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文化庁月報
平成25年6月号(No.537)
連載 「伝建地区を見守る人々 伝建歳時記」
丸亀市塩飽本島町笠島伝統的建造物群保存地区
丸亀市塩飽本島町笠島のまち並保存に向けて
歴史の島 塩飽本島と笠島のまち並
住民と行政との協力によるまち並保存
人々の生活の残るまち並の保存に向けて
歴史の島 本島と笠島のまち並
笠島の全景
瀬戸内海の香川県と岡山県に挟まれた備讃海峡に点在する28の島々からなる塩飽諸島の中心であったのが塩飽本島です。
塩飽という名称は,かつて島でおこなわれていた製塩の様子を表した「藻塩焼く」からきているとも,瀬戸内海の東西より流入した潮流がぶつかり潮が湧きたつ場所という意味の「潮湧く」からきているとも言われていますが,いずれにしてもこの土地が海と深いつながりがあることを示していると考えられます。
塩飽本島は古くより廻船・海運業で知られた塩飽水軍の本拠地でした。塩飽の水夫たちは高い技術を誇り,織田信長や豊臣秀吉に従い功をあげ,これにより塩飽の船方650人は塩飽1250石の領有が認められました。この船方650人は自ら人名と称し,その中から選ばれた年寄が中心となって自治を行いました。時代が徳川の世に移っても徳川家康や秀忠はこれを継承し,江戸時代中期ごろまで塩飽水軍は幕府の御用船方として活躍しました。その後は全国の廻船業の発達に伴い塩飽の廻船は衰退しましたが,船大工の技術を活かした塩飽大工として各地で名を残しました。
笠島地区は,その本島の東北端に位置する小さな港町で,周囲の丘陵部も含めた13.1haが伝統的建造物群保存地区に選定されています。集落の北には港が開かれ,他の3方は丘陵に囲まれています。この港は,現在では埋め立てられてしまっていますが,かつては遠浅の浜で,船を修理するための「たでば」があり,塩飽諸島の中で最良の碇泊地といわれていたようです。
集落内には,集落のやや東寄りを南北に走る「東小路」,海岸線に沿って弓なりに湾曲する「マッチョ通り」,南の丘陵の麓を通る田中小路の主要道路と,それらを結ぶ細い枝道が網の目のように張り巡らされています。これらの通りは湾曲したり,複雑に交差するなどして,見通しのきかないような工夫がなされています。このような集落構成は,集落の東方の丘陵に残る中世の城館跡と関係があると思われ,主要道路に沿って町屋形式の家屋が建ち並ぶこととあわせ,笠島地区の特徴であるといえます。
住民と行政との協力によるまち並保存
笠島まち並保存センター
笠島地区では,貴重な町並みを保存するため,昭和52年度に保存対策調査を実施しましたが,当初は住民の方の理解が得られなかったようです。また当時,過疎化が進んでいたようで,記録によると調査時に内部まで調査できたものはわずか6棟という状況でした。
しかし徐々に笠島地区の価値が認められるようになり,昭和57年には地元住民の方を中心に笠島まち並保存協力会(保存会)が結成されます。そして,保存会の方々のご尽力もあり,昭和60年4月に笠島地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定されることになりました。
重伝建選定後,市では家屋の修理や修景とあわせて,地区内の道路の整備や電柱・電線の移設などの整備を実施したり,笠島町並保存センターや文書館など伝統的建造物の内部公開などを行っています。保存会では,家屋の小修理・敷地の草刈り等の環境整備に対する独自の助成や,地区内道路等の清掃活動を実施しています。その他,塩飽本島の島民が主体となって,本島観光案内所を運営し,笠島地区を含む島内の文化財・見どころの観光案内なども実施しています。このように,住民と行政とが協力し,笠島地区の保存や魅力の向上を図っています。
人々の生活の残るまち並の保存に向けて
笠島のまち並
重伝建に選定されて今年で28年を迎えました。先述のような地道な保存活動の結果,笠島のまち並は,往時の美しい姿を取り戻しつつあります。しかし,笠島地区を訪れる観光客等はまだまだ少なく,地区の持つ価値や魅力が,地区住民の方々に十分浸透できていません。選定当初からの課題であった住民の高齢化や空家の増加といった課題は残されたままです。
このような中で,塩飽本島は今年,香川県の沖合に浮かぶ島々を中心に開催される現代美術の一大イベント,瀬戸内国際芸術祭2013の会場となります。前回(2010年)開催時には90万人以上を動員した現代美術の祭典の会場となることで,笠島地区にも全国から多くの観光客が訪れることが予想されています。
このことは単に笠島地区への観光客数の増加という観光的な側面だけでなく,地区住民が多くの観光客とのふれあいを通じて,笠島地区の持つ価値や魅力を再発見し,まち並保存への意欲を再び向上させる大きな可能性をもっていると感じています。
今後も,建物だけでなく住民の生活までを含めて,再び生き生きとしたまち並とできるよう,住民と行政が一体となり保存活動を続けていきたいと思います。

