国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 問題点整理委員会報告1

坂本会長

 前回の総会で問題点整理委員会の発足をお願いしたが,その後委員会は,事務局から今説明があったように,4回ほど開かれて,現代の国語をめぐる諸問題についていろいろ御検討の上,問題を整理していただいた。したがって,きょうはまず林主査から御報告を伺って,その後で協議に入らせていただきたいと考えている。
 では,林主査,ひとつよろしくお願いする。

林(大)主査

 それでは,御報告させていただく。
 第3回の総会で問題点整理委員会というものが設けられ,私が主査ということで,仕事をさせていただいたわけである。先ほど課長から話があったように,整理委員会は4回開催して,そこでその前の3回にわたる総会での御意見を整理した。いろいろ意見を述べながら,それを整理した結果がこの資料であるが,15枚の大部なものになった。これをまとめるについては,事務局の方に大変御苦労をかけている。
 この資料は,目次に示すように,「はじめに」,「総論」,「現代の国語をめぐる諸問題」,「国語審議会として今後更に審議を深める必要があると思われる問題」の4部になっている。その中で, Uの「現代の国語をめぐる諸問題」というところが,総会ないし整理委員会において委員から出された主な御意見を五つの項目で整理したものである。
 だんだんに御説明をいたしたいと思うが,最初の「はじめに」の10行は,ただいま私が申し上げているようなことである。
 問題の整理に先立って,戦後から現在に至る主として表記に関する国語施策――戦後に取り上げられたのは,大体において表記の問題が主であった。その国語施策の実施の経緯,特に昭和21年以来実施されてきた国語施策とそれに関する昭和41年以来の見直しがどのように行われたか,その趣旨を確認しておくことが必要であると考えて,それを1,2,3とまとめてある。
 1は「戦後の表記に関する国語施策の実施とその改定」。これは歴史的経過である。2は,それぞれの国語施策の内容はどういうものかということを書き, 3に,41年以来改定されてきた国語施策の実施状況を簡単にまとめてある。2のところは, きょうはこれは省かせていただくが,1と3について,まず事務局の方で朗読してもらおうと思う。よろしくお願いする。


〔「はじめに」の1, 3朗読〕

林(大)主査

 ここは,今までの国語施策とその改定の仕事がどのように行われたかということの一応の振り返りである。
 それから,「総論」とそれ以下の御意見のまとめということになるわけであるが,国語の論議をするのに当たって基本的な考え方はどうかということで,まず「国語の改善について」ということを多少述べ,それから各委員からの御意見がいろいろ出てくる,その出てくることになった原因と言うか,言語状況をどのように全体的に認識するかということがあって,それが2の「社会状況の変化と国語」というところに示されている。
 こういうふうにしてまとめてみたけれども,これは文章の点を整理委員会で十分論議することはできていないので,御意見などによって,なおいろいろ修正されなければならないところがあろうと思うが,一通りこういうふうにまとめたところを御覧いただこうというわけである。
 続いて,事務局の方で朗読をお願いしようと思う。


〔総論朗読〕

林(大)主査

 以上が「総論」の部である。1の「国語の改善について」は,我々が改善のことを論ずるについてはどのようなことを考えていなければならないか,まず改善に積極的な努力をしようということ,国語の伝統を重んずるということも大事であるということ,そして従来はその改善については文字表記に関することが主であったけれども,今後はもう少し広い国語の問題を取り上げていかなければならないであろう,また,そこに,従来は「目安」とか,「よりどころ」とか,「指針」といったようなある規則を設けることが多かったわけであるけれども,その規則がどのような分野に適用されるのか,それらの規則を立てることについて国民的な合意が必要であろう,その点についても考えてみなければならないであろうということを次の段落で述べたわけである。
 そして,時には統一的な,時には自由な――「時には」という言葉は「場合に応じては」ということかと思うが,あるときは一種の規制をするような形で,あるときは自由にする形で,文字表記が行われること,文字表記ばかりではないと思うが,そういうことが行われること,どういうふうにそれを振り分けるのが最も望ましいものであるか,といったことが今後の一つの重要な観点になるであろうというわけである。

林(大)主査

 「社会状況の変化と国語」については,価値観の多様化,今日の社会状況の変化に伴って言語意識が変化してくるということ,また,情報化,国際化の進展とのかかわりなどが考えられるわけである。それから,マスコミュニケーションの媒体が非常に影響力を持っていること,文字から映像へ,活字ばかりではないということが今日の一つの特色ではないかということ。
 次に,人間関係と言葉の在り方について,例えば敬語の問題その他であるが,そういうことが今変化しつつあるのではないか,その人間関係の問題を一つの問題の出発点としなければならないだろうということである。
 次に,国際化の進展。国際化の進展には両面があって,外国人が日本語を学習するということ,その学習者の数が年々増加しているような状態,日本語教育を振興しなければならないということ,日本人の日常生活の中へ外国語が非常にたくさん流入してくる,この問題をどう考えるかということがあるわけである。
 最後に,結局は,国語を愛していこう,国語を立派なものにしていこうという精神によって我々は動いているのだと思うが,その国語を愛護する精神を養うということは,今日において最も望まれているものではないだろうか。
 以上のようなことを今日の言語状況として認識しておこうというので,この章を立ててあるわけである。これについても,まだなお十分な御議論を願わなければならないものと思っている。
 次に,各委員から,総会その他で御提出になった御意見を取りまとめたものを私が説明しながら申し上げようと思う。
 U「現代の国語をめぐる諸問題」(委員から出された主な意見)ということで,これを仮に五つの大項目に分けている。1は「表記に関する問題」,8ぺージの2は「情報化への対応に関すること」,9ぺージの3は「言葉遣い,話し言葉,敬語,方言等に関すること」で,いろんな問題を一括している。11ぺージの4「国際化への対応,日本語教育に関すること」は6項目ほどある。12ぺージ,最後の5は「国語教育に関すること」で,やはり6項目ほどまとめてある。この五つの分け方は,問題の類似性によって仮にまとめたもので,御意見をお出しになるときは必ずしもこういう分類をなさっていらしたわけではないので,この分類はまたいろいろ考えてみる必要があるかもしれない。
 「表記に関すること」は,(1)(2)(3)と数えて5項目ある。(1)は「『常用漢字表』,『現代仮名遣い』の内容等に見直すべき点があれば,新たな見直しをすることが必要ではないか」。昭和41年以来,「当用漢字表」「現代かなづかい」の見直しがあったわけだが,更に見直すべき点があれば,見直す必要があるのではないか。漢字表や仮名遣い以外にも,いろいろな施策があるが,それについて,今日において見直すべき点はないかという問題である。ただ,ここに○印で皆様の御意見が出ているが,「常用漢字表」「現代仮名遣い」という言葉と漢字の簡略化の問題,当て字の問題,そういうものだけが出ているけれども,細かく言うと,ここにはまたいろいろ御意見が加わってくるだろうと思う。
 (2)の方は,「新聞や義務教育等での準則が強制的に働く傾向があるが,個人の表記の自由度について確認しておくことが必要ではないか。」という一つの問題がある。「常用漢字表」等は,「目安」とか「よりどころ」とかいうものを決めるのであって,制限的な統制ではないと考えられているわけであるが,その趣旨が必ずしも徹底していない。新聞やジャーナリズムや義務教育では,一種の統制的なことが必要になるわけだが,それが個人の自由にまで及ぼされていくような傾向があるんじゃないか。自由ということと統制ということをどのように考えるか,十分に考える必要があるんじゃないかという問題だと思う。
 (3)は「『補てん』『ばん回』のような交ぜ書きは問題ではないか」。非常に具体的な問題であるが,「てん」の字,「挽」の字が「常用漢字表」にないために, こういう書き方が往々にして新聞紙上等では見られるわけで, これは問題じゃないかという御指摘である。これは後の振り仮名の問題にも関係してくる。
 (4)「振り仮名(読み仮名)をもっと活用するとよいのではないか」。それに対する具体的な治療法であるが,振り仮名を付けさえすれば,「補てん」とか「ばん回」という書き方をしなくてもいいじゃないか,振り仮名を活用したらどうかということである。このことは教育上の問題にも関連することで,教育のところでまた触れるわけである。
 (5)は「句読法に関するよりどころを立てることについて検討してはどうか」。句読法の問題は,ある意味ではいろいろ考えられているが,一般的な句読法というもののよりどころを示す必要があるのではないかということである。句読法を決めたいということと,句読法を決めるのはなかなか難しい,画一的に決めるのは無理ではなかろうかという御意見も,ここに出ているわけである。また,新聞では一応手引書で詳細に決めてある。決めてはあるが,それを具体的に及ぼしていくにはどうすればいいかという問題が出てくるだろうというわけである。
 その他に,縦書き・横書きとか,行を変える問題など文書形式に関する問題とか,動植物名は仮名書きにするという一種の主張があるが,それに対する問題。それからローマ字で姓名を書く場合に,姓と名とが英国流に順序が変わるということがあるが,それについて何か考える必要があるかという御意見も出ている。それから日本語の配列順,漢字の配列順,これは特に辞書などの見出しの配列の方法などであるが,それに関してある標準を立てておく必要があるのではないか,辞書によってまちまちなのは困るんじゃないかということである。

林(大)主査

 2は「情報化への対応に関すること」で,これは3項目ある。
 (1),ワープロにおける漢字の用いられ方やその字体の問題について,現在混乱が見られるが,これに適切な方途を講じておく必要があるということである。まず,字体についていろいろな問題が生じてきている。それについて統一を考えるという問題があるんじゃないか。それから,人名用漢字という問題もあって,これは法務省と文部省との間では連絡がとれているはずであるが,通産省の機械関係の方ともよく連絡をとる必要があるという問題の指摘である。略字ばかりでなく異体字が相当入り,どんどん異体が成立しつつあるような状況がある。それから,多様な漢字がすぐに作られて,すぐに用いられるような格好になっているわけであるが,ここではそれに対して何らかのルールが必要であるということの御指摘だと思う。
 (2)は「ワープロの辞書の諸問題,使用者の用途に応じたワープロの研究・開発が望まれる」。ワープロが非常に便利に世間に普及しているが,そのときにワープロで使われる辞書の諸問題があって,これに対しては使用者の用途に応じた適切な研究・開発が欲しいという御意見である。用途別の辞書開発の必要があるという御意見も出ている。
 (3)は「ワープロ等情報機器の発達が言語生活に及ぼす影響について調査・研究することが必要ではないか」。これは調査・研究することが必要ではないかという御意見にまとめてあるが,情報機器が言語生活にどのような影響を及ぼしているか,及ぼそうとしているか,その問題について十分考えておく必要があるだろうということである。殊に,後で教育との関係が出てくるが,その下で育ってくる子供たちに対してマイナスの影響を与えるのではないかという心配がある。その点について考えておく必要があるだろうということである。個人的な国語の力が衰えてくる――衰えると考えるかどうかということも問題だと思うが,そういうことを一つ考えておかなければならない。
 機器の問題に付け加えて,漢字の字体が,日本と中国と韓国とではそれぞれ違ってきていることがある。そういうことをどうするかという問題が一つある。それから,漢字コードの国際化――機械の中で漢字に一つ一つの番号を与えて,国際的な情報交換の手段にしているわけであるが,そのコードが日中あるいは日中韓でいろいろになっているが,それの統一が必要なのではないか。この問題は通産省の方でも今考えていることかと思うが,こういう問題が確かに一つの重要な問題になるかと思う。
 3は「言葉遣い,話し言葉,敬語,方言等に関すること」。これはいろいろあって,9項目になっている。
 (1)「言葉の乱れやゆれの問題について取り上げて検討すべきである」。正しく美しい日本語という目で見ると,今使われている日本語は,非常に崩れてきていると言わざるを得ない。それをどうしたらいいか。中学生の言葉が我々には分からないものがある,それでいいだろうか。これを乱れと見るか,ゆれと見るか,それに対して我々はどう考えていくかということである。
 (2)「発音,アクセント,イントネーションの問題についても取り上げて検討すべきである」。発音の問題と言うと,アクセントやイントネーションというようなことになるが,これについて標準を設けることができるかどうか,その問題を考えておかなければならないであろうということである。
 (3)「正しい言葉,美しく豊かな言葉,魅力のある言葉の使用について広く社会に訴えることが必要ではないか」。お互いに正しい言葉,美しく豊かな言葉を使おうじゃないか,魅力のある言葉を使おうじゃないかということを社会に広く訴える必要があるという問題提起であろうと思う。多くの方がいろいろおっしゃっているが,一口で言うと,国民的な自覚を求める必要があるということになろうかと私などは受け取っている。
 (4)「現代の話し言葉,書き言葉における敬語の問題」。敬語の問題は一つの大きな問題だと思うが,日本語の中で非常に大切な分野を占めているので,それについてのある方向づけができないか。昭和27年に「これからの敬語」が出されたが,その見直しはされていない。あれはまだ告示にも何にもなっていないけれども,一応の標準が立ったような格好になっているわけで,それを今日の時代に合わせて見直す必要があろうかという御意見がある。
 (5)「方言の問題」。共通語と方言の共存,使い分けは望ましいことである。方言と標準語の二つを話せる二重言語生活が必要であるし,理想的だという御意見。方言を尊重すべきであるという御意見。方言が不当に排除される傾向があったのではないかということがこの裏にあると思う。方言にある豊かな表現形式を残しておきたい――残しておきたいということと同時に,我々の生活の中にそれを生かしていくという方向もあるのではないかと思う。
 実は明治以来の方言調査も,方言の中に標準語に取り上げていいものはないかというのが一つの観点で,標準語を育てるために方言の研究をするのだということが一つの目標ではあったわけだが,標準語教育,共通語教育というものが主になって,方言が不当に蔑(べっ)視されるような傾向があったことも事実である。その面で地方的な文化を背負っている方言というものを見直して,重視することが大切だと思うという御意見である。

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