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文化庁月報
平成25年1月号(No.532)

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連載 「祭り歳時記 伝承を支える人々」

木更津中島の梵天立て

木更津市教育委員会教育部文化課 中能隆

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 「木更津中島の梵天立て」
選択年月日:平成4年2月25日
所在都道府県:千葉県
保護団体:中島区

 毎年,正月7日の日の出と共に(さらし)木綿(もめん)(ふんどし)鉢巻(はちまき)(たすき)を身にまとった勇ましい姿の若衆(わかいしゅ)たちが,厳寒(げんかん)の海に入り梵天(ぼんでん)を立てる民俗行事です。東日本のなかでも出羽三山(でわさんざん)信仰が特に濃厚に分布している千葉県において,その具体的な姿を示す伝統的な特色をとどめる祭事として継承されてきたものです。

法螺貝を吹き鳴らし般若心経を唱える行人たち

法螺貝を吹き鳴らし般若心経を唱える行人たち


集会所に集まり梵天作りをする若衆たち

集会所に集まり梵天作りをする若衆たち

梵天立て行事の由来

 この行事の始まりは,今から300年あまり前の(げん)(ろく)年間(1688〜1703)の頃に,中島の海の沖で幕府の御用船(ごようせん)難破(なんぱ)してしまい船の大錨(おおいかり)が紛失してしまうという事件が起こりました。
 船人(ふなびと)たちは中島の住人が船の大錨を盗んでしまったのではないかという疑いをかけて厳しく調べ始めました。そこで中島の住民たちは身の潔白(けっぱく)を証明するために,出羽三山(でわさんざん)行人(ぎょうにん)たちに冤罪(えんざい)をそそぐ祈祷を頼みました。すると満願(まんがん)の日に土砂に埋まっていた大錨が砂の中から浮きあがっていました。このことによって疑いが晴れたことから,出羽三山の神に感謝を表す(あか)しとして梵天を立てたことが由来とされています。

梵天

 行事に使用される梵天には,5m余りの真竹(まだけ)の先端に(あさ)(なわ)で結んだ御幣(ごへい)を付け海に立てる梵天と,2m余りの孟宗(もうそう)(だけ)の先端に(わら)を巻き付けた大梵天(おおぼんでん),長さ40cmほどの孟宗竹のヒゴに御幣を付けた小梵天(こぼんでん)の三種があります。
 大梵天は,先端に巻き付けた藁へ小梵天や御幣をたくさん刺しいれて,若衆によりいったん浜へ立てられたあと,宿(やど)と呼ばれる集会所に持ち帰られ集会所の前や(つじ)に立てられます。その際小梵天は取り外されて各戸に配布されます。これらの御幣は全て出羽三山の行人によって作られ,竹の部分は若衆が準備します。

日の出を待ち梵天を立てるため厳寒の海に入る若衆たち

日の出を待ち梵天を立てるため厳寒の海に入る若衆たち

梵天立てを支える人々

 中島地区は,(ひがし)中宿(なかじゅく)下宿(しもじゅく)(くじら)(はも)()新町(しんちょう)の六つの町内に分かれていて,それぞれに若衆の組織があり,梵天立てはこの町内ごとの六つの若衆の組に分かれて行われます。
 海に入る若者はその年に初めて若衆の仲間入りした者が中心となり,若衆頭(わかいしゅがしら)や世話人と協力して(ほう)(しゅう)に備えます。当日は,海岸へ先に着いた組から海に入ることとなっていますが,浜からできるだけ遠くに梵天を立てるほうが良いとされており,後から海に入る組は,前の組の梵天より沖に立てなければならないという決まりがあります。
 その年の潮の加減によって梵天を立てる位置は異なりますが,最も沖の梵天は若衆の首ほどの深さになる場所で浜からおよそ200m〜300mほども離れた沖に立てられます。
 海岸では,行衣を身にまとった出羽三山の行人たちが,水神(すいじん)(さま)の境内に注連(しめ)(たけ)を張った祭壇で法螺貝(ほらがい)を吹き鳴らしながら般若心経を唱えて,この年の五穀豊穰・悪疫退散・浜大漁を祈祷します。

力を合わせ海に梵天を立てる勇壮な若衆たち

力を合わせ海に梵天を立てる勇壮な若衆たち

行事の継承について

 地元の皆さんに最近の活動について話をうかがったところ,若者たちが都会へ流出してしまい後継者不足が気になるものの,毎年の開催を楽しみにしているとのことでした。
 伝統文化の継承は,多くの人々の理解と支援が必要であることは言うまでもありません。漁業従事者の減少や少子高齢化のうねりが伝統文化の継承においても大きく影を落としている昨今ではありますが,梵天立ては,地域の先人(せんじん)と若者たちが協働(きょうどう)して成し遂げることができる数少ない機会と捉え,受け継がれた文化を地域の内外に向けて発信し続けていただくことを期待しています。

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