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文化庁月報
平成23年8月号(No.515)

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連載 「言葉のQ&A」

憮然(ぶぜん)として立ち去った」人は腹を立てている?

文化部国語課

 インターネットで「憮然」を検索すると,「○○が憮然たる面持ちで怒り出した。」「……と憮然とした表情で述べ,不快感を示した。」などと使われているのが見付かります。「国語に関する世論調査」で「憮然」の意味を尋ねたところ,「腹を立てている様子」と回答した人が約7割という結果でした。今回の言葉のQ&Aでは,この「憮然」を取り上げ,本来の意味を確かめてみましょう。

  • 問1 「憮然」という言葉は,元々,どんな意味で使われていたのですか?
  • 答 最近では「憮然」は怒りや不快感を示す様子として用いられることが多いようですが,本来は,「失望してぼんやりする様子」や「驚いて呆然(ぼうぜん)とする様子」を指す言葉として使われていました。

 まずは漢和辞典を引いてみましょう。
・「全訳 漢字海 第3版」(平成23年 三省堂)

【憮然】ブゼン [1]失意でがっかりするさま。 [2]意外なことにおどろくさま。

・「漢字源 改訂第5版」(平成23年 学研教育出版)

「憮然 ブゼン」とは,むなしい気持ちになるさま。がっかりと失望するさま。

 この二つの辞書が用例として挙げている「論語」の「微子第十八」には「夫子(ふうし)憮然として(いわ)く」とあります。「憮然として曰く」に訳を当てるとすれば,「がっかりして言われるには」というような意味になります。


 国語辞典でも,このような漢籍での使われ方に基づいて「憮然」の意味が説明されてきました。
・「広辞苑」第6版(平成20年 岩波書店)

 ぶぜん【憮然】 [1]失望してぼんやりするさま。失望や不満でむなしくやりきれない思いでいるさま。「―として立ちつくす」 [2]あやしみ驚くさま。

・「日本国語大辞典」第2版(平成14年 小学館)

 ぶぜん【憮然】 意外な出来事に驚いて茫然(ぼうぜん)とするさま。また,失望したり,どうしようもなかったりしてぼんやりするさま。

・「明鏡」(平成14年 大修館書店)

 ぶぜん【憮然】 落胆して,また,驚きあきれて,呆然(ぼうぜん)とするさま。「―として立ち去る」「―たる面持ち」

 各辞書が示す「憮然」の意味は,失望や落胆,又は驚きのために,ぼんやりしたり,呆然とする様子です。このような,本来の意味に基づいた使い方を近代の小説から見てみましょう。芥川龍之介の短編小説にある,大学教授の元に教え子の母親が尋ねて来て,息子の死を報告する場面です。


 ――実は,今日も(せがれ)の事で上ったのでございますが,あれもとうとう,いけませんでございました。在生中は,いろいろ先生に御厄介になりまして……【中略】……病院に居りました間も,よくあれがお(うわさ)など致したものでございますから,お忙しかろうとは存じましたが,お知らせかたがた,お礼を申上げようと思いまして……
 ――いや,どうしまして。
 先生は,茶碗を下へ置いて,その代りに青い(ろう)を引いた団扇(うちわ)をとりあげながら,憮然として,こう云った。
 ――とうとう,いけませんでしたかなあ。丁度,これからと云う年だったのですが……私は又,病院の方へも御無沙汰していたものですから,もう大抵,よくなられた事だとばかり,思っていました……

(芥川龍之介「手巾」 大正5年)

 ここで用いられている「憮然」には,「腹を立てた様子」という意味はありません。教え子の死を知らされて,がっかりしている様子が読み取れるはずです。このように,本来の意味に照らせば,「憮然として立ち去った」人とは,腹を立てているのではないと考えるべきでしょう。

ただし,最近の辞書では,
・「大辞泉」第3版(平成18年 三省堂)

 ぶぜん【憮然】 [1]思いどおりにならならくて不満なさま。 [2]落胆する様。 [3]事の意外さに驚くさま。

・「精選版日本国語大辞典」(平成18年 小学館)

 ぶぜん【憮然】 [1]意外な出来事に驚いて茫然(ぼうぜん)とするさま。また,失望したり,どうしようもなかったりしてぼんやりするさま。 [2]不機嫌なさま。不興なさま。

 というように,「大辞泉」では,最初に「不満なさま」を挙げていますし,「精選版日本国語大辞典」は,先に挙げた第2版では取り上げていなかった「不機嫌なさま。不興なさま。」を加えています。

  • 問2 「憮然」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を詳しく教えてください。
  • 答 全ての年代を通して,「腹を立てている様子」を選んだ人が多くなっています。
憮然

 平成19年度の「国語に関する世論調査」で,「憮然として立ち去った。」という例文を挙げて,「憮然」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)

(ア)失望してぼんやりとしている様子・・・・・17.1%
(イ)腹を立てている様子・・・・・・・・・・・・・・・・・70.8%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.0%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・0.7%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.5%

 年代別の結果を示すグラフからも分かるとおり,この言葉については,全ての年代を通じ,本来とは違う「腹を立てている様子」という意味で使う人が多くなっています。16〜19歳を除いた年代では,「腹を立てている様子」が6割弱〜7割台後半になっており,本来の意味である「失望してぼんやりとしている様子」を大きく上回っています。これは,実際の「憮然」の使用状況を反映している結果とも言えるでしょう。
 「腹を立てている様子」という意味として用いられるようになってきた原因としては,「憮然」の「ブ」という音が,「ぶうぶう言う」などの「ぶうぶう」(「小言や苦情を言い立てるさま。ぶつぶつ。また,その人」(広辞苑 第6版))などを連想させる可能性があることや,また,「ぼんやりとしている様子」としては「呆然」などを使うのが一般的であるために,「憮然」という語「ぼんやりとしている様子」という意味が結び付きにくいことなどがあるかもしれません。

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