国語施策・日本語教育

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次第 協議

坂本会長

 それでは,これから協議に入らせていただきたいと思う。
 問題が幾つかのグループに分かれるわけで,その点を少し御議論をいただいたらと思うが,最初に「地名・人名の表記の取扱い方」についての問題,次にアンケートの自由記述のうちの「外来語の表記と外国語学習等との関連」,最後に「氾濫,その他の問題」ということになろうかと思う。
 まず,「地名・人名の表記の取扱い方」については,アンケートの結果によってある程度の方向の見定めが,今の御説明でついたのかとも思わないでもないが,アンケートの結果によると,一般の外来語のほかに,地名・人名の表記についても取り上げること,また取り上げる手順としては,一般の外来語についてまず取り上げることとするけれども,その際,地名・人名についてもある程度考慮しながら検討を進めていただくということになるようである。また,中国・韓国等の地名・人名の表記の問題については,御意見も分かれているようなので,この点はどういうふうに対応したらよろしいか。これから「地名・人名の表記の取扱い方」というテーマで,まず御意見の開陳をお願いしたいと思う。
 いかがか。現状では,特にこのテーマについて具体的な御発言はないか。
 それでは,その次の整理で,「外来語の表記と外国語学習等との関連」ということで,外来語の表記と外国語の学習,あるいは国際化などの関連の問題について,今いろいろ御意見が出ているわけであるが,問題点を掘り下げて,なお共通理解を深めるということで,更にこの席で自由な御意見を伺わせていただけたらと思うわけである。「外来語の表記と外国語学習との関連」というテーマで,今の林先生の整理に対する御質問でも,それぞれの委員の先生方の御意見でも結構であるが,もし御発言があれば,よろしくお願いする。
 この問題についても,今の御説明の段取りで,今後の審議につながっていくというふうに現状では御了解いただいておけばよろしいか。
 それでは,三つ目のテーマとしては,「氾濫,その他の問題」ということで,前回の総会では「JR」などの問題も話題になったが,そのことも含めて,この際,質疑等があったら御発言いただきたいと思う……。江藤委員,いかがか。

江藤委員

 氾濫もさることながらであるが,「JR」はちょっと雑誌に書いたので,私見はそちらでお読み取りいただければ幸いである。
 外国語学習と外来語表記との間に何らかの関連があるかのような前提で,国語審議会は今後審議するのか。私は,これは全く無関係なことだと思う。よく俗に,あの人は英語を片仮名を読むように読んでいると言うが,これは英語が下手だということだ。日本語の音韻の構造と英語の音韻の構造とは全く違うし,仮に「ハ」じゃなくて「ファ」とか「フィ」とかいうのを使って,「フィラデルフィア」と書いたところで,「フィラデルフィア」と発音したらだれにも通じない。「Philadelphia」と言わなければ通じないんで,こういうストレスを置くような記号というのは日本語にはない。
 それから,新しい仮名うんぬんに至っては言語道断と私は思う。と言うのは,例えばLとRの発音を考えると,LとかRとかいうのは,音標文字の体系で出てきているもので,世界の音標文字,アルファベットというのは大体20から30の文字で構成されていることになっているが,我が国語の仮名というのは音節文字で,大体50から70ぐらいの文字によって構成されているというのが普通の例ではないか。
 一方,漢字のようなものというと,表意文字だからこれは非常に多くの文字を使う。
 私が言いたいのは,アルファベット,全く違う体系からできている音節文字と表音文字,それを,音節文字の中にアルファベティカルな記号をどうして取り入れなきゃならないのか。これは,世界の文字の体系というものの成り立ちからいっても実に不思議なことであって,こんなことが国語審議会で審議された──審議されるのは結構であるが,万一その方向が選択されたということになれば,文字学を多少でもやった人は世界にいっぱいおられると思うが,いっぱいといっても何十万といるわけではないが,恐らく物笑いの種になるだろう。そういうような天を恐れざる所業を国語審議会がしたとなれば,内外からの物笑いの種になるというふうに考える。
 私どもは国語が固有に持っている音韻体系をまず所与のものとして受け入れた上で,外来語表記の問題を考えるほかないのであって,それと全く違った体系にある言語の記号あるいは音韻を取り入れなきゃならない,それが国際化である,国際化はいいことであるという価値観がもしどこかに伏在しているとするならば,私はそれには到底くみしがたいというふうに考えるものである。

坂本会長

 冒頭,なかなか厳しい御発言が出たが,ほかに何か,あるいは今の江藤委員の御意見に対してでも結構だが,御発言はないか……。
 私のつたない経験で言うと,「ジ」と「ヂ」は,私どもは全く発音が仕分けられないのだが,高知の方はいまだに「ジ」と「ヂ」の発音をちゃんとなさるというふうにも聞くし,それからまた,私,NHK育ちだが,NHKでも最近は鼻濁音が発音しにくいのか,できなくなってきているのか──私どもは鼻濁音の方はできるんだが,NHKの「アナウンス辞典」を見ると,鼻濁音は「カ」に丸が打ってある。あれは別に新しい仮名を生み出したのではなしに,鼻濁音だという記号なのかもしれないが,そういうことで迷うことが多いことは確かかと思う。

渡部委員

 これは採用してくれということではなくて,検討してみたらいかがかと思うのだが,「ワヰウヱヲ」の仮名の音,あの復活ということはあり得ないものかと思う。あれがあると,随分いろんなことが解決というか,表記の豊かさが増えるような気がする。
 昔,中学生かなんかのときに,森おう外の「ヰタ・セクスアリス」というのがあるが,あれが何で「ヰ」なのか分からなくて,何の意味だろうというわけで,一生懸命「ヰタ」を辞書で引いたけれども,どこにも無かった。後から考えたら,あれは「ウィ」なんですね。「ウィタ」で,後でラテン語をやってから分かったわけだが,あれなどもおう外のころまでは普通にやっていたわけだから,音を復活することは不可能かもしれないが,表記上の復活については,一つの可能性として検討に値するのではないかと,そのように考える。

坂本会長

 「バ」「ヴ」の問題と多少似たところがあるのかもしれないが,そういう問題も今後の審議の中で御議論いただくテーマにはなろうかと思う。
 ほかに何か御意見はないか。

村松(定)委員

 これはちょっと御意見を出された方に質問したいことなので,3ページの(11),「外国語未習の小学校の段階と学習開始後の中学校以降とでは扱い方を変えてもよいのではないか」というところだが,「メキシコシティーを小学生全員に強制することには問題があるかもしれない」とある。「あるかもしれない」だから,「ある」とはおっしゃっていないが,これがよく分からないのは,小学生に「シチー」なら強制でなくて,「シティー」が強制になるという点だ。「シティー」で教えることになぜ抵抗があるのか。それから,後で「メキシコシチーを高校生に強制するのもおかしい」というのは,一方で英語も習っているし,高校生で「シチー」と発音する人はいないのではないか。「シチー」というのがどうしてやりやすいとお考えなのか,その辺をちょっと,御意見を出した方の御存念を承りたい。

石綿委員

 この(11)の意見を出したのは私だが,外国の地名を決める場合に,今までは,例えば「シチー」──たしか一番最初「シチー」と決めてあったように思うのだが,恐らく小学生の生徒にも発音できる,きちっと書くことができるという点に焦点を合わせるならば,そういう決め方が可能かと思う。
 今回も,あるいは今後も,そのどちらかになると思うのだが,どちらかに決めてしまうというようなやり方をすると,小学校の生徒は外国語学習を本来ならばまだ始めていないわけだから,全員に,「ティ」と書かないと間違いというような教育をすることができるかどうか。私はその点に多少疑問を持ったので,そういうふうに書いたわけだ。ただ,今までのように,「メキシコシチー」という書き方に決めたということになると,今後は外国語を学習して,もう大分時間がたっている高校生にも,それを強制することになるので,私がここに書いた本意は,そういうフレキシビリティーを持たせる必要があるんじゃないだろうかということになる。
 一律に決めることができるかどうか。もしそう決めた場合に,どこかに矛盾が生ずる場合があるのではないかということであって,今おっしゃったように,小学生全員に──全員ということは,中にはできる子がいると思う。今,中学に行かないうちに英語を勉強する子供が大分増えていて,そういう子供は多分できるだろうと思うけれども,そうでない子供にもやれ,そうしないと間違いだぞということになると,それは多少問題があるんじゃないかということを考えて,そう書いたわけである。

坂本会長

 ただ,私今のお話を承って,多少問題提起になるのだが,今,小学校4年でローマ字を教えていて,そのローマ字のタチツテトというのが,ta,ti,tuというふになっていて,chiというのは教えない。「ti」は「チ」だと覚えて,英語を習った段階で,それは「ティ」だというと,そんならタチツテトの「チ」は「chi」というヘボン式で教えたらどうだろうかなと。これは私見であるが,そこら辺のところは,今おっしゃるような教育上の問題で,またいろいろ御意見があるのかもしれないが,問題があるなというふうに感じた次第である。

村松(剛)委員

 今おっしゃったローマ字のことであるが,訓令式というのは,私の記憶では,戦争ちょっと前にできたので,当時の国粋主義的傾向の反映だったのではないだろうか。確かにあれは英語を基準にしているが,ただ,今,訓令式のローマ字を書いている人はどこにもいないのではないかと思う。JRが一部それをやっているかもしれないが。自分の名前を書くときは,皆さんヘボン式を使っていらっしゃるんで,私は訓令式なんて見たことがない。あれはやっぱり検討し直した方がいいのではないか。

坂本会長

 国会図書館なんかが訓令式を使っているのではないか。

村松(剛)委員

 そうですか。戦争中,「CHICHIBUMARU」の「CHI」を「TI」に変えたんです。そうしたら,アメリカで「タイタイブ丸」(TITIBUMARU)なんて聞いたことがないというので,また塗り直したという有名な話があるが,そのことが一つ。
 それから,先ほどの「メキシコシティー」であるが,何だって小学校でメキシコシチーなんて教えなきゃいけないのか。私は根本的に疑問に思う。「メキシコシティー」という言葉を,もし英語を教えるつもりで小学校で出すのなら,「シティー」と書くべきだろうし,単に地名として書くならば,「メヒコ市」と書くのが当然だろうと思う。どうして,わざわざ英語を使って,しかも英語にならない英語を小学校で教えなきゃならないのか。先ほどの,こちらの村松先生の御質問とはちょっと角度が違うのだが,どうもおかしいんじゃないかという気がする。

坂本会長

 ほかに御発言はないか。

林(大)主査

 ただいまの訓令式の問題であるが,訓令式というのは,訓令になったのは,新しいというか,50年前からのことであるが,訓令式そのものの組織は,明治の,前世紀の末に作られたものである。それは外国人に示すためではなくて,外国人が「タイタイブ」と読もうと何だろうと構わない。日本人が日本人の文字としてローマ字を使うようにしてはどうかというところから考案されたものであったから,それを五十音主義によって,ああいう組織を立てたかと思う。
 私はローマ字論者ではないが,その日本式ローマ字ないし訓令式ローマ字を信奉しておられる方はまだ幾らもおられるので,その議論をすべきであろうという御意見もアンケートの中にちょっと出ていたんじゃないかと思う。ローマ字の不統一があるのではないかとお書きになったのは,そういうところではなかったろうかと思っている。それは,確かに問題であって,ローマ字を使ったときに国際的にどうか。今度は逆に,外国人が読んでくれるかどうかということをもう一遍別に考えなきゃいけない。日本人のためのものであるといって頑張っていたわけであるが,それで済むかどうかということはやはり問題であろうかと思われる。

秋山委員

 5枚目の〔いわゆる氾濫の問題,その他〕のところで,(38)から(43)まで御意見が出ていて,それで大変考えさせられたわけであるが,私は(40)の中の「現在外国語の過度の氾濫があるが,これは日本人の言語生活の一断面にすぎず」うんぬんという御意見,これは支持したいと思う。もっとも私もそれを主張するわけではないが,こういう考え方は認めていいのではないかという気がする。
 この間,12月3日の議事要録をちょうだいして,私は欠席したのだが,22ページから23ページのところで,国語を愛護するというのはどういうことかということについての議論はどこでなされるべきかと考えると,やはり国語審議会なのではないか。それから,世間の風潮,外国語濫用の世界を何とかしなければならないと思うが,そういう風潮に対する何らかの提言を審議会で考えていただいていいんではないか。そういう御意見が出ているわけである。
 それはそれなりに結構だと思うのだが,しかし考えてみると,国語の歴史というのは,古代から9世紀あたりまで,それから近代の初期に外国語を取り入れて,これを貪婪(どんらん)に国語化していったというところに,その特質があったんじゃないかという気がする。国語を愛護するということは,決して排他的になるのではなくて,むしろ自由自在にこれを取り込んでくるというところに特質があって,これは大きい目でそのことを見守っていっていいのではないかという気がする。
 例えば,多少問題になさっていたわけだが,E電ということも,これは大変皆さんお嫌いな言葉で,私も嫌いな言葉だと思うが,考えてみると,一種の非常に冒険的な掛け言葉であって,こんなところにも実は古来の日本語の伝統が生きているのではないかという気がしないでもない。一般に支持されているために,この審議会で毒づかれても,運輸大臣もクレームつけておられたようだが,撤回されなかった。それでもちゃんと定着してしまっているわけである。そのうちに我々もだんだん慣らされてきて,ちっとも違和感を感じなくなってしまうんじゃないかという気がする。
 この間も野元委員がテレビで「見れる」と「見られる」はどちらが正しいかということで質問にお答えになっているのを偶然拝見したが,本当は「見れる」というのは間違いなんだけれども,だんだんこれが普及していって,これがもう普通の我々が違和感を感じない言葉になってしまうのであろう,そういうことをおっしゃっておられた。国語というのは,特定の個人の好悪を振り切って,水の低きに流れるように自然に変遷をしていくんじゃないだろうかと思う。そうでありながら,タームはいろいろ変わりながらも,日本語の構文の法則はちっとも変わらない。そういう非常に貪婪なところが日本語の特質なのであって,それを,この言葉は受け入れる必要はないとか,これは翻訳すべきだとか,一々言う必要もないのではないか。
 生き延びる言葉は生き延びていくだろうし,滅びるべき言葉は滅びていく。これは自然に任せておけばいいのではないかという気がするので,この(40)の御意見に賛成の見解を述べさせていただく。

渡部委員

 「E電」については,今の秋山先生と同じ意見なのだが,ただ問題は,私が学生になったころ,「省線」という言葉をみんな使っていた。それがあっという間に「国電」になった。ところが,「E電」にはなかなかならないみたいである。私は普通の民間の会社が「E電」みたいな言葉を使うのは全然構わないと思うのだが,つい今まで国家的なものだったのが先立って使うことにちょっと違和感がある。民間なら全然問題ないと思う。

江藤委員

 これは私が一言せざるを得ないんで申し上げるが,今秋山委員が「E電」が定着したとおっしゃったのは,これは事実に反すると思う。「E電」はちっとも定着していない。山の手線の車掌でも「E電」とは決して言わない。「山の手線」とだけ言う。「JR」とも言わない。私の乗っている品川,目黒間では一度も言ったことはない。
 ただし,(40)の「必ず自然に淘汰され,必要なものが必要な量で定着していくであろう。」ということについて,これを支持したいとおっしゃった秋山委員の御意見には究極的に私も賛成である。賛成なのだが,一切の言語現象を記述主義の立場で見ていって,これは淘汰されたから淘汰されたと整理する,規範性は何ら無いと考えることには私自身は抵抗を感じる。
 もう一つ,今渡部委員がおっしゃったとおり,「JR」については,これは不思議な記号で,石原運輸大臣は,全日空や日航と同じだと,「JAL」や「ANA」と同じだからいいじゃないか,定着しているということを言われたわけである。これは,私は雑誌にも書いたが,作家にもあるまじき見解であって,「JAL」は「日本航空」あるいは「日航」,「ANA」は「全日本空輸」または「全日空」という国語の略称を持っている。
 ところが,「国鉄」の方は一夜明けたら「JR」というので,これはここに報道機関の代表者が多くおられるが,JR,JRと言い出して,全然それに対応する国語の略称等を作る努力もしなければ,利用者にそれをどうしましょうかとも聞きもせず──「E電」の方は何か人気投票みたいなことをだれか人気者にやらせたりしたみたいだが,やっている。その手続が非常におかしいと思う。それから,報道機関がなぜか,「品川駅」「蒲田駅」と昔は言っていたのに,このごろは必ず「JR品川駅」「JR蒲田駅」と言う。あの「JR」が非常に語呂が悪い。語呂が悪いわけであって,全く体系の違う記号をその文字の名前で呼ばせて,それに国語の駅の名称をくっつけているのだから,耳ざわりで仕方がない。
 これは非公式な御発言であったけれども,運営委員会で林主査が,自分はあんなのは嫌いだ,ジャラ電ジャラ電と言ってやるんだとおっしゃっていたので,快哉(さい)を叫んだようなものであるが,(笑声)「経団連」とか「全学連」とか,いろいろ国語の略称が世界的に通用しているものもある。そういうのに比べると,公社であった企業体が,一方的にアルファベットだけの略称を作ってそれを強制したということに,私はこだわりを感じる。

坂本会長

 今,ここで直ちにJR問題を解決するわけにもまいらないので,それぞれの御意見の御開陳ということでお許しいただきたいと思う。

村松(剛)委員

 国語に関して,外来語に関して,余り極端に規制しない方がいいというお言葉は私もそう思うが,「E電」なんていう言葉は一生口にしたくないと私は思っている。
 ただ,それに関連して,日本人は,確かに外国語を取り入れてはきたが,漢字の訓読みということをやってのけているし,平仮名,片仮名といういわばフォネティックサインを作り出してもいるし,明治のころに入ってきた新しい外国語の概念を,漢字の造語力を利用して,曜日──月,火,水,木,金,土というのは,オランダ語からの翻訳のようだが,それから形容詞に至るまで,例えば「センチメンタル」を「感傷的」と訳したのは明治の終わりごろだと思う。そういうことをやってくれたから,今私どもは漢字仮名交じりの文章で一切の論文が書けるという状況になっているわけで,ほうっておいたわけではない。明治の初期の人たちは,外国語をそのまま発音されても何のことだか分からなかったから,翻訳をしたということなのだろうが,随分努力して私どもがこうやって使っている日本語を作ってくれているわけだ。
 今のように,例えば「電子計算機」は「コンピューター」と言わなきゃいけないらしいが,そこに入れる言葉まで全部外国語,法律の中にまで外国語が入ってきているというふうなことをやっていくと,外国の単語ばかりがずらっと並んだ文章を一世代後には使うということになる。そうすると,いっそ英語で論文を書いた方がいいという,かつて植民地だった国にしばしば見られる現象と同じ道をたどりはしないか。
 だから,民間にまで全部日本語を使えと強制することは,フランスなどはやっているが,日本の場合はそんなことはできっこないわけであるが,せめて政府の刊行物ぐらいは日本語で言えるものは日本語で言うのだという,そのくらいの勧告は,私はここでしていいんじゃないかと考えている。

渡部委員

 今の村松先生の御発言で,最近気が付いたことを申し上げると,「エネルギー」だとか「テレビ」というのは,日本は仮名があるからよかったというような言い方もある。ところが,どうもこのごろはワープロになると,むしろ漢字で出した方が早い──書くのが難しかったから,日本語は不自由だという発想があったわけだが,今はファックスでも何でも手書きでパッと入れればパッと出るし,全然状況が変わっているわけだ。
 それで,これは工学部の人の話だったが,「エネルギー」は,中国で「能源」というのを使っているらしいが,その方がどうもいいんじゃないかとか,「テレビ」も「電視」といった方がかえって全体としては使いやすいのではないかとか,戦後は非常にたくさん片仮名を入れたけれども,今になると,むしろ不自由な面が出てきたというふうな意見が工学部の人からあったことをお伝えしておく。

関口委員

 ちょっと質問があるのだが,最初のアンケートの結果を見ると,どうやら進むべき方向はほぼ見当が付いたという感じなのだが,大体地名・人名についてはこれからの外来語表記委員会並びにその作業グループの方で取り上げることになるだろうと思う。それから,韓国・中国の地名・人名,これも取り上げるんではないかと思うが,その辺の取り上げ方を聞いておきたいというのが一つ。そして,結局,文化庁当局のこれからの方針,中間報告を展望したときに,遅れが出るのかどうなのかということ。それが二つ目である。
 ついでに,この機会にちょっと申し上げたいのだが,一番最後に(43)の意見で「外来語の表記や外国語学習,外国人の日本語学習などを中心課題にした特別会議を常設して」ということが書いてあるわけだが,特別会議というのはともかくとして,国語についての常設機関というのは,やっぱりあってもいいんじゃないかなと思う。例えば,私どもの会社は通信社だが,いろんな国語の表記の問題について個人的に聞いてきたり,手紙で聞いてきたりするわけである。まして放送会社だとか,新聞社だとか,そういう問い合わせは物すごく多いのではないかなと思う。そういうときに,適切に答えられる常設機関というのはやはりあってもいいのではないか。
 文化庁の方で,そういう小冊子を出しているが,それほど読んでいるのを見かけたことがない。やはり問い合わせについては,そういうことがきちんと答え得るような常設機関というのはあってもいいんじゃないかなと,私はそういうふうに思う。
 例えば国語研究所とか,そういうものがあるが,それは研究所だから私どもにとってもなかなか聞きにくいところだ。文化庁の国語課でも,聞けば教えていただけるが,やはり一般の方は御存じない。要するに,外に開かれたものは何もない。どこに聞いたらいいか,分からないということでは,やはり国語を大事にするという政策の中ではまずいのではないか。やはりこういう常設機関というのを作るべきではないかと思う。
 それから,先ほどの「JR」のことだが,私どものところに実はきのう国鉄の方が──JRの方がお見えになった。そのときに,広報の人だったが,名刺には「JR」と刷ってあったけれども,なるべく使わないようにしていると言っていた。だから,「JR」については,使っている人たちも余りいい気持ちはしていないのではないかなと思っている。しかし,例えば「東日本」ならば「東鉄」でいいのだろうが,「西日本」の方は「西日本旅客鉄道株式会社」となると,「西鉄」になってしまう。「西鉄」になると九州にあるということでまずいことになる。九州の方は「九鉄」でいいけれども,というような悩みがあるやに聞いている。だから,これはなかなかちょっといい案が浮かばないんじゃないかなと,端から見ていてそんな感じがしているが,私も「E電」はもちろんのこと,「JR」も余り使いたくない。
 以上だが,先ほどの質問について答えてもらいたいと思う。

近藤国語課長

 第一点の地名・人名の問題をどのように取り上げるかということであるが,これは私どもお答えする用意もないし,また,今後総会なり委員会の中で御審議をいただいて,次第に煮詰まっていくというふうに考えている。
 第二点の地名・人名,あるいは中国・韓国等の問題を含むことによって審議に遅れが出るかどうかということであるが,私どもとしては,期間についても,現在いついつまでというふうに考えているわけではない。ただ,現代仮名遣いについては2期4年で御答申をいただいていて,そういう例はあるが,この問題についての期間ということについては,特に予断を持っていないので,取り上げ方次第になるのではないかと思う。
 それから,常設機関を設置をしてはどうかというふうなことについては,国語に対する問い合わせにお答えできる機関ということかと思うが,現実のところを申し上げると,私ども国語課においては,毎日やはり10件ぐらい,あるいはそれ以上かもしれないが,こういう場合にどういうふうな漢字を使ったらいいんだろうかとか,この使い方は間違っているんじゃないかとか,いろいろ問い合わせがある。私ども国語課には国語調査官が3人と,専門職員を1人加えて4人いるが,その都度丁寧にお答えをいたしているわけである。そのほかに「ことば」シリーズも,これは大蔵省の印刷局の発行であるが,今回28,29番目のものを出版するが,これまでに合計約150万部ほど出ていて,そのほかにも無料で小中学校など,関係のところに配っていて,大変利用されていると考えているわけである。
 常設の機関を設けるかどうかということについては,組織上の問題もいろいろあるので,ちょっとお答えを申し上げかねるところである。

関口委員

 林主査からこれからの審議の見通しなんかをも聞いておきたいが。

林(大)主査

 委員会としては,これから具体的な検討をしながら問題点の見渡しをしていくということで,まだ特定の方向は考えていない。ただ,一つ,今おっしゃった中で,仮名書きの問題だが,これは後で表記委員会で議論していただかなければならないが,仮名書きにしたときの書き表し方をどうするかということが当面の問題であろうと考えている。それで,仮名書きもあり,漢字書きもあるという場合にどちらを採るかということは,ここでの問題にしたくないと考えている。中国語や韓国語についても,漢字で書くなら漢字で書く習慣があるので,それはそれでいいだろうし,それの読み方も,ある場合には中国流に読んでもいいだろうし,現代音流に読んでもいいだろうが,問題はそれを片仮名で書くときにどう書くのがいいか。それを,余りゆれがないようにしたいということではないかと思っている。
 もう一つ,片仮名で書いたときに,語形の違うのがある。先ほどの例にも出ているが,「ベニス」か「ヴェニス」か「ヴェネチア」かという問題がある。で,当面問題にするのは,「ベニス」か「ヴェニス」かぐらいのところであって,「ヴェニス」というのと「ヴェネチア」というのとどっちを採るかということは,我々の任務の一つ先のことではないかというふうに考えている。
 今度のアンケートの御回答の中にもそういう,漢字を採るか,仮名を採るか,それは併用せよという御意見もあったし,それから仮名で書いたときに,現地呼称,現地の読み方主義か,国際通用主義か,こういうお話もあったが,それのどちらを採るかはとりあえず任務の外へ置いておいて,「ヴェネチア」と言うならば,「チア」のところをどう書こうか,「ヴェ」のところはどう書こうかというところが差し当たっての我々の問題ではなかろうかと考えている。
 ついでに申し上げると,新しい仮名を作るのはもってのほかだという御意見もあるのだが,しかし,作ってもいいんじゃないかという御意見も出ていた。
 で,これは時間つぶしになるが,私のことを言わせていただくと,私はTの仮名が欲しくてしようがない。Vの仮名はともかくとして,Tの仮名が欲しい。Tの発音が入ってきたときに,とても書きにくい。「トゥ」と書いていればいいというわけだが,Tの仮名があれば,treeというときに,「トリー」と言わないでtreeの発音が出るんじゃないかと思う。そうすると,実はそろうので,「K」の発音は「ク」で出るし,「ク」「グ」「ス」「ズ」,「M」「N」も作れるがタ行になると,「ツ」とか「ト」と書かなければならないので何かそこへ字が欲しい。これはもう初めから皆さんが否定なさるだろうと思っているから,安心して今日は言っておく。(笑声)

石井委員

 地名と人名の問題だが,私はひそかに心配しているのは,人名の問題で,同じアジアの漢字圏でも,中国と韓国の方から日本語読みに対する要求が違う──この要求が違うと書いたのは私なのだが,この間,NHKが当事者になられて,韓国の牧師の崔昌華さんという方が韓国音の日本語読みについて訴えて最高裁までいった。あの崔さんは本当は「チォエ・チャンホア」と言う。私も発音できないが,崔さんの訴えというのは,日本人というのは,欧米人の名前については現地音に近い発音をしているのに,韓国人の名前については日本語読みにする。これは不当な差別であって,植民地主義の名残であると──正確ではないが,そういう訴えだったと思う。
 「チョン・ドゥホアン」(全斗煥)さんとか,「ノ・テウ」(盧泰愚)さんという有名な名前は私どもも分かるが,とにかく韓国人の無数にある人名を,我々が現地読みができるかというと,これは絶対できない。しかし,中国人というのは,例えばケ小平さんにしろ,毛沢東さんにしろ,日本語読みにして一向構わないようだ。
 そうすると,中国と韓国はそれぞれ人名の読み方に対する日本への要求が違うとすると,同じアジアの漢字国なのだが,我々は読み方を使い分けするということになるのだろうか,ならないのだろうか。その辺の難しさが私は非常に心配なのだが,いかがか。

坂本会長

 今ここでお答えするのはなかなか難しいので,御承知のように,NHKにとっては,私があの訴えられた側の当時の責任者だったものだから,こういうところでの発言は御容赦願いたいと思うが,かなり重要な問題かと思うので,この問題は今後の御審議の中で御議論いただくということでいかがか。
 予定の4時ということになったので,今この総会で御議論いただいたことを根本にして,今後の進行をしていきたい。
 当面の日程としては,7月中に第6回の総会を開催するという予定で取り進めたいと思う。総会の日時,場所などについては追って御報告するということで,本日はこれで閉会とする。

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