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文化庁月報
平成24年2月号(No.521)

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連載 「国立大学施設探訪 〜近代の記憶 そして未来へ〜」

熊本大学五高記念館

熊本大学五高記念館館長 伊藤重剛

目次

  1. 1 歴史の重みを感じる大学
  2. 2 建築に「坂の上の雲」を見た
  3. 3 いい建築がいい人材を育てる

歴史の重みを感じる大学

五高本館正面部分。山口半六らによるオリジナル図面が残されており,その当初の設計とほぼ同じ立面です

五高本館正面部分。山口半六らによるオリジナル図面が残されており,その当初の設計とほぼ同じ立面です

  赤煉瓦の正門を通り,左右にゆっくりカーブしながらサクラやカエデの並木道を通り抜けると,いく株かのソテツのある車回しの向こうに赤煉瓦の広壮な建物が出現します。これが熊本大学五高記念館で,旧第五高等学校の本館だった建物です。煉瓦造二階建て,明治22年(1889)の竣工当時,熊本では最大の本格的洋風建築でした。
 日本の近代教育は,明治19年(1886)の学校令から始まり,これにより小学校から帝国大学まで整えられました。高等中学校が全国5か所に設立され,九州地区には熊本に第五高等中学校が作られました。敷地は熊本市郊外の黒髪村に決められ,本館は明治22年に,その他の建物も翌年には完成し,明治23年(1890)10月10日に盛大に開校式が開催され,正式に発足しました。その後明治29年(1896)には第五高等学校と改称され,五高(ごこう)と通称されました。

建築に「坂の上の雲」を見た

 五高本館は教室棟として建てられたもので,二万坪の広大な敷地の中央を占める中心的な建物で,建設当時そのままの姿で残っています。その堂々たる外観は学校のシンボルであり,五高生たちは赤壁城と呼び,エリートたる彼らの矜持の源泉ともなっていました。戦後熊本大学の建物として使われるようになっても,そのまま熊本大学のシンボルとなっています。本館に隣接する同じく煉瓦造の化学実験場や,赤門と通称される正門とともに,昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されました。
 設計は文部省の技師であった山口半六と久留正道の手になります。山口はパリの中央工学校に留学し,久留は東京で工部大学校に学んだエリートで,五高の設計をしたとき共に30歳ぐらいの若手官僚でした。彼らは文部省に建築課を設立した人物でもあり,その後の学校建築の標準仕様を作り上げ,日本の学校建築の発展に大きな貢献をしました。

いい建築がいい人材を育てる

 明治24年(1891)には日本柔道の創始者で教育者だった嘉納治五郎が第三代の校長として赴任し,彼は英語教師としてラフカディオ・ハーンを呼び寄せます。その後明治29年には29才だった夏目金之助つまり後の漱石が赴任しました。またその頃寺田寅彦が入学し漱石に学んでいます。正に多士済々で,教師は優秀な人材を育成せんとし,生徒たちもまたも有為な人物たらんとした明治人の強い意気込みが感じられます。五高はその約60年の歴史の中で,2人の総理大臣を含む優秀な人材を輩出し,日本の近代を支えました。
 旧五高本館は現在熊本大学五高記念館として,五高関係の教育資料を収集・展示し,また様々な企画展示をする施設として一般に開放し,社会貢献のために使用されています。外観は当初のまま,教室のひとつも当時のまま復原されており,NHK大河ドラマ「坂の上の雲」の撮影にも使われました。こうして全国的にも広く知られるようになり,現在年間約一万人の来館者が全国から訪れる施設になりました。
 竣工時,五高本館の前庭の両側に2本ずつ植えられたマキとクスの幼木は,現在幹の直径が1メートルを優に超す大木となり,125年の歴史を感じさせています。

熊本大学
〒860-8555 熊本県熊本市黒髪2丁目39番1号

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