国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 協議2

林(雄)委員

 私が言ったことを正しく理解していただけたと思うが,私,漢字制限を全部なくしてしまえと言うほど度胸がないんで,そこまで乱暴に大胆に申し上げられないけれども,今出てきたような話の場合に,難しい字体のいろいろな略字体,つまり制限漢字の中でも結構だけれども,略字体の意味が一体どういうところにあるんだろうか。書きやすい,覚えやすいということで略字ができたとすれば,あるいは非常に難しい字画の漢字を小さい子供に覚えさせるのは難しいということで略字体ができたのだとすれば,こういう機械が出てワープロで字を書くようになる場合には,その必要はなくなるんではないかということである。
 略字についてのこれまでの経過を知らないので,略字体というのはどういう発想でできたのか,詳しく分からないのだけれども――できた経過は,今私が言ったような単純なものではないかもしれないが,それでお聞きした次第である。

江藤委員

 ちょっと補足的に一言だけ申し上げたいが,略字の問題をもし林委員が問題提起されたように考えるとすると,全く同じことが交ぜ書きの問題についても言える。交ぜ書きというものに固執する意味があるのかということである。それだけである。

三次委員

 私,メーカーの側なので,皆さん方の御要望に沿えない点が多いかと思うのだが,いわゆる略字とされているものは,表外字のある部分について表内字の字形を使っている。
 例えば,品川区の「区」というのは「区」である。今「區」は書かない。それで「」の場合に偏の方に,「區」ではなく「区」を使って「鴎」と書いてしまっているということで,そういうのが多いんじゃないかと思う。
 JISの方はそれに気が付いて,両方の字体ともJISの漢字表に載せているが,私,これから先困るんじゃないかなと思っているのは,電子的に編集された文書がどんどんデータべースにたまっていて,これは外部からパソコン・ワープロ等で検索できるわけであるが,その検索される機械に入っている文字がどういう形であるか,それによってコードが違うので,本当はデータベースに入っているのに,その一部しか出てこない場合がある。それを全部出すには違った文字を全部入れて検索しなければならない。シソーラスが作れるときには,もう少し簡単になるかと思うが,一般的にはちょっと難しいのではないか。
 こういう問題が先に出てくるので,自分の立場としては,なるべく異体字は少ない方がいいと思うけれども,異体字が世の中にはびこっていると言うと失礼であるが,相当多く出ている。学術用語などについても,異体字というか,省略文字が使われて,文部省の監修の下に出されているということを聞くので,一体どちらが正当と言えるのかという,その実態がかなり複雑になっているんじゃないかと思う。
 そういうわけで,こうすべきだということはなかなか一刀両断で言えないが,長い目で見ると,何かの手を打つ必要があるんではないかというように考えている。

福原委員

 さっきの学習能力の御心配のことについてだが,私,ここのところザウルスを使うようになって,これは一種のワープロでもあるわけで,そうしたら,御親切にも漢和辞典と国語辞典と英和と和英が入っているものだから,ただでさえ字を忘れていく年ごろになった上に,自分で覚える必要がない。
 要するに,頭の中の記億装置と外部記憶装置との関係であって,外部記億装置というのは,今のコンピュータもあるし,ワープロもあるし,VTRもあるし,写真もそうだと思うけれども,人間がいつでも外部記憶装置の方から検索できれば,どうしてもそれらに頼るという傾向が出てくるので,やはり学習能力は一般的には落ちると考えていった方がいいんじゃないか。だけれども,落ちても,外部記憶装置と人間とを足せば,結局,同じ仕事はできるはずであるというふうに思う。
 これは余り科学的に言えないけれども,私,海外旅行に行くときに写真機を持っていかないのが普通である。写真機で撮ったときには大抵景色を忘れる。皆さんもそういう御記憶があると思う。写真機で撮らないときには,そこの景色を一生懸命見て,印象を忘れないようする。そういう関係は多分あると思っている。

俵委員

 ワープロを使うと,どういう変化が起こるかということであるけれども,今伺っていると,おおむね悲観的というか,やっぱり人間本来の能力が失われていくぞという感じで,私もほとんどワープロで文章を書いているが,「どういう変化がありますか」とよく聞かれて,漢字を忘れるのではないかとか,おおむねそういうマイナスの答えを期待されているなという感じを大変強く受ける。
 ただ,どういう弊害があるかということはもちろん知らなくてはいけないと思うが,それ,やっぱり機械だからというふうな発想になるのではなくて,私はやはり弊害が出てきたり能力が落ちたりするというのは使う側の問題じゃないかと思う。ワープロというのは,あくまで道具なんだということを忘れないというのが大事なのではないか。何か弊害があるとしたら,それは道具を使いこなしていない人間の問題なんだということ,人間が機械に能力を落とされていると考えるのは逆なのではないかなというふうに思う。

俵委員

 これからの時代のことを考えると,どうしてもワープロやパソコンを使わずには生活がしていきづらいと言うか,生活の中にいや応なく入ってくるものだと思う。
 例えば,私の弟などは,今大学生で理系の学生であるけれども,論文を書いたりレポートを作ったりするときに,パソコンが使えないとどうしようもないというふうに言っている。
 そういうわけで,ワープロを使うとどうなるか,パソコンを使うとどうなるかということを余り否定的にしゃべるのではなくて,もうちょっと前向きにというか,だからこそ学校で使いこなす教育をもっと重視するとか,先ほど各学校に何台というふうなのを見て,私はこんなに少ないものかと思ってちょっと驚いたのだが,それこそ生徒1人に1台与えて,これから使わなければいけない道具をどれだけ使いこなせる人間に育てていくかという視点が必要なのではないかと思う。
 それから,手を挙げたついでに,大変細かいことだけれども,第2委員会の6ぺージの一番下の○に「縦書きの欠点はアラビア数字が使いにくいこと」とだけ書いてあるが,英語というか,アルファベットとか数式なども縦書きだと大変不都合が多いというふうに思う。
 もう一点,14ぺージの三つ目の○で,「現在,国語科教育は言語の教育として位置付けられているが…。」という一文は,私,不勉強かもしれないが,そういうふうに位置付けられているのか。現場で国語を教えていた者の実感としては,どちらかと言うと,言語教育というよりは文学の方に大変重きが置かれているな,もうちょっと言語教育としての部分も増えたらいいだろうなという実感を持っていたが,こういうふうに位置付けられているのか,というのがこの一文を読んで疑問に思った。

坂本会長

 最後の御質問はどうなのか。

韮澤国語課長

 最後の俵先生から御指摘をいただいた件であるが,私どもの方で把握している限りでは,学習指導要領等においては,もちろん文学という面もあるけれども,明確に言語としての教育として位置付けているわけである。
 ただ,実際には,そういった面だけではなくて,どちらかと言えば文学的な要素がかなり強いということも伺っているわけである。
 そういった意味で,このぺーパーは,現在位置付けられているけれども,それを更に推進するというか,充実してやってはどうかというような御意見である。

渡辺委員

 俵委員からのお話であるが,国語教育には両面がある。文学だけの教育では,本当の国語を理解したり,言葉で表現するということが非常に難しいという面があって,学習指導要領の立場では,国語科の指導というのは,言語の教育という立場をきちっと明確にして,文学教材でも同じように,言語的表現もあるし,いろいろな状況や心理描写の言葉の指導もあるしということで扱っている。ただ単に,内容がどうとか,テーマがどうとかという指導では,本当の国語教育にならないんじゃないかということで,文部省では,言語の教育としての立場を明確にして,そして的確な理解力と適切な表現力をきちんと養うことが必要であるとしている。
 これは,たしか教育課程審議会からそういう答申をいただいて,今回の学習指導要領でも,例えば言語事項という内容を受けて,言語事項が,理解をするときにどんな働きをしているか,あるいは表現をするときにどんな働きをしているのかということがはっきり分かるような教育をすることが必要である,そんなふうになっている。

坂本会長

 決められた時間が迫ってまいったので,まだいろいろ御意見もあろうかと思うけれども,きょうのところはこの辺にとどめさせていただいて,次回の総会の予定等について事務局から報告をお願いする。

韮澤国語課長

 次回の総会については,現在のところ6月を予定している。日取りについてはまだ固まっていないので,決まり次第,御連絡申し上げたいと思う。
 それから,先生方のお手元の資料の中に,連絡先ということで文化庁国語課の住所,電話番号等が入っているが,本日の資料等について,後ほど御覧になって御意見等があれば,こちらまでお寄せいただければと思っている。

坂本会長

 それでは,本日の総会はこれで閉会ということにする。

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