国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 協議2

蓮池委員

 小学校の教員なので,小学校の国語教育の立場から,まとめ,あるいは提言事項を読ませていただいて,すべてにわたってこれは大変重要な事項であるということで,私も学校教育の中で国語のあるべき姿を明確にまとめていただいたという総論は,大変感謝しているところである。
 ただ,今お話が出ているように,これが全部公表されるという中で,訂正ということよりも,誤解を招かないようにぜひ御注意いただければというところを申し上げたいと思う。
 各委員の意見のところであるが,9ぺージの3の(1)の下の○の意見である。これは中西(朗)委員もいらっしゃるが,すべての子供がこのようであるというふうな理解であると,大変残念である。一部にはその事実はあると思うが,すべてがこうではないということをぜひ御理解いただきたいと思う。
 それから,11ぺージの(10)であるが,果たしてこのことが今後どうなのか,表題そのものにも私も現在まだ悩んでいるけれども,男女の言葉の違いということを今後どうするかということについての問題である。その中の上の○の意見についても,事実こういう体験はあったと思うが,これもすべての学校教育の中における実態ではないということを,公表した場合に,すべてと受け取られると,大変なことであると思っているわけである。そこらについても,取扱い,今後の問題の上で御留意いただければと思う。

坂本会長

 その点は我々も全く同感であるので,今後の記者会見等における文化庁の対応の中で配慮するように,私からもお願いしておきたいと思う。
 殊に女と男の言葉遣いの違い,女性が「男の言葉を使われるので」というのは敬語ではないかという御指摘もいただいたわけだけれども,尊敬語と丁寧語というのがあるわけだから,多少その辺のニュアンスがあるのかなと思わないでもない。そういう点で,事務局に対応を誤らないようにと申し伝えることで,ぜひ御了解いただきたいと思う。

石井委員

 この表現の問題で,15ぺージの「情報化への対応に関すること」の(2)の問題で,一番最後の「漢字を読む能力の伸長を図るために,振り仮名の活用等について社会一般に配慮する必要があるのではないか。」というくだりなんだけれども,ここはちょっと判然としない。
 多分これは前向きに振り仮名をもっと使うべきではないかということを意味しているんだろうと思うけれども,しかし,一方,余り濫用するなというふうにもとれるので, これをもう少し分かりやすい表現になさった方がよろしいのではないかと思う。その前に,問題点整理委員会の委員の方々の御努力に本当に敬意を表したい。ありがとうございました。
 この振り仮名の問題と交ぜ書きの問題は,私新聞記者なんだが,新聞記者の最も悩ましい問題になっている。例えば,今どこの新聞社も活字が大きくなったから,1ぺージに入る字数がその分だけ当然少なくなっている。そのために,簡潔な表現がますます要求されるのだけれども,例えば仮名を振る場合,「周章狼狽」というときに,丸括弧をして(しゅうしょうろうばい)というような文章になると,それだけで十何字分とられてしまうということで,「周章狼狽」ならば「あわてふためく」と言い換えればいいんだけれども,大和言葉と漢語との違いもある。
 大和言葉は優しく柔らかなニュアンスになるのだが,またパンチ力を必要とするような場合,これは例が悪いかもしれないけれども,「牛歩国会は世界の顰蹙(ひんしゅく)と失笑を買った。」というような文章が仮にあったとすると,そのときに「世界の人々に眉(まゆ)をひそめさせ,物笑いの種になった。」というよりも,「顰蹙と失笑を買った。」といった方がパンチがある。簡潔になるし,どうしてもルビで漢語を使いたいということがあるので,そういう意味で,大げさに言えば,新聞の文章にルビを振ることに国民的合意を得たいと思って,さっき申し上げたくだりをもうちょっとはっきり表現していただきたいなと思う。

坂本会長

 確かに仮名を振ることが最近余り用いられない点は,石井委員のおっしゃるように,括弧して下ヘ書くのではなくて,振り仮名という方法をもうちょっと考えてもいいのではないかと私自身も考える。殊に人の名前は,そこら辺の配慮をする必要があるのではないかなと思う次第であるけれども,表現等については,御指摘のことを最終表現では注意するということでいかがであろうか……。

村松委員

 私自身,問題点整理委員会に出席させていただいていて,今ごろこんなことをこの場で申し上げるのは大変恐縮であるけれども,整理委員会のときは,文章の方ばかり見ていて,表題を見てなかったので……。
 申し上げたいのは,16ぺージ,4の表題になっている「国際化への対応」である。「国際化」という言葉がもし「インターナショナリゼーション」の訳語であるとすれば, これは意味が分からなくなってしまう。国際化,インタナショナライズという言葉が頻用されるようになったのは,申し上げるまでもなく,スエズ運河の国際化とか,協力開発という言い方からである。
 日本で使われている「国際化」という言葉は,全然それと意味が違う。意味が違ってもいいじゃないかという考え方もあるかもしれないが,とにかく国語審議会として言葉を使う以上,やはり厳密を期しておいた方がいいのではないか。

坂本会長

 ここは何といったらよろしいのか。

村松委員

 「国際社会」でいいと思う。国際社会への対応であって,イン夕ーナショナリゼーションへの対応ではないわけである。○のついた個人の発言は,もちろん,個人の御責任だからいいけれども,こちらで発表するときには,11ぺージの4も同じことだけれども,「国際社会への対応」としておいた方がよろしいのではないかと思う。国語審議会としてまだ固まってない語句を使うのは,避けた方がいいのではないか。今ごろになってこんなことを申し上げるのは恐縮だけれども。

坂本会長

 これはこの際「国際社会への対応」と改めるべきではないかと。個人の発言ではない,項目だからということだが,文化庁の方はいかがか。 よろしいか。

川村文化庁長官

 おっしゃるとおりで,私もそのとおりだと思っている。私もうっかりしていた。見過ごしていたと思うけれども,一応記者クラブの方には事前レクをしてあるので,できればこのままにさせていただいて,ただし,先生方が一致してこの際改めた方がいいということであるならば,当然,そういうことで御意見があったから,この「国際化」というところは改めるということで,修正していただいで結構だと思う。

坂本会長

 いかがであろうか。「国際社会への対応」というふうに改めるということでよろしいか。

中西(進)委員

 総論の中にも出てくるが……。

村松委員

 本当は全部変えた方がいいと思うけれども,技術的な問題もあって変えにくい場合もあろうから,今から言い換えが難しい場合はしょうがないということになるのかと思う。

坂本会長

 「国際化」という表現は,国語審議会のこの提言の中では不適当である,「国際社会への対応」,あるいは「国際社会への何々」と,そういう言い方に改めるべきだという積極的な御発言であるから,お諮りしているわけだが,それはそうであろうけれども,現状ではこのままでもいいじゃないかという御意見があるなら,お聞かせいただきたいと思うのだけれども。

川村文化庁長官

 御指摘のように,1ぺージの目次から始まって,総論やらいろんな部分にそれが出てくる。「国際化の進展により」とか,「国際化は我々に……考えさせ」とか,いろんなところにあるから,文脈の中で,できれば,言い換えた方がいいという部分は改めて,そうでない部分は「国際化」のままにさせていただくということで御一任をいただければ大変有り難いと思うけれども,いかがであろうか。

坂本会長

 よろしいか……。
 それでは,そういうような段取りで対応させていただきたいと思う。
 ほかによろしいか。

山川委員

 5ページの総論の1の最後のところだけれども,「必要に応じて,時には統一的な,時には自由な文字表記が行われることが,国語にとって,また,我が国の文化にとって最も望ましい。」と書いてあるが,この辺のところが私はちょっと分かりにくいと思う。「必要に応じて」というのはどういうときなのか,「時には」というのはどういうときなのか。文字表記ならばそういうこともあるけれども,それ以外の問題を取り上げる場合にも慎重に考えなければいけないということは,話し言葉でもそういうふうなことを考えなくてはならないのか。非常にうまく都合よく書いてはあるけれども,これはどうなのか。

坂本会長

 この点はいかがか。山川委員だったらどういうふうにしたらいいと――意味が分からないということか。

山川委員

 例えば私が,きょうこれから歌舞伎座で「東海道四谷怪談」という芝居を中継に行くんだけれども,その芝居の中で盛んに「気違い」という言葉が用いられている。これは一つの芸術作品として見れば,この「気違い」というのも何となく通ってしまうようなところもあるけれども,それをNHKで公共放送として中継するときには,「気違い」は許されない。そうすると,これは統一的に言えば,駄目ということ――これは極端な例かもしれないが,自由な表記,話し方ということになると,それは許されるということになるのか。

坂本会長

 今お挙げになった例は一種の差別用語みたいなところがあるから,なかなか答えにくいと思うんだけれども,いかがか。

川村文化庁長官

 おっしゃるように,この表現が余りにもあっちを見たりこっちを見たりして,問題点整理委員会の先生方には申し訳ないんだが,分かりづらくなっている。私も今御指摘をいただいて,そう思った。
 ではあるが,今回の整理としてはこの形でさせていただいて,次回のときに,もう少しその中身を,今おっしゃったようなことを具体的に踏まえながら,事柄を整理して改めていってはいかがであろうか。ここに込められているお気持ちというのは,非常に多くの御意見が入っていて,分かりづらくなっているわけだから,その辺は今後の審議の中で解きほぐしていって明確にしていただければと思う。そんなことで御了承いただければと思う。よろしくお願いする。

服部委員

 今,山川委員からお話があった差別用語,遠慮語というのか,これは今いろいろ問題があるんだけれども,個々に話合いがなされている現況で,書く方の人たちは非常に戸惑っているわけである。ここを何とか統一的な,ここまではいいとかという,限界というか,許容というか,そういう標準的なものが文部省あたり,あるいはここの任務になるのかもしれないけれども,話合いによってできないかというのが,今の私の感想である。
 もう一つは,お伺いということになると思うが,この間,韓国の出版書籍協会の会長が私のところに来たときに,いろいろ話していて,日本のワープロを使っていろんなことをしているんだけれども,どうも漢字が統一されていない,様々だと。そういうことじゃなくて,むしろ漢字を使う国の漢字の統一というか,日本語もどんどん普及してきているし,韓国も漢字を使っている,中国,台湾も使っている,こういうところで統一的なことができないか,日本が主力になってやってくれないか,こういうような要請が私になされたわけである。私個人としてはそんなことはなかなか難しい問題なんだけれども,そういうような話題が政府間に起きたことがあるのか,現在どうなっているのかということを伺いたい。
 もう一つは,ハワイで5か国の漢字会議があるということを聞いているけれども,服部さん知っているかと言うので,私はそんなことは知らないと言ったんだけれども,5か国というと,どこだろう。日本,韓国,中国,台湾,それにアメリカじゃないかと言うんだけれども,そういうことは行われているのか。そういう点をちょっとお伺いしたいと思う。

安永主任国語調査官

 大修館で出している『しにか』,これは中国文化あるいは漢字に関する雑誌であるが,それの5月号と6月号に,昨年11月韓国のソウルで,日中韓の漢字関係の学者が集って,漢字統一の問題なども含めて会議を開いた際のレポートが載っている。それに日本から出席されたのは,石井勲さんと京都大学の阿辻助教授で,それぞれのレポートが載っていて,私どももそれを読んでいる。
 この会議の底流としては,韓国では御承知のように,漢字教育が余り行われていない。中学,高校で1,800字,これは古典を読むために習うという程度である。それで,韓国の,漢字をもう少し教育の上で重んじてはどうかという方々が主体になって,そういう会議を運営している,そういうふうに私どもは理解している。

西尾委員

 意見ではないが,誤用を見つけたので。
 個人の御意見とか語句の解釈,定義の問題ならば,そのままでよろしいと思うけれども,2ぺージの上から11行目に「従来から行われてきた」という言葉がある。これは「従来」の間違いで,「から」は重複していると思うので。審議会としてはこういう誤用は避けたいと思う。

坂本会長

 ありがとうございました。
 それでは,そのような皆様からの御発言を前提にして,この審議経過報告を採択することをお諮りしたいと思う。拍手をもって御同意願いたいと思うが,いかがか。


〔拍手〕

坂本会長

 ありがとうございました。

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