文化庁月報
平成25年9月号(No.540)
日本の宗務行政
解説 文部省の宗教局から文化庁の宗務課までの歩み
目次
1 はじめに
文化庁文化部宗務課の始まりは,大正2年(1913)に設置された文部省宗教局にさかのぼります。つまり平成25年(2013)は,前身の文部省を含めて,文部科学省が宗教に関する行政事務を所掌してから百年になります。この一世紀の間で,宗教団体を取り巻く社会の状況は,大きく変わりました。宗教団体に関する法律は,宗教団体法(昭和14年法律第77号)から宗教法人令(昭和20年勅令第719号)を経て,現在は宗教法人法(昭和26年法律第126号)になっています。文部省及び文部科学省における宗務行政の主管部局課は,幾多の組織の改変があり時期によって名称が変わっています。名称の変遷をまとめると次のようになります。
- ・文部省宗教局
- (大正2年6月13日--昭和17年10月31日)
- ・文部省教化局宗教課
- (昭和17年11月1日--昭和18年10月31日)
- ・文部省教学局宗教課
- (昭和18年11月1日--昭和20年10月14日)
- ・文部省社会教育局宗務課
- (昭和20年10月15日--昭和21年3月29日)
- ・文部省大臣官房宗務課
- (昭和21年3月30日--昭和27年7月31日)
- ・文部省調査局宗務課
- (昭和27年8月1日--昭和41年4月30日)
- ・文部省文化局宗務課
- (昭和41年5月1日--昭和43年6月14日)
- ・文化庁文化部宗務課
- (昭和43年6月15日--現在)
ここでは,百年間における宗務行政の流れを簡単に紹介します。
2 前史
文部省宗教局は,大正2年に内務省の宗教局が廃止されて,新たに文部省の内局として設置されたことに始まります。明治初期の宗務行政は複雑な変遷をたどっています。ここでは文部省宗教局の設置以前の主な動きを見てみます。
明治元年から4年までは,政府が祭政一致のため,
明治4年には,太政官布告により神社は国家の
同じく明治4年には神祇官から神祇省となり,明治5年に教部省と改められます。一般国民の教化を目的として,神仏合同による皇道宣布の運動を始めます。しかし信教自由の運動が起きて,この運動は成功しませんでした。
明治10年には教部省が廃止され,内務省に社寺局が置かれます。内務省とは,明治6年に設置され,終戦を経て昭和22年に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって解体されるまで存在した大きな省庁でした。地方行政,警察,土木,都市計画,衛生,社会など広く内政を所管していました。
明治33年に内務省の社寺局は,神社局と宗教局に分かれます。このうち宗教局は,大正2年に内務省から文部省へ移されます。これは神社行政と宗務行政の区分を明確にさせたものでした。
なお内務省神社局は,昭和15年に省の外局である神祇院に昇格します。昭和21年に廃止されるまで,国家が神社を管理していました。
3 文部省宗教局の設置
文部省宗教局編『宗教法規』(帝国地方行政学会,大正11年)。発行元は現在の株式会社ぎょうせい
大正2年6月13日に,文部省において宗教局が設置されました。
この時に文部省官制(明治31年勅令第279号)が改正され,第1条は「文部大臣ハ教育,学芸及宗教ニ関スル事務ヲ管理ス」となりました。
第4条には「文部省ニ左ノ三局ヲ置ク」として,専門学務局,普通学務局,宗教局と定められました。
当初の宗教局には,第一課と第二課が置かれました。所掌した事務については,同時に改正された文部省分課規程で確認できます。第4条に「宗教局ニ第一課,第二課ヲ置キ其ノ事務ヲ分掌セシム」とあります。第一課については「一 教派,宗派,教会,僧侶,教師其ノ他宗教ニ関スルコト」,「二 他課ニ属セサル事務」となります。
第二課は,「一 寺院,仏堂ニ関スルコト」,「二 古社寺保存ニ関スルコト」となっていました。
文部省宗教局の課について,その後は大正13年12月25日には第一課は宗務課,第二課は古社寺保存課となりました。同課は昭和3年12月1日には保存課と改めています。
後ほど述べます昭和17年の宗教局から宗教課への再編まで,局内では宗務課と保存課の二課体制が続きました。つまり宗教局では,宗教に関する事務の一環として,古い神社や寺院にある文化財の保護も所掌していたのです。これらの事務は,現在では文化庁文化財部に引き継がれています。
4 宗教団体法の制定
文部省宗教局の設置時期における大きな課題は,宗教団体に関する統一的な法律の整備でした。
明治の初めから通達等で宗務行政が行われていたため,諸規定において相互の連絡を欠き事務処理が煩雑になっていたからです。
このため明治の中ごろから宗教に関する立法の動きが4度もありましたが,いずれも帝国議会で否決ないしは審議未了などの理由で成立せず,5度目に宗教団体法として制定されました。その経過を追ってみましょう。
(1)第一次宗教法案
最初の動きは,内務省に宗教局が設置されていた明治32年にありました。第二次山県有朋内閣が,第14回帝国議会に提出した第一次宗教法案です。しかし大日本仏教徒同盟会をはじめ,仏教界からの反対意見が相次ぎました。法案は貴族院で否決され成立しませんでした。
なおこの立法に先駆けて,民法(明治29年法律第89号)が公布されています。公益目的の法人については,第34条に「祭祀,宗教,慈善,学術,技芸其他公益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノハ主務官庁ノ許可ヲ得テ之ヲ法人ト為スコトヲ得」としました。
ただし民法施行法(明治31年法律第11号)では,第28条に「民法中法人ニ関スル規定ハ当分ノ内神社,寺院,祠宇及ヒ仏堂ニハ之ヲ適用セス」とあります。これは民法に続いて,特別法の制定が予定されていたからでした。
(2)第二次宗教法案
第一次若槻礼次郎内閣において,宗教制度調査会官制(大正15年勅令第116号)が公布されます。宗教制度調査会は文部大臣の監督下に置かれた調査と審議を行う機関で,当時の大臣は岡田良平でした。
宗教制度調査会では,宗教界や学識経験者を委員に委嘱して,立法に向けて法案の審議が行われました。しかし昭和2年の第二次宗教法案は貴族院で審議未了に終わりました。
なお宗教制度調査会の初代の会長は,枢密院副議長の平沼騏一郎が就任します。その後に平沼は内閣総理大臣となりますが,在任中の昭和14年に宗教団体法が公布されます。
(3)第一次宗教団体法案
昭和4年に田中義一内閣の文部大臣であった勝田主計は,宗教制度調査会に対して諮問を行いました。この時に法案は,宗教法案から宗教団体法案となります。法律の対象が「宗教」ではなく「宗教団体」を対象とすべきとの意見から,名前を変えたものです。しかし宗教団体法案は,貴族院で審議未了に終わりました。
(4)宗教団体法草案
昭和10年に岡田啓介内閣の文部大臣であった松田源治は,宗教制度調査会に諮問を行いました。しかし法案として帝国議会への提出には至らず,続く第一次近衛文麿内閣の文部大臣である木戸幸一によって諮問は撤回されたのでした。
(5)宗教団体法(昭和14年法律第77号)
昭和13年に近衛文麿内閣の文部大臣の荒木貞夫によって,宗教制度調査会に宗教団体法案要綱の諮問を行います。法制局の修正を経て,平沼騏一郎内閣の文部大臣荒木貞夫によって,第74回帝国議会に提出されます。法案が貴族院と衆議院を通過して,昭和14年4月8日に法律第77号として公布されます。
宗教団体法は,計37条からなる法律です。ようやく宗教団体に関する体系的な法律が制定されたのです。
5 戦時下の宗務行政
宗教団体法は,昭和15年4月1日に施行されました。この法律に基づいて,昭和17年までに教派神道13派,仏教28派,キリスト教2教団の計43団体が認可されました。認可に当たっては宗派や教団をなるべく合同させる方針だったため,仏教は13宗56派が13宗28派となり,キリスト教はカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)として認可を受けました。また寺院7万余,教会2万5千余も認可を受けました。
文部省宗教局は,昭和17年11月1日に文部省教化局宗教課となります。これは東條英機内閣による総力戦体制下の行政整理によるものでした。昭和18年11月1日には文部省教学局宗教課となります。
総力戦の遂行を目的として宗教団体を動員させるため,宗教教化方策委員会官制(昭和19年勅令第50号)により,宗教教化方策委員会が設置されます。文部大臣の監督に属した委員会で,宗教団体による教化の方策について,重要な事項を調査審議するものでした。
会長は文部大臣の岡部長景が就任して,学識経験者,宗教者からなる委員会が組織されました。昭和19年5月5日の第3回総会では,「宗教教化活動ノ強化促進ニ関スル答申」が決定しました。
6 終戦と宗教法人令
終戦を経て,昭和20年10月15日に文部省教学局宗教課から文部省社会教育局宗務課となり,昭和21年3月30日には文部省大臣官房宗務課となりました。
日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は,内政に関する改革を進めましたが,宗教関係も重視しました。
昭和20年10月4日に,GHQは日本政府宛てに覚書「政治的,社会的及宗教的自由ニ対スル制限除去ノ件」を発出しました。
更に12月15日には,「国家神道,神社神道ニ対スル政府ノ保証,支援,保全,監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(いわゆる神道指令)が発出されました。
続いて宗教団体法が廃止され,代わりに宗教法人令(昭和20年勅令第719号)が公布されます。全18条からなる宗教法人令は,登記だけで宗教法人が設立できたため,宗教団体からの分派,有力寺院の独立,新しい宗教団体の設立が多くありました。
しかし本来の宗教法人としての目的をなさず,税制の優遇を得ることを目的として,法人格を取得する事例が見られました。様々な問題が生じたことから,宗教法人令から宗教法人法に移行します。
また昭和21年2月1日には,神社関係法令と内務省の神祇院が廃止されます。2月2日に宗教法人令が改正され,宗教法人に神社が加わります。
昭和21年11月3日には,日本国憲法が公布されます。第20条と第89条には信教の自由と政教分離の原則が示され,昭和22年5月3日から施行されました。
7 宗教法人法の公布と施行
『宗教要覧』(昭和25年版)。現在の『宗教年鑑』
宗教法人令の施行から数年を経た昭和24年頃から,新たな立法が必要であるとの気運が起こりました。所轄庁により規則等の認証を受ける制度を採り入れた宗教法人法(昭和26年法律第126号)が,昭和26年4月3日に公布され,同日より施行されました。
この頃に宗教団体の収益事業や課税,人権侵害,治療行為等の問題が社会的に取り上げられるようになり,昭和31年10月に文部大臣は宗教法人審議会に,「宗教法人法における認証,認証の取消等の制度の改善方策について」を諮問しました。
背景として,新しい教団の発生と興隆,既成教団の建て直し,宗教と学校教育,社会生活の近代化と宗教活動,宗教と政治の関係など,宗教をめぐる諸問題についての社会の関心が高まっていたのですが,制度の改正には至りませんでした。
8 文化庁の発足
『宗務時報』創刊号(昭和39年)
文部省大臣官房宗務課は,昭和27年8月1日に文部省調査局宗務課となりました。この時期には調査局に宗務課が置かれたこと,また宗教法人法の施行後間もないために新しい法律の定着に資するための基礎資料の整備が必要であったことから,内外の宗教制度に関する調査が行われました。昭和39年には『宗務時報』が創刊され,現在まで継続しています。
昭和41年5月1日には文部省文化局宗務課となります。文部省宗教局の発足から50年余りは,文部省内の局課として宗務行政を所掌していました。
昭和43年6月15日には,文部省の外局として文化庁が設置されました。これは文部省文化局と文化財保護委員会を統合したもので,この時から現在の文化庁文化部宗務課となりました。
昭和47年には沖縄県が本土に復帰しましたが,沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律(昭和46年法律第129号)により,移行措置として,沖縄の宗教団体法に基づく宗教団体は,宗教法人法に基づく宗教法人となりました。
9 現在
宗教法人法制定以降の社会状況の変化や宗教法人の実態の変化によって,制度が実態に合わない面が生じ,平成7年のオウム真理教の問題を一つの契機として,宗教法人制度やその運営の在り方,宗教法人の活動の在り方について各方面から問題点が指摘され,その見直しを図るべきとの世論が高まりました。
このため,宗教法人審議会において,全国的な宗教活動を行う宗教法人の所轄の在り方,宗教法人の情報開示の在り方,設立後の活動状況の把握の在り方などについて検討が行われ,同審議会の報告を受けて,平成7年12月15日に宗教法人法の一部が改正され,平成8年9月15日に全面施行されました。現行の宗教法人制度については,別稿を御覧下さい。
平成13年1月6日には,中央省庁再編により,文部省と科学技術庁が統合され,文部科学省となりました。
文部科学省設置法(平成11年法律第96号)第3条には,省の任務として,「文部科学省は,教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成,学術,スポーツ及び文化の振興並びに科学技術の総合的な振興を図るとともに,宗教に関する行政事務を適切に行うことを任務とする。」と規定されています。
また平成18年6月2日に公益法人制度改革関連3法が公布され,平成20年12月1日から施行されました。これにより民法法人は,平成25年11月末までに内閣府もしくは都道府県に移行申請をすることになりました。
文化庁文化部宗務課が所管していた民法法人の中には,宗教団体の活動を支えるために宗教団体法の成立以前から活動している法人も少なくありませんでした。
以上のように,簡単ですが,宗務行政の歩みを見てきました。文部省及び文部科学省が,宗教に関する事務を所掌して百年になります。その間において,現行の宗教法人法の施行から60余年,文化庁文化部宗務課となってから40余年が経過しました。引き続き,政教分離と信教の自由の原則を踏まえつつ,適切な宗務行政を行って参ります。

