国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 協議1

坂本会長

 以上で,御説明と朗読が終わったわけであるので,これから協議に入らせていただく。この報告について御質問や御意見があれば,お聞かせいただきたいと思う。
 この報告は中間的なもので,公表して世間の反響や各方面の御意見も伺った上で,今後更に我々として検討,論議を深めていくということを予定しているものであるから,本日,この席で伺った御意見についても議事録にとどめて,次回以降の審議の中で十分参考にさせていただくことになると思う。お気付きの点や疑問の点などは,この際,何でも伺わせていただきたいと思う。また御感想のようなものでも結構であるから,どうぞ御発言をお願いしたい。

市川委員

 委員から出された全く多様な意見,反対意見まで例として示しながら,全体を整理していただいた御努力に敬服するとともに,この出来栄えに感謝したいと思う。
 ただ,私,読ませていただいて,私自身が分からないところがあるので,お教えいただきたいと思ったのは,この中に「言葉の乱れ」「言語環境の乱れ」というキーワードが,私が見た範囲で5か所ばかり出てくる。このうちの1か所は,委員の意見のところに出てくるので,多分その委員が乱れていると思ったものについての意見ということで,国語審議会としては責めを免れると思うのであるが,あとの4か所は,国語審議会として整理した主文というか,キーとなるセンテンスの中に表れているわけである。
 そうすると,「国語の乱れ」とは何かということの説明を求められたときには,説明できなければいけない。別な言い方をすれば,「乱れ」の定義が必要な気がする。それは一体何かというのが私の質問なのであるが,質問する理由は,「乱れ」という言葉は,その対語として必ず「正当な」というか,「乱れていない」言葉というのがあるはずである。それは一体何だろうかということである。
 国語審議会がいろいろ議論して,これまで積み上げてきたものは,原則として,公共とか共通のものに対するものであって,個人,その他,芸術・科学等には及ぼさないと言っているわけだから,そういうときに,正当な言葉というのは存在し得るかどうかということが一つである。
 もう一つ,仮にそのような乱れていない言葉というものが存在したときに,それからずれているものとしてはいろんなものがあるわけである。この中でも方言のことに触れられていたし,あるいは官庁用語に触れられていた。ということは,別な言い方をすれば,小集団の中に固有に使われている表現も,恐らく「正当な」というか,「乱れていない」ものとは違うものだと思う。全体の雰囲気として,方言とか文化にかかわるものに対しては,何となく寛容なような表現なのであるが,言葉の乱れというものについてはかなり厳しい立場のように思える。
 そういうことで,ここでお使いになっている「言葉の乱れ」というものの定義,あるいはもし定義がないとすれば,何か別な言い方の方が分かりやすく,かつ世の中が納得するのではなかろうかということである。

坂本会長

 今の御意見にどうお答えしていいのか,正直言って,私も即答しかねるような部分もあるけれども,いかがか。「言葉の乱れ」というものについての認識,今の市川委員の御発言に対しての御意見,御発言はないか。

中西(進)委員

 つまらないことのようであるけれども,そういう場合には,「乱れと思われるもの」と言えばよろしいのであって,あと25分すると時間が来るのだから,今はそんな形で補足をするしかないのだろうと思う。基本的,抜本的には,市川委員のおっしゃるとおりで,それこそがここで審議されるべきものであるから,ニ重の構えでいったらどうかと思う。

市川委員

 結構である。要するに,定義したものではないということ。

中西(進)委員

 ついでに私の意見を申し上げたい。
 「総論」というところは,今お読みいただいて,大変な名文で感動的であった。国語の教科書に入れたらいいんじゃないかと思うぐらい名文であった。
 そこで何が述べられているかというと,言葉というものが,文化を形成するものだ,文化とともにあるものだということを非常に強調しておられたと思う。ところが,「今後更に審議を深める必要があると思われる問題」という中には,言葉と文化の問題ということは全くなくて,専ら具体的な表記とか国際化とかいうふうな問題がある。
 確かに,この審議会は実践を議する審議会であることは十分知っているのだけれども,基本的に,こうやって「総論」でうたい,かつ我々が最初から確認してきたことは,言葉というものは国民とともにあり,文化とともにあるんだということであるので,これも1項目,非常に重要なこととして,今後審議を深めていく項目に挙げておいていただきたい。
 あと25分で,間に合わなかったが,そういう趣旨もあるのだということを御説明くださって,次回はこれに入れていただきたいと思う。

坂本会長

 冒頭申し上げたように,この場でここをこういうふうにというのはなかなかできにくいような御発言も多いかと思うので,こういう御発言,御意見があったということを書き留めて,いずれ発表させていただくということで御了解いただきたいと思うが,いかがか。
 ほかにどうぞ。

北原委員

 これが外に公表されるということで,ちょっと気になるのだが,Uの「委員から出された主な意見」というのが生の形で取り上げられているのは,市川委員がおっしゃったように,大変結構だと思うが,「すべきではないか」という提案の類は意見としていいと思うけれども,委員個人の見解のようなもので,必ずしも皆さんが賛成できないようなのも載っている。
 特に,「日本語」と「国語」の項目では,2項目だけは意見が出ているが,13ぺージの○の上から3番目あたりは,私なんかは全然違った考えを持っている。「『日本語』は自然言語的なものである」「『国語』は明治になって成立し,以来人工言語的に整理されてきたもの」というふうに断定されると,そういう事実――自然言語的なものと国語政策的に修正されてきたものとがあるとしても,それで一方を「日本語」と言うんだ,一方を「国語」と言うんだというようにネーミングにまで持っていくと,そうではないという考えの方も随分いるわけで,こういう項目も載せておかなければいけないのかということである。
 それから,上から5番目,「『国語』というのは自国語に対する自覚に基づいたものと考えたい。」「考えたい」というのは結構だけれども,こういうのも,何とかというふうに改良すべきだとか,そういう意見ならいいけれども,「考えたい」というようなのは,ここに載せておかなくてもいいのではないか。「したがって,国民教育の上では『国語』でなくてはならないと思う。」という,この辺もどういう審議事項につながるのかということを考えると,要らないのではないかという気がする。
 個人の生の意見をそのまま名前も出さないで,しかも審議会全体の名前で公にするのにはどれだけの意味があるのかということもお聞かせいただければと思う。
 それから,1か所だけ細かいことだが,言葉遣いの問題である。11ぺージの(10)の最初の「小学校の先生(女性)が男の言葉を使われるので」というのは,敬語ではないかと思うが,「使うので」ではいけないのか。発言がそうだったのかもしれないが,公にするというので,細かいことを申した。私,最初の方がちょっと気になるので……。

坂本会長

 いかがであろうか。今の御意見について,事務当局の方から何か対応はあるか。

川村文化庁長官

 ただいま御説明があったこれのパートUに当たる部分,委員から出していただいた御意見を整理した部分であるけれども,事務当局としては,現代の国語をめぐる本当に様々な価値観に基づく多くの御意見がある,その御意見をべースにしながら一つの方法は,できるものから探っていきたい。その一番の基礎となる部分として,これだけお忙しい先生方にお集まりいただいて,あるいは場合によっては文書によって提出していただいた御意見というものを,できるだけ客観的な形で整理をさせていただいてはどうかということで,かなり長文であるけれども,こういう形で整理をさせていただいているわけである。
 したがって,ここに掲載されている個々の御意見について,今御指摘のように,必ずしもそう思えないんじゃないかという部分は,私が見ても,こういう御意見はどうなのかなと内心思う部分もかなりあるけれども,しかし,それはそれとして,御意見としてあることは事実であるということで,できるだけ忠実な形で整理をさせていただいた方が,今後の御意見を深めていく,国民の各方面から御意見をいただく上で,それはおかしいじゃないか,そういう考え方は違うんじゃないかという形の問題提起にも役に立つんじゃないかと思って整理させていただいた。こういうことであるので,そういうものとしてお受け取りいただければ大変ありがたいと思う。

北原委員

 公表する場合に,まずここで議論を――私1回だけ欠席したけれども,ずっとここの意見を伺っていて,そのときに私なら違うなと,反論というのは言葉は悪いけれども,私の意見を述べさせていただくことをしないで,ただお聞きしていたのだが,それを全部そのままの形で,ここで議論を重ねないような個別意見を外に出すのはいかがなものか,という感じだけれども。

坂本会長

 実は一昨日も運営委員会があって,今北原委員がおっしゃるようなところも多少侃々諤々(かんかんがくがく)やった。ただ,今この総会で御納得いくような形で表現を改めて外部に発表するというようなことは,時間的余裕がなかなかないんじゃないか。どなたがどう発言したかというところまで表記するということは,これはやや平地に波瀾(らん)を起こすようなものだから,その御発言に対して一般の方がどうおっしゃるかということはあえて受け止めてそれで発表しようという,やや時間的な余裕等をおもんぱかっての一つの手段であるので,多少の御不満は御納得いただけないものかと,座長を務める私としてはお願いするというようなことになるのではないかと思う。
 私自身も,「日本語」か「国語」かということについては,一昨日かなり不満的な発言をしたんだけれども,それはそれとしてということで段取りをさせていただいたわけである。


〔松田政務次官出席〕

坂本会長

 お忙しいところをありがとうございます。

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