HOME > 文化庁月報 > 特集 「地域における日本語教育の展望−日本語教育の総合的推進を目指して」

文化庁月報
平成23年8月号(No.515)

文化庁月報トップへ

特集 「地域における日本語教育の展望−日本語教育の総合的推進を目指して」

海外における移民に対する言語教育

学習院大学教授 金田智子

 ドイツやオランダなどの諸外国において,どのように移民に対する言語教育が行われているかということを描き出し,それとの対比から日本の現状や課題について説明します。

目次

  1. 1 はじめに
  2. 2 移民の言語学習機会:ドイツおよびオランダの例
  3. 3 日本の現状と課題

はじめに

 現在,日本には約213万の外国人が住んでいますが,その中には,長期にわたって日本に滞在しているにもかかわらず,非常に限られた場でしか日本語を使わない,あるいは,ごく限られた日本語能力しか持たないという人がいます。例えば,1990年の出入国管理法の改正により,ブラジルやペルーなどの日系人は,日本に「定住者」として滞在できるようになりましたが,彼らのほとんどは,来日直後から仕事を中心とした生活を送ります。そのため,日本語を学習する機会を持たずに,そして,必要最低限の場面でしか日本語を使わずに,日本に暮らし続けている場合が少なくないのです。その結果,滞日10数年となっても,緊急時の対応をする際や,医者にかかる時などに,母語のわかる仲介者に頼らざるをえない,ということも起こっているのです。
 ここでは,移民受け入れに関する歴史の長い国が,その国の言語について,どういった学習の機会を設けているかを紹介し,日本が今後取り組むべき課題について検討します。

移民の言語学習機会:ドイツおよびオランダの例

 海外には,労働力不足解消を目的に,20世紀後半から移民を積極的に受け入れてきた国々があります。そういった国の多くは,移民がその国で生きていくために必要な言語能力や社会に関する知識を身に付けるための公的な学習機会を提供しています。例えば,European Migration Networkの調査(2009)によれば,回答した18か国のうち,ベルギー,ドイツ,エストニア,ギリシャ,スペイン,オランダ,ポルトガル,スロベニア,イギリスの9か国は,国あるいは自治体レベルで移民向け自国語教育プログラムを実施しています。中でも広く知られているのは,ドイツの社会統合プログラムや,オランダの市民統合プログラムでしょう。また,アメリカでも成人教育の一環として英語を学ぶ機会が保障されています。最近は,韓国でも結婚移住者等に対して統合プログラムが実施されるようになりました。
 例えばドイツでは,2005年より,移民対象の社会統合プログラムとして600時間(進度等により,400時間から900時間までの幅がある)のドイツ語授業と45時間のドイツ社会に関するオリエンテーションが設けられており,1時間あたり1ユーロの自己負担で受講できます。そして,終了時にはCEFR(Common European Framework of Reference for Languages:ヨーロッパ言語教育共通参照枠)のB1レベルに達することが目標となっています。このB1レベルとは,A1(低)からC2(高)までの6段階中,「自立した言語使用者」のレベルとされるもので,ドイツで仲介役の助けなしで社会的な生活を営むことができるドイツ語能力と捉えることができます。
 また,オランダは,1998年に市民統合プログラムを開始し,当初,移民は受講が義務付けられていました。現在は,受講義務はなくなりましたが,永住許可を得る際には,オランダでの生活に必要とされるオランダ語能力やオランダ社会に関する知識を身に付けていることを,例えば,市民統合テスト(先述の「CEFR」のA2レベル)の合格によって証明する必要があります。そのため,この市民統合プログラムの受講が奨励されています。このプログラムの受講料(3,500〜4,000ユーロ)については,各種の補助金が得られるシステムが整っており,実質的には18か月の間,無料で受けることができます。プログラムの内容は,市民統合テストの出題範囲を反映したものとなっていますが,市民統合テストでは,コンピュータを用いたテストや,対面でのパフォーマンステストとは別に,実際に日常生活の中でオランダ語を用いてコミュニケーションを行った証拠を集める「ポートフォリオ評価」も取り入れられています。これは,市民統合プログラムやテストが,移民の孤立化を防ぎ,オランダ社会の中で,様々な人たちと交流することを目的としていることの表れです。

 ドイツとオランダの例について共通して言えることは,その国で生活を営みながら新たな言語を学ぶ人の生活や状況を考慮している点でしょう。例えば,ドイツが,大人の学習者の言語学習能力によって,プログラムの時間を400時間から900時間まで幅を持たせたこと,そして,言語が実際に使われる場面の違いを視野に入れ,ドイツ語基礎統一試験(Zertifikat Deutsch)に代わる「移民のためのドイツ語テスト(Deutsch Test für Zuwanderer)」を開発したこと,オランダにおいては,移民が自分自身の生活に応じて,オランダ語の授業及び試験の内容について,「市民生活」以外の他の4つの領域(育児・健康・教育,就労,社会参加,起業)について,重点的に取り組むものを選べるようになっていることなどです。また,いずれのプログラムでも,その国に定着し,十全な生活を営むためには,言語能力だけではなく,その国の社会や文化に関する理解も必要であると考えられており,ドイツにおいては,社会オリエンテーションの時間が,またオランダにおいては,オランダ社会に関する知識についての試験が設けられています。

日本の現状と課題

 日本には現在,数多くの外国人が住んでおり,製造業をはじめとする各種産業を支えています。しかしながら,冒頭で述べたとおり,彼らは日本語学習の機会を持たないまま,仕事に追われ,生活し続けているという場合が少なくありません。また,日本語を学習したいと思っても,先に見た国々のように,日本語を学習する公的な機会は保障されてはおらず,地域の国際交流協会やボランティア組織が運営する教室に週に1回通い,2時間学習するという程度のことしかできていません。週1回,2時間程度の学習で習得できるものは,例えばドイツで600時間集中的に学ぶ場合に比べると,ごくわずかであることは推測できます。
 また,そういった教室は,無料あるいは教材費程度の料金で開講されているため,受講者にとって経済的な負担にはなりませんが,指導者は無償,あるいは有償であっても低賃金・短期雇用が大半です。ドイツもオランダも公的なプログラムであるため,そこで指導にあたる人々は第二言語教育の訓練を受けた専門家であり,当然,有償です。同時に,移民が一定レベルの言語能力を身につけることにおいて責任を負っています。公的プログラムができ,指導者がきちんと報酬を受ける体制を作らない限り,地域の成人対象の言語教育を担う人に専門性を期待することは難しいでしょう。
 そして,こういった公的プログラムを計画する際に必要となるものとして,「生活するために必要な日本語」を具体化すること,その能力を身につける必要のある外国人の数,その能力を身につけるために必要な時間を明らかにすること,などが挙げられます。「生活するために必要な日本語」については,文化審議会国語分科会日本語教育小委員会がすでに検討を行い,「生活上の行為」の一覧や「標準的なカリキュラム案」として公表をしています。しかし,それを必要としている人々がどのぐらい日本に暮らしていて,習得にどのぐらいの時間がかかるのか,ということについては,説得力のある数字は明らかにされていません。生活に必要な日本語を学習する機会を,公的なものとして計画するためには,これまでの様々な教育現場の実績や今後のデータの蓄積,外国人の言語使用状況や日本語能力に関する調査研究などを元に,これらの数字を算出する必要があります。
 また,公的プログラムの検討に当たっては,まず,我が国における外国人の受入れ等,移民政策についての基本的な考え方を整理することが必要と考えられます。

 言語は,それが使用されている場にいるだけで習得できるというものではありません。ましてや,読んだり書いたりする能力は,教育なしには身につきません。仕事や結婚などを目的に来日した人々が,生活のために必要となる日本語を,ある程度の時間と期間をかけて学習できる機会が保障されることが期待されます。

【参考文献】
European Migration Network (2009) Ad-hoc query on language and orientation courses for immigrants.

金田智子

(氏名)金田 智子  (職業)学習院大学教授


【経歴・活動欄】
浜松生まれ。広島大学教育学部卒。
MA 及びEd.M in TESOL(Teachers College, Columbia University)取得。
文化外国語専門学校,Earlham College(米国),広島大学留学生センター,国立国語研究所を経て,2010年4月より学習院大学文学部教授。2011年より文化審議会国語分科会臨時委員(日本語教育小委員会分属)。

トップページへ

ページトップへ