文化庁月報
平成25年11月号(No.542)
【インタビュー】ソプラノ歌手 佐々木典子さん
【インタビュー】ソプラノ歌手 佐々木典子さん
佐々木さんは武蔵野音楽大学を御卒業後,1983年にザルツブルグモーツァルテウム芸術大学オペラ科を主席で卒業,1984年から7年間にわたってウィーン国立歌劇場研究生,後に専属歌手として御活躍されました。
海外へ出たきっかけと,オーストリアで感じたことについてお聞かせください。
私は3歳からピアノを習い始め,長い間日本で音楽を勉強してきましたが,教えられるだけでは音楽のイメージがなかなか湧きませんでした。作曲家が生まれた場所で生活して,人と出会い,四季を味わうことで,音楽を体感してみたいと考えてザルツブルグのモーツァルテウム芸術大学に留学しました。
ザルツブルグで感じたことは,まずは言葉です。ドイツ語の抑揚がそのまま音楽になっている,ということを感じました。それまではドイツ歌曲は余り好きではありませんでした。でも,シューベルトを現地の人が歌うと,言葉が詩となり音楽となり,自由で開放的な演奏になっていきます。詩人の声が自分の中に入り,心の中でリラの花が咲き,太陽の暖かさを感じ,色彩豊かな鳥の声が聞こえてくるのを感じました。もっとも,サルツブルグはなまりがすごいので,日常生活では日本で学んだドイツ語が通用しないという苦労もありましたけど。
もう一つは,ものの考え方や,音楽に対する姿勢を学んだことです。ある時,慣れない生活について愚痴っていたところ,「君は音楽がやりたいからここに来たんだろう。人のせいにしないで,自分で責任を持って生きなさい。」と諭されました。また,留学仲間も音楽に対して厳しい姿勢を持っていて,ノルウェーから来た女性からは「私がこの学校で勉強しているのは,卒業してから音楽で食べていくためよ。私はそのためにオーディションを受けに行くから,あなたも受けなさい。」と言われました。更に,オーディションに落ちたアメリカ人男性からは「ヨーロッパの文化は何百年もかけてできたものだ。日本は便利だったかもしれないが,お湯をかければ3分でできるようなものではない。」と教えられました。皆,職業としての自立した音楽家を目指していました。ヨーロッパでは音楽家はサッカーの選手と同じように,努力して周りに認められてお金をもらう厳しい仕事なのです。
留学期間も終わりに近づいた頃,結局劇場のオーディションには受からず,ディプロームを取得したら帰ろうかなと思っていたのですが,ウィーン国立歌劇場の研究生のオーディションがあると言って友人が申込書を取り寄せてくれました。1次試験は劇場内の稽古場で行われ,曲を半分歌ったところで終わらされたので駄目かと思っていたら受かりました。2次試験はオペラ座で行われましたが,花粉症で声が出なくなったので「歌えません」と訴えたところ,舞台からは暗くて見えない客席から「3日後に来なさい」との声がありました。帰って急いで病院に飛び込み治してもらい,3日後に歌って合格しました。大切なのはコミュニケーションであり,自分のことを相手に分かるように説明することや,諦めずにチャンスをつかむ姿勢を見せることではないかと思いました。
ウィーン国立歌劇場では日本人はお一人だったのですが,役作りなどはどのような工夫をされましたか。
日本にいる時は思ってもいなかった舞台が自分の仕事となったので,どんなに小さい役でもやるようにしました。なにしろ,毎回ウィーンフィルハーモニー交響楽団のメンバーとの共演です。とにかく,全ての作品に一生懸命取り組みました。そうするうちに,他の歌劇場にピンチヒッターとして招かれることもありました。しかし,劇場での通常の公演は2・3日の練習で,すぐ本番です。自分でチャンスをつかめる代わりに,誰もアドバイスをくれない。自分で考えて切り開いていくしかなかったのです。
このため,役のイメージの手本となる人を探すようになりました。オーストリアには,元貴族出身の方々がいらして,その洗練された姿を参考にしていました。ある晩,ハンガリーの富豪のお屋敷でサロンコンサート(シューベルトの夕べ)が開かれ,大学教授による詩の朗読,ピアノによるシューベルトの演奏に引き続き,私が歌うことになっていました。演奏会の途中でポルトガル貴族出身のピアニストが「ツィタ(オーストリア最後の皇后)がいる。」と教えてくれました。私の演奏後,一人の元伯爵夫人とお話をする機会がありましたが,緊張した私はお皿にのせていたカナッペを落としてしまいました。その御夫人は「よく落ちるのよね。」と言って優しく優雅に拾ってくださったのです。その,さりげなく,洗練された物腰と,彼女の過去の華やかだった時代を感じさせる憂いに感銘し,それ以降はR.シュトラウスのオペラの元帥夫人を演じるとき,彼女をイメージするようになりました。生きた人間の姿を役に重ね合わせることで,血の通った役に作り上げることができると感じています。
ウィーン国立歌劇場は昔からのしきたりが多いのですが,役者さんを大切にする伝統もあり,私は衣装さんや小道具さんから大切にしていただきました。貴族の役をやるときは,ウィーンの貴族の方々のイメージとともに,舞台裏で受けたレディの気持ちのまま行うことができました。
ウィーン在住時代はいろいろな方と共演できました。アルフレット・クラウス,ルチアーノ・パバロッティ,ホセ・カレーラス,プラシド・ドミンゴなど,印象的な方々ばかりでした。
特にパバロッティは晩年,お医者様が舞台裏で控えているほど体調が悪かった時の公演で,手に一杯の薬を飲んで舞台に上がり,最高の演奏をしました。そして,堂々とアンコールまで歌うのです。その時私は,スターの座を極めた人の凄味というものに触れたと感じました。お客様は常に最高の演奏を望み,本人は最高の歌を歌うということにまい進するのです。また,クリスタ・ルードヴィッヒが「誰に強いられたのでもない。自分で選んだ道」と出番直前に独り言を言っていらしたのも思い出します。誰にも理解できない孤独と共に自らをお客様の待つ舞台に送り出す,スターの生きざまを垣間見た気がします。
日本に帰ってこられたきっかけは何でしょうか。また,お帰りになって感じたことは何ですか。
日本に帰ってきたのは,劇場との契約が終了したことと,その当時,ベルリンの壁が崩壊してヨーロッパの一つの時代が終わり,新しい時代が始まるのだなと思ったことでした。私も人生の一つの区切りだと思い,帰国を決意しました。でも,私は古き良きウィーンを感じ取ることができて幸運でした。
日本に帰ってきて演奏活動を始めましたが,13年ヨーロッパで過ごしましたので,生活や態度等で周りの方に不愉快な思いをさせてしまったかもしれません。郷に入っては郷に従えのごとく,価値観と習慣はそれぞれ違っていて,またそれが良いのですが,自らが学び,身に付けたものを,ヨーロッパの良いところとして押しつけていたかもしれません。でも私は,演奏の解釈や表現について,答えは一つではないと考えています。ヨーロッパでも十人十色で,それぞれ自分の感性と個性を大切にして表現を行っています。もちろん歌手としての基礎と作品のスタイルはきちっと勉強する必要がありますが,その上に自分自身の演奏というものを作り上げることが重要だと思います。モーツアルトが作った曲を,それぞれの演奏者の個性,解釈によって演奏されることで,ますますモーツアルトの曲が魅力的になり新しい価値が生まれるのです。また,表現はそれぞれの人生とリンクするので,歳を重ねるごとに変わっていくものだと考えています。私にとって,私の音楽の原点はザルツブルクとウィーンであり,モーツアルトやR.シュトラウスがより所です。
佐々木さんは,ヨーロッパ作品はもとより,間宮芳生氏作曲で故十二代目市川団十郎氏演出の「鳴神」や松下功氏作曲の「遣唐使」等日本の新作オペラにも出演されていますが,こうした日本と西洋の融合の試みといったものについてどうお考えですか。
お互いの常識を超えた新しい分野ができることは素晴らしいことで,失敗しても良いからどんどん挑戦をしていきたいと考えています。
日本と西洋でも,喜びや悲しみの感情や人の魂といったものは一緒であるものの,表現は大きく違っています。例えば,西洋の神様は天を見上げて拝みますが,団十郎さんによれば日本の神様は地をはうように下から拝むとのことです。それぞれの文化のベースを持ちつつ,エネルギーとエネルギーがぶつかり合うことで,予測不能な新しい可能性が生まれてくるのだと思います。
佐々木さんは東京芸術大学音楽学部教授として後輩の指導に当たっておられますが,学生に伝えたいことは何ですか。それと,57年間続いてきた芸大オペラが,この11月に文化庁の「大学を活用した文化芸術推進事業」として新国立劇場で行われることについての御意見や,将来の展望についてお聞かせください。
学生に期待することは「自分の足で立つ」ということです。音楽で生業を立てていくという自覚と喜びを持ってほしいのです。一人の声とそれを支えてくれる仲間の力で,一瞬の時に多くの人々を感動に包み,そして喜びを導き出せる,素晴らしい仕事であること。だからこそその道は険しいかもしれません。でも勇気を持って自分を信じて諦めないで頑張ってほしいです。守りに入らず,常に様々なことに挑戦してください。ヨーロッパでオーディションに落ち続けていた時,劇場の音楽監督に「いつか君の時代が来るから,それを信じて諦めるな。」と言われました。それは,誰でもそれぞれの人生の中で,自分自身が輝く時代(全盛期)というものが来るということです。先は見えないけれど,そのために努力をするのです。自分で決めた道を,諦めずに進んでほしいと思います。
芸大オペラはこれまで大学内の奏楽堂で行ってきました。今回,新国立劇場のような大ホールで行うのは初めてのことです。このような舞台に立つことはこれからプロになる若手にとってはプレッシャーとなることだと思いますが,追い詰められた時にこそとんでもない力が出るのです。トップの劇場で一公演をやりきる大変さを若いうちに経験することは,これからの彼らの人生の忘れられない出来事の一つになる,大事な経験になると思います。今後も是非この舞台でのチャンスが継続できるよう,努力したいと考えています。
また,若手を育てるために,将来は海外の学生との共同プロジェクトを立ち上げてみたいと考えています。ヨーロッパの先生に習うだけではなく,海外の若手とイーブンな関係で一つの音楽を作り上げるという体験をしてもらいたいのです。私がウィーンで経験したように,同じ人間として同じ理想に向かって音作りをするという感覚を体で覚えてほしいのです。世の中には人間同士や国々の様々な問題がありますが,一つの舞台を作り上げていくとき,そのようなことに捕らわれていては何も生まれません。また実際に幕が上がったとき,誰もそんなことは考えていませんし,一つの舞台を終えたとき,同じ達成感と互いに支えあった信頼感を味わえます。お互いに喜びを共有でき,新たな信頼感や心の
最後に12月9日(月)18時から霞が関ビルディング1階のプラザホールで行われる,東京芸術大学プロデュース「ウィーン音楽の楽しみ」についてお聞かせください。
このコンサートは文化庁が推進する「霞が関から文化力プロジェクト」の一環として開催されるものです。今回は,ウィーンで本場のワルツを体感してきた田中洪至氏や若手演奏家が,ヨハン・シュトラウスやヨーゼフ・フュランメルの曲を中心に演奏します。私も数曲,ウィーンなまりのある歌も歌いますの,是非お楽しみください。
インタビュアー 霞が関コモンゲート管理組合(新日鉄興和不動産)
青柳理郎

(氏名) 佐々木 典子 (職業)ソプラノ歌手
武蔵野音楽大学卒業後,ザルツブルクのモーツァルテウム芸術大学オペラ科を首席で修了。その後,ウィーン国立歌劇場オペラ研修所を経て,同歌劇場にソリストとして本契約する。
ウィーン国立歌劇日本公演,夏期並びに復活祭のザルツブルク音楽祭のオペラ公演に出演。ウィーンを始めヨーロッパ各地の劇場で数多く出演のほか,マーラー「交響曲4番」,「子供の不思議な角笛」,オネゲル「火刑台のジャンヌ・ダルク」,シュトラウス「四つの最後の歌」など,コンサートにも,多数出演。帰国後は,二期会,数々の団体で,「魔笛」パミーナ,「コジ・ファン・トゥッテ」フィオリディリージ,「真夏の夜の夢」ヘレナ,「こうもり」ロザリンデ,「フィガロの結婚」伯爵夫人,「ニュルンベルクのマイスタージンガー」エファ,「タンホイザー」エリザベートなど,主役には不可欠な存在としてその地位を確立。また特に,R・シュトラウスの作品は,重要な位置をしめ,「ばらの騎士」元帥夫人,「ダナエの愛」(演奏会形式)ダナエ,「ダフネ」ダフネ,「ナクソス島のアリアドネ」プリマドンナ,アリアドネ,「カプリッチョ」伯爵令嬢など多数出演し,卓越した音楽性と表現力は,世界的巨匠をはじめとする共演者からも常に尊敬と信頼の対象とされている。
2013年7月・8月,二期会主催,「ホフマン物語」出演。
CDオールR・シュトラウスのプログラム「四つの最後の歌」。
熊本市女性賞,第2回ホテルオークラ音楽賞受賞。
東京藝術大学音楽学部教授。二期会会員。

