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文化庁月報
平成24年7月号(No.526)

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連載 「言葉のQ&A」

「すべからく」の使い方

文化部国語課

 「学生はすべからく学業を第一とすべきだ。」
 「すべからく」と言えば,漢文の授業で習った「すべからく…べし」と読む再読文字「須」のことを思い出す方もあるでしょう。ただ最近は,本来とは違う意味で「すべからく」を使っている人も少なくないようです。

  • 問1 「すべからく」とは,本来どのように使うものなのですか。
  • 答 当然そうした方がよい,是非ともそうすべき,という意味で用いられる言葉です。

 「すべからく」を辞書で調べてみましょう。


「日本国語大辞典 第2版」(平成12〜14年・小学館)

すべからく【須―・応―】 [副](サ変動詞「す」に推量の助動詞「べし」の補助活用「べかり」のついた「すべかり」のク語法。多く下に推量の助動詞「べし」を伴って用いる」)当然なすべきこととして。本来ならば。

「大辞林 第3版」(平成18年・三省堂)

すべからく【須く】(副) 〔漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)」の約。下に「べし」が来ることが多い〕ぜひともしなければならないという意を表す。当然。「学生は―勉強すべし」〔古くは「すべからくは」の形でも用いられた。近年「参加ランナーはすべからく完走した」などと,「すべて」の意味で用いる場合があるが,誤り〕

 ここに挙げた辞書が示すように,本来,「すべからく」は,後に「〜べし」や「〜べきだ」等を伴う,漢文調の古い言い回しです。「すべからく〜べきだ。」という言い方は,「当然のこととして〜すべきだ。」「是非とも〜すべきだ。」という意味になり,冒頭の「学生はすべからく学業を第一とすべきだ。」という例文であれば,「学生は当然のこととして学業を第一とすべきである。」「学生は是非とも学業を第一とすべきである。」という意味になります。
 しかし,最近では「大辞林」が挙げている例のように,基本的な文型である「〜べし」「〜べき」の形をとらずに,「すべからく」を「全て」の意味で用いているケースが多く見受けられます。「すべからく」の「すべ」という音が「全て」の「すべ」と結び付いてしまうのも理由の一つかもしれません。

  • 問2  「すべからく」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
  • 答 本来の意味とされる「「当然,是非とも」という意味」と答えた人と「「全て,皆」という意味」と答えた人との割合が共に4割前後となっているという結果でした。

 平成22年度の「国語に関する世論調査」で,「学生はすべからく勉学に励むべきだ。」という例文を挙げて,「すべからく」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)

〔全 体〕

すべからく  例文:学生はすべからく勉学に励むべきだ。

(ア)「全て,皆」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38.5%
(イ)「当然,是非とも」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41.2%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5.2%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.1%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11.9%

〔年代別グラフ〕

すべからく

 全体では,本来の使い方である(イ)「「当然,是非とも」という意味」と回答した人の割合が4割強,本来の使い方ではない(ア)「「全て,皆」という意味」と回答した人の割合が4割弱と,僅かに本来の意味を選んだ人の割合の方が上回りました。
 年代別のグラフで見ると,60歳以上では,本来の意味ではない(ア)を選んだ人の割合の方が高くなっていますが,他の年代では,本来の使い方である(イ)が高くなっています。

 では,「全て」という意味での「すべからく」の用法が広がっているのはどうしてでしょうか。「すべからく」の「すべ」という音が「全て」の「すべ」と結び付くこと,また,口語文や発話では,典型的な「すべからく〜べし(べき)」の語形にならないことが多く,元の用法が意識されなくなっていることなどが挙げられるかもしれません。しかし,それだけではなく,「すべからく」の本来の用法には,意味の上で,「全て,皆」につながりやすいところがあると言えそうです。例を見てみましょう。

 万事万端浮世の事は,すべからく (すべ)て科学的でなければならない。(国枝史郎 「加利福尼亜(カリフォルニア)の宝島(お(とぎ)冒険談)」 大正14年)

 真に実在さるべきものは,かかる醜悪不快の現実でなく,すべからくそれを超越したところの,他の「観念の世界」になければならぬ。(萩原朔太郎 「詩の原理」 昭和3年)

 ここに挙げた「すべからく」の二つの例は,「べし」や「べき」の代わりに「〜なければならない」という言い方で受けられており,典型的な語形ではないですが,共に本来の意味で使われているものと考えられます。特に「加利福尼亜の宝島」は「すべからく」のすぐ後に「総て」があることから,本来の意味で使われていることが容易に理解できるでしょう。
 では,「詩の原理」の方はどうでしょうか。ここでは,「真に実在するものは,当然のこととして,現実にではなく,現実を超越した「観念の世界」にあるべきものである。」ということが述べられています。Aは当然Bにある,というとき,Aは全てBにある,と考えることもできるでしょう。この場合なら,「真に実在さるべきもの」は,全て「観念の世界」にある,と言い換えても,考え方それ自体は間違っていません。「すべからく」を「全て,皆」という意味で受け取ってしまっても,違和感が生じにくいのです。
 これは,「すべからく〜べきだ」という典型的な語形をとっている場合にも同様です。例えば,世論調査で挙げた文,「学生はすべからく勉学に励むべきだ。」はどうでしょう。「学生は,当然のこととして,勉学に励むべきだ。」という文意からすれば,「全ての学生は,勉学に励むべきだ。」ということも言えることになり,意味的につながってしまうのです。このように,「すべからく」は,意味的にも「全て,皆」と受け取られやすいところがあると言えそうです。

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