国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 第1委員会における審議状況について2

井出(第1委員会)主査

 〔相手がどういう状況にあるかに応じた配慮〕。相手がどういう状況に置かれているかを的確に判断し, うまく伝わるように配慮した言い方も相手を尊重した言葉遣いと言えよう。例えば,相手が新人かどうかによって,指示の仕方が変わってくる。「ファイルしておいて」と言えば済むことでも,新人には「これとこれを日付順にファイルに綴(と)じて, ラベルを貼(は)っておいてください」と丁寧に指示する方がコミュニケーションは円滑になる。
 「(3)話し手の気持ちを表す」。敬意表現は話し手がどのような人間かということを相手に知らせるものである。また,相手の立場に加えて,相手の気持ちを思いやり,話し手の優しさの気遣いを伝えるものでもある。どのような背景を持つ人同士でも,敬意表現によってお互いに相手の人格に敬意を払い,相手の立場を尊重しており,相手に対して優しさや思いやりの気持ちを持っていることを示すことができる。
 〔話し手の品格を示す言葉遣い〕。話し手は多様な表現の中から言葉を選択して, 自分自身の人格を投影する自己表現を行っている。そして,相手が乱暴な言葉遣いをしているとき,話し手が丁寧な言葉を使うことでコミュニケーションを和らげることができる。例えば「もしもし,あのねー」という間違い電話を掛けてきた人に対し「どちらにお掛けですか」と応答したりする。「どこ」ではなく「どちら」と丁寧な言葉遣いをすることは,話し手の丁寧な気持ちを示すとともに話し手自身の品格をも示してる。
 〔相手への優しさ思いやりの配慮〕。相手の気持ちを思いやり, 自らの優しさを言葉で示すことも,相手を尊重した敬意表現である。例えば, ビルの玄関で,重いドアをやっと引き開けて入ろうとしたところに,後ろから来た大きな荷物を持った人に道を譲る場面を例に考えてみる。「(押さえていますから)どうぞお先に/どうぞお通り下さい」と丁寧に言うとすれば, これは「通してやるよ」と言うより,恩恵を受ける人に心理的負担を掛けさせない配慮の言葉遣いとなる。このとき優しい音調で「どうぞ」と言うだけでも,優しい思いやりが伝わるものである。また,若者が道を譲ろうとしている場合,「自分は(後からで)かまわないスよ」と言うようなこともあるだろうが,これは「かまわないですよ」という代わりに,若者言葉で若者なりに丁寧に言っているのである。話し手の気持ちを斟(しん)酌すれば,思いやりの気持ちからの表現には変わりないことが分かるものである。また,相手あるいは第三者に対して「笑顔がいいですね」と言ってその場を明るくする配慮をしたり,「病気で出席できないそうですが,御心中お察しすると………」と言って,相手の気持ちを察した思いやりを表すこともある。話し手は, 自らの感性を表現したり,思いやる気持ちを表しているのであるが,これらは,「何を言うか」でコミュニケーションを円滑にしようとしている敬意表現である。
 次に,10ぺージ「V 敬意表現についての留意点」に行く。
 「基本的な留意点」に書かれていることは,社会が複雑化し人間関係が多様化しているのに応じて,相手や場面によって使い分ける敬意表現もまた多様なものとなっており,我々がコミュニケーションの中で実際に使う敬意表現も多様なものとなっている。
 多様な表現の中からいずれを適切なものとして選択するかは個々人の判断にゆだねられている。一人一人が自分で納得できる言葉遣いを主体的に選び, 自己表現としてそれを使うのである。そのためには,様々な表現の意味合いの微妙な差を吟味し感じ取る言語感覚が求められる。また,その時々の相手と自分との関係を的確に把握し,場面に配慮して適切な言い方を選択する能力も求められる。
 言葉は個々人のものであるとともに,社会全体のものでもある。一人一人が人格を形成し,より良い人間関係を築くためには,相手や場面にふさわしい言葉遣いとしての敬意表現の運用能力を身に付け,それを適切に用いていくことが大切である。
 敬意表現は,その時々の相手や場面, 自分の気持ちに合ったものであればいいわけである。過剰である必要はない。気持ちの伴わない慇懃(いんぎん)無礼な使い方や言葉の表面上の形を整えることだけを目的とした言葉遣いは避けられるべきである。
 相手の用いる言葉遣いに対する寛容さも必要である。児童生徒や外国語を母語とする人など日本語の敬意表現に習熱していない人の不十分な言葉遣いや,言葉の地域差などに基づく耳慣れない言い方などに対しては,それぞれの相手の状況や立場を思いやり,寛容な態度で受け入れる姿勢が求められる。
 このような前提を踏んで,敬意表現をめぐって,具体的にはここに1から7まで留意点が書かれているが,時間の都合で, ここは今日は省略させていただく。
 なお,最後の14ぺージに,「付」として「敬意表現の習得の場」というのを掲げてある。このような形で書くつもりであるが, これは今後の課題として, まだ記述は行われていない。
 以上である。

清水会長

 大体の概略は,構成その他,今お話があったごとくである。また,最後にこれから更に付け加えなければならないものがあるということである。
 何か御意見なり御質問なりあれば,伺わせていただきたいと思うが, いかがか。
 大変議論を深めて, あるまとまりもできたかと思う。 1枚目に書いてあるように, これは「審議のまとめ案」ということで,大体これが骨子になっている。後は余り修正を加えることはないと考えていいのか。

井出(第1委員会)主査

 今日の皆様の御意見次第である。

小林(第2委員会)副主査

 大変よく分かる説明で,審議なさっている方向がよく分かって,基本的な構え方というのは私は賛成という気持ちである。
 伺っていて一つ気になったのは,歴史的・社会的に日本人の中にある敬語というものを頭に置いてしまうと,「敬意表現」という言葉を使い続けるのがいいのかどうかというようなことを思った。それで,お話の中をずっとたどっていくと,「現代における望ましい言葉遣い」というような言い方をした方が誤解を避けられるのではないか。要するに,「敬意」という言葉を引きずっていくと,どうしても「敬語」という歴史的なものの中の上下関係とか身分というようなものが,そのことは全く説明はなされていないのであるが,意識の中に上ってしまうことがあるのではないかということをちらっと思ったということである。

井出(第1委員会)主査

 この総会でも,たびたび「敬意表現」に代わる言い方はないものかということを御議論いただいた。前田委員からは,第5回総会でこのことについて御発言があり,その一番最後にも「待遇表現」がいいのではないかと言っていただいたと思うのであるが,私どもでも何度も何度も話し合った結果,「敬意表現」という言葉と中身が一致してきてしまって,敬語を引きずっているという意味ではなくて,これしかないだろうという結論に達したわけである。
 ここでも討議された上下関係によって使い分けるものではないとか,身分関係という古いもの, そういうものではないということを確認したことを用例の中で示したつもりであるが,これでは足りないということか。もう少し強く出した方が良いとお考えであろうか。

小林(第2委員会)副主査

 副主査 御説明いただいたところは十分私もよく分かるし,賛成なのであるが,やはり「敬」という字面自体にどうしても引っ掛かってしまうところがあるのではないかという,私だけの危倶(ぐ)であればいいかなというふうに思った次第である。

井出(第1委員会)主査

 第1委員会のメンバーの方,どなたかお答えいただけるか。松岡委員,いかがか。

松岡委員

 井出主査がおっしゃったとおり,それこそ紆(う)余曲折があって,結局ここに落ち着いたということなのであるが,私,個人的には,これ以外のオプションももちろん考えた時点があったけれども,敬語を含みつつも,従来の敬語が担っていたような,土台となっていたような構造からは離れているということを,今の井出主査の繰り返しになってしまうけれども,なるべく用例できちんと押さえていくという方向で解決しようというふうにしたと私は理解している。

清水会長

 とかく話題になるのは用例である。すぐ例だけを取り出してきて,「これは何だ」というのは,マスコミがよく取り上げるやり方であるけれども,その辺を注意して,もう少し分かりやすくしていただけることがあれば――「敬」という言葉が確かにあるけれども, これが年代の古いところを想像させているんじゃないかと。「敬」ということが入ってくると,今の御発言のようなことも出てくるかもしれない。勝手なことを申し上げたけれども,大体そういうような御意見であろうか。ほかに何かあるか。
 それでは, まだ第1委員会をお開きいただくので,これを御覧になって更に御意見があれば,また第1委員会の方へお諮りいただくということで御参加いただければ有り難いと思う。

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