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文化庁月報
平成24年3月号(No.522)

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連載 「祭り歳時記 伝承を支える人々」

浦佐(うらさ)毘沙門堂(びしゃもんどう)裸押合(はだかおしあい)の習俗

新潟大学人文学部准教授 飯島康夫

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 「浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗」
選択年月日:平成16年2月16日
所在都道府県:新潟県

 浦佐毘沙門堂で行われる裸押合は,春を迎えて1年の豊作と安寧を毘沙門天に祈願し,その加護を得ようと,裸になった人々が堂内で押合う祭りです。現在は新暦3月3日に行われますが,明治の改暦以前は1月3日に行われていました。宝暦期の「浦佐村年中行事」や鈴木牧之(すずきぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』にもその様子が記されています。

裸押合の開始

毘沙門天に参拝するため青年団が守る内陣をめざして激しく押合います

毘沙門天に参拝するため青年団が守る内陣をめざして激しく押合います

 祭り前日の2日夜から,普光寺住職による(おお)護摩(ごま)蝋燭(ろうそく)に火を灯す献火式,境内での餅撒きなどの行事が行われていますが,3日の夕方,毘沙門堂内の護摩壇が取り払われ,ネコと呼ばれる厚(むしろ)が堂内の床に敷かれると,いよいよ裸押合が始まります。境内にある石製のうがい鉢で水を浴びた裸の男たちが堂内に入り,押合いながら内陣に上がって毘沙門天像へ参拝しようとします。しかし,毘沙門天の前には浦佐(うらさ)多聞(たもん)青年団内陣係の若者たちが像を守るように立ちふさがり,容易に内陣に上がることを許しません。十分に押合った者のみ正面から引き上げられて参拝を果たすことができるのです。

福物の撒与とササラ擦り

大蝋燭に守られて撒与者が毘沙門堂へ向かいます

大蝋燭に守られて撒与者が毘沙門堂へ向かいます

 押合の最中に3回にわたり福物(ふくもつ)撒与(さんよ)が行われます。福物とは特別に奉納された盃や御神酒などです。火のついた大蝋燭を抱えた青年団の若者たちが毘沙門堂内に駆け込み,押合う人々をかきわけて通路をあけると,3名の人に担がれた撒与者が堂内に入り,毘沙門天に参拝して福物を撒きます。押合いの人々は福物を手にしようとさらに激しくもみ合います。
 福物の撒与が終わると,年男が音頭取りの歌に合わせて毘沙門天に向かってササラを擦り,その周囲を青年団全員が「さんよう,さんよ」と声を上げながら巡り,祭りは最高潮に達します。その後,年男などによって護摩の灰で作った御灰像(ごはいぞう)と大鏡の撒き札が撒かれて祭りは終わります。

裸押合を支える人々

青年団の輪の中心で,音頭取りの歌に合わせ年男がササラを擦ります

青年団の輪の中心で,音頭取りの歌に合わせ年男がササラを擦ります

 裸押合祭りは,裸押合大祭委員会をはじめとする多くの地元の人々によって支えられています。さらに,広く新潟県内外の毘沙門天を信仰する人たちも,講中(こうちゅう)という組織を作って参拝に訪れます。
 代々,年男として祭りを主宰し,ササラ擦りなど重要な役割を担うのは,毘沙門天像と深いつながりを持つと伝えられる井口家の当主です。そのほか,ササラ擦りの音頭取りの中心となる鈴木家,ササラを奉納する江戸時代の大割元の坂西家も世襲でその役割を担っています。
 現在の裸押合の実行組織として欠かすことのできないのは,浦佐多聞青年団です。南魚沼市浦佐,五箇(ごか)蝦島(えびじま)地域の18歳から30歳までの青年男子からなり,年齢の序列と同期の連帯によって,青年団長のもと当日はもちろん1年間裸押合祭りの実施のために奔走します。祭りが終わると青年団の法被(はっぴ)が下の年齢の者に順次受け渡され,世代交代が行われます。青年団を抜けた後も青年団OBとして祭りを支え続けています。

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