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文化庁月報
平成23年10月号(No.517)

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連載 「文化人の気魄」

オペラ歌手・小森輝彦

小森輝彦

(氏名)小森 輝彦  (職業)オペラ歌手
【経歴・活動欄】
東京芸術大学,同大学院,文化庁オペラ研修所を経て文化庁在外派遣研修員として2年間ベルリンに派遣されベルリン芸術大学で学ぶ。今年4月に日本人として初めて「ドイツ宮廷歌手」の称号を授与された。
高校の時に代役として参加した音楽部のオペラ公演で初舞台を踏み,声楽を目指す。
2000年にドイツのアルテンブルク・ゲラ市立歌劇場の専属第一バリトンとして契約し12シーズン目を迎えた。ザルツブルク音楽祭などヨーロッパの各地で客演するかたわら,国内の主要なオペラ公演にも数多く出演し,日本のオペラ界にとってはなくてはならない存在となっている。五島記念文化財団オペラ新人賞受賞。二期会会員。東京音楽大学客員准教授。

― この度「ドイツ宮廷歌手」の称号を授与されたとのことですね。おめでとうございます。
宮廷歌手の証書とともに 劇場総裁オルダーグ氏と

宮廷歌手の証書とともに
劇場総裁オルダーグ氏と

 ありがとうございます。宮廷歌手というのはドイツとオーストリアでオペラ歌手に与えられる名誉称号です。イギリスで文化功労者に送られる「サー」や「デイム」などのナイト称号は今まで日本人の経済界や音楽家に対して授与されたことがありますが,ドイツの宮廷歌手は日本人としては初めてだそうです。歌劇場や州,都市などが,その劇場に対して著しい貢献をした歌手に贈るもので,音楽的,演劇的業績とパーソナリティーによって劇場の芸術的水準を高めた功績を認められて授与されます。私が12年間,第一バリトンとして専属ソリストを務めているアルテンブルク・ゲラ市立歌劇場から贈られたのですが,この劇場では20年ぶり,戦後2人目の宮廷歌手となりました。ちなみに,ドイツの他の地区を含めて40代での授与は極めて異例だそうです。

 なぜ「宮廷」なのか,と良く聞かれますが,これはドイツやオーストリアの劇場が皇帝や貴族などの後ろ盾によって運営されていた頃からの伝統で,宮廷お抱えの劇場に対する功績があった歌手に対する叙勲として「宮廷歌手」という名誉称号が定着し今に至っています。
 私にとっては夢のまた夢と思って,ただ憧れていた称号でしたので,はじめは信じられませんでした。

― 小森さんはこれまでドイツでどのような活動をされていたのでしょうか。
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロール Photo: Theater&Philharmonie Thüringen

モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロール
Photo: Theater&Philharmonie Thüringen

 私は大学院修了後に文化庁オペラ研修所の第9期生として研修し,その後文化庁芸術家在外派遣研修員としてベルリンに派遣されました。それ以来16年間ドイツを拠点としています。2000年に今のアルテンブルク・ゲラ市立歌劇場の専属第一バリトンとしてソリスト契約を結び,オペラの舞台を中心に活動しています。
 専属契約が優先されるので,ヨーロッパの他の劇場や日本での舞台に立つ機会は限られてしまうのですが,それでも日本には年に2度から3度飛び,オペラやコンサートの舞台に立たせていただいています。ヨーロッパでの客演は,ザルツブルク,ミラノ,トリノ,ベルリン,シュトゥットガルト,コットブス,ハーゲンなどで歌いました。

― 印象に残った役や舞台は何でしょうか。

 2006年のザルツブルク音楽祭は素晴らしい体験でした。祝祭大劇場の舞台に立った初の日本人である市原多朗さん以来ということでしたが,ドイツ屈指の作曲家ヘンツェの作曲による三島由紀夫原作の「午後の曳航(えいこう)」で,悪役の首領役を歌いました。ゲラとアルテンブルクの劇場の舞台では,デビューの「リゴレット」をはじめとして多くのタイトルロールを歌う機会を得ましたが,スタンダードな劇場レパートリーである「さまよえるオランダ人」や「ドン・ジョヴァンニ」の他,劇場独自の「埋もれた名作の発掘シリーズ」で,武将ヴァレンシュタインや哲学者のニーチェなど,ドイツの歴史上の実在人物を日本人の私が歌わせていただいた事は,得がたい経験になりました。

ワーグナー作曲「さまよえるオランダ人」のタイトルロール Photo: Hans-Peter Habel

ワーグナー作曲「さまよえるオランダ人」のタイトルロール
Photo: Hans-Peter Habel

― ドイツで活動をされるご苦労はありましたか。

 日本人として,自分の文化でないヨーロッパ音楽をどう実践していくのか,という不安がまずありました。ヨーロッパ音楽と文化,風土を深く理解して良い舞台を作りたいという強い願望と「日本人である自分に何ができるのか?」という不安とのジレンマに陥っていたと思います。

 ドイツ生活の中でだんだん明らかになってきたのは,ヨーロッパ人とのメンタリティギャップの壁です。体格差よりもずっと深刻な問題だと私には思えました。キリスト教を下地にもつ強烈な個人主義で育ったヨーロッパの演奏家は「自分の表現」を遠慮なく繰り出して来ますが,我々日本人はそれが不得手です。「出る杭は打たれる」という様な心理もあるでしょう。その反面,勤勉で謙虚,また作品や文化を尊重する気持ちが強い。
 これでは形だけドイツ人の真似をしても,安易な「ドイツかぶれ」になってしまう,自分たちの道を探さなくては,と切実に感じました。

 もう一つの悩みは,ドイツのいわゆる「現代演出」でした。作品の本来の設定を尊重せず,革新的で攻撃的な演出によって,劇場が文化の受け手としての聴衆からどんどん離れていく危険を感じたのです。事実ある時期フランクフルトなどの劇場では,そうした極端な演出のために著しい客離れが起こっていました。

― 日本人の演奏家として,その様なご苦労をどの様に乗り越えられましたか。
プッチーニ作曲「トスカ」スカルピア役 Photo: Karen Stuke

プッチーニ作曲「トスカ」スカルピア役
Photo : Karen Stuke

 これらの問題の間には,実は相互関係がありました。自分の持つ日本人の肉体と精神を最大に活かし,表現者としての自分を研ぎ澄ませていくことで,一つ一つ解決に向かったように思います。
 ヨーロッパ人と競い合うようにして我々が自我の表出を試みても,これは付け焼き刃と気がつきました。結局は日本人らしさが邪魔をするので,自己顕示でしのぎを削ることは難しい。日本人としての良さを生かそうとしたら,浅いレベルの自分の意図を消す事です。無心になって作品に身を預けることで,よりその作品の深いレベルでの意図を音楽に乗せて客席に届けられます。
 弱い自我を無理に鍛えるのでなく,逆に我欲を捨て心頭滅却し,まるで巫女のように音楽の神に仕えれば,劇場は神殿になると私は信じています。

 芝居の面では,当初は演出家から要求される,攻撃的でアクションの多い芝居を受け入れざるを得ませんでした。しかし私の理想は,あくまで作品の素晴らしさを増幅して伝えることです。余計なアクションの多い「動の芝居」一辺倒ではなく,抑制的な「静の芝居」を織り交ぜていくこと。そうすることで音楽と作品の力を味方につけ,よりダイレクトに聴衆に訴えかける事が出来るのではないかと提案していきました。料理にたとえると,ごてごてしたソースをかけて素材を台無しにするのでなく,控えめな味付けで素材の味を最大限に引き出すようなやり方です。

 すると上司である劇場のオペラディレクターが,このやり方に価値を見いだしてくれて,自分の演出に取り込み,聴衆の反応にも変化が見られるようになってきました。彼がある推薦文に「コモリ氏は彼の故郷の文化的使節である」と書いてくれたとき,演出姿勢を変えた彼の想いをはっきりと知りました。
 おごりかも知れませんが,聴衆が私を「おらが街の劇場の看板歌手」と認知してくれ,劇場が私の仕事を評価してくれたのも,私が日本人の肉体と精神をもって音楽に仕えることができたからではないかと思っています。そしてその劇場への貢献が,長い共同作業の継続と評価,ひいては今回の授賞につながったと思うと,大変感慨深いです。

― 今回の東日本大震災のことはドイツでお聞きになったとのことですが。
ゲラ市立歌劇場での東日本大震災チャリティーコンサート Photo: Tino Zippel

ゲラ市立歌劇場での東日本大震災チャリティーコンサート
Photo : Tino Zippel

 はい。自分が被災しなかったことに罪悪感を覚え,日本との距離を強く感じました。無力さと罪悪感で体が麻痺していくような感覚があったのですが,チャリティーコンサートの企画を始めた後は段々前向きになる事ができました。そのチャリティーコンサートには予想以上の多くの方がつめかけ,距離や民族を越えた友情と善意を肌で感じる事ができました。
 辛いときこそ,人間らしくあるために音楽の力を信じたいと思っています。この思いを体現して下さっている仙台フィルハーモニー管弦楽団の「音楽による復興センター」に義援金を送らせていただきました。

― これからの抱負をお聞かせ下さい。

 宮廷歌手の称号をいただいた事もあり,演奏の面だけでなく人間としての振る舞いも含めて責任がより重くなったことをはっきり感じます。この称号に恥じぬよう,今まで以上に切磋琢磨を続けて,とにかく自分にできる最高の仕事をし続けたいと思っています。

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