふうにいうのか,あるいは仮名遣い委員会の意見というのか,さらにその中の個人的な意見というのか,分からないけれども,何らかの形でいろんな意見に対する国語問題問答集とでもいうのか,きちんとした記述があってもよいと思う。
 それで,先ほどの語例をどのくらい出すかということも問題だけれども,現実問題としては,例えば,国語表記辞典,現代国語表記法辞典,いろんな辞典が出ているわけで,それにはこういう審議会の答申あるいは決まりとして出たものの根拠を一つ一つ挙げて,説明があるわけである。一方では,例えば,今の「なるべく「き」又は「く」と書く」というのも,「なるべく」ということが書いてあっても,教育の場合では必ずこう書かなければいけないということを言いかねない。
 だから,そういうような大小様々の一種の解答集みたいなものを作ることが望ましいのではないかと思うのであるが,これは大変面倒なことに違いないので,その辺は町でいろいろ出される国語辞典に任せればいいんだというお考えになるかどうか,その辺のところをちょっと伺っておきたいと思う。

林主査

 今のどうするつもりかという御質問は,やっぱり私が答えなければいけないかと思うが,その辺は,どう言っていいのか,まだ詰めていないと答えていいか,そうすると,何をやっているのだということになるかもしれないけれども,それを具体的にどうしたらいいかということになると,まだ御相談も何もしていないということである。
 妙な御返事の仕方であるが,そういうわけである。

山内委員

 ちょっと乱暴な意見かもしれないけれども,教育の現場で教える場合に,一つのルールがはっきり決まっていて,そしてそのルールで覚えさせていくということが一番望ましいだろうと思うが,今のいろいろな御意見だと,かなり例外的な表記をせざるを得ない。しかもたくさんせざるを得ないというような感じで承っていたが,いっそ思い切って表音主義で「ぢ」「づ」「じ」「ず」というような問題についても,かなり大胆な方針を立てて,例外表示は極力少なくする。語の構造から離れてもある程度やむを得ない。これは全般が「よりどころ」だから,全部そのとおりにしろというわけではないけれども,それによって非常に分かりやすくなる,教えやすくなるというような効果を期待するような考え方はできないだろうか。
 ちょっと御参考までに申し上げる。

林主査

 ただいまの御意見であるが,一方では教育的な配慮,教育上,その方が教えやすくなるという配慮もあるわけであるけれども,この仮名の使い方を決めるということは,必ずしも教育の手順を簡略にするということだけではなくて,現実の社会でどのようなものが受け入れられるか──そこが慣習の尊重ということになるわけであるが,その慣習を変えなければならないというところをどのように考えるかという点も考えなければならない。両極があって,その間をどういうふうにとるかが我々の問題であったかと思う。
 簡単にすることが目的であれば,本当に表音主義だけで徹底することができるかと思う。案としてはできるが,しかし具体的に皆さんに受け入れていただくためには,やはり相当慣習の方も考えておかなければならないという点があって,その点はしかし随分たくさんあるというふうではなくて,それほど例外というものは多くはないというふうに考えている。
 多い,少ないというのは,主観的なところがあるので,問題だとは思うが,私どもとしてはそう多くはない,これぐらいは多いとは言えないだろうというふうに考えている。
 だから,もう少しうまく整理できないかなという気はあるけれども,まあ,そういうことである。

有光会長

 先ほど来いろいろと御発言をいただいて,今後の委員会の作業にも非常に役立ったことだと思う。なお,今日は中間の御報告が前提になっている関係で,もう一つ,活発な御発言をお願いすることは無理かと思うので,ただいままでにあった御意見は,今後の委員会に十分反映して御審議を進めていただくようにお願いして,一応皆様からの御意見を伺うことはこの程度にして,御了承を得たいと思う。
 なお,今後の日程であるが,前々から御了解いただいているように,任期内に答申を取りまとめていくということになると,差し当たり年内にもう一度お集まりいただいて,報告を伺い,腹蔵なく話し合っていただくことが適切ではないかと思う。
 そこで,次回は総会という形式ではなく,全員協議会という形で12月ごろお集まりいただいてはいかがかと考える。日取り等は事務局と相談の上で,決まり次第御通知をいたしたいと思うので,どうぞその節はよろしくお願いいたしたい。
 それでは,今日はこれで閉会にいたしたいと思う。

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