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文化庁月報
平成25年9月号(No.540)
連載 「祭り歳時記 伝承を支える人々」
下五島大宝郷の砂うち
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財「下五島大宝郷の
選択年月日:昭和54年12月7日
所在都道府県:長崎県
砂鬼
五島市は,九州の最西端,長崎県の西方海上約100kmに位置し,大小152の島々からなる五島列島の南半分を占め,11の有人島と52の無人島で構成されています。
大宝郷は,列島中最大の面積を有する福江島の南西端に位置し,北,南側を
砂打ち行事と関わりの深い言代主神社は大宝寺境内にあり,古くは一王寺権現と称していましたが,明治の神仏分離政策によって言代主神社と改称されました。
大宝郷の歴史は,すなわち大宝寺の歴史でもあります。大宝寺の歴史は古く,創建は大宝元年(701)にまでさかのぼり(寺名の由来はこの年号にある),その後,大同元年(806)に唐からの帰途,五島に立ち寄った空海が大宝寺に立ち寄り,真言宗に改宗したと伝わっています。
言代主神社例大祭
巡行行列。写真先頭を行くのはメヤマ(女形)。頭上に桶をかざすのが特徴的。
一般的に「砂打ち」の名称で知られるこの行事は,大宝寺境内に鎮座する大宝郷の氏神である言代主神社の例大祭です。
言代主神社例大祭は,旧暦9月28日から29日にかけて行われていましたが,現在は直前の土日に行われるようになりました。28日夜は神社本殿で神事等を行い夜神楽を奉納します。この神楽も「五島神楽」として記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されています。
翌29日が例大祭の本番であり,ムラまわりと称する郷内巡行を行います。ムラまわりは漁村センターを起点として,一定の道順で郷内を一巡します。行列は,アカオニ(猿田彦)を先頭にシーコマ(獅子頭),札持ち,
巡行の途中,一定の場所(旧大宝小学校グラウンド,漁協前など)にて儀式を行います。
巡行途中で行う農耕儀礼
この儀式は,農作業を模擬的に儀礼化したものであり,次のような農耕・収穫に関わる模擬的所作を演じます。
フタッガ(二叉鍬)が掘る → 砂鬼が砂を播く(
この間,砂鬼は手にしたテボを抱え,中に入った砂(小粒の砂利)を見物人等をめがけ打ちまきます。砂鬼から打ちつけられる砂は,災厄除けに霊験があるといわれています。近年では,この動作自体を特に「砂打ち(ずなうち)」と呼称するため,祭り全体の呼び方も砂打ちと呼称されるようになりました。
この行事で特徴的なのは,いうまでもなくこの砂鬼であり,見物人の注目を一身に集め,砂打ちを行っているときが祭りのピ−クを迎えることになります。
砂鬼の特徴を概観すると,顔・手足にヘグラと呼ばれる
巡行を終えた一行は,神社へ戻り,再び神楽を奉納し,直会をして無事に祭りを終えることになるのです。
夜神楽(踊られている舞は玉之浦地区にのみ伝わる入鹿高松)
大宝郷には砂打ち行事のほか,住民が男女二手に分かれ,豊作,大漁を占う綱引き行事や年末から年始に掛けて忙しく働いた女性の労をねぎらう男子禁制の行事「女正月」など,多種多様な民俗行事が伝承されています。
最盛期(昭和10年頃)には1000名を超えていた郷の人口も,選択時の昭和54年には571名,現在では292名と激減しています。しかしそうした状況にあっても大宝郷の人々は,古来より連綿と継承されてきた民俗行事を住民一丸となって守り伝えています。
行政としても保存継承活動支援を行っていますが,これから少子高齢化,過疎化がますます進んでいく中で,郷外の方々を行事に参加させるといった新たな保存継承策を検討していく段階であると思います。

