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次第 字体整理に関する主査委員会の審議経過報告ならびに原案の説明

第14回国語審議会総会における

 安藤主査委員長の報告

―字体整理案について―


 国語審議会第13回総会の決議にもとづいて,本主査委員会に付託に相成りました漢字の字体の整理に関しまして,委員会の審議の経過を御報告申しあげ,あわせて,その審議の末にできました,当用漢字字体表について御説明申しあげます。
 国民一般の文字生活において,主要な地位を占めている漢字の字体が,どう書けばよいかがよく問題になるくらいにまちまちであったり,日夕国民の目に触れる機会の多い活字にも同字異体のものがならび行われているという現状は,いつまでもこれをなりゆきにまかせておくことはできないのであります。
 漢字にはまた,字画のきわめてこみいったものがあったり,字体のおたがいにひどく似ているものがあったりして,その識別の困難なものがあります。混線や脱線の生じるのも無理がありません。書くのにわずらわしさが多いばかりでなく,読む上にも見わけのむずかしいのがあります。これらの卑近な例をあげてみましても,異体の統合,簡易字体の採用,通用自体とか俗用字体とかいわれるものの確認といったような,それぞれその場合に応ずる何らかの方法によって,字体の標準を定めることが必要に感じられてまいります。したがって漢字の字体整理ということは,はやくから主要な用件となっておりまして,すでに大正8年7月には文部省普通学務局から「尋常小学校の各種教科書に使用せる2600余字」について「漢字整理案」が発表され,大正12年5月には臨時国語調査会から「常用漢字表」が発表され,これには154字の簡易字体が採用されております。大正14年11月には臨時国語調査会から「常用漢字表」について1020字の「字体整理案」が発表され,昭和12年12月にも国語審議会から「常用漢字表」(昭和6年5月臨時国語調査会発表の)1858字について「漢字字体整理案」が発表されております。最近にも,これが当用漢字選定の当時から問題となったのでありますが,その際には131字の簡易字体の採用を決定しただけで,その他のものについては別に考慮することになったのであります。国語審議会では,こういう次第でありますから,当用漢字別表・当用漢字音訓表にひきつづいて,字体の整理をとりあげるのが当然の順序ともなったのでございます。しかるに御承知のように,これよりさき,文部省には活字の字体の統一をはかることを目標とした活字の字体の整理に関する協議会が組織され,そのみちの権威を集めての審議がすすめられ,活字の字体に関する限りにおいては,すでにその協会議で一応の成案をうるにいたったのであります。このゆえに,さし当ってその活字の字体に関する整理案を基礎として,これについて検討を加え,さらに広く当用漢字全体についての整理をいたしましたが,それについてはまずその協議会についての世論をきく要を認めましたので、国語審議会と協議会との名をつらねて約900通の調査書を各方面に発送して,その意見を徴しました。これに対する回答は175でした。数は少なかったのにもかかわらず,その意見には参考とすべきものは多かったのであります。これはその一例でありますが,なお従来の字体整理に関するいっさいの資料を参考とし,また教科書関係,学校関係の人々の協力をももとめて,審議をすすめたのであります。
 主査委員会では,昨冬以来委員会をひらくこと16回,慎重審議を重ねてようやくここに成案をうるにいたりました。お手元にさしだしました当用漢字字体表なるものがすなわちそれであります。
 当用漢字字体表はまえがきの第一に「当用漢字表の漢字について字体の標準を示したものである。」とあります。字体の標準というものは何を意味するかが,まず明らかにされなければなりません。字体の標準とは何を意味しているか。まず「字体」については,活字字体の整理に関する協議会ではこれに「点画の組合せからなる1字1字の形である」という定義をあたえてこれを書体と区別しておりますが,これはだいたいうけいれてよい考え方であると思われますが,あるいはまた点画の組合せの定型化されたものともいえましょう。 
 歴史的に漢字の変遷・発達をたどってみると,なお別個の見解もでてまいりますが,漢字を現段階のものについて考えるときには,字体を点画の組合せに即したものとみることが,合理的であります。

 漢字の成立ちを論ずるには少なくとも小篆までさかのぼらなければという説も一応もっともでありますが,普通に現代のわれわれが漢字の字体についてもつ意識は楷書体に即してであります。それは点画の配置・按配を明確に指摘することができるのは楷書に限られるといってもよいからであります。草書行書は動的であります。形態は動いてやまない態勢を示しておりますが,楷書は静的であり定着的であります。草書が篆書からでき,行書が楷と草との間から生れたというのが事実であるにしましても,普通に行書は楷書から,草書は行書からというように解されておりますのも,楷書が主として漢字の書体を代表しているからです。そこで漢字の字体の標準を示すということは,楷書体によって代表される,もしくはそれによって例示される漢字の字体についていうことになります。
 そうしますと,問題はもう1度展開してまいります。楷書について,字体を説くと申しても,印刷体にしても活字体を例にとれば,活字そのものの特性に依存する独自的の約束がありまして,これをもって筆写体を律するわけにはいきません。筆写体には,また筆写体の特異性にもとづく自由があります。このゆえに厳密に字体を論じますと,どの文字にも定まった型というものがなく,統一のないのが,むしろその偽らざる姿であるともいわれそうであります。しかしまた,その変化の種々相を通じて共通的の実体の認められるものがあります。それらをとりあげてみますと,某字の字体はこれこれであるとか,某字の字体はまちまちで,いくつになるとか申すことが可能になってまいります。こういうように考えますと,漢字の字体の標準を示すということは,長い歴史を背景として現に絶えず展開しつつあるそれぞれの漢字の型式のうちから,その典型的のもの,代表的のものをえらぶということにおちつくのであります。ところが漢字の字体をしさいに点検して字体の分化や異体の発生のあとをたずねてゆきますと,そこにいろいろの経路のあることがみいだされますが,簡単に申しますと,運筆の簡易化,点画の省略,類推による統合,別体の採用などが,その主因と認められます。これは字体の標準をきめるに考え合わせられるべきことです。

 ここで次の題目にうつりますが,まえがきの第2項には「この表の字体は,漢字の読み書きを平易にし正確にすることをめやすとして選定したものである。」とあります。本表の字体の選定は,何をめやすとして行われたかは一つの重要な問題であります。おなじく字体を整理するにも整理の心ぐみがちがえば手段も結果もちがってまいります。復古を目標においての字体の選定では,もっぱら字源主義をとることになりましょうし,単に統一しさえすればよいというのならば,一も二もなく,康煕字典か何かに準拠をもとめるというのも1案でありましょう。しかし本主査委員会におきましては,わが国における国字としての漢字使用の歴史と現状とにてらして,字体選定のめやすを上記の点においたのであります。漢字の本国における学者の字体の考説も顧みられなければなりません。両国の文字生活の関連における異体の発生や,両国人の文字観念の相違,その他いろいろの点において留意すべきものは多々ありますが,わたくしどもは,わが国の国情からみまして,おなじく字体の整理をはかるにいたしましても,その国字としての立場に重きをおき,わが国民の読み書きを平易にし,正確にすることをめやすとすることにしたのでございます。漢字を国字としていながら,その当用の範囲内にある漢字すらも,よく書けないというのは,いかにもなさけない次第であります。高いていどの教育をうけた人々のうちにも,うそ字を書いて平気でいる人が少なくありません。そういう人たちは,すでに,漢字をまちがいなく書こうという意欲を失ってしまっているのですが,まだそういう境地に落ちこんでしまわない人たちは,どうしたらば間違いなく書けるかに苦心しているのです。文字地獄にあがいているといってもよいのであります。それらの人々を救うためにも,字体の整理は要求されるのでありますが,それにはまず,字体を単一にする。すなわち,異体を統一することが第一ですが,その場合に,二つ以上の字体の並び行われているものの場合には点画の組合せのむずかしいもの,こみいったもの,書きにくいものは,とらない。点画の組合せの複雑なもので省略の可能なものは,これを簡易化する。点画の組合せの微妙な差異はなるべく問題にしない。簡易字体の歴史的因縁の浅いものでも,社会的慣用が相当有力であると認められるものは,なるべくこれを採用するなどの方法によって字体をきめることにいたしました。この方針による字体の選定は,また同時にわれわれが漢字を正確に書くという結果をも伴うことになります。むずかしいからよく書けない,よく書けないからうそ字を書く,また字をまちがえるということになるのであります。なお,2,3の実例をあげてみます。漢字の形式にはいろいろの要素がありますが,にあっては点が本来重要な要素であります。などみなこの点をもつことになっております。しかし,こういう同類の他字との識別の要素でもない微細な部分のことは,みすごされがちです。したがってこの点の有無は,型式のなりたちの上に重きをなさなくなっております。これを見わけ,書きわけさせる要はありますまい。
 寛 殺 逸 の点なども同様であります。月部,肉部,青部 の   円を一つにする。「己」「巳」「已」を一つにして「己」とする。と今との上の部分を一つにするなど,を恵 を専 を微 を徴 を徳とかき,を神 を祈 を巨・拒・距 と書くなどもそうであります。
 次にまえがきの第三項には「この表の字体の選定については異体の統合,略体の採用・点画の整理などをはかるとともに,筆写の慣習・学習の難易をも考慮した。なお,印刷字体と筆写字体とをできるだけ一致させることをたてまえとした」とあります。字体の整理という問題は,単に漢字そのものにおける点画の組合せに即してばかり考えられるべきではございません。国字として長く漢字を使用してきた国民の,過去および現在にわたる筆写の習慣についての考慮もたいせつであります。漢字使用の歴史をみてまいりますと,それぞれの時代には,その時代の社会に通有な字体観念といもいうべきものが見いだされますが,それはとりもなおさずその時代の人々の筆写の習慣を背景としたものであります。
 「」を「半」,「」を「次」,「」を「要」,「」を「即」と書くようなものも筆写の習慣の推移によるものとみられます。簡易字体とみられるもののうちにも,この種のものが少なくありません。
 「厂」(歴),「斗」(闘),「云」(言),「県」(縣),「庁」(廳)などは,その類であります。わが国最古の在銘鏡にも銅が同,鏡が竟と書かれてあります。また古く ヨヨ縁覚 メメ声聞の例があり,醍醐を酉酉としたような例もめずらしくありません。筆写の簡便をはかることも,一つの流れをなしております。しかし,こういう筆写の習慣をどこまでとり入れるかについては相当に論議を重ねたのであります。一方ではこれを筆写の自由性を認める程度にやめておいた場合もあるのでありますが,また一方では相当に筆写の習慣による簡易化をとりいれた場合もあるのであります。

 次に学習の難易ということも,字体の選定についての有力な条件となります。漢字の本質からみても,その学習において,字体のあやまりない認識をもつことがたいせつであることは申すまでもありません。字体の見わけやすく,書きやすいことが認識をたしかならしめる第1の条件です。それには鮮明度が強く,運筆のまぎらわしくないことがまず要求されます。「」(懐),「藝」(芸),「櫻」(桜),「疊」(畳)などはやっかいな字です。「巳」「已」「己」「」を見わけ書きわけるのはむずかしいし,字画の複雑なものはあやまりやすいというようなことがありますから,そういう角度からの検討も加えなければなりませんでした。しかもさらにまた,重要な案件の一つとして残っておりますのは,印刷字体と筆写体とをできるだけ一致させるということであります。はじめに申しあげたとおり今回の漢字の字体の整理は,最初,活字の字体の整理としてとりあげられたのでありますが,活字の字体となりますと,活字にはまた活字そのものの性格にもとづく制約と活字の発達の歴史から派生した技術的の約束がありまして,活字において妥当とみとめられる字体をかならずしもそのまま筆写体に応用するわけにはいかないのであります。今までの活字の字体は,主として活字本位でありましたために,筆写体とのへだたりが多く,それが社会的にも教育上にも大きななやみのたねともなっていたのであります。ここに活字字体の整理という問題も起ってきたわけでありますが,今,さらにこの問題をおしひろめて印刷体にも筆写体にも通用する一般的の字体の整理としてこれをとりあげることになってみますと,両者の調整がじゅうぶんに考えられなければなりません。これは当然のことであります。
 本案において活字の特質にもとづくもの,筆写の特質にもとづくもの,それらの融通性を認めて,字体の素型に標準性をあたえることにいたしましたのも,そのためであります。(使用上の事項参照)
 以上当用漢字字体表の説明を終えるに当りまして,一言なお申しそえたいことがございます。漢字の字体の整理は,前にものべましたように,前々からの懸案でございますが,整理案の発表は数次にわたっておりながらも,今日まで未解決のままになっているのであります。すでに当用漢字が制定され,その音訓表が発表され,それらがすでに実行にうつされている今日において,同一圏内に属する字体の整理だけがとり残されるべきではないと存ぜられます。本案が総会においてさいわいに可決決定をみるにいたりましたならば,当局においてその実施について最善の措置をとられるよう切望する次第であります。
 漢字字体の整理統一がかならずしも容易でないことは,わたくしどもにおいてもじゅうぶんに了知しているところでございます。これは一般社会のためにも教育界や印刷界の協力にまたなければならないのであります。活字の母型の製作・活字の新鋳などに多額の経費を要することも考慮しなければなりません。したがって,あるいは現下のわが国において,漢字の字体の統一をはかるということは,経済界の実情を無視したものであるとの非難も起るかと思われます。しかしその非難は妥当であるとは思われません。一挙に各新聞社,各印刷会社,印刷工場の活字を新たにするというのならば一時にばく大な金額を要することにもなりましょうが,かくのごときことはもともと漸をおうての実現を期すべきでありますから,経済的の問題は何とか緩和されることと存じます。しかもまた他の一方において,戦後のわが印刷業界では戦災による活字の母型や活字の喪失を補充するため,また業界の拡張に資するための新規製作の要求の続出が見こまれるということも考えられます。もしこれが事実であるならば,今日の時期は,むしろ漢字の字体の整理をはかる好時期であるともいえましょう。いたずらに手をこまねいていては時期はまいりません。わたくしは一般国民の協力によってこの難関を突破されることを切に望んでおります。
 世にはまた,字体の整理のごとき,国民すべてに関する問題は,ある一部のものの私議にまかせるべきではない,また官権の力をもってこれを民衆にしいるべきではないというような意見もでているのであります。当用漢字の選定その他の問題についても同様の意見があります。しかしおもうにこれらの問題はすでに多年のけん案に属しており、民衆の間に論議がくり返され,しかもその解決の要求はもともと民間から起ってきているのであります。しかるに最近上記の問題に関する解決案が,主として国語審議会の審議にかかるものであり,まず官庁によって採用され実行されるので,ややもすればこれが天下り的のものであるかのように誤解されております。むかしは民衆が国字国語の問題の解決に熱心なのに官庁側はすこしもこれに共鳴しないというので,官庁側の冷淡が攻撃されていたのでありますが,今はこれとは逆に官庁側は解決案の実践に率先するがゆえをもって非難をうけるはめにおちいっているのであります。これはまことに意外のことといわなければなりません。国語審議会の諸公は至公至平国民の一般民衆のためを念として国語国字問題の審議に当っておいでであります。文部省をはじめ官庁側では心を一にして一般民衆のため率先問題の解決に協力し,さらに国民一般の協力を念願していられるのであります。イニシャティブが何人によってとられようとも,どの側からさきに実行者がでようとも,その先後は論ずるには及ばないと思います。国語問題,言語問題の解決が政府の強制によってなされるべきでないということは,わたくしの多年力説しているところであります。そのわたくしなどから見ましても,これを政府の強要と考えるのは事実の真を得たものとは思われません。本案につきましても,またこれがさいわいに本総会で可決され採択された場合に,やはり同様な非難が起るでありましょうが,当局においてよく事の真相を明らかにされ,世の誤解を解いて一般社会の協力を得ますようおとりはからい願いたいと存じます。

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