国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 意見交換1

坂本会長

 では,次の議事の(2)の「意見交換」に入らせていただきたいと思う。
 先ほど文化庁長官から諮問事項についての説明を伺ったけれども,第19期の報告を受けた形での諮問ということで,検討すべき内容としては,1に「言葉遣いに関すること」,2に「情報化への対応に関すること」,3に「国際社会への対応に関すること」,4に「国語の教育・研究に関すること」,5に「表記に関すること」という五つの問題があるということであった。
 このように広範多岐にわたる問題について審議をしていかなければならないわけであるけれども,当面,すなわち本20期においては,社会の各方面で要望されている問題から取り上げてほしいということで,差し当たり「言葉遣いに関すること」 「情報化への対応に関すること」 「国際社会への対応に関すること」の三つの課題を柱として検討していくというのも,ーつの行き方ではないかという御示唆があったようである。もちろん,言葉遣いの問題は教育に深くかかわる事柄であるし,情報化の問題は表記のことに密接な関係がある。教育や表記に関する問題も視野に入れていくことが必要だというふうにも伺った。
 審議の期間としては,何分テーマが多いので,ある程度長い期間が必要になるだろうということで,次期以降に継続して検討していくことも当然考えられるわけであるが,任期の間に,審議経過として,又は成案としてまとまったものは,逐次報告なり答申なりをしてほしいということである。
 また,具体的な審議の方法としては,幾つか小委員会を設けて検討するというのも一つの方法であろうというお話もあった。
 大体こういった趣旨の説明を最前承ったわけであるが,このような審議事項についての説明を念頭に置いた上で,さて,実際にこれからどのように審議を進めていけば良いのか。本日は初めての会合であるが,まだ時間も残っているので,この際,今後の審議の進め方や問題の取り上げ方,その他何なりと御意見を伺わせていただきたいと思う。また,先ほどの説明に対する御質問や事務局に対する御注文でも結構である。どうぞ御遠慮なく御発言をお願いする。

山川委員

 地方の「一日国語審議会」のお話し合いを資料で拝見すると,国語なり言葉遣いなりをどういうふうに考えたらいいかということで国語審議会が「目安」を示せ,「よりどころ」を示せというような意見が大分多いようであるが,私たちはどういうふうに目標に向かっていったらいいのか,国語審議会の問題の設定,目標の設定が非常に難しい。こういうことを国が,この審議会の委員が多数決で決めるわけにもいかないし,19期の私の経験では,個々の意見がばらばらと出ていくという形だったのだが,この20期の方向として,一体どういうふうな在り方がいいのかということをまず最初に皆さんでお話し合いいただいて,その方向でというような思いが私は深い。いかがか。

坂本会長

 今の山川委員の御発言に,何か御意見,御発言はないか。
 私も「一日国語審議会」に出席したけれども,正直言って,いわゆる答えを出すのが難しく,私自身が追い込まれるような感じである。ある意味で一つのルールみたいなものがあって,それが標準だというふうに──多少のバリエーションはあるとしても,また,正しいとか正しくないとかは別として──そうあってしかるべきではないかなというふうに常々思っている。
 毎度同じことを言うようだけれども,「ら抜き」の問題にしても,地方によっては,生活上「ら抜き」を使っていて,「ら抜き」のどこが悪いんだということがある。挙げ句の果てが,東京にいる者が東京が標準語だというような立場で「ら抜き」を非難するのは,思い上がりも甚だしいというような言われ方をされかねないことになる。それに対して,こっちもちょっと憎らしいから食い付きたいと思うんだけれども,そこまで感情的になってはいけないと思って,「ああ,そうでございますね」とへっぴり腰になってしまう。
 そういうようなことで,言葉の問題というのは頭が痛いと思うけれども,そこで一応の標準を立てるのが,審議会委員としては見識ということになるのではないかなと思ったりしている。会長が余計なことを言ってはいけないのかも知れないが,いかがか。

水谷委員

 4か所の懇談会に出させていただいて感じたことの一つは,国語審議会自体が,今お話が出ていた「目安」などを模索していかなければならないということがあるわけだが,一方では,内容のことを考えると,文字についての決まりを一応作り上げるという形とは違った問題が今いっぱい存在している。それは簡単に答えの出ない可能性がある。幅のあるものになる可能性がある。
 これはこの懇談会でも何回も出てきていたが,実行していく人たち,言葉を使って仕事をしていてくださる放送関係の方とか,新聞関係の方,教育の現場の方,こういった方たちの実践的な活動の中から規範を探していただいて,そういう知恵を集めていかないと,方向性を間違える可能性もあるのではないか。そこで,できれば小委員会などを構成するような行き方のほかに,あるいは小委員会自体でもいいのだが,何らかの形で具体的な言葉の問題が操作できるような,そういうシステムを用意すべきだと感じているが,いかがか。

坂本会長

 方法論としては,確かに大事な御提言だと思うので,検討させていただけたらと思う。
 特に,私自身が放送にかかわりを持った人間なので,最近のテレビ・ラジオを見たり聞いたりしていると,私たちの時代に持っていたスタンダードみたいなものがかなり変わってきているのではないか,私とすれば,その点は多少問題があるのではないかという気がいたしているので,そういうところで議論をさせていただけたらなとも思っている。
 また,新聞,その他プリンテッド・メディアの方でも同様のことがおありではないかなとも思うけれども,いかがか。

沖原副会長

 私も懇談会に出席させていただいたが,御要望や質問が多岐にわたっているので,これをまとめるのは大変だなと思った。しかし,何とかこれに対応しなければいけないんだなということも非常に強く感じたわけである。そういう意味では,4か所で行われた懇談会でのいろんな要望をまとめたり,整理したりすることが,まず大切ではないかという感じがしている。水谷委員が言われた小委員会というのは,そんなことに関係があるのではないかという気がしている。

江藤委員

 4か所の懇談会,「1日国語審議会」での御意見も多岐にわたって,それぞれ貴重な御意見があるだろうと思う。それから,先ほど水谷委員がおっしゃったように,直ちに「目安」と言われても何だから,いろいろシステムを作って考えた方がいいということも,そのとおりだろうと思うが,ここに一つ根本的な問題があると思う。
 文部省,文化庁及び国語審議会でもいいのだけれども,一体,標準語というものはあるとお考えなのか。それとも,そんなものは要らないというお考えなのか。つまり,記述主義でいけば,ある地方では,方言から言って「ら抜き」が自然な言語だから,それでいいんだというように,いろんな現象があるから,それを並列的に記述して,それを積算したものが国語の現象であるというふうに言うことはもちろんできるわけである。標準語というものがあるのか,ないのかという根本義に立ち至って,標準語があるという状態を続けることがいいことなのか,標準語なんか要らないというふうにするのがいいことなのかというところに,実は問題は来ているのではないかと思う。
 それから,本日の資料の中に大変興味深い社説があった。東京新聞であったか,「第二日本語」というのが出てきた。これは考え方としてはおもしろいと思うけれども,一体世界のどこに自国の言語を「第一言語」と「第二言語」に分けて,自分の手で言語の分裂をやった民族国家があるだろうか。言語というのは,先ほど会長がおっしゃったように,非常に多岐な,複雑な,しかも一人一人の人間の存在の内奥にかかわる問題を含んでいる現象だから,これはとても難しい。多言語国家であれば,言語問題自体が流血の惨事を引き起こしかねないのである。だから日本語を「第一日本語」と「第二日本語」というふうにスプリットするという考え方は,実に危険極まりない考え方だと思う。
 現実に,方言という現状があるのはちっとも構わないし,それぞれ尊重すべきであり,差別とか何とかいうことでなしに,相互に理解し合わなければいけないと思うけれども一国家の国語政策として,地方分権とか何とか言うけれども,標準語というものを堅持するのか,やめてしまうのか。
 それから,NHKの方が会長を初め山川委員がいらっしゃるが,私どもが小学生のころは,国民学校と言ったころだけれども,先生に,格助詞の「が」は鼻濁音で言わなければいけないと口やかましく教えてもらった。NHKのアナウンサーの方々におかれては,ついこの間まで──ほんの一,ニ年前だが,この鼻濁音は大体において堅持されていたと思う。
 お名前は挙げないけれども,NHKのニュースに出てこられる大変魅力的な女性のスポーツ・アナウンサーがいらして,この方は絶対に鼻濁音が発音できないらしい。NHKの総合テレビが,例えば7時とか9時とかいうような全国ネットのニュースを流しておられるときに,アナウンサーの中に鼻濁音を使わない人が出るということは国語政策上,実は非常に重要な問題なのである。そういうことをNHKは一切考慮なさらない。
 最近,フランスでは,フラングレーに対する追放運動が法制化されるようになった。フラングレーというのは,フランス語化された英語であるが,「スーパーマーケット」というのはいけないんだそうである。これはばかみたいな話だとお思いになるかもしれないけれども,実は非常に重要なことであって,アンテヌ2はどういうふうにやっているのか,知らないけれども,そんなことを考えた。

山川委員

 「標準語」ということだけれども,NHKも戦前は「標準語」と言っていたが,これは非常におこがましいということで,戦後は「標準語」というのは正式には一切使わず,「共通語」というふうに言うよう,口を酸っぱくして後輩を諭しているけれども,ついうっかり出てしまう場合もある。
 それから,鼻濁音の問題は正におっしゃるとおりで,これは複雑な法則があるわけでもなし,そのときの慣習にもよるし,例えば「エ業高等学校(コウキ゜ョウコウトウガッコウ)」と言うべきところを「キ゜ョウ」という鼻濁音が出なくて,「コウギョウ」ということになったり,「カ゜ッコウ」になったりするわけである。
 NHKに在籍している者は,鼻濁音は「カ゜・キ゜・ク゜・ケ゜・コ゜」のように,「゜」を付けて濁音と区別しているわけであるけれども,そういうものを知らないタレントが,昨今はほとんどアナウンサーと変わらずに出ているが,視聴者にはこれがアナウンサーかタレントか分からない。NHKの管轄外にある人がNHKの放送を通じて言っている場合は,規制が非常に難しい。その辺はひとつ御理解いただきたいと思うが,アナウンサーがやっている場合には,私どもに大変な大きな責任があると思うので,今後は十分に注意する。

坂本会長

 逆に,私はすぐ鼻濁音になってしまって,「インク゜リッシュ」になってしまったりする。ところが英国へ行くと,「イングリッシュ」と言うというんで,恥ずかしい思いをするのだけれども,確かにそういう御指摘は十分注意したいと思う。
 ただ,こういう際にNHKのことを持ち出すのは申しわけないけれども,今,山川委員が言ったように,昔から資料を集めて,アクセント辞典を作って常置しているが,正直言って,それがなかなか徹底しない点があると思う。けれども,そういう意味の心構えはさせなければいけないだろうと山川委員自身が言っているから,御了解をいただきたいと思う。

俵委員

 私が「国語審議会の委員をしています」と言うと,先ほどから出ている「ら抜き言葉」は国語審議会としては正しいのか,だめだと言っているのかというふうなことをよく聞かれる。
 第19期の報告を読むと,「いわゆる乱れやゆれについて」とだけ書かれていて,それが一体何なのかということまでは確かに示されていないので,そういうふうに尋ねられる多くの人の気持ちもよく分かる。やはり「いわゆる乱れやゆれ」とまで言ってしまったわけだから,20期では,大変な作業だとは思うけれども,そこのところははっきりさせなくてはいけないのではないかなというふうに思う。これが正しいとか,これが標準だとかいう言い方ではない言い方というか,そういう態度も含めて,これから話し合われるべきじゃないかと思う。
 敬語については,大変多く見られる間違い──これはこうだから間違いなんだよという目安みたいなものがあると,言葉を使う上で,大変有り難いんじゃないかなと思う。それは今多くの人が知りたいなと思っていることだと思うし,言葉について,自分は正しいと思っていたのに間違っていたのかということがあると,ものすごく心に染み通るのではないか。言葉に関することはみんなが知りたがっていることだと思うので,大きなお世話だと言われようとも,何らかの目安のようなものを示すというのがいいのではないかなと思う。
 その過程の中で,いわゆる乱れやゆれの中心になっている若い人たちの言葉遣いの現状とか,言葉を使う上での考え方とか,そういうものを聞く機会をぜひ設けていただきたいなと思う。その過程で,ここにいらっしゃるたくさんの先生方が,今の日本語というか,若い人たちが使っている言葉はこうなんだ,どれぐらい多くの人がこういう言葉を使っているのかということが分かったら,また認識も新たになって,この期の展望が見えてくるんじゃないかと思ったりもする。

坂本会長

 御指摘の問題は,審議の間で議論していかなければいけないだろうというふうに認識しているつもりである。

吉村委員

 さっき江藤委員から大変危険だと言われた社説を書いた新聞社の責任者として──前のことなので,私も詳しいいきさつはいささか忘れたが,何も日本語を真っ二つに割ってしまえとか,そういう意味ではなくて,ワープロなど機械化が進み,外国人が日本語を学んだりしようとするときに,美しさとか伝統とかいうことから多少外れても,日常的に分かりやすい言葉というのが片方にあって,それから伝統とか,美しい文学とか,そういうものが一方にある。別に真っ二つに割るということでなくて,それぐらいの割り切り方が日常行われた方が,かえって,すんなりいくんではなかろうかという考え方で申したわけである。
 実際に,今,新聞協会が定めている言葉遣いで書くと,それに対して,交ぜ書きの問題等,芸術家の方から不満が出されるわけであるが,平易で分かりやすい言葉とそうじゃない伝統的なものとが,ある程度区分されるということは,むしろ悪いことではなくて,より現実的な問題ではないかなというふうに私どもは考えている。
 例えば,アメリカのように,人種政策に絡んで英語とスペイン語の両方を国語にせよという形の問題とは,またわけが違うのではないかと私は思っている。

坂本会長

 江藤委員,そういう点でひとつ御理解を願いたいということである。
 ほかにいかがか。

渡辺委員

 言葉の問題,特に1の「言葉遣いに関すること」は非常に広い内容で,私たちが使っている音声,文字,すべてを含んでいるわけである。多分,「言葉遣いに関すること」は,そのうちの音声言語の面を指していると思う。
 音声言語の面を取り上げても,先ほどガ行の鼻濁音の話が出たけれども,例えば,東京では語頭のガ行は破裂になって,語中と語尾はガ行の鼻濁音になるという原則があるが,東北へ行くと,K音がガ行になる場合に破裂になるわけである。そういうふうに,地方によってかなり違った内容がある。そういう意味で,例えばガ行の鼻濁音を必ず使わなければならんということになると,大変な問題がある。現実に関西の方ではほとんどない。そういうこともあって,非常に難しい問題があるわけである。
 そういう意味で,東京の言葉をいわゆる「標準語」と言うことはなかなか難しい問題があり,最近は「共通語」と言っているわけである。 これはNHKが中心になって,用語辞典を作ったり,アクセント辞典などを作って,それに準じた放送をしておられるわけだが,最近はそういう面もかなり変わってきている。
 そんなことで,言葉遣いの中でも,よりどころとなるものをある程度示すということであれば,具体的に何から手を付けていくかということを検討しなければだめだと思う。
 そういう意味では,懇談会が4地区で行われたわけだが,共通的な問題もかなりあるけれども,地方独自の問題もある。ここを少し整理して,例えば敬語の問題についてひとつ検討をしていこうじゃないかとか,今のような発音の問題について少し検討しようじゃないかとか,何項目か挙げて,その問題について,整理委員会なり専門委員会で,どのようによりどころを示したらいいのかという方向でお進めいただくと,整理できるのではないかなという気がする。

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