国語施策・日本語教育

HOME > 国語施策・日本語教育 > 国語施策情報 > 第21期国語審議会 > 第5回総会 > 次第・議事要録

次第・議事要録 第1委員会における論議の概要について1

清水会長

 続いて,本日の議題に入る。第1委員会からの御報告については,世論調査等もあって,皆様大変御関心のあるところかと思う。
 実は,前回の総会を反省してみると,第1委員会,第2委員会,それぞれ御報告をいただいたが,第1委員会の御報告の後,そのことについての御意見,御質疑等々をいただくのに大分長時間とってしまい,第2委員会関係で,いろいろ御発言なさりたい方もいらっしゃったかと思うけれども,時間切れになったというような感じもあった。今回は,第1委員会の御説明をいただき,特別忘れないうちにこのことだけは質問しておこうということがあれば伺わせていただくということで,若干時間をとらせていただくが,できるだけ早く第2委員会の方の御報告をいただき,各々10分ないし15分くらいの間で御質疑をいただいて,その後,また第1委員会,第2委員会にかかわる問題で自由な御発言をちょうだいをするというやり方でやってみたいと思うので,どうぞよろしくお願いを申し上げる。
 それでは,北原主査,第1委員会の御報告をお願いする。

北原(第1委員会)

 資料1を御覧いただきながら,それに従って御説明申し上げる。
 先ほど国語課長からお話があったように,前回の総会の後,第1委員会は,第5回,第6回の2回開いている。1回目は,井出祥子委員のお話を中心に,グローバルな視点で見る日本語の敬語という辺りの勉強をした。第6回は,先ほどから出ている「国語に関する世論調査」の分析を行った。
 この資料は,前回の総会で御報告申し上げた「第1委員会における論議の概要−2」に付け加えるような形で作ってある。最初に,大体合意が得られているようなことを書き,その後に,委員から出た意見を○印を付けて列記した。それから,*が付いているのは前回の総会でいただいた御意見である。
 この資料1は1から5に分けて構成してある。1が「検討範囲」,2が2ぺージにある「検討の観点及び検討方法」,3が「敬語の標準」。前回,「標準」という言葉についていろいろ御批判もあったけれども,このことが5ぺージにある。4番目が「敬語の概要」で,7ぺージにある。5の「学校教育とのかかわり・日本語教育における敬語の扱い」は10ぺージ。このように五つに分けてまとめてある。
 最初の「検討範囲」の(1)(2)は,この前と同じであるが,確認するために(1)(2)を読ませていただく。

 (1)今期の課題−言葉遣いと敬語

  •  今期の第1委員会は第20期報告にある「現代語のあるべき姿」の共通理念を目指し,言葉遣いの問題について敬語を中心に検討する。

 (2)敬語の範囲

  •  一口に「敬語」と言っても,人により,あるいは学問の分野により,どの辺りまでをその範囲とするかについては幾つかの考え方がある。
      第1委員会の中には,いわゆる敬語形式以外にも視野を広げ,敬意にかかわる様々な言語行動も含めて検討対象とする必要があるという趣旨の意見もあるが,一方には,国語審議会の性格や役割から言って,最終的に「目安」をまとめる場合には,敬語形式にかかわる部分を中心とすべきだろうという意見もある。
     現時点では,最大限に枠組みを広げて,十分に議論を重ねる必要があるとの認識においては委員会として一致しているところである。

 これは前の「概要−2」と変わらないところである。

北原(第1委員会)主査

 2ぺージにまいって,一つ目の*は,この前の総会でいただいた御意見として新しく加わっている。それから,一番下の○が新しく加わったもので,後は皆この前と同じである。一番下の○をちょっと読んでみる。

 世論調査(平成9年 文化庁)では,「食べます」の「ます」を敬語とは思わない人が85.3%に上った。これは,話し言葉の文体として「ます」が普通になっているためであろう。また,「座りなさい」の「なさい」を敬語と思わない人の割合も93.0%と高かった。

 敬語とは何かというようなことを観念的に考えている人にとっては, かなりショッキングな数字が挙がっている。
 2の「検討の観点及び検討方法」であるが,これも(1)「検討の観点」,(2)「検討方法」と分けてあるけれども,(1)「検討の観点」の@から始まり,4ぺージの最後の方にEと書いてあるが,Fの誤りなので,お改めいただきたいと思う。そこまでの枠は,この前の「概要-2」 とほとんど同じような整理をしてある。したがって,簡単に説明させていただく。
 (1)「検討の観点」,2ぺージの真ん中ほどであるが,@「言葉遣いの基本は「心」である」という観点から検討すべきである。Aは,敬語は場面や状況によっていろいろ変わるので,敬語形式だけではなくて,そういうものを検討の観点に入れなければいけない。Bは親疎,つまり親しいか,親しくないか,相手との距離ということも検討のときの観点として必要である。Cは「国際化」。日本の社会は国際化が進んでいるけれども,そういう観点も必要であるということである。
 3ぺージの一番上はこの前の「概要-2」にも出ているものであるが,それ以下,2番目の○からは全部今回加わった新しい御意見である。全部読んでいる時間がないので,3番目の○から御覧いただきたい。

 待遇表現は,言語表現と言語使用の両面からとらえる必要があるが,言語使用の側面には,「わきまえ方式」と「働きかけ方式」とがある。「わきまえ方式」は,話し手が相手との関係や場面を社会的規範に照らして適切にわきまえていることを言語表現で示すもので,日本の社会では,「わきまえ方式」の待遇表現によって社会的慣習や規範を遵守することにより,相手との衝突を避け,コミュニケーションを円滑にすることができる。
 「働きかけ方式」は,冗談を言うなど相手に働き掛ける言語使用でコミュニケーションを円滑にするもので,相手を理解し認めることを積極的に示す積極的配慮のストラテジーと,相手の領域を侵害しないようにする消極的配慮のストラテジーとがある。

 こういうふうに「わきまえ方式」と「働きかけ方式」に分けて考えようという御意見である。
 その次の○も読ませていただく。

 敬語行動は世界の各文化に見られるが,日本とアメリカについて見ると,日本社会では集団主義により,社会秩序を保つための「わきまえ」が重視され,アメリカ社会では個人主義により,個人の権利を確保するための個人の意志が重視される傾向にある。

 一つ飛ばして,7番目の○。

 欧米人はその平等意識から,敬語を上下の力関係の構図においてしか理解せず,敬語を使うこと即封建的と解釈する。欧米の人々に日本語の敬語を分からせるには,「わきまえ」 という概念が必要である。

 下から五つ目の○を御覧いただきたいと思う。

 日本人の「わきまえ」がどんどんなくなっている。国語審議会として「「わきまえ」を持つべきだ」と言うべきだろう。
 「わきまえ」には功罪両面があるが,日本語の待遇表現では,「わきまえ」がないと円滑なコミュニケーションができない。
 「わきまえ」が衰えるから過剰な「敬語」に寄り掛かるのではないか。
 これからの日本人は「働きかけ」の待遇表現に移行してもよいのではないか。
 日本人の待遇表現が「働きかけ」中心に移行すればよいということではないが,敬語の存在意義と社会の在り方との関係を示すことは意味がある。

北原(第1委員会)主査

 4ぺージにまいって,その四つも今度加わった新しい御意見である。上から三つ目だけ読ませていただく。

 日本語の敬語を論じる場合にも,日本語以外の言語における,日本語の敬語表現に類する現象と対照させてみる必要がある。「ポライトネス理論」は,相手の顔を立てるための表現の工夫や調節など,多くの言語に見られる普遍的な現象を扱うものである。

 このような御意見である。
 Dの「情報化」は従前と変わっていない。
 E「方言」は,一番下の○の「国語審議会では共通語の敬語を考えればよい」というのが新たに加わっている。「方言」については一番上の○のように「各方言の敬語表現の特徴を見渡すことが必要である」,すなわち日本語には方言まで見渡すといろいろな敬語があるので,これからの敬語を考える場合に学ぶところがあるのではないかという御意見がある一方,方言まで人れると,方言と共通語のどちらを使うかという問題が待遇表現に絡まってくるので,方言までは考える必要はないという御意見があるということで,方言については二つ考え方があるわけである。
 それから,Fは「使いやすさ−簡素な語形」ということである。余り長過ぎてややこしい敬語は,避けられる傾向があるのではないかというのが下の三つである。一番上はこの前報告されたところである。
 さて,5ぺージの(2)「検討方法」であるが,これは実態の把握をすべきであるということである。最初の○はこの前の「概要−2」にあったもので,「まず,実態を十分にとらえる必要がある」である。

 実態調査だけでなく,規範意識の調査も必要である。
 国立国語研究所においても,今後とも様々な敬語に関する調査研究を行ってほしい。

 その次からは,今度の世論調査についての具体的な御意見で,調べ方についての注文にかかわるものが多いので,ここは省略させていただく。 
 Aは,これも「概要−2」に載っているものである。従来の研究をおさらいしたいということである。
 Bの「総合判断」も,両方ともこの前の「概要−2」に載っているところであるが, 「結論を急ぐことはない」。急ぐに越したことはないけれども慎重を要するということである。
 二つ目の○は,しっかりと実態を把握して,規範も考えて,理論武装する必要があるというものである。この辺については,更に総会で委員の皆さんの御意見を承りたいと思う。
 さて,3の「敬語の標準」であるが,これもほとんど「概要−2」に書いたのと同じで,加わっているのは最後の2行だけである。
 すなわち,第1委員会として,敬語の標準の作成にどのように取り組むかとういうことは国語審議会の存在意義についての問題にかかわるということである。
 6ぺージの「国語審議会の役割」は,第1委員会で議論した意見であるが,1番目の○はこの前の「概要−2」に載っているけれども,2番目以降は今回の概要の新しいところであり,*はこの総会で出されたものである。読ませていただく。

 言葉が変化する以上,標準も時代がたてば合わなくなるのは当然だが,「平明,的確,美しく,豊か」という理念は不易であるべきであり,国語審議会はその信ずるところを建議すべきである。
 敬語は社会や人間関係と密接に関係する。国語審議会は今後「これからの敬語」に代わるものを作る場合,21世紀の世界の中の日本語,その中の敬語をどう位置付けるかを問題にしなければならない。今までの日本社会を支えてきた敬語について客観的に社会の在り方との関係で分析することが必要である。
 日本がアメリカナイズされ,待遇表現にもアメリカ風の非形式表現・親愛表現・働き掛け方式などが入ってきている。国語審議会として,流動する社会に対応し,新しい言語生活のための指針を示したい。
 日本語の表現が西欧化するのがいいとは思わない。アメリカの方式=近代化=進歩という考え方は間違っている。
 伝統的であることだけが規範の理念としてよいとは言えない。形式的な敬語表現より生活や状況に適応する敬語という考え方がこれからの方向ではないか。
 日本人が日本社会を支えている敬語を大切にし,さらに,非形式表現もできるような,多様な言葉遣いができるとよいと思う。
 国語審議会として,国民が守ろうが守るまいが,こういうものが敬語なのだということをきちんと示す必要がある。
 フランスにおけるアカデミー・フランセーズの例に倣って,国語審議会は,日本語を愛するという観点から,もっと積極的に発言していくべきである。
 イギリスでは英語の統一はほとんど考えられない。言語の事情は国により様々だ。

 これがそのまま「国語審議会の役割」ということにはならないけれども,この審議会がどういうふうな立場をとるべきかというような御意見である。

北原(第1委員会)主査

 (2)の「敬語の標準作成への取組」であるが,第20期の報告で,「強制力のない緩やかな標準を示すことに取り組んでいく必要もあろう」というふうに述べたことについて,前回の総会でもまた議論が出たけれども,第1委員会には,「敬語の標準を示すべきである」という積極論,「敬語の標準を示すのは困難であり,示しても受け入れられないのではないか」という消極論(反対論ではない)の両論がある。また,「緩やかなよりどころ」という性格に関する疑問も呈されている。すなわち,「@敬語の標準を示すべきである」。そこに上がっている三つは,全部「概要−2」と同じなので,省略させていただく。
 Aは「敬語の標準を示すのは困難」である。これもこの前のと同じである。
 Bの「「緩やかなよりどころ」という性格」であるが,この1番目の○も従前と同じである。7ぺージにまいって,*はこの前の総会で出していただいたものである。

 「目安」や「よりどころ」はもとより拘束性がないのだから,それに更に「緩やかな」を付ける必要はない。

 こういうようなことを踏まえて,総会もそうだけれども, 第1委員会がこれからどのように進むべきか,非常に大事なことなので,後ほどこのことについて御意見を承れれば有り難いと思う。
 4にまいって「敬語の概要」であるが,これはこの前とほとんど変わっていないので,柱だけを読ませていただく。
 「(1)待遇表現と敬語」。「(2)敬語の分類に関する考え方」は学者の学問的な考え方である。「(3)敬語の歴史的推移」。敬語がどういうふうに変わってきて今日の敬語になっているか。それが押さえられると,今日の敬語,あるいは将来の敬語が押さえやすくなるということで,そんなこともやっている。
 8ぺージにまいって,(4)は「敬語の機能」ということで,これも「概要−2」と全く同じであるが,*が一つ加わっている。
 「(5)敬語成立の条件」。敬語がどういうときに,どういう場面で使われるのか,それによって敬語を考えようというようなことから分析をして,いろいろな御意見を出していただいたものであるが,「概要−2」と変わっていない。
 「(6)敬語回避,敬語形式によらない配慮の表現等」。これは前の「概要−2」では(4)と(5)となっていたものを整理統合したものであるが,内容は@からDまで全く変わっていない。
 「(7)個々の敬語形式における問題」。このことについて第1委員会ではまだ検討に入っていない。今般の世論調査結果について議論した中で,次のような話題が取り上げられた。@〜Fは,先回議論した中の主だった御意見である。
 10ぺージに移り,最後の5は「学校教育とのかかわり・日本語教育における敬語の扱い」ということで,(1)は日本人を対象とする「学校教育,家庭教育」についてである。10ぺージの四つの○は,この前の「概要−2」に書いてあることであるが,11ぺージの五つの○は新しく世論調査の分析に関連して出てきたものである。最初の○だけ読ませていただく。

 世論調査(平成9年 文化庁)では,「敬語を身に付けてきた機会」として「学校教育」が「家庭のしつけ」と同様に高い。これは,学校教育の効果が行き渡っているからだろうか。

 このような御意見があった。
 それに対して「私は親が客人に対して丁寧な言葉を使うのを見て敬語を覚えた。」 というように,学校ではなくて家庭で覚えたというような御意見も,一番下の○にある。
 ただ,学校教育,家庭教育の問題については,次の第1委員会で集中的に検討することになっているので,次の総会でもう少し詳しい御報告ができるかと思う。
 「(2)日本語教育」は,前回と変わっていない。3ぺージの「国際化」のところには,いろんな御意見が書いてあり,その辺ではかなり突っ込んでいると思うけれども,「日本語教育」という点ではまだ議論を深めていない。
 以上である。予定より少し長くなったけれども第2委員会の主査が時間を下さるといいうことで,少し時間を超過した。

トップページへ

ページトップへ