国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 第1委員会における論議の概要について1

清水会長

 これまで4回,5回と両委員会には月1回のぺースで御審議をいただいている。その辺の経過について伺わせていただいて,質疑,また御意見の交換ということで進めたいと思うので,よろしくお願い申し上げたい。
 まず,第1委員会の北原主査から経過の御説明をしていただきたいと思う。

北原(第1委員会)主査

 第1委員会の主査の北原である。前回,第3回の大事な総会に欠席したことを,おわび申し上げる。
 資料1を御覧いただきたい。第1委員会は,先ほど課長からも御報告があったように,前回の総会の後,12月,1月,2月と3回,その前の1回と合わせて4回開催されている。第3回の総会で承認いただいた「敬語を中心とする言葉遣いに関する問題」について議論を行っている。これまでの議論の概要について御報告したいと思う。
 そこに書いてあるのは,委員の個々人の意見を分類・整理したものだが,非常にいろんな意見が出て,整理の仕方がこれでいいのかどうかという面もあるけれども,おおむね合意されているところを先に掲げ,個々の御意見を○印を付けて添えてある。
 まず,検討する範囲であるが,(1)と(2)と二つに分けてみた。(1)は「言葉遣いと敬語」ということで,「今期の第1委員会は第20期報告にある「現代語のあるべき姿」の共通理念を目指し,言葉遣いの問題について敬語を中心に検討する。」ということで一応合意している。
 (2)は「敬語の範囲」であるけれども,一ロに敬語と言っでもいろんな御意見があって,どの辺までを敬語と考えるか,範囲については幾つかの考えがある。
 これまでに第1委員会で出た意見の中には,敬語の表現形式以外にも視野を広げ,敬意にかかわる周辺の言語行動も含めて検討対象とする必要があるというような御意見が多かった。また,一方には,国語審議会の性格,役割から言って,最終的に「目安」をまとめる場合には,やはり敬語の表現形式にかかわるところを中心とすべきではないかという意見もあった。現在のところでは,最大限に枠組みを広げて,十分に議論を重ねる必要があるという認識において一致している。
 細かい御意見は省略させていただいて,2ぺージ目に移る。敬語について検討する際の観点としていろんな御意見があった。長くなるので,見出しのところを中心に御説明する。
 「思いやりの心の表現という観点」で敬語について考えよう。「心のこもった表現」につながるような言語行動,そういうことを考えてみたいというような御意見。
 それから,「場面性という観点」。敬語の難しさは,敬語の形式の正誤だけでなくて,表現全体として状況に適しているか否かにある。表現の問題として扱わなければならないというような御意見。
 (3)として,敬語を考える場合に,「親疎,相手との距離という観点」が必要である。表現,敬語形式だけではなくて,例えば「お似合いになります」というのが敬語的には正しいというか,敬語を使ってある表現形式であるけれども,むしろ,若い女性なんかには「似合うじゃない」と言った方が,かえって親しみを表現することになるというような御意見である。
 (4)として,「国際化という観点」。日本は急速に国際化しているわけであるが,広く国際化の視点から敬語を考えなければいけないのではないか。外国の人たちの敬語のとらえ方なども考慮しなければならないのではないか。一方,国際化時代と言っても, 外国風の考え方に迎合するのではなくて,日本人のアイデンティティーを大切にしなければいけないというような御意見もあった。
 (5)として,「情報化という観点」。国際化と同時に情報化も進んでいるわけであるけれども,携帯電話とか,Eメールとか,電報というのは古いのかもしれないが,そういうときの言葉遣い,あるいは敬語の使い方というようなことである。

北原(第1委員会)主査

 (6)は「方言の観点」。共通語だけを考えているのではなくて,方言にはいろいろ参考になるものがあるというような御意見であるが,その一方,3ぺージに行って,上から四つ目の○で,方言の敬語について言及する必要はないというような御意見もある。
 それから,「使いやすさという観点」。敬語でも使いやすい敬語と使いやすくない敬語があるのではないか。使いやすい敬語があれば勧めるというような方法がよろしいのではないかという御意見である。
 非常にいろんな検討の観点があるわけだが,3に「検討方法」を挙げてある。敬語について審議会が何か発言する場合には,適切な資料に基づいてしっかりと勉強した上で理論武装をしておかなければいけない,委員会として勉強を進めていきたいということで,この2,3回は,山口委員,井上委員のお話を基に敬語についてのいろんな勉強をしている。次回は井出委員のお話を聞くことになっている。
 4番目「敬語の標準」と書いておいたけれども,第20期,前回の国語審議会の報告では「「現代語のあるべき姿」についての共通理念を目指す」ことが妥当であろうとし,「将来は言葉遣いに関する,強制力のない緩やかな標準を示すことに取り組んでいく必要もあろう。」というふうに述べている。すなわち,今期には強制力のない緩やかな標準を示すことに取り組んでいってほしいというようなことが経過報告に書いてあるわけであるが,それを受けて,今期の第1委員会では,敬語の標準を示すことについていろんな意見が出されている。
 一つは,敬語の標準を示すのは困難であり,示しても受け入れられないのではないかという悲観的な考え方である。2番目は,その逆に,敬語の標準を示すべきであるということである。それに加えて,三つ目に「緩やかなよりどころ」と書いてあるが,「緩やかなよりどころ」という性格に関する疑問が呈されている。それを(1), (2), (3)と掲げておいたので御覧いただきたいと思う。
 (1)の敬語の標準を示すのは難しいという御意見は,「「これからの敬語」を建議したころと今とでは時代が違う。現在のようなカジュアルな時代には,敬語の標準を示すのは難しいのではないか。国語審議会が今後話し言葉についての基準を打ち出しても,一般の人が守ってくれるかどうか。5年,10年たつと古いと言われることになるだろう。」というような御意見である。
 (2)の敬語の標準を示すべきであるというのは,「価値観の多様化している時代だからこそ,標準的な目安が必要である。敬語の本質を探りつつ,新しい敬語の方針を出していきたい。」,4ぺージに行って,「言葉が変化する以上,標準も時代がたてば合わなくなるのは当然だけれども,「平明,的確,美しく,豊か」という理念は不易であるべきであり,国語審議会はその信ずるところを建議すべきである。ある内容を表す敬語形式として使用可能そんな幾つかの言い方を掲げておけば,見た人はそれを参考にし,時々の状況や相手の心を忖(そん)度して実際に使う言い方を選ぶということだろう。標準は示しても,使うか使わないかは自由である。」というようなことで,標準を示した方がいいという考え方である。
 (3)の「緩やかなよりどころ」という性格に対する疑義であるが,「今の時代に合った標準ということで,緩やかなよりどころを作っても,緩やかなものだと言うとだれも参考にしないのではないか。国語審議会としては「過剰をやめよう」ということくらいしか言えないだろう。」ということで,「緩やかなよりどころ」を示しても,余り言うことを聞いてくれないんじゃないかというような心配である。
 今日の総会で,是非(1),(2),(3)辺りについての総会委員の皆さんの御意見がお聞きできればと思う。
 5の「敬語の概要」というのは,今私どもで勉強しているところであるが,細かくなるので,御説明は省略する。
 (1)は「敬語の分類」について,(2)は「敬語の歴史的推移」。
 5ぺージ目に移って, (3)は「敬語成立の条件」。この(3)の「敬語成立の条件」というのは,敬語がどういうときに用いられるかということについて考えたものであるが,この辺りをもう少し調べて,具体例に即して分析していくことが当面の仕事になるのではないかというような御意見がある。
 (4)は「敬語回避等」。敬語を使わないで別な言葉による表現を用いるというようなことである。「お似合いになります」と言うのではなくて,「似合うじゃない」というのは,先ほどの例と同じわけであるが,それから,「お似合いでございます」の「ございます」を省略してしまうような言い方も問題になるだろうということである。
 (5)「敬語形式によらない配慮の表現」。
 (6)「個々の敬語形式における問題」。これは誤用,間違いをどうするか,敬語の標準とかかわってくる。

北原(第1委員会)主査

 (7)「敬語の機能」。敬語はどういう働きを持っているか。敬語は相手の面子(メンツ)を立て,傷つけないためのストラテジーである。アメリカなどではそういう敬語の使い方をしているというようなことである。それから,5ぺージの一番最後の御意見であるが,相手を傷つけないために敬語が有効であるなら,言い方はこれこれと示すことはできるけれども,相手を傷つけても言うべきときは言うという問題は,国語審議会を超えるというような御意見もある6ぺージに進んで,一番上の○であるが,「「さわやかさ」が敬語のメルクマールになる。まわりくどいというか, 婉(えん)曲に言うのはいやらしくなる。欧米人は実にさわやか。」というような御意見もある。その他,たくさんあるけれども省略させていただく。
 6は,「学校教育とのかかわり・日本語教育における敬語の扱い」ということで,(1)「学校教育」の方は日本人のための国語教育であるが,「敬語は中学校の教科書では2,3ぺージ程度載せているだけである。言葉の基本を教える時期にはしっかりとした基準が必要である。敬語についてしっかり教えられるものがほしい。」というのが国語教育の関係者からの御意見である。それに対して,「国語教育における敬語は,相手を傷つけない表現,思いやりを示す表現のように「表現」 という観点から扱うべきだ。」というような御意見もある。
 (2)の「日本語教育」の方は,外国人に対する日本語教育である。下の方に,「敬語も初めは形から教え,ドリルで訓練する。ルールはすぐ覚えるが,実際の場面で,上下関係・親疎などに応じて連用するとなると難しい。シミュレーションで学ばせることもするが,実体験で身に付けるしかない。」という意見が書かれている。こういう敬語の形式についての基本的な教育は比較的容易であるけれども,実際場面における敬語の連用というのは,外国人に対しても,日本人においてもなかなか難しいということだと思う。
 いろいろな議論が出ているが,まだ行くべき方向がまとまらないというのが現状である。

清水会長

 ありがとうございました。
 これまで第1委員会で御検討いただいた御意見等について,ただ今御説明があった。特に,今御指摘があった3ぺージの「敬語の標準」については,前期の報告書の中で,強制力のない緩やかな標準を示すことに取り組んでほしいということから,第1委員会は標準についていろいろお考えいただいたわけであるが,この点について何か御意見等を伺えれば有り難いと主査からお話があった。
 全体を通して,御質疑,御意見を伺わせていただければと思う。

片倉委員

 私はこれまで,欠席がちだったので申し訳ないと思っている。
 まず,質問であるが,3ぺージのところで,第1委員会では,敬語の標準は難しいからできない,示すべきである,緩やかなよりどころと三つにお分けくださったようだが,(2)と(3)は,結局は同じになるのではないか。すべきだと言っても,それは実際は緩やかなよりどころくらいにしかならないのではないかというふうに考えるが,その点はいかがであろうか。
 ついでにちょっと話させていただければ,敬語は,日本文化そのものと関連する,あるいは社会構造そのもの,文化人類学者などが言う縦社会――日本は依然として縦社会というところがあって,それと密接にかかわっているわけで,縦社会をどうするかというところくらいまで考えなければいけないようなところがある。
 それから,具体的な例が挙がっていて非常に印象的なのであるが,デパートの店員さんが「似合うじゃない」と言った方が効果的だというのは,相手にもよりけりで,これが効果的じゃなくて怒ってしまうような人もいるかもしれない。ここでは一時的な縦社会が成り立っているというか,買い手が上で,売り手は買っていただくという立場で売買がなされているところがあって,そこのところで,売り手がこういうふうに言うとどんなことになるのか,社会構造との関連でかなり難しい問題だと思う。
 ただ,さっきの3番目に戻るが,縦社会もどんどん変わってきているわけである。終身雇用というのも崩れかけているときに,それに従って,敬語はどういうふうになっていくのか大変難しいというのは,(1)でおっしゃっているとおりだと思うが,難しいということで,国語審議会が何にもしないというのでは,この審議会の存在意義がないのではないかという気がする。難しいからこそ,そういう社会構造なんかと関連した形で,(2)の敬語の標準をある程度示さないと――最後の6ぺージに,外国人に日本語教育をする場合,「ルールはすぐ覚えるが」とあるが,ルールというものをある程度作らないと,外国人はすぐにルールを覚えても実際に使うとなると難しいというのは,外国人のみならず日本人でもそのとおりである。そういうわけで,ある程度の敬語の標準を示すべきだと考える。
 「さわやか」という言葉が出てきたが,どういうふうなものを「さわやか」と言うのか。私は,欧米人の言葉遣いは必ずしも「さわやか」だとは思わない。しかし,日本人としては,日本人のさわやかな言葉遣いは大体この程度であろう,敬語はこのくらいが好ましいというふうなことはやはり示すべきであろう。それは,結果的には「緩やかなよりどころ」ぐらいにしかならないだろうというふうに考える。

清水会長

 結局は,(2)と(3)は同じじゃないかということであるが……。 

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