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文化庁月報
平成23年10月号(No.517)

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連載 「国立大学施設探訪 〜近代の記憶 そして未来へ〜」

名古屋帝国大学のキャンパス構想から豊田講堂へ

名古屋大学大学文書資料室助教 堀田慎一郎

 名古屋大学のシンボルであり,近代建築としても高く評価されてきた豊田講堂が,1960(昭和35)年に建設された歴史的背景には,戦時期の困難な時代における愛知県や名古屋市などの地元との「約束」と,それに連動した名古屋帝国大学時代の東山キャンパス構想があった。

豊田講堂(国の登録有形文化財)

豊田講堂(国の登録有形文化財)

 今年7月,名古屋大学のシンボルともいえる豊田(とよだ)講堂が,建設時における近代建築の到達点を示すものとして認められ,文化財保護法に基づく国の登録有形文化財になりました。ただ,豊田講堂が建設されたのは1960(昭和35)年であり,いわゆる近代(明治維新から敗戦まで)ではありません。
 名古屋大学の医学系研究科・医学部以外のすべての研究科・学部が集まる東山キャンパスには,近代に建てられた建築物はまったく残っていません。これは,名古屋大学が名古屋帝国大学として創立されたのが,敗戦のわずか6年前の1939(昭和14)年で,東山キャンパスもこの時に取得されたためです。創立後も,戦時体制下の財政難・物資不足から,後世に残せるような本格的な講堂や校舎を建設することはできませんでした。

 しかし名古屋帝国大学では,戦時期の苦しい状況にもかかわらず,熱心に将来のキャンパス構想を検討していました。その構想には,講堂の建設も含まれていたのです。
 名古屋帝国大学は,愛知県や名古屋市を中心とする地域からの強い要望を受けて創設され,その創設費900万円はすべて愛知県が国に寄付をする形でまかなわれました。さらに愛知県は,講堂と図書館を建設寄付する方針を定め,これを支持した名古屋商工会議所会頭が会長を務める名古屋総合大学設置期成同盟会は,講堂と図書館の建設費として約100万円の寄付を集めました。
 掲載図は,現在の東山キャンパス図に,黒い実線で示された1942年に名古屋帝国大学が作成した計画図を重ねたものです。ここには,講堂(赤い矢印)と図書館(青い矢印)が明確に示されています。その位置は,現在の豊田講堂(赤い☆印)および1964年に建設された古川図書館(現在の古川記念館,青い☆印)と,少し違っていますがだいたい同じエリアです。また,1943年に作られた開学記念絵はがき(「完成後ノ名古屋帝国大学」)も,この計画図に基づいています。戦争がなければ,100万円の寄付金で,すぐにでも講堂と図書館が建設されたかもしれません。

名古屋帝国大学計画案(1942年)分析図(木方十根氏・河野顕一氏作図)

名古屋帝国大学計画案(1942年)分析図(木方十根氏・河野顕一氏作図)

名古屋帝国大学の開学記念絵はがき(1942年)

名古屋帝国大学の開学記念絵はがき(1942年)

 しかし実際には,戦争による物資不足などにより,建築に着手することができませんでした。地元との「約束」(寄付)によって講堂と図書館を建てるという方針は,戦後の新制名古屋大学にも引き継がれましたが,インフレーションなどのため,やはり建設は難しく,名古屋商工会議所が預かっていた100万円は名古屋大学の別の用途に使われました。
 そして1960年,トヨタ自動車工業株式会社(現在のトヨタ自動車株式会社)の建設寄付(施工費2億円)により,豊田講堂が建設されました。地元全体からではなく,一企業からの寄付による建設となりましたが,実は戦前の名古屋総合大学設置期成同盟会の副会長として,当時設立されたばかりのトヨタ自動車工業の豊田利三郎社長(名古屋商工会議所副会頭)が名前を連ねていました。
 戦時期における地元との「約束」とそれに連動したキャンパス構想。豊田講堂の建設が実現した歴史的背景の1つをここに見ることができます。

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〒464-8601 愛知県名古屋市千種区不老町

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