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文化庁月報
平成24年7月号(No.526)

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連載 「文化財行政の現代的な課題」

史跡の現地保存,凍結保存,及び復元について

文化財部記念物課長 矢野和彦

 本稿では,史跡の現地保存の原則,凍結保存,復元について論じたいと思います。
 「現地保存の原則」は,文化財保護法上,特に明記されているわけではありません。
 しかしながら,たとえば,イコモス(国際記念物遺跡会議)が1965年に採択したいわゆる「ヴェニス憲章」では,「記念建造物は,それが証拠となっている歴史的事実や,それが建てられた建築的環境から切り離すことはできない。記念建造物の全体や一部分を移築することは,その建造物の保護のためにどうしても必要な場合,あるいは,きわめて重要な国家的,国際的利害が移築を正当化する場合にのみ許される。」(第7条)(日本イコモス国内委員会訳)など,我が国に限らず,また,史跡のみならず文化財は,周辺環境も含めて現地保存すべきだという考え方が当然の前提となっています。
 また,「凍結保存」とは,既に過去のものとなったものを「ある一定の状態で凍結し保存すること」です。どの時点で凍結するのかという永遠の課題はありますが,史跡は,ほとんどが「過去の遺物」であり,凍結保存が原則となっておりますが,ものによっては本来の目的で活用しながら保存する「動態保存」に適したものもあります。
 さらには,何かと議論の多い「史跡の復元」,難しいテーマですが,以下,実際起きた(起きている)問題に即して論じます。

目次

  1. 1 現地保存の原則−高松塚古墳,キトラ古墳等の壁画保存問題−
  2. 2 凍結保存について
  3. 3 史跡の復元について

1. 現地保存の原則−高松塚古墳,キトラ古墳等の壁画保存問題−

 高松塚古墳,キトラ古墳の壁画の保存問題は,文化庁,文化財行政への信頼を揺るがす大問題となったことは疑いようのないことです。
 数あるマスコミの論調を短くまとめると,(1)文化庁の隠蔽体質,(2)組織の縦割り,総合的な判断ができる責任者の不在,(3)東京文化財研究所と文化庁の対立,など組織の問題点を指摘するものと,(4)防護服未着用で作業,カビ繁殖人為ミス,など作業面での人為的なミスを指摘するものに大別できると思います。
 その上で「文化庁には大事な国宝の壁画を扱う資格がない。」「起こるべくして起こった。」と断ずるものまでありました。
 私は,文化庁へのご批判を否定するつもりはありませんが,高松塚古墳やキトラ古墳の壁画保存問題の最大の論点は,「保存科学上物理的に可能であること」「東京,明日香村間は約500kmという距離があること」「限りある予算・人員の範囲内でできること」という厳しい現実と「現地保存の原則」という文化財保護の原理原則の狭間のどこでどのように折り合い(・・・・)をつけるかという点だったと考えています。
 さらにいうと,新聞が指摘した(2),(3)の「組織の縦割り」「総合的な判断ができる者の不在」という点が,まさにその折り合いをどこでつけるのか,誰が判断するのか,という核心の部分だったと思います。
 壁画の保存方法や保存のあり方論を巡っては,当初から現在に至るまで見事に立場が分かれます。
 考古学の立場からは,「ある装飾古墳ではカビの増殖を防ぎきったにもかかわらず,高松塚古墳で現地保存できないのはおかしい。」とする論調もあれば,「形あるものはいずれ滅びる。何年か,何十年か劣化を遅らせることができるだけだったとしてもやはり現地保存すべきだ。」というものもありました。
 一方,「保存科学」の立場からは,「現在の保存科学では,劣化を完全に防ぎきることは不可能である。よって古墳から取り上げるしかなかった。現段階ではいつ戻せるかと具体的な時期を議論する段階にない。」というものが一般的でしょう。
 結論を申し上げると「現地保存の原則」自体は決して取り下げるべきではない,というのが私の考えです。
 しかしながら,原則はあくまでも「原則」にしか過ぎません。ムシやカビなど「地球」が相手のことについて,原理原則論が「壁画」にとって常に最善の結果をもたらしてくれるわけでもありません。
 「形あるものはいずれ滅びる,遺物,遺跡は現地にあってこそ価値がある。」
という「現地保存の原則」に忠実なだけでは現実の文化財行政では対応しきれなかったというケースだったと理解しています。
 昭和47年10月,高松塚古墳総合学術調査会による現地調査終了後,フロワドボー氏(フランス文化省),フォション氏(パスツール研究所地中微生物・生物化学部長)は,「この壁画は諸作業の振動で剥落し破壊される危険が多分にある。したがって,何よりもまず壁画をはずして必要作業の完成まで収蔵しておくべきであろう。」と明確にコメントしています。
 しかし,「現地保存の原則」及び「脆弱化した漆喰層の状態等」を踏まえこの意見は採用されず,同年12月には第1回高松塚古墳保存対策調査会において「現地で保存していくことを原則とする」を内定し,翌年,昭和48年の10月に,高松塚古墳保存対策調査会第4回壁画修復部会において,時の「権威」であったイタリア中央修復研究所のモーラ氏の調査報告を踏まえ,「壁画は歴史上,芸術上,保存上の観点から,現地保存とする。」ことを正式に決定したというのがその経緯です。
 イタリアでは,1950年代ぐらいから地下にある壁画は,「はぎとって保存」するようになりましたが,はぎとった壁画が博物館において乾燥して色が鮮やかでなくなったり,ちょっとしたことで表面の彩色がとれてしまうということがあり,昭和48年頃の我が国では,このイタリアでの反省も踏まえ,「現地保存」という方向がでたものと思われます。しかしながら,「本家」のイタリアでも,現地保存し,「ガラスで遮断する」等の方法がとられた時期があったものの結局はうまくいかなくて,その後,「はぎ取り」もいたしかたないという方向に再度方針転換がなされたようです(出展:文化庁「月刊文化財」平成21年4月号7頁〜)。
 理念は正しくても,結局,史跡とその重要な構成要素である「壁画」という「もの」が適切に保存できなければ,文化財保護は結果的に一定程度の実現可能性を失ったということだと私はとらえています。
 「かくあるべし」という原理原則,理念はいつまでも捨ててはいけませんが,現実と理念,理屈の世界を混同するのは,アカデミズムと行政が曖昧模糊としているからだと思います。文化財行政はアカデミズムと表裏一体,渾然一体の関係にあるため,常にその危険性を孕んでいることを我々行政にある者は忘れてはいけないと感じます。
 行政は本意ではなくても常に現実的に「ベター」を選択することを迫られ続けます。安全なところに身を置いて「あるべき論」「原理原則論」のみを語ることは許されません。
 「たられば」は禁物ですが,昭和48年に高松塚古墳の壁画について「劣化の進行はある程度はやむを得ない。どこまで食い止められるか,劣化を先延ばしできるかが問題だ。」として,現地保存が意味するところのメッセージとしてもっと明確にだしていれば…。あるいは,「保存科学がある程度完全なものとなるまでは,壁画をいったん取り出し,発掘された当時のほぼ完全な状態で保存するんだ。」という選択,判断をもっと早期にしていればこういうことにはならなかったでしょう。さらには,東京と明日香村の距離は約500kmもあります。こんな離れた場所にある壁画を文化庁の直轄で保存管理することの困難さを誰かが率直に指摘していれば…。
 文化庁という組織の中で,幅広い専門的識見をもった者が現場のホンネや建前も含めて全体像を明確に掴んだ上で「行司役」としてのバランスのとれた判断をしなかった,責任ある者まで正確でバランスのとれた情報が上がらなかった,という点が,「総合的な判断ができる者の不在」「組織の縦割り」とされた点であり,本件の核心です。
 私は,ローマの日本大使館でアタッシェとして勤務しているときに,職務上,日本テレビの協賛により修復されたミケランジェロの大作,システィーナ礼拝堂の「最後の審判」を何度も拝見する機会がありました。
 また,金沢大学と日本人の篤志家によるフィレンツェのサンタ・クローチェ教会のフレスコ画の修復事業を開始する際にも立ち会いました。さらには,タルクィーニア,トゥスカニア,チェルベーテリのネクローポリというエトルリア人の墳墓群において,優品かつ大量の壁画,そしてその保存,修復状況の実態も拝見しました。イタリアでは現在の日本では論ずること自体許容される雰囲気があまりない「彩色」などの修復手法や壁画を現地から取り出す例も数多くあるし,先述の通り,その揺り戻しとして凍結保存や現地保存にこだわった時代もあったようです。
 時代や地域によってもいろんな考え方があり,文化財保存の考え方や修復手法について答えは一つではない,完成された保存修復理論はいまだに存在しない,と感じました。
 真摯な議論,厳しい議論という意味では,イタリアでも日本でも同じですが,原則論,建前論,責任転嫁に満ちた議論ばかりではなく,文化財保護の真の発展のためには,もう少し建設的で実態に即した議論が我が国でもできるようになることが重要であり,そのような自由闊達な雰囲気が醸成されることを心から望んでいます。

2. 凍結保存について

 史跡の保存やマネージメントの主体については,「地方分権」となっていますが,その保存方法についてはかなり中央集権的となっています。
 すなわち,史跡の現状変更を行おうとする場合は,「維持の措置又は非常災害のために必要な応急措置を執る場合」などや,政令で市町村,都道府県に判断を委ねているもの以外は,すべて文化庁長官の許可が必要となっており(文化財保護法第125条),年間,名勝や天然記念物と併せて,約2000件の許可申請がきています。
 現状変更は個々のケースごとに判断されており,その内容は多種多様ですが,私がみるところ,文化庁にも結構細かい許可申請が上がってきており,中には本当に文化庁が判断すべきものなのかどうか疑わしいものもあります。
 また,本来は現状変更にあたらないのに現状変更として処理されている場合もままあり,世間には「史跡となったら草一本抜けない枝一本払えない」という決して笑えない「常識」もあるようです。
 実際に,平成23年の台風12号の際に,ある神社から「史跡は国からお預かりしており,草一本勝手に抜けないので文化庁に早く指導にきて欲しい。」という要望が寄せられました。多くは泥や岩石,流木のたぐいが流れ込んできたものを応急処置としてどのようにするか,という問題であり,日常の清掃となんらかわりのないケースがほとんどでした。
 しかし,その一方で,明らかに現状変更にあたるのに手続きが一切取られなかったケース,手続きがとられても到底許可できないような案件なのに地元地教委が越権行為として許可してしまっていたようなケースなども相当程度あるというのも実態です。
 地方公共団体によって組織上,構造的に深刻なケースもあり,中央集権的にならないと致し方がないという考えを担当者たちが持つのも全く理解できないわけでもないのです。
 しかしながら,文化庁が,史跡約1700件,天然記念物約1000件,名勝約360件などのすべてを管理するのは物理的に到底不可能であり,地方公共団体にその大部分を委ねるしか方法はありません。先述の通り,文化庁は現状変更の許可を年間約2000件も担当していますが,この数は大幅に縮小すべきでしょう。
 現状変更でもっともよく指摘されるのが,「所有者・管理者は,あらかじめ何ができるかできないかが不明確であり,手続き上の時間的なコストに跳ね返り,ストレスを強く感じている」ということでしょうか。
 このあたりをどの程度あらかじめ明確にできるかは,史跡の「保存管理計画」をどこまでしっかりと策定できるのかということにかかっています。あらかじめ,もっとも重要な部分から比較的緩やかな部分までを段階的に決めておくということです。そうなればどの程度現状変更が許されるかどうか事前に判断可能となりますし,手続きも円滑に進みます。
 私は中長期的な課題としては,史跡の保存管理計画策定を法定化することが特に重要だと感じています。
 さて,主題の「凍結保存」についてですが,一般的に史跡は「凍結保存」が原則となっています。
 「凍結保存」という言葉は,「博物館的な凍結保存」などという表現で使用されることが多く,「既に死んだ(、、、)文化財をそのままの形で残すこと」という比較的ネガティブな文脈で使われることが多くなっています。
 最近,世界遺産登録の影響を受け,「文化的景観」というある程度の「変容」を前提とした文化財の概念も法制化されていますが,史跡に限らず,文化財の保存手法としては「凍結保存」は一般的といえ,それ自体は決して否定的にとらえられるべきものではないと思います。
 しかしながら,「草一本抜いてはいけない。枝一本払ってはいけない。クギ一本打ってはいけない。ネジ一本交換してはいけない。」というようなことが本当に現場で運用されていたとしたらこれはもう文化財行政にとっては悲劇としか言いようがありません。
 「凍結保存」といっても「ことばのあや」というものもあります。
 史跡をまちづくりに活かそうとすれば,特に,都市部では「全く手を触れない」では活用しようがない場合も多々あります。問題は「全く手を触れない」のではなく「どのように触れるか」です。
 どういう部分を最低限保護しないといけないのか,史跡の本質的な価値は何なのか,どのように保護するのか,そのあたりをあらかじめ示しておくのが「保存管理計画」ですが,過去に指定された史跡では保存管理計画の策定状況はまだまだ「お寒い」状況にあります。
 史跡の保存上,もっとも大きな課題でありこれをしっかり策定していかなければ,持続可能性,実現可能性はおぼつかないでしょう。地方公共団体も文化庁も今後もっとも大きな労力をかけるべき点です。
 このほか,本来目的でそのまま活用する(・・・・・・・・・・・・・)「動態保存」が文化財の価値という点でも望ましいのに,本来目的で使用せず「凍結保存」している場合もままあります。
 史跡ではありませんが,たとえば,茶室なのにそもそも茶室に入れない,とか火が使えない,という状態で保存されているものもあるようです。(日経新聞平成23年1月13日電子版「なぜ英国の文化財は美しいのか」)
 また,私が実際に目にした例ですが,市指定の文化財建造物になったとたん,ストーブなどの暖房が使えないので冬季は寒くてあまり活用できなくなってしまった,という光景も目にしました。
 確かに,「指定文化財」となれば「壊してはいけない」「燃やしてしまっては元も子もない」という感覚自体は自然であり,指定文化財を大切に扱うことを否定するものではもちろんありません。
 しかしながら,活用してはじめて価値が上がる文化財や活用されてはじめて持続可能性を確保できるものも多数あります。
 たとえば,世界文化遺産に登録されており,史跡としても指定されている合掌造りの村,白川郷や五箇山などがそれです。
 「合掌造りの家」では生業が営まれ,本来目的で活用されまさに「動態保存」されているところに本質的な価値があります。もし,合掌造りの家で誰も人が住まず,単なるモニュメント群となってしまえばその価値は大幅に減るでしょう。(もっとも,従来農村的生活・生業が営まれてきた白川郷が,世界遺産登録を機に「観光業者」化し,従来の木工製品は店頭から消えてしまったという指摘もあります。)
 文化財の保存の仕方としては,価値のとらえ方をより幅広く解釈する必要があり,冷たいモノは冷たく,温かいモノは温かく保存する,ということが大事だということだと思います。使えるものは使う,本来目的で使ってこそ,真価の出る文化財もあるということだと思います。萎縮しすぎるのもよくないということです。
 特に,空間的な広がりをもった史跡の場合は,繰り返し申し上げているとおり,地域住民や都市計画とのつながりが重要であり,現代的な用途,現代的な意義を付与し続けることが保存・マネージメントに求められています。
 現在は「宝」であったとしても使い続けなければ早晩朽ち果てたり荒れ果てる運命にあり,「使い続ける」英知の集積が文化財保護の本質であるともいえます。
 その用途の開発と現代的な意義付けが今後とも極めて重要です。

 次に,「凍結保存」といっても,常に,史跡を完全に「凍結」できるものではないことの例を挙げます。
 この2つの写真は,端島(軍艦島)の様子です。(左が小中学校,右がアパート群)

(写真1)端島 小中学校

(写真1)端島 小中学校

(写真2)端島 アパート群

(写真2)端島 アパート群

 端島は,往時の昭和35年には,約5000人の人口を擁し,人口密度は東京特別区の9倍もあり,小・中学校,寺院,映画館,病院,パチンコ屋,役所,警察署などの教育施設,厚生施設,娯楽施設,公共施設も備え,一応の都市機能を備えていました。
 昭和48年には,炭鉱が廃坑となるとともに人口もゼロとなり,以来,コンクリート建造物の風化,崩壊が急速に進んでおり,「台風のたびに風景が変わる」と言われているぐらい,建造物の劣化が進行しています。
 私も一度訪れましたが,特に,西側の建造物群は,東シナ海の大きな波しぶきに直接洗われ,通常のコンクリートよりずっと速いスピードで劣化が進んでいるように見受けられました。
 現在,端島は,世界遺産登録をめざす「九州山口の近代化産業遺産群」の構成資産候補として挙がっており,国史跡指定を目指していますが,この保存をどのように図るのかというのは実は難しい問題です。
 建築学の立場からは,都市の崩壊の過程をみる非常に貴重な文化財である,ということで何らの保存措置を講じず,そのまま崩壊していく過程を克明に記録すべきである,という考え方があります。
 一方,「凍結保存が原則」という立場からだと「一定程度の保存措置は図るべし」ということとなりますが,「保存措置は技術的に見て非常に難しい」というのが関係者共通のホンネでしょう。
 しかしながら,おそらくはこのままでいくと早晩全島でコンクリートの建造物は間違いなくほとんどすべてが崩壊します。全島の建造物が「瓦礫」と化したときの史跡としての価値はどのようにとらえるべきでしょうか。
 文化財保護法は,その第112条で「特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物がその価値を失つた場合その他特殊の事由のあるときは,文部科学大臣又は都道府県の教育委員会は,その指定又は仮指定を解除することができる。」とだけ規定しており,史跡の「終期」は規定していません。
 コンクリート建造物が崩壊したからといって「価値を失つた」とまではなかなかいえないと思います。しかしながら,そのがれき状態の保存管理は誰がどうするのか,と考えたとき「終期」を想定しなくて果たして本当に大丈夫なのかという疑問に突き当たります。
 所有者や管理者の都合で,史跡の「終期」を設定するのはあり得ないと思いますが,このように「物理的」に「終期」が明らかな場合は,文化財保護法を改正して,「終期」を設定するのも検討課題ではないかと最近感じています。ただし,これは多くの議論を要すると思います。
 いずれにせよ,どのような保存を図るのかという点については,端島の史跡としての本質的な価値をどこに置くのかということと,現実的にどのような保存方策が採れるのか採れないのかという2点について,検討しないといけない課題だと思います。
 本稿の要諦は,文化的な景観にせよ,史跡にせよ,「変容」をどの程度まで抑制するか,あるいは認容するのかという「折り合い」を現実的な社会との関係でどのようにつけるかということです。
 畢竟,現実の文化財行政では,原理原則通りの完全な「凍結保存」もあり得なければ,アンコントローラブルな「動態保存」を容認することもあり得ず,本質的価値を持続的に担保できる変容の範囲は,保存管理計画によってコントロールすべきであるという点がもっとも重要です。

3. 史跡の復元について

 近年,主に首長や商工会議所などの経済界を中心に,街づくりのシンボル,地域振興の目玉として,史跡の復元が注目を浴びてきており,城郭の天守閣を中心に復元運動が各地で起きています。
 これまで復元された史跡の代表的なものは,文化庁による平城宮跡の大極殿(平成22年),朱雀門(平成9年)でしょう。
 また,比較的早期にできた弥生時代の遺跡である静岡県の登呂遺跡などの竪穴式住居なども復元であり,平成11年に完成した江戸時代の近世城郭遺跡である兵庫県の篠山城跡大書院もやはり復元です。現在でも,熊本城,金沢城,赤穂城など,全国で史跡の復元整備は着実に進められています。
 復元整備の目的は,なんといっても史跡を理解しやすくする端的な効果が抜群であるということです。城郭であれば「天守閣」「櫓」「門」「庭園」,寺院であれば「塔」「本堂」,集落遺跡であれば「竪穴式住居」「倉庫」などの復元建物などを設置することによって格段に分かりやすくなります。
 しかしながら,文化財保護の立場からは,この復元事業については,時には「根拠に乏しい」「ねつ造に近い」「かえって正確な理解の妨げになる」場合もあるとして,慎重な意見,ネガティブな意見も少なくなく,文化財の「真正性」をどのように考えるかという難しい問題も含んでいます。
 先述の「ヴェニス憲章」でもその第15条で以下のような規定があり,イコモスの基本的な考え方に今でもあると考えられます。
「(中略) 廃墟はそのまま維持し,建築的な特色および発見された物品の恒久的保全,保護に必要な処置を講じなければならない。さらに,その記念建造物の理解を容易にし,その意味を歪めることなく明示するために,あらゆる処置を講じなければならない。
 しかし,復原工事はいっさい理屈抜きに排除しておくべきである。ただアナスタイローシス,すなわち,現地に残っているが,ばらばらになっている部材を組み立てることだけは許される。組立に用いた補足材料は常に見分けられるようにし,補足材料の使用は,記念建造物の保全とその形態の復旧を保証できる程度の最小限度にとどめるべきである。」
 イタリアでいえば,例えば,「ハドリアヌス帝の別荘」「パエストゥム」「アグリジェント」「アクイレイア」「セリヌンテ」「セジェスタ」「サンガルガーノ修道院跡」(写真3)など石造りの遺跡が目白押しであり,これらの遺跡は極めて迫力,表現力のあるものが多くなっています。
 「石の文化圏」の遺跡の強みです。

(写真3)サンガルガーノ修道院跡

(写真3)サンガルガーノ修道院跡

(写真4)平城宮跡(復元整備の行われていない頃)

(写真4)平城宮跡(復元整備の行われていない頃)

 しかし,残念ながら,アジアなどの「木」の文化圏では,基本的に建造物などの構造物は残らないため,地下遺構や部材のごく一部,瓦,礎石程度しか残存せず,欧州の遺跡と比較すると迫力・表現力とも乏しいものが多くなっています。(写真4)
 世界文化遺産に登録されている史跡で言えば中国の「殷墟」も日本の史跡と同じような状況にあり,復元建造物や博物館などが設置されています。
 文化庁は,史跡の復元については,先史時代(縄文・弥生)の史跡については比較的緩やかな基準で,一方,中世以降の社寺,城郭などの史跡には,かなり厳しい基準で臨んでいます。
 近世以降の史跡であれば,絵図面,写真,その他工事の記録文書などの客観的な資料が発見される可能性が高いのに対して,それ以前であれば,そのような客観的な証拠に乏しいということがその大きな要因です。
 今後,平城宮跡では,奈良文化財研究所による発掘調査結果や長年の都城跡の調査研究結果の蓄積を踏まえ,国土交通省が国営公園事業のなかで「大極殿院築地廻廊」という復元建造物を建築する予定です。
 これに対しては,平成23年6月のユネスコの世界遺産委員会の決議で,「復元の基礎となる証拠を含む平城宮跡における廻廊の復元計画の妥当性の包括的な説明」を求められ,さらにその結論を導くための「作業文」では,「・・・世界遺産センター及び助言機関はかなりの推測を交えなければ,このような長い期間(構造物)が失われていた考古学的遺跡から復元の証左と(いえるもの)に達するのは難しいだろうと考えていることから,この復元案に重大な関心をもっている。・・・」という内容が盛り込まれています。
 つまり「復元というためには,十分な実証データを示すことが重要だが,かなり時間が経過しており,そのデータを示すにも示せないのではないか。」というのです。
 これは,先述の通り,十分に表現力のある史跡が念頭にある結論の導き方であり,表現力のない遺跡の保存やマネージメントの難しさを抱えている我々日本の文化財行政の立場からすると,これをこのまま適用するのは,率直に申し上げてやや違和感があります。
 復元建造物は,遺構を損壊したり,史跡自体のオーセンティシー(真正性)を害することが明らかではない限り,ただでさえ表現力の弱い史跡を分かりやすくして,国民,市民の理解を得て,保存やマネージメントをもっとやりやすくしようという,文化財保護の一つの積極的な試みに他なりません。
 もちろん,元々天守閣がなかったのに天守閣を創建する,というようなことは論外ですが,地下遺構が残され,瓦,礎石,柱の一部などが残存するなどの発掘調査結果やこれまでの学術成果の結果を踏まえたり,近世以降の城郭であれば,絵図面,写真,工事記録等に基づいて,史跡を復元するのは,もちろん「慎重に」という形容詞付きですが,「あり」だと考えています。
 平城宮跡について,現在,国有地として保存されている約110haもの敷地のすべてを,「草原」状態で放置するというのは現実の史跡の保存,マネージメントにおいては全く非現実的であり,持続可能性,実現可能性のない選択であると考えています。
 今後,そのような観点からユネスコの理解を得なければいけないと考えています。

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